第43話 強制帰宅


 ミーリアが魔法を解除すると、ロビンがどさりと落ちた。

 浮いていたのは50cmほどなので尻もちをついた程度の衝撃だ。


 貸し切りにしてある薔薇園は人払いがされ、ミーリア、クロエ、アリア、グリフィス家一同とクリスの関係者だけが集まり、囲むようにしてロビンを見ている。


 グリフィス家の面々はミーリアに恩があるため、ロビンに対して冷ややかな態度であった。威厳のある公爵家一同が冷たい目をしているのは、氷の刃を相手に向けているようにも見える。

 ミーリアは自分が敵対していなくてよかったと心から思った。


(さて、ロビンにはご帰宅願おう。親族の迷惑って本当に胃が痛くなるよ……)


 ミーリアは前世で酔っ払った父が夜中に大声を出し、近隣住民に迷惑をかけたときのことを思い出した。


 そんなことを考えていると、倒れたロビンが立ち上がった。


「ミーリアァァァッ!」


 ロビンが思わぬスピードでミーリアに平手打ちを繰り出した。


(いきなり?! 防御魔法を――)


 ミーリアがあわてて魔法を展開しようとすると、横合いから風の塊が飛んでロビンを弾き飛ばした。


「きゃあ!」


 ロビンが再び尻もちをつく。

 横を見るとアリアが眉間にしわを寄せて杖を構えていた。


「それ以上ミーリアさんに危害を加えようとするならば、公爵家三女アリア・ド・ラ・リュゼ・グリフィスが相手をいたしますわ」


 眉目秀麗なアリアが啖呵を切る姿にミーリアは目をキラキラと輝かせた。


「アリアさんさすがです! ありがとうございます!」

「お友達を守るのは当然です」


 アリアの行動にミーリアは緊張しっぱなしであった頬を緩めたが、ロビンの発言でまたしても顔の筋肉が硬直した。


「クリスさま! わたくしは無実でございます! 何もかもすべてはそこにいるミーリアが悪いのです!」


 ロビンは同情を買うべく、いかにも憐れなご令嬢ですと言わんばかりに上半身を起こして、上目遣いにクリスへと視線を向けた。


「どうか憐れなわたくしをお救いくださいまし! クリスさまぁぁぁ!」


(自分で憐れって言っちゃってるし……)


 苦笑いが止まらないミーリア。

 謝罪の一つでも言えないのだろうか。


 クロエが横で「血が繋がっているのが本当に恥ずかしいわ……」とつぶやいている。


 名前を呼ばれたクリスが冷たい表情から一変、柔らかい微笑みを浮かべると、ロビンは希望を見たかのように「ああ」と口の中でため息に近い声を漏らした。


 だが、クリスが発する言葉はロビンの期待とは遥かに遠いものであった。


「ロビリア嬢、あなたは大変に”面白くて”魅力的な女性でした。ああ、元ロビリア嬢とお呼びしたほうがよろしいかな」

「いえ、わたくしはロビリアですわ!」

「おかしいね。浮気相手であった男の証言と、実の妹二人の証言があって、君は浮気女ロビンだと証明されたはずだけど?」


 クリスが流麗な所作で小さく両手を広げる姿は、まるで薔薇の種類を講釈しているようにしか見えない。

 しかし、彼の目には嗜虐的な何かが見え隠れしていた。


(アリアさんが『お兄さまは笑うだけで星々をも赤面させる美しい人ですが、ひどい変わり者ですわ』と言ってたのが何となくわかるような……)


 ミーリアはイケメンの横顔を見て、何度かまばたきをする。


「君はロビリアではなく浮気女ロビンであった。ということは、僕に嘘を吐いていたことになるね。どう弁解する気なのかな?」

「あの……それは……」


 ロビンは目を伏せ、すぐに顔を上げた。


「クリスさまはわたくしを気に入っておりましたよね? でしたら助けてくれるのが当然だと思いますけれど」


 ついにはクリスにまで持論を展開し始めるロビン。


「君って人は完璧に自己中心的な人間なんだね。本当に面白いよ」

「自己中心……。いいえ、そんなことありませんわ」

「まだわからないのかい? 僕は敬愛するミーリア嬢の手助けになると妹に言われて、君のお相手をしていたんだよ。ある意味気に入っていたは間違いないけれど」

「それなら――」

「気に入っていたのは君の行いが普通じゃなかったからだよ。わかるかい? 普通のご令嬢なら人の金で散財はしないし、身分を偽って結婚しようとしないし、実の妹に平手打ちをお見舞いしようとはしないんだよ」


