第35話 姉が使者に向いてない件


 クロエがハマヌーレから帰ってこないので、しびれを切らしてミーリアは転移した。


 上空からハマヌーレを見下ろし、ハンセン男爵の屋敷を探す。

 バタバタと風でスカートと髪がなびいて鬱陶しいので、防護魔法で風を遮断した。


(羊毛で儲かってる街だけあって大きいね。ん〜……結構大きい建物が多くてどれがスケベ男爵の家かわからない)


 宙を移動しながら目を細めてそれっぽい大きな屋敷を探してみるが、見つからない。


 クロエが心配で気持ちばかりが焦る。


 そのとき、ミーリアの脳内にティターニアの声が響いた。魔法電話だ。


『ミーリア、ミーリア、こちらティターニア』

「あ、師匠!」

『クロエを探してるんでしょ? クロエに付与した防護魔法の波長をたどって、千里眼を使いなさいよ』

「あっ……そうですね! 焦っちゃって思いつきませんでした」

『緊急時ほど冷静に――何度も教えたでしょう』


 教え子を諭すようにティターニアが優しい声色で言う。

 ティターニアの愛のある言葉にミーリアは焦りが嘘のように消えていった。


「そうでしたね、すみません……。ありがとうございます!」

『何事も経験よ。ひとまず急いだほうがよさそうね』

「え?! クロエお姉ちゃん危険な状態なんですか?」

『危険……ではないわね。見ればわかるわ』


 ミーリアは魔力を練り、ソナー魔法でクロエの居場所を見つけた。


(あの青い屋根の屋敷だ! 大きくないけど一番ゴージャスな造りだね)


『ふああぁぁぁああぁぁぁああぁぁっ…………ねむっ。二度寝するわ。がんばりなさい』


 特大のあくびとともにティターニアの魔法電話が切れた。


 小声でもう一度感謝を伝え、ミーリアは目を閉じて千里眼をハンセン男爵の屋敷に飛ばした。


 視界が切り替わり、クロエの反応がある部屋に千里眼を侵入させると、貴族用のドレスを身にまとった美しいクロエが映った。


(お姉ちゃん! 無事でよかった!)


 クロエはため息を百回ほどついた後のような顔をして豪奢な椅子に座っており、その横にはナイトのようにヒポヌスが張り付いて前方へと睨みをきかせている。


 彼女たちが見ている方向では、金のネックレスをじゃらじゃらと複数つけた中年小太りの男と、似たような顔つきをした小太りな若者二人、合計三人が言い争いをしていた。


(で……これ、どゆ状況???)


 ミーリアは音声魔法を飛ばして入力にする。

 室内の声がクリアな状態で聞こえてきた。


「クロエ嬢とは儂が結婚すると言うておろうが! おまえたちは黙っていろ!」


 金のネックレスじゃらじゃら小太りおっさんが叫ぶ。


「お父様は四十四人も妻がいるではありませんか! ここは長男の私が優秀なクロエ嬢と婚約すべきです! ハンセン男爵領の繁栄を考えたら至極当然な話!」


 長男らしき七三分け小太り青年が両手を広げる。


「何をおっしゃいますか! 次男の私がクロエ準男爵と婚約すべきです!」


 次男らしき眼鏡小太り青年が優雅さを出して演説っぽく叫ぶ。


 言い合う三人を見てクロエが小さくため息をつき、口を開いた。


「皆様、何度も申し上げておりますが、私はまだ結婚するつもりはありません。勝手に話を進めないでくださいませ。何度もお願いされたので二泊いたしましたが……妹が心配しているのでそろそろ帰ります」


 クロエの言葉に三人が動きを止め、彼女を見てだらしない表情を作った。


「儂と結婚したらいい夢を見せてあげるよ。安心して人生をまかせなさい」

「私が長男としてあなたを幸せにします」

「次男の私であれば領地に縛られず自由にやりたいことを支援できます」


 三者三様の返しをし、クロエの顔を見て、ざっくりと開いたドレスの胸元を見て少し鼻の穴をふくらませ、再び顔を見て表情を引き締めて、また三人で睨み合った。


(ハンセン男爵、長男、次男でお姉ちゃんの取り合いになってるじゃん! 結婚しないって言ってるのに貴族ってほんと話聞かないね? いや待って……それもこれもお姉ちゃんが美人すぎるのがいけない気がしてきた……)


 ミーリアは自分の姉が男を狂わせてしまう女性なのかもしれないと思い、貴族の使者には不向きなのでは? と考え始めた。


「……私がグリフォンを使役しているように見えるから利用価値があるのはわかりますが……グリフォンは盟友ですよ? 従える存在ではないのです。人と同じと思ってくださいませ」


 クロエがため息をついて自分を落ち着かせるようにしてヒポヌスの頭をなで、「ミーリアのほうがよほど可愛いというのに……私に執着されても……」とつぶやいた。


(その発言、皆目検討違いだよ……お姉ちゃん)


