第27話 長女と婿養子・下
「こちらに公爵さま直々の書状があります。これはボニー姉さまをミーリアの養子にした証明でございます。次に、離婚証明書には親であるミーリアのサインとモルガン家当主のサイン、セリス教のサイン、そして立ち会い人であるわたくしのサインがございます。離婚は正式に受理されました。すでにボニー姉さまはアレックスの妻ではなく、ミーリア男爵の子でございます」
淡々とした説明にアレックスがテーブルに手を置き、さらに身を乗り出した。
「うちの実家のサインだって?! ど、どうしてそんなもの! だいたい、本人が承諾していないんだ! そんなもの無効だ!」
「両家当主、セリス教、貴族の立ち会い人が揃えば離婚は成立します。これは法律です。あなたが何を言っても覆りません」
アレックスは歯噛みし、妻であったボニーを睨んだ。
「おい! おまえ、その様子だと最初から知っていたんだろう?! 僕がどれだけこの家に貢献してきたか知っているのか! こんな辺鄙で何もない家に来てやった恩を忘れたとは言わせないぞ!」
徐々に本性を現し、アレックスが声を荒げる。
ボニーは毅然とした態度でアレックスを見据えた。
「子どもを作る気もないくせに恩などと言わないで。私は、ミーリアとクロエについていきます。二人に恩を返します。もう二度と私に話しかけないでください」
ボニーの燃えるような感情のこもった瞳に、アレックスはたじろいだ。
クロエと似たボニーの聡明な目がぎらりと光る。
「ずっと黙っていましたが、ここですべてお話します。お父さまとお母さまは、この男の本性を知るべきです」
「お、おまえ! やめろ!」
アレックスがボニーの口を塞ごうと、素早くテーブルを回り込んで手を伸ばした。
「言うな! 絶対に言うな!」
(――かなしばり魔法!)
ミーリアが即座に魔法を行使。
アレックスが手を伸ばした前傾姿勢で硬直した。
「な……動け、ない……!」
「魔法で動けなくしたよ。……あのさ、ボニー姉さま。言わなくてもいいんじゃない?」
ミーリアは気遣ってボニーを見上げた。
(夫婦の事情ってかなりセンシティブな気がするよ)
「いいのよミーリア。最初から、誰かに相談するべきだったんだわ。自分で抱え込まずにね。私の恥などどうでもいいことよ。ここにいる全員にお伝えしておくべきだわ」
「それならいいけど……無理しないでね」
「ありがとう」
ボニーはゆっくりとエラ、アーロンを見た。
「実は、私とアレックスは一度も夫婦の営みをしておりません。なぜなら、この人がロリコンだからです」
(身も蓋もないどストレートな言い方……ッ!)
話を聞いていたミーリアですら、肝が冷えた。
エラとアーロンは言葉の意味を瞬時に理解できなかったのか何度かまばたきをしたが、その意味がわかると目を見開いた。エラは恐怖でカタカタと震え始める。
「冗談でしょう……? え? え? ボニー? あなた、子どもができない体質ではないの?」
「違います」
「な……なんて……なんてこと……ああっ……神よっ……」
エラは衝撃の事実に聖印を切った。
紋章官の五人もアレックスを見て、「なんと不誠実で不浄な」と一歩下がる。
アレックスはついに己の性癖が露見して、顔を青くさせた。
紋章官パリテスが、ゆっくりとボニーを見た。
「そなた、こやつと結婚して何年になる?」
「……八年になります」
ボニーが小さく言うと、信心深い紋章官の旗持ちの青年が「悪魔め」とつぶやき、その隣にいた小姓らしき青年が鞄から聖水を取り出してアレックスにばしゃばしゃかけ始めた。
「セリス様、この者を清めたまえ!」
聖水でアレックスの頭が濡れる。
パリテスが「ありったけかけよ」と指示を出し、魔法使いが魔法袋から瓶を追加した。
「待って! 待ってください! これには訳があります!」
アレックスが必死に弁明しようとするが、周囲の目は冷ややかだ。
(いやホント悪魔だよこいつ)
ミーリアが固まった状態で聖水まみれになるアレックス見て、すぐに目をそらした。
「お二人がこの場にやってきた理由は深く理解した」
