第30話 ジャスミンの瞳


「それじゃあジャスミン姉さま。お目目を開けてください」


 ミーリアは世界樹の朝露が入った小瓶を持った。


「あのねミーリア……それは貴重なものなんでしょう? あなた自身のために使ったほうがいいと思うのだけれど……」


 助けてもらい、視力まで治してくれようとする妹に、ジャスミンは申し訳なさが胸でふくらんでいるようだ。


 ミーリアは笑みを浮かべて、小瓶を掲げた。


「平気だよ。またいつでも取ってこれるし。ほら、顔を上げて」


 本当にいいのかしらと、ジャスミンは向かいの席に座っているティターニアへ首を動かした。


「この子、言い出したら止まらないわよ」


 ティターニアが魔法袋からくるみを出し、魔法で割った。殻は風魔法で遠くへと飛ばし、中身を重力魔法で浮かせる。


「別にいいじゃない、姉妹なんだから。ミーリアが困ったときにはあなたが支えてあげればいいことよ。家族の間に貸し借りなんて面倒くさいわ」


 エルフ流の考え方だろうか。


 ジャスミンは後で恩を返そうと思い、ミーリアの善行を拒否するのも違うと感じて、ゆっくりと顔を上げた。


 ミーリアはいつでも朝露を垂らせるようにスタンバイしている。


(ジャスミン姉さまの目って可愛いよねぇ。綺麗なアーモンド型。私よりまつ毛長いし)


「じゃあ垂らすよ」

「うん……ちょっと、怖いわ……」

「大丈夫だよ。師匠の言うことに間違いはないから」


 小瓶を水平にし、ミーリアは慎重に世界樹の朝露を垂らした。

 左目に水滴が二粒落ちる。


 続いて右目にも落とした。


 痛みを感じないのか、ジャスミンは顎を上げ、両目を開いたままだ。


「姉さま……どう?」

「どう、だろう……。よくわからないわ……」

「痛くない?」

「痛くはないけど……まだ、目は開けておいたほうがいい?」

「師匠? どうですか?」


 話を振られたティターニアはふあああっ、とあくびをして、くるみを口に放り込んで咀嚼した。


「まだ閉じないで。ほら、目の端が光ってるでしょ?」


 言われて振り返るミーリア。


(本当だ! 目が光ってる……!)


 ジャスミンの両目が淡く光り、光彩を帯び始めた。


「ミーリア……なんだか目が、かゆいかも……」

「ああ、かいちゃダメよ。我慢なさい」


 ジャスミンの言葉にティターニアが指を振った。

 重力魔法でジャスミンの腕を固定する。


「姉さま、頑張って!」

「うん。我慢するね」


 ジャスミンは目を開けたままじっと耐える。すると、数十秒で淡い光りは収まった。


「もういいわよ。何度か瞬きなさい」


 ティターニアがドライヤー魔法で寝ぐせを直しつつ、ジャスミンにかけていた重力魔法を解除した。


「どうかな? 見える?」


 心配して顔を覗き込んでみる。


「んん、ちょっと、待ってね。なんだか……」


 ジャスミンが何度も強く瞬きをする。


 視界が開けてきたのかジャスミンの表情が変化していき、眼球を左右に動かして、じっとミーリアを見つめた。


「……ミーリア……」

「……見える?」

「ええ……見えるわ……」


 ジャスミンはゆっくりとミーリアの頬へ手を伸ばした。


「ああ……ミーリアは、こんなに可愛い子だったのね……」

「ジャスミン姉さま……よかった……」


(無事に視力がよくなったみたいだね)


 ミーリアは頬に当てられた手を握り、にっこりと笑った。


「素敵な笑顔ね……ミーリア……」


 ジャスミンの瞳から涙がこぼれていく。


「ごめんなさい……せっかく見えるようになったのに……また、見えなくなっちゃうわ……泣くつもりなんて、ないのに……」


 ミーリアは泣いているジャスミンを見て、彼女が長年視力に悩まされてきたことをあらためて知り、視力が回復してよかったと心から思った。世界樹の朝露を教えてくれたティターニアにも感謝の念があふれてくる。


「よかったね、お姉ちゃん」

「……うん……お姉ちゃん、ミーリアが妹でよかった……こんなに優しい妹なんだもの……」


 ジャスミンが立ち上がり、ミーリアを抱きしめる。


「あ……」


 クロエとは違う優しいハグに、ミーリアは嬉しくなってぐりぐりとジャスミンの胸