 自分の興味が妹に全振りされているクロエに脳内で指摘を入れるミーリア。


 しばらくするとまた三人が言い争いを始めてしまったので、ミーリアはさすがに見ていられなくなり、千里眼を切った。


(早く行こう)


 ミーリアは全速力で飛んで突風を巻き起こし、ハンセン男爵の屋敷前に着地した。


 門番の青年が何事かと色めき立ったが、着地したミーリアの姿を見て目を丸くさせた。


「君は、魔法使いか?」

「ミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵です。二日前に来たクロエ・ド・ラ・アトウッド準男爵が帰ってこないので来ました」

「え……ミーリア男爵って今……こんな小さな子が噂のドラゴンスレイヤー……?」

「急ぎなのでクロエ準男爵に会わせてください」

「……失礼ですが、あなたがミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵であるという証明はできますか?」

「あ〜、そうですよね。ちょっと待ってください……えーっと……これが証明書です」


 ミーリアが羊皮紙の証明書を魔法袋から取り出し、ついでに胸につけている二つの龍撃章を見せた。


 門番の青年は納得した体裁を作ったが、ドラゴンスレイヤーとミーリアのイメージが合致しないのか、腑に落ちていない目で見てくる。


 ミーリアが今着ている服がシンプルなワンピースであったことも原因かもしれない。


 執事を呼んできて、もたもたと確認作業を始めたので、ミーリアはじれったくなってきて、右手を上空へ上げた。


「私がドラゴンスレイヤーだとわかればいいんですよね?」

「え? はい、そうですね」


 門番と執事が首をかしげてミーリアの右手を見た。


「じゃあこれが証拠です」


(――証明代わりの爆裂火炎魔法ッ!)


 ミーリアは魔力を練り上げ、音と光の効果を派手に追加した爆裂火炎魔法を上空へと放った。


 周囲を切り裂く爆発音が響き、熱が紅蓮色に門番と執事の顔を染め上げて、まばゆい閃光が一瞬の間だけ辺り一帯を真っ白な世界へと変えた。


「ひいいっ!!!」

「あひゃああっ」


 常軌を逸した爆発音と光に門番と執事が尻もちをついて悲鳴を上げた。


「この魔法でドラゴンを討伐しました。理解できましたか?」


 ミーリアが右手をゆっくりと下げてみせると、こくこくと二人がうなずいた。


「じゃあお邪魔させていただきますね。あ、今の魔法でお屋敷が焦げたりはしてないので安心してください。いきなり魔法を使ってごめんなさい」


 ミーリアはそう言いながら浮き上がり、玄関ではなくクロエのいる部屋の窓から屋敷に入った。クロエの困っている顔を見たら、早く行ってあげたいという気持ちが先行してしまう。待っていられなかった。


「お姉ちゃ〜ん」


 窓をノックすると、すぐにクロエがやってきて開けてくれた。

 どうやら爆発音で窓の近くに来ていたらしい。


「ミーリア!」

「お姉ちゃん!」


 クロエが救世主が来たという嬉しそうな顔つきでミーリアを部屋へ引き入れ、抱きしめた。

 ミーリアも抱きしめ返す。

 クロエがつけているよそ行き用の香水の匂いが鼻孔をくすぐった。


「来てくれるんじゃないかと思っていたのよ。大事なお隣の領主だから勝手に帰るわけにもいかなくてね……」


 クロエがミーリアに頬ずりして、十秒ほどで解放してくれた。


「千里眼で見たらやっかいなことになってたからさ。強引に来ちゃったよ」


 ミーリアがちらりと見ると、ハンセン男爵、長男、次男がほうけた顔つきでこちらを見ていた。爆裂火炎魔法の音と光に驚いて、言い争いは止まっていたようだ。


 ミーリアは居住まいを正して三人に向き直った。


「お初にお目にかかります。新アトウッド領の領主、ミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵です。姉が困っているようでしたので窓から失礼させていただきました」


 ミーリアがぺこりと一礼して挨拶をする。


 三人が「え、この子が隣の領主?」と驚いている。


 十二歳とは知っていたが、実際に見るとそれよりも幼く見えるので驚くのも無理はないと言えた。


「皆様、妹のミーリア男爵ですわ。この子はもう婚約者がいるので結婚のお話はできません。ご注意くださいませ。何卒、ご注意くださいませ」


 ミーリアを取り合ったら大変だと、心配した様子でクロエが釘をさした。


 三人は顔を見合わせてミーリアの顔と胸元あたりを見て、ふうと一息ついた。


(その吐息はなに?!?!)