紋章官パリテスが重々しくうなずいた。
クロエ、ミーリアもうなずく。
「仮にも貴族の婿養子になった男のする所業ではない。貴族には貴族の責務があり、男は女を幸せにする義務がある。こやつは一度浄化するべきであろう。縛り上げ、教会に連行する。魔が取り憑いているやもしれぬ」
「待ってください! 待って! ミーリアちゃん!」
「男爵の名を気安く呼ぶな、この悪魔め!」
信心深い青年がびしりとアレックスを打擲した。
「あいたぁ!」
「男爵殿、魔法を」
「わかりました」
ミーリアがかなしばり魔法を解除すると、すぐさま紋章官たちが縄でぐるぐる巻きにする。
(なんか思ってたのと違う展開になったけど、これはこれでいいか。紋章官の人たちにアレックスのことはまかせよう)
本来の計画ではボニーを奪還し、アレックスは実家送りにする予定であった。
「ミーリアちゃん! 僕は君のことが好きなんだ! だから助けて! ミーリアちゃん!」
そばかす顔を歪めて叫ぶアレックス。
あまりの醜態に誰もが顔をしかめ、見ていられないと、ボニーが縄で巻かれたアレックスの前に立ち、思い切り頬を張った。
ばちん、と豪快な音が響いた。
「ミーリアの名を呼ばないで! この変態!」
本当ならもっと罵声を浴びせたいところだろうが、ボニーはぐっとこらえて、アレックスをにらみつけた。積年の恨みが込められた張り手であった。
「ボニー! この俺を殴るなんて――」
アレックスが何かを言おうとして、ミーリアは「お口にチャック魔法」とつぶやいて、口を塞いだ。
ふがふがとアレックスが何かを言いながら、紋章官の青年二人に連行されていった。
(すっきりした)
アレックスが退場して、ミーリアは安堵のため息を漏らした。
「ミーリア、クロエ、ありがとう」
ボニーが瞳に涙を浮かべて、頭を下げる。
「これで今日からボニー姉さまは私の養子だよ。まあ、すごーく変な感じだけど」
「お義母さんって呼んだほうがいいかしら?」
ボニーがちらりと実母のエラを見てから、冗談っぽくミーリアに言った。
事なかれ主義のエラに未練はないようだ。
世間体ばかりを気にし、自分たちを守ってくれなかったエラに信頼を寄せるのは無理な話であった。
「ミーリアお義母さん」
「ああああっ、それだけはやめて〜。まだ十二歳だから私!」
十二歳上の美人な長女から言われるお義母さんという言葉に、ミーリアは頭を抱えた。
ジャスミンからも同じことを言われてもだえた記憶がよみがえる。
クロエがくすくすと笑い、紋章官たちも頬を緩めた。
エラは何とも言えない顔をし、アーロン、ロビンは面白くなさそうな顔をしているが、気にしないでおいた。
「私を助けてくれて本当にありがとう、ミーリア。私にできることなら何でもするわ」
「うん。頼りにしてるよ」
ボニーの言葉に、ミーリアがうなずく。
そんなやりとりも終わり、リビングには紋章官三人、ミーリア、クロエ、アーロン、ロビン、エラ、ボニーが残された。
「で、いつまで私を縛っているつもりかしら? 早く縄を解きなさい」
ロビンが紋章官とミーリアを睨みつける。
そんなロビンの言動は視界に入れず、パリテスが口を開いた。
「ミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵。他にこの者たちに伝えることはあるか?」
パリテスの問いに、ミーリアは顔を引き締めた。
(さて、計画通りいこうか)
「え〜、平民のアーロンさん。女王陛下からこの地の開拓を私が請け負いました。これからは私が領主です」
「ぼんやり娘がふざけたことを……!」
アーロンが野蛮な山賊のごとく歯を鳴らす。
「元当主アーロンとその妻エラはラベンダー畑の従業員に任命します。ロビンはその手伝いとします。借金を返すまでは変更しません。また、アトウッド領は開拓されて新しい町ができますが、アーロンとロビンはこの村から出ないでください。異論は認めません。以上」
ミーリアはきっぱりと言い切った。
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