 クリスがにこりと特上のスマイルを浮かべ、ロビンは何も言えずに口をつぐんだ。


「僕はね、めずらしいものが好きなんだ」


 彼は近くにあった真っ赤な薔薇をぽきりと折って、その豪奢な花弁を嗅いだ。


「それから恋愛は――どちらかというと男性が好きなんだ」


 クリスがさらりと爆弾発言を落とし、ミーリアとクロエは目を点にし、グリフィス家の面々はやれやれと首を振った。


「女性で僕と恋仲になりたいのなら、ミーリア嬢くらい面白くないとダメだね。だから君との関係はこれで終わりだよ」

「そ、そ、そん……な……」


 クリスは優雅な仕草でロビンの足元に薔薇を投げ、ついでにとミーリアにウインクも投げた。


(いやぁ〜〜〜〜、ちょっとご遠慮願います)


 盛大に首を横に振ってみせるミーリア。

 貴公子クリスは色々と闇が深そうであった。


「どうにかしなさい……どうにかしなさいよ……」


 クリスが最初から自分を女として見ていなかったという真実を突き付けられ、ロビンは頭が真っ白になる。


 追い詰められ、得意の責任転嫁へと走った。


「どうにかしなさいミーリア! あんたが悪いのよ!」

「いえ、悪いのはロビン姉さまです」


 ミーリアはきっぱりと言い返す。

 ここで無駄に優しくしては自分の心にわだかまりが残りそうだ。


 念のため、最後にもう一度だけ謝罪を意志があるかを確認しておく。


「謝ってくれるなら王都で仕事を探すお手伝いをしますけど、どうしますか?」

「うるさいうるさいうるさぁぁい! 元はと言えばあんたが魔法が使えると言わなかったからこんなことになったのよ! あんたがいれば領地にもっと金があったでしょうが! そうすればわたくしの結婚だって簡単にできたに決まってるわ!!!」

「魔法が使えるって言ったら私を利用するでしょ? いやだよそんなの」

「何がいけないのよ! チビの分際で生意気言ってるんじゃないわよ! このぼんやり女っ!」


 わあわあとロビンが喚き始めると、静観していたクロエがミーリアをかばうようにして前に出た。


「もうあなたの話は聞きたくありません。どうぞアトウッド家にお帰りくださいませ」


 クロエの声は決して大きくはなかったが、ロビンは必死に動かしていた口を止めた。

 

「は? あんな田舎、絶対に帰るものですか。誰がどう言おうとわたくしは王都にいるわ。絶対に出て行かないから覚悟なさい」

「ご安心を……本来ならば旅費として金貨20枚はかかり、最短で二か月の期間を必要とする道中ですが、心優しいミーリアがロビン姉さまのために、一日で、安全に、着の身着のまま帰宅できる、そんな素晴らしい魔法を開発しました」


(クロエお姉ちゃんの黒い笑みが…)


 ニコニコと説明しているクロエの目は完全に据わっている。


「ですので、あのラベンダーしかない、最果てのアトウッド家に、数時間でご帰宅いただけます。ああ、それとこの手紙を”元”お父さまにお渡しくださいませ。くれぐれも私とミーリアとジャスミン姉さまを娘と思わないでください。もう身分は私たちのほうが上です。家も別々なので、頼っても何もできませんし、いたしません」

「そ……そんなバカげた魔法が……あるはずがないわ……」

「手紙をどうぞ」

「いらないわよ!」


 クロエが差し出した手紙を払いのけ、ロビンが顔を青ざめさせる。

 ロビンにとってアトウッド家に帰るのが何よりも恐ろしいことであった。


「ミーリア、お願いできる?」

「うん」


 ミーリアは手紙を魔法で操り、ロビンのドレスの胸元へと強引にねじ込んだ。


「何をするの……やめなさいっ!」


「……ミーリア、本当に平気なのよね?」


 ロビンの金切り声を聞きながら、クロエが耳打ちしてくる。


「うん、大丈夫。自動操縦でアトウッド家に着陸するよ」

「それならいいわ」


 安心したクロエが軽く咳払いをし、グリフィス公爵家の面々へと向き直った。


「これからミーリアが開発した魔法でロビン・ド・ラ・アトウッドを強制輸送いたします」


 その言葉にアリアの父と母、祖母、クリス、アリアがうなずいた。

 クリスはかなりの食いつきである。


「まっ、待ちなさいっ! ミーリアが魔法を開発?! そんなことできるわけがないでしょう!! わたくしをどうするつもり!」


 ロビンが焦った様子で尻もちをついたまま後ずさりをする。

 ミーリアはそんなロビンの姿を見て一瞬だけ心が痛んだが、自分やクロエ、ジャスミンのされてきたことを思い出し、魔力を循環させた。


「ロビン姉さま……いえ、地雷女ロビン。アトウッド家で頑張ってください」


(映画とかだとこういう人って改心するんだけどね……まあこれが現実ってやつかな……さらば、地雷女よ。地雷だけど空を飛んで帰っておくれ……)


