神神のうたげ
ぽてち
神神のうたげ
プロローグ 気分は『文学少女』で
「死神のバラッド。は、マシュマロみたいな味がするの」
読んでいた文庫本を片手で高く上げ、胸元に手を当てる。
椅子の上で上履きを脱いで体育座りする一人の少女がいた。
放課後の教室に、うっとりと夢見る表情で少女は吐息を漏らす。
「まるでマシュマロを食べたときみたいに口の中でフワッとして、口の中でじわじわとけ込んでいくの。私てきにはやっぱり一巻の最初が好きね、最後にある作者のあとがきも、すっごいイイの。ぜひ、お勧めするわ!」
肩口で揃えた髪の毛を無理矢理二つに結んだ少女は、一緒に残っていた親友に顔を向ける。
「あんたって本当に影響されやすいというか、なんというか……」
げんなりした顔つきで、頬杖をつくお団子頭の少女は、読んでいた漫画本を閉じた。
「なに言ってんのよ、うさぎ。私は今……文学少女……天野遠子先輩なの!」
「はいはい、わかりましたよ、ゆうみちゃん」
ゆうみと呼ばれた少女は、ぷぅっと頬を膨らませる。
そして、上履きの上に足を落として履くと、髪の毛を結んでいたゴムを解いた。
「もぉ……真面目に聞いてる?」
「聞いてる、聞いてますよぉ……ゆうみちゃん」
投げやり的な言い方のうさぎに、ゆうみはため息をつきながら本を置いた。
「第一ゆうみは、語彙が貧困すぎるのよ。それにあんた……マシュマロ嫌いでしょ?」
「天野先輩だって、食べられなくても表現出来てるわよ」
「それが作者の力量。そうでしょ?」
あぁっと再度ため息をついて、ゆうみは机に突っ伏した。
彼女の前にいるお団子頭の子は、ゆうみの親友で同じ中学三年生。
つまり、今年が中学校生活最後、受験の年。
本をパタンと閉じ、ゆうみは椅子にもたれかかった。
「ねぇ、うさぎ~受験勉強ってやってる?」
「ぼちぼちね」
「そっかぁ」
うさぎは成績優秀で運動神経もいい。
だけど勉強しているところは、見たことないから、隠れてこっそりというか。
努力家なんだろうって、ゆうみは思う。
先生の覚えもよく、学校に漫画本を持ってきたところで怒られていることはない。
っというか、うさぎ以外にもこっそりみんな、持ってきている。
なぜか、ゆうみだけ先生にバレて怒られて、反省文を書かされただけ。
「あたし、これ読んだら帰るわよ?」
「えぇ、もうちょっと、いてぇ」
「ごめんね。そろそろ夕方だし、帰らないと。暗くなるとあたし、自転車だからあそこ、真っ暗になるから無理」
「うぅ~」
ゆうみが家の鍵を無くしたことに気が付いたのは、ホームルーム直後だった。
うさぎの家に行くことも考えたが、彼女の両親に会うのは避けたい。
うさぎの両親は漫画ヲタクで、娘の名前もセーラームーンから取ったらしい。
彼女本人としてはレイがよかったといつもぼやいている。
まぁ見た目だけでいえば、うさぎはレイがよかったと思う。
「うさぎんち、好きだけどわたしの名前がどこそこの漫画に出ていただとか、一度その台詞を教えるから言ってみてちょうだい。は、やめてほしいからな」
頬杖をつきながら天井を見るゆうみに、うさぎは相づちをうつ。
「うちの両親も悪気があってやってるんじゃないけど、あれは困るよね」
小さく笑ううさぎに、ゆうみはちょっとだけ羨ましかった。
「ねぇ、ちょっとだけでいいから。いて」
小首を傾げるゆうみに、うさぎは漫画の最後のページを読み終わり、閉じた。
「む、り。その代わり、ゆっくり、帰ろう?」
自転車乗らず、ゆっくり歩いて帰ろう、と。
うさぎは帰り支度を始めたので、ゆうみはしぶしぶ椅子から立ち上がった。
これ以上、彼女にわがままを言っても仕方ない。
仕方ない、なんて。
そう思った自分に、ゆうみはハッとした。
刹那、思い出した光景に頭を振ることで自分も立ち上がって、鞄を手に取った。
学校指定のスクールバックはリュック型をしている。
今日は持ち帰る物が多いから、肩に食い込んでちょっと痛いかも。
