01 出会いは『死神のバラッド』

学校を出て、いつもの帰り道を走って走って。

 「おっと……」

危うく、道路へ飛び出すところだった。

信号機は、赤になっていて、止まらなかったら確実に車と追突していた。

っというか、死亡。

ぞっとしてゆうみは、自分の体を抱きしめる。

こんなときにそうなってしまっては、元も子もない。

ゆうみの目の前を大型トラックが横切っていく。

そして何台もの車が通り過ぎても、見上げる先の信号は赤だった。

「あーもー、早くしてよ!」

ゆうみは苛立ちのままに、地団駄を踏む。

何度も何度も空を見上げて、空飛ぶ人がどこにいるか確認する。

まだ、いるし、まだあそこから動いていない。

っていうか、何をしているのだろうか。

気持ちばかりが先走っていて、もしゆうみに超能力みたいなのがあったら、ひとっ飛びでその人の元へいく。

そして、飛び込んで抱きしめて、確保する。

「ちがう。それじゃあ、違うマンガだわ」

ふーやれやれ、と肩を落としてようやく、落ち着きを取り戻す。

「あの人ってやっぱり、死に神さんかな。モモって名前だったらどうしよう」

もし、間違っていても構わない。

だって、胸がはち切れそうなほどドキドキしているのだから。

大声で叫びたい。

あなたは、誰なんですか?

どこから来たんだって。

口を押さえていないと、ここから大声で叫んでしまいたくなる。

届かないと分かっているけれども。

信号機を睨み付けると、怯んだようにぱっと青色に変わる。

今の自分は、マンガの主人公みたく周りに花が飛んでいるに違いない。

そう確信するほどにゆうみは、再び走り出す。

足が速い方ではなく、かといって遅いわけでもない。

やや中間だと自負する己の足を、ゆうみはこの時ほど恨めしく思ったことはなかった。

もっと早ければ、もっと息が続けば、いいのに。

息が続かなくなって、足がもつれて転びそうになるのを蹈鞴を踏んで立ち止まる。

喉の奥からこみ上げてくる酸っぱいものを地面に吐き出しながら。

顎から垂れる汗を拭い、何度も嚥下する。

喘ぎながら、ふらふらになりながらも。

旗から見れば憑かれていたようで、危ない人だと思われたかもしれない。

でもこの町を徒歩でうろつく人は、学生か老人しかいなかった。

ゆうみがその人を追って向かう先にあるのは、総合グランドと呼ばれている場所。

公式で使われるような本格的なテニスコートを完備し、ナイト野球もできる。

小高い丘にもなっているため、ゆうみはそこへ至るまでの坂道を上らなければならない。

半ばまではなだらかなその坂道を、倒れそうになりながら進む。

体が、鉛のように重い。

息が切れても、止まるわけにはいかない。

ここまで来てしまったら、行かなきゃいけない。

どうしてかなんて、ゆうみは答えられなかった。

今、それはあの人に追いつければ答えられる、そんな気がした。



***



体をくの字に折り曲げて、ゆうみは立ち止まる。

グラウンドのちょうど、真ん中。

そのまま大の字に寝っ転がれたら、楽になれるだろう。

今、それをすれば確実にあの人から見たら変な人になる。

周りを見渡すと、この総合グラウンドには誰もいなかった。

ゆうみ、ただ一人。

ここへ人が来ることは滅多にいない。

現にゆうみはここで、人が遊んでいるのを見たことがなかった。

部活動でもないのにここで、遊ぶ人なんているのだろうかってぐらいがらんとしている。

そして、ゆうみは呼吸を整えると空を見上げた。

あの人は、視線の少し先の空中で停止して、どこか先を睨んでいるみたいだ。

そんなこと関係ない、だから。

あの人が体を屈めたのを見て、どこかへ去ってしまうのを見た。

その瞬間、頭の中が真っ白になる。

腹の底に届くほどに、息を吸い込んで叫んだ。

「ちょっと、あんた。待ちなさいよぉぉぉぉ!」

自分の出せる声、精いっぱいにゆうみは叫ぶ。

「ちょっと降りてきて、私の話を聞きなさいよぉぉ!こらぁ!」

これじゃあ、ケンカ腰だ。

ちょっと前のヤンキーみたいな口調になってしまったと後悔しても遅い。

これはちょっとやりすぎたかと思っていると、相手がこちらを向いたのがわかった。

うそ!