 ミーリアはわずかな寂寥感とともに、ロビンを重力魔法で強引に直立させ、かなしばり魔法で固定した。

 途中で動いたりすると起動がズレて危ないからだ。


「ああああああああっ! やめてっ! お願いだからやめてぇぇ!」

「防護魔法もかけてっと……よし」

「何をするつもりなの!? 本当にあの家に帰らされるの?!」

「そうだよ。風魔法を応用したジェットロケット魔法ね」

「いやあああああああああぁああぁぁぁっ! あんな家に帰りたくないっ! お願いよミーリア! 王都にわたくしをいさせてぇぇぇえぇぇぇえぇっ!!!」


 ロビンは本気で嫌なのか顔をぐしゃぐしゃにつぶして喚いている。


「ミーリアが何度も謝罪してほしいと言ったのに、あなたは罵詈雑言を返すだけでしたね」


 クロエが真顔で言った。


「謝罪してほしいならするからぁぁぁあぁあ! あの家にだけは帰りたくないのぉぉおぉぉっ! クロエ、ミーリアァァァ、わたくしの話を聞いてちょうだい!!」

「あなたが集めた金品はすべてこちらで没収いたします。どれだけミーリアに迷惑がかかったのか、家に帰って反省してください。ミーリア、あの人が着ているドレスも回収して」

「あの金はわたくしのものよぉぉっ! 返しなさい! 今すぐ持ってきなさいっ!」


 クロエがロビンを無視し、ミーリアを見つめる。


(新開発した瞬間脱衣魔法だけど……ドレスを脱がしたら下着になっちゃうよね。さすがにそこまではいいかな……うん)


「お姉ちゃん、あの赤いドレスは餞別にあげるよ」

「そう……それじゃあ早急に打ち上げましょう。これ以上公爵家の皆さまへのお目汚しは心が痛いわ」

「親族がダメだとこっちもキツいね」

「ええ、ええ。本当に」


 クロエが先を促すように数歩下がった。


「何をごちゃごちゃ話しているの! いいから金を持ってこいって言ってるのよ! それからこの魔法を解きなさいっっ!!!」


(魔力循環――GPS起動――ハイヒールに付与したジェットロケット魔法は正常に作動――自動操縦オン――)


「それではジェットロケット魔法を起動します。皆さん、下がってください」


 ミーリアの合図で皆が数歩下がる。


「ちょ、ちょっとミーリア?! 本当にこのわたくしをあの家に帰すつもり?!」

「では地雷女ロビンさようなら、また会う日まで。カウント開始」


 キィィィィンと魔力がハイヒールへと充填され、風魔法へと変換されていく。

 不穏な音にさすがのロビンも察したのか顔面を引きつらせた。


「5,4――」

「いやぁぁあぁぁぁぁあぁぁっ! やめてミーリアァァァ!」

「3,2――」

「謝れっていうなら謝るからぁぁ!」

「1――」

「このわたくしが頭を下げてあげる――」

「0」


(ジェットロケット魔法発動!!!)


 ドン、という鈍い重低音が響き、風の衝撃派が円形に打ち出されて薔薇たちが強風を浴びたように斜めに傾く。


 ロビンはとてつもない射出速度で大空へと打ち上げられ、上昇して赤い点となり、GPS機能でアトウッド家方面の西へと起動を変えて青空を進んでいく。


(成功! 成功! 人類初の地雷女打ち上げに大成功!!)


 ミーリアはニュースキャスターよろしく脳内で歓声を上げた。

 嫌いな人間が目の前からいなくなってすっきりしたというのが第一の感想である。


 風で斜めになった薔薇たちが、まるで何事もなかったかのようにさわさわと小さな音を立てながら元の位置へと戻る。


 ジェットロケットの衝撃で舞い上がったクリスの折った薔薇がふわりと落ちてきて、まるでロビンの残滓であるかのように、先ほどまで彼女がいた場所にその身を横たえた。

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