ゆうみは、窓に当たる日差しに目を細めた。
この町には何にもない。
女子中学生が遊べる場所は、自転車で片道一時間もかかるデパートだけ。
本屋もある、カラオケ屋さんも一件だけ、ある。
だけど、誰がどの家の子かすぐ分かるここでは、すぐバレてしまう。
ゆうみはここが嫌いではない、けど、少しだけ。
「ゆうみ?帰るよ」
振り返れば、うさぎは教室のドアの前で立っていた。
「ごめん、すぐ行く」
そう、うさぎに返答を返し、何気なく、視線を再び外へ向けた。
いつもの光景を、いつものように、その瞳に映すだけの行為。
そのはずだった。
「光った」
「なに、どうしたの」
腰に手をあてていぶかしむうさぎを無視して、ゆうみは今度はちゃんと見ようと窓を開けた。
風がゆうみの髪をさらって、鼻がむずむずして、盛大なくしゃみをしてしまう。
「なにやってんのさ」
バカね、と優しくため息をつきながら、うさぎはゆうみの隣に並んだ。
少しだけゆうみは、窓から身を乗り出すのを、うさぎも一緒になって彼女の視線の先をおう。
「あれ」
それは最初、黒い点だった。
飛行機でも飛んでいるのかと思ったけれど、二人の住む県に空港はない。
黒い点は、二人の目の前で段々とその姿を現す。
点が縦横に伸びて、それが人型になって、光に反射して分からなかったけど。
白い服、あれは白い着物を着ている人の姿になった。
ゆうみは心中で暴れる声を、手で口を押さえ込むと、顔を見合わせた。
「うさぎ、ごめん!」
よく分からない衝動に押され、ゆうみは駆け出した。
「追いかけますですよ!シュッピッドシュバァァ―――!」
「いみ分からない言葉を叫びながら、行かないで!」
やれやれとため息をつく様子のうさぎをおいて、ゆうみは全速力で下駄箱へと向かう。
「おっと!」
ようやくついた下駄箱で、止まることが出来なくて、あやうく転ぶところだった。
足音荒く、ほとんど誰も残っていない校舎に響く。
やまびこみたいに、わーんといつもより大きく聞こえて、耳奥が痛くなる。
心臓が口から飛び出てくるようにうるさい。
上履きからスニーカーに履き替えるだけなのに、指が震えて、動かない。
じれったい想いを何度もなだめながらようやくスニーカーが履けたときは、自分で自分を褒めてあげたかった。
昇降口から表へ出ると、太陽は変わらずそこにあって、スカートが傘みたいになる。
両手でスカートを抑えても、風はゆうみを翻弄した。
まるで空にいる人に近づけまいと拒むように、前へ一歩踏み出すだけで、足下がふらついて。
しゃがみ込んでしまいそうになる。
「あはっ!」
狂気じみていると思った。
もし、あの人に追いつけなかったとしても、うさぎは怒らない。
でも、もし追いつくことが出来て、こんな町に不思議なことが起こったとしたら。
きっと一緒になって騒いでくれるに違いない。
校門横にある二面テニスコートの脇を、小走りで抜ける。
再び空へ視線を向ければ、そこに人の姿がまだあった。
首を巡らし、人が行こうとしている方向を体ごと向ける。
「いえの、近く!」
なら、このまま走って行ける。
でも問題は、間に合うかどうかだ。
ゆうみの体中から、くすぐったいような感覚に満ちて、風は尚、行く手を阻む。
海が近いから、風が強いと言ってしまえばそれまでだけれども。
「よっしゃ、待ってろ!モモ!」
自分でも驚くほどの大声で、宣言する。
今までで一番、早く走れた時だったと、ゆうみはのちに語った。
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※参考資料
神風怪盗ジャンヌ/種村ありな
セーラームーン/武内直子
文学少女シリーズ/竹内美穂
死神のバラッド。シリーズ/ハセガワケイスケ
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