 もう一回爆裂火炎魔法を撃ちたくなって右腕がうずくミーリア。


(お姉ちゃんが美人なのはわかるけどなんか腹が立つわ〜)



 その後、一度仕切り直しということになり、ミーリア、クロエの二人と、ハンセン男爵、長男、次男の三人がテーブルを挟んでソファに座った。


 ハンセン男爵たちが自己紹介すると、すぐにクロエと結婚したいと熱弁を開始する。


 クロエが床に穴が空きそうな深くて重いため息をついた。


「ハンセン男爵、それにご子息様。先日からそればかり申し上げているではありませんか。わたくしはミーリア男爵の使者として来ただけであって……」


 そこまでクロエが言うと、ハンセン男爵が言葉をさえぎった。


「隣同士の領地であるからこそ婚姻を結び、強固な関係を築くのが最良だよ」


 ハンセン男爵が人の良さそうな笑顔をクロエに向ける。


 男爵は見た目こそ小太りであるが、肌ツヤはよく、女好きっぽい目をしているものの、羊毛で莫大な富を生み出しているだけあって、やり手の中年男性にも見える。


(うさんくさいけど仕事はできそうな感じするなぁ……。四十四人も奥さんがいるのも、ある意味経営がうまいから、とか?)


 理解の範疇を越える存在であるハンセン男爵に、ミーリアはうろんげな視線を向ける。


(いや、どう考えても奥さん四十四人は多すぎ)


 しばらくクロエとハンセン男爵が話し合っていたが、移民の通行料や流通を円滑に行うにはクロエとハンセン男爵の結婚が必要、という流れになってしまい、平行線をたどった。


 ミーリアとしては、最愛の姉には自分が望む結婚をしてほしいので、だんだんと腹が立ってきてしまい、ハンセン男爵の丸い顔も憎たらしく見えてきた。


「お姉ちゃんと結婚したいなら、私を倒してからにしてください」


 気づいたらこんな言葉が口から勝手にこぼれ出ていた。


「ミーリア男爵を? ほう……」


 ハンセン男爵が片眉を上げてミーリアを見つめる。


「決闘ですべてを決めようということかな?」

「もう、それでいいです。クロエお姉ちゃんは結婚する気ないですよ」

「クロエ嬢がハンセン家に輿入れすれば丸く収まる話だとわかっているのに?」

「人を物みたいに扱わないでください。前提として、お姉ちゃんが通行料代わりみたいになっているのが気に入りません」

「貴族は婚姻で関係を結ぶもの。隣同士ならなおさら強固な関係を作るのは当たり前の話だよ。君も貴族のやり方を学ぶべきだ」


 ハンセン男爵が子どもに言い聞かせるような口ぶりで言った。


 実際、彼がこうやって近隣の領地と関係値を作ってきたのは間違いない事実だ。


 しかし、領地の発展以外の、私利私欲が絶対に含まれていないと言い切れないこともまた事実である。ハンセン男爵が女好きというのは王国中が知っていた。


「とにかく、お姉ちゃんとの結婚は私を倒してからです。これは譲れません」

「ミーリア……少し落ち着きなさい」


 小さな声でクロエが言う。


「大丈夫お姉ちゃん。魔法でどうにかするから」


 クロエのことになると頭に血がのぼりやすいミーリアは、もうどうにでもなれという気持ちになった。


(最悪、関係を断絶してもいいんじゃない? 向こうはアトウッド領への道がハマヌーレを通るしかないってわかっていて強気にきてるんでしょ? だったら魔法で新しい道でも作ればいいじゃん。今までは上から目線でやってきたと思うけど、私はそうはいきませんからねぇぇぇっ。お姉ちゃんは渡しませぇぇぇん!)


 決意とともに、だんだんと目がすわってきたミーリア。

 いつでもやってやりますよ、という顔つきである。


「ふん……ふん……」

「鼻息が荒くなっているわ、ミーリア」


 クロエはミーリアの広がった鼻の穴を見て、これは止められないかもしれないとあきらめモードに入りつつあった。


 溢れ出してくる魔力に、先ほどから黙って会話を聞いていた長男と次男が訳も分からず冷や汗を流し始める。


 ハンセン男爵だけはまだ余裕の笑みを浮かべていた。


「わかりました。うちにもお抱え魔法使いがおります。勝てたら通行料は無料、流通も検討しましょう。勝てたらね……」



      ◯



 一時間後、ハンセン男爵お抱えの魔法使いが登場し、屋敷の広場に移動した。


「ミーリア男爵。貴族社会の不条理をこれで勉強しなさい」


 ハンセン男爵はよほど自信があるのか、お抱え魔法使いの背後で大声を張り上げる。


「うちの魔法使いはドラゴンスレイヤー家系の優秀な人材だ。常に訓練を怠らず、サーベルブラックサイガーを仕留める力量の持ち主。そして何より、対人戦闘のスペシャリストだ」


 黒いターバンを巻き、黒いマントを羽織った男が黙って一礼する。

 暗殺者でもやっていそうな風体であった。


「ミーリア、あなたに危険があるならこの決闘はやめましょう」

「大丈夫お姉ちゃん。師匠なら負けるかもしれないけど、師匠より強い人間が王国にいるはずないよ」


 ミーリアとお抱え魔法使いは二十メートルほどの距離を開け、対峙した。



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