第25話 爵位剥奪


 リビングから出ていこうとする紋章官に、アーロンが声を上げた。


「待て待て待て! なぜ紋章官が来たのか説明をしろぉ!」


 割る勢いでアーロンが拳をテーブルへ叩きつけた。

 その音に、紋章官たちが振り返った。


「クシャナ女王陛下の御下知を賜った。これ以上の説明は不要」

「なぜ女王が紋章官をここに寄越すんだ! 爵位を取り上げるつもりじゃないだろうなぁ!? そんなことしてただで済むと思うなよ!」


 紋章官が来た時点でお家の取り潰しは確定であるが、アーロンは現実を受け入れられずに、つばを飛ばして鬼の形相で紋章官をにらみつける。


 幾度となく爵位剥奪を告げてきた紋章官パリテスは慣れているのか、顔色一つ変えず、やや角ばっている顔をアーロンへと向けた。


「我々が参上した意味は一つしかない」


 重々しい口ぶりに、へたりこんでいたエラが「ああああああっ」と慟哭した。

 世間体を何よりも重視しているエラにとって、爵位は命の次に重い。


 平民への降格に、この世の終わりのような顔をし、髪を振り乱して床を這い、紋章官パリテスの足にすがりついた。


「紋章官さま……どうかっ! どうかお取り潰しだけはご容赦くださいませ! なんでもいたします! 無礼な夫の態度は謝罪させますから、どうかご容赦くださいませ!」

「……」


 パリテスは無機質な瞳をエラへ向けた。


「無礼者!」


 隣にいた旗持ちの青年紋章官が、エラをつかんで引き剥がそうと引っ張る。

 エラは意地でも離すまいと、パリテスの足首をつかんだ。


「お願いいたします! 爵位だけはどうかそのままにしてくださいませ! 何卒、何卒お願いいたします!」

「離せ! 紋章官の足をつかむとはどういう了見だ!」


 青年が叫ぶが、エラは涙を流して離さない。


 その光景にアーロン、ボニー、ロビン、アレックスは声が出なかった。


「お願いいたしますぅぅ! 夫は粗野で学がないですが決して悪い人間ではありません! お取り潰しだけはおやめくださいませ! どうか、どうか!」

「紋章官パリテスさまは女王陛下の代理人である! そなたがつかんでいるのは女王陛下のおみ足であると思え! 無礼者! 無礼者!」


 青年は痺れを切らし、エラの背後に回り込んで両足をつかみ、思い切り引っ張った。


「あああぁああぁあぁぁあぁ!」


 鍛え抜かれた青年の力には抗えず、エラはずるずると雑巾のごとく床を引きずられ、勝手口から庭へと放り投げられた。


 青年が戻ってくると、リビングにうっすらとエラの慟哭が響いた。

 庭で叫んでいるようだ。


「ここまで無礼な家は初めてだ。教会に行く必要もない。略式で済ますぞ」


 パリテスが低い声で、小姓らしき青年に目配せをする。


 小姓が一礼をし、持っていたトランクから腕で抱えるほどの分厚い本を取り出し、恭しく開いた。


 パリテスが差し出されたページへ目を落とした。


「アトウッド家略歴――百五十年前、村人モルガンがこの地に村を作った功績を認め、国王陛下が騎士爵位を与える。以後、モルガンはモルガン・ド・ラ・アトウッドと名乗る」


 朗々と騎士爵位を受け継いだ人物名が告げられる。


 アーロンは口を挟みたくなったが、声が出せないでいた。

 先代の名が、自分の両肩にのしかかってくる。

 まるで自分を責めているかのようだ。


「……ッ! ……ッ!」


 アーロンはどうやったら爵位剥奪をなかったことにできるか考える。

 だが、そんな名案は彼の頭には浮かばなかった。


 ロビン、アレックスも何も言えない。


 ボニーだけは冷静に聞いている。


 エラが庭から這い戻ってきて、キッチンの脇に座り込んでさめざめと泣いた。


 さらには、騎士爵位剥奪の理由が申し伝えられた。


「――アトウッド家次女ロビンの度重なる狼藉と、貴族子女らしからぬ蛮行に、女王陛下はお心を痛め、領民の模範となるべき貴族像と著しく乖離すると仰られた。ロビンの教育を怠ったアーロン・ド・ラ・アトウッドはそのすべての責任を取り、爵位剥奪処分とする」


 パリテスの言葉に、ロビンがカッと顔を赤くした。


 エラが恨み殺すような目線をロビンに向け、アーロンがぎりぎりと歯を食いしばる。


 アレックスは呆れつつも喜んでいるような、へらへらとした顔をしていた。


「――アーロン・ド・ラ・アトウッドは今後、アトウッド姓を捨て、アーロンと名乗ることとする。以上」


 パリテスが言い終わると、小姓が分厚い本を閉じた。

 ぱたん、という音がリビングに響く。


「申し開きがあるならば今ここで述べよ」


 パリテスが言うと、アーロンがロビンに飛びかかった。


「地雷女ぁ!」


 その勢いに椅子をひっくり返してロビンが床に倒れ、アーロンがのしかかり、髪をひっつかんで強引に立たせた。


「地雷女がぁぁ! てめえのせいで紋章官が来たじゃねえか! このあばずれ!」

「わたくしが何をしたって言うんですの!? 悪いのはミーリアです! ミーリアが! 悪いんです!」

「ふざけるな地雷女!」


 アーロンが怪力でロビンを紋章官の前に放り投げた。


「すべてはその女の責任だ! 俺は悪くない!」


 子どもじみた言い分であった。


「私は悪くありません! 紋章官様!」


 パリテスは羽虫でも見るような目をロビンに向けた。

 他の紋章官もそうであった。


 ロビンの醜聞は王都にいる貴族全員が知っている。


 結婚式当日に姦淫し、数年後、王都に舞い戻ってきたかと思えば、貴族子息たちを取っ替え引っ替えし、ドラゴンスレイヤーに多大な迷惑をかけ、義に厚く滅多なことでは他家に口出ししないグリフィス公爵にまで「地雷女」と言わしめた女だ。