すると、上空にいた人影がだんだんとこちらに近づいてくるのがわかった。

「うそ……」

まさか、自分の声が届くなんて思わなかった。

だって、うそでしょう?

ゆうみは何度も心の中で、冗談でしょ、うそでしょ、を繰り返した。

トンッと目の前で軽い音がした。

例えるならば、紙風船が、目の前に落ちたように軽い。

風がその人の周りを羽衣のように纏って、首を緩やかにこちらへ向ける。

舞い上がった砂煙に、痛くて目を細める。

「うぅ………」

痛みを堪えた瞳の先にいたのは、ゆうみと同い年ぐらいの子だった。

短髪の夜色で、赤と紫の左右違える瞳、つり目の顔立ちの整った顔。

赤は熟れた林檎の色、紫は宝石のアメジスト。

少年のような少女のような曖昧な体を包むのは、巫女さんが着ているような着物。

白に赤い袴姿、耳に揺れるピアスが光に反射して輝く。

輝いているのはピアスではなく、その人自身ように見える。

この人は自分とは明らかに違う存在だと瞳ではなく、存在が告げていた。

自分は、声をかけてはいけない人に声をかけてしまったのではないか。

でも、それはもう遅い。

「なんじゃ」

それはあまりにも、ぶっきらぼうで。

一瞬、ゆうみは何を言われたのかわからなかった。

頭の中で、次々に言いたいことがいっぱいあったのに、声にならない。

胸元をきつく握りしめて、膝が走ったせいなのか、それとも、恐怖なのか分からなかった。

しかしゆうみの口から出たのは。

「私は天月ゆうみ!文学少女見習いの……天月ゆうみよ。天野遠子先輩の弟子3号でっす!」

顔まで反り返り、その子から見ればゆうみの喉仏と顎が見える。

一世一代の大勝負。

それなのに、反応がない。

なんだかだんだん恥ずかしくなってきて、慌てて元の姿勢にもどる。

意外とつらい姿勢だったのね、とアニメからじゃ、分からなかった。

そして、恥ずかしさが上回る前に、それ以上に。

言葉が詰まらないうちに、ゆうみはまくし立てた。

「まっ、まさか!私が天野先輩の弟子3号ということに恐れおののいたのね、無理もないわ」

「そんなわけあるか!ボケ」

初対面の人に向かってそんなふうに言わなくてもいいのにと、ゆうみは愚痴る。

「何やら下でうるさい女が言うておるから降りてきたというのに、なんじゃ」

「うるさいって、あんたがあんなところを飛んでいるのが悪いのよ。私に見つかったのが運のつきと思って、観念しなさい」

ビシッと指を突きだして、その子を見やる。

手を腰に当てて、何ともゆうみの対処に困っている様子だった。

「お前は警察か何かか?」

「違うって言ってるでしょ?私は天野先輩の弟子3号だーって!」

「そんなことを聞いておるのではない」

ゆうみはハタッと我に返る。

そういえば、この子、年寄みたいなしゃべり方をしている。

しかも、変なことを口走ったゆうみに対して、真面目に対応していることから。

この子は結構、真面目で苦労人じゃないだろうかと。

「要件はなんじゃ?」

「はい?」

「じゃから!要件じゃよ!」

グイッと詰め寄られ、ゆうみは言葉に詰まる。

もしかして自分が下から呼んだからわざわざ降りてきたのだとしたら。

飛び上がるほどのうれしさに声も出せなくなっている前で、その子は大げさに肩を竦める。

自分の中で勝手に解釈しながら、ゆうみは頷く。

「もしかして、死に神のモモでしょ?」

「だれじゃ、それ」

意味が分からないとばかりに、ため息をつく。

「モモよ、モモ。白い服に赤い靴を履いた女の子。そしてダニエルっていう黒猫の猫がお供なの。これだけ話せば、魔法少女っぽいけれど違うの。モモは死に神なの。かわいらしくて天使のような死に神なのよ!」

「はいはい、分かったから話を進めてくれ」

何だかとても投げやり的だ。

せっかく、この子に分かるよう説明してあげているというの、にその態度はなんだろうか。

「っというわけだから、あなたモモでしょ?」

「違うわ!」

「じゃあ、黒猫はー!ダニエルはー!どーこー!」

「いるか!俺のところにいるのは黒ではなく、白じゃ」

ご丁寧に訂正をしてくれるとは、この子結構面倒みがいい。

そんなことを思いながらゆうみは、ちらりと見やる。

「ぶーっ。じゃあ君はなんなのよぉ……」

明らかに当てが外れてショックを受けているゆうみを、その子はさっさとこの場を立ち去りたい雰囲気を醸し出す。

でも、ゆうみがその子の服の裾をしっかり握っているため、それもままならない。

振り払わないところを見ると、押せばいけるかもと思い直す。

ここは勢いで勝負しよう。

「ただの、通りすがりじゃ」

「通りすがりの一般人が空なんて飛ぶかー!」

思わず突っ込みを入れてしまった。

「っというか、突っ込みなんて始めて!ありがとう、初めての人」

「なんじゃ、その卑猥な言い方は」

「卑猥ってもしかして、変なこと考えてたでしょ!いやらしいわ!」

体を抱きしめながら、ゆうみは体をクネクネさせる。

「いやらしいのはおぬしの頭じゃ!」

その子に指をさされ、ゆうみは腰に手をあてる。

「こら!明らかに年下のくせして人に指さしちゃいけないってお母さんに言われなかったの?ダメじゃない」

「いきなり、姉さんぶりでない」

その子はとうとう、頭を抱えてしまう。

頭痛でもしてくるのだろうか。

「どうでもよいから、用件はなんじゃ。もしかして、それだけのことを言うために俺を引き留めたのか?おぬしは!」

「そうよ、それ以外に何があるっていうの?頭おかしいんじゃない」

「おかしいのはおぬしじゃ!お、ぬ、し!」

もう疲れたとばかりに、盛大なため息をつかれた。

どうしよう、この子。面白い。

「ったく、土屋と話しておる気分じゃ」

「つっちーって誰?彼女!」

「いきなり親しそうに呼ぶではない。それに彼女ではない。男じゃ」

「じゃあ、そっち系の友達??ってことは、君……」

「言うな!みなまで言うでない!」

慌ててその子は、ゆうみの口を塞いだ、刹那。

その子の指先がゆうみの唇にそっと触れる。

それは、他人が人の口を塞いだときに触れるあのちょっとした接触。

淡い光が生じたのはその時だった。

その子からゆうみへ、何かが自分の中へ移動してきたのを感じる。

けれども、感じたと思う時すでに、その光もすべて消え失せていた。

光が収まったときの、その子の第一声は。

「返せ―――!」

だった。



***



天月ゆうた、今年で18歳になるゆうみの兄である。

高校卒業を間近に控え、近所の製造工場での就職が無難に決まったその日。

兄妹がひっそりと暮らしているアパートの名は、『愛の花園』。

一体誰がこんなみょうちきりんな名を考えたのかさっぱり分からないが、たぶん大家さんだろう。

そのアパートが建っているのは、ちょうど総合グランドへ続く坂道の途中にある。

津波なんか起きたとき、安全でいいとゆうみが言っていたのを思い出す。

夜になるとこの近辺は、街灯が一切ない闇に包まれる。

近年できたたった一つの街灯も、役に立っているのか立っていないか微妙なところ。

ゆうたは、トントンとアパートの二階へ続く階段を上る。

奥から二つ目が、兄弟の家だった。

「ただいま、ゆうみ?」

思わず疑問形で言ってしまったのには、わけがある。

っというのも、住み慣れた我が家へ着けば見知らぬ子供が。

部屋で唯一の居間で、正座してお茶を飲んでいたからだ。

当のゆうみは、台所でフリルの付いたエプロンをして野菜を刻んでいる。

「おかえり~ゆうにーちゃん」

「ゆうみ、その子は?」

靴を脱いであがり、座っている少年を凝視する。

白い着物に、赤い帯、黒髪に赤と紫のオッドアイ。

雰囲気から言って、普通の人間のとは違うと思わされる。

「拾ってきたの」

「……お前はよく、犬とか猫を拾ってきたが人間を拾ってきたのは初めてじゃないか?」

「いやん、照れるじゃん。ゆうにーちゃん」

「ほめてない、ほめてない」

首を振るゆうたに、その子はぽつり。

「突っ込むところはそれだけか」

と。




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 ※参考資料

文学少女シリーズ/竹内美穂

死神のバラッド。シリーズ/ハセガワケイスケ

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