 倒れたロビンはさっと顔を上げた。


「わたくしは何も悪くないですわ! 本当なら今頃はクリスさまと婚約しているはずだったのに! お父様こそ狩猟ばかりして領地を大きくしてないじゃありませんか!」

「うるせえ! てめえのせいで爵位剥奪だぞ!?」

「わたくしのせいではないですわ! ミーリアの陰謀です! すべてあの娘が悪いんですわ!」

「地雷女! 地獄に落ちろ!」


 アーロンがふたたびロビンに飛びかかる。


 ロビンが叫びながらさっと手を出すと、偶然にも顎に拳が当たり、アーロンがべしゃりと床に落ちた。


 ロビンは背中に馬乗りになって、アーロンの顔を横からめちゃくちゃに引っ掻いた。


「きいいいぃぃぃぃいいぃぃっ! こんな家に生みやがって! 死ね! 死んじまえ!」

「てめえのせいで爵位が! どけ、どけ!」


 アーロンが馬鹿力でがむしゃらに動く。

 ロデオボーイのようにロビンがぐらぐらと揺れ、アーロンの上から転げ落ちた。


 二人は倒れたまま、同時に互いの髪の毛をつかみ、ギリギリと引っ張りあった。


 ぎゃあぎゃあと罵り合う。


「もうやめて! 二人ともやめて!」


 エラが悲鳴のような声を上げた。


 あまりの惨状に、ずっと黙っていたボニーの目が死んだ魚のようになった。


「……醜い」


 紋章官パリテスは見るに堪えない光景に顔をしかめ、最後尾にいた男に目配せした。


 魔法使いであるその男が杖を出し、小さな火を飛ばす。

 アーロンとロビンの尻が燃え、二人が飛び上がった。


「熱いぃぃ!」

「あちぃぃぃぃ!」


 飛び上がる仕草が同じだったので、親子なのだなとパリテスはなんとなしに思う。


「この愚劣どもを拘束しろ」


 パリテスが旗持ちである二人に指示すると、彼らは魔法使いから縄を受け取り、てきぱきと縛り上げた。


 爵位剥奪と言われ、武力行使してくる輩もまれにいるため、紋章官は腕利きの男たちで編成されている。無力化の方法は熟知していた。


「わたくしは悪くないと言ってるでしょう! この縄を解きなさい!」

「認めん! 俺は認めんぞぉぉ!」


 縄に巻かれたアーロンとロビンは尻がまだ熱いのか床にこすりつけている。


 パリテスはもうかまってられんと、次の言葉を大声で言った。


「お家取り潰しを挽回できる功績はないと理解した。次に、この領地はクシャナ女王陛下の御下知により、今後はドラゴンスレイヤーであるミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵の領地となる。貴様らは今後一切領地経営に口出しすることを禁ずる」


 ミーリアの領地になる。

 それを聞いて、アーロンとロビンが動きを止めた。


 エラもすすり泣きを止めて愕然とする。


 ボニーは静かに聞き、アレックスは目だけを大きく広げた。


「稀代の魔法使いであるドラゴンスレイヤー殿であれば、領地はまたたく間に発展するであろう」


 そう言い切ったパリテスを見て、リビングはしんと静まり返った。



      ◯



 一方、ティターニアの庭で一部始終を見ていたミーリアは、アーロンとロビンを愚行を見て深い溜息が漏れた。


(絶対に喚くと予想はしていたけど……ね)


「ひどいわね……」


 クロエも呆れて言葉が出ないのか、頭を抱えている。


 特設席にいるティターニアは腹がよじれるほど笑い、ビシビシとソファの手すりを叩いてひいひい呼吸をしていた。


「地雷女が! 馬乗りになったところが! 傑作だったわ!」


 ティターニアは完全にツボに入ってしまったらしい。

 彼女が笑う横で、ぼーっとリーフが光合成している。


 ミーリアは魔法で出した七十インチ画面を見て、下唇を突き出した。


「いや〜、この空気のところに行かなきゃいけないの? めっちゃいやなんですけど……」

「気持ちはわかるわ。でも、行かないとね」

「だよね……」

「私がついているから平気よ。ボニー姉さまをさらいに行きましょう」


 クロエが冗談めかして言いながら、手を握ってくれた。

 クロエのすべすべした手の甲を指で撫で、ミーリアはうなずいた。


「だね! 行こうか!」


 ミーリアは下っ腹に力を入れて、魔力を循環させた。


「いってらっしゃ~い。ここで見てるからね〜」


 ティターニアがお気楽に手を振る。


「いってきます!」


(魔力循環――クロエお姉ちゃんにも魔力をコーティング――完了――。アトウッド家に転移!)


 ミーリアが魔法を行使すると、目の前の景色がパッと切り替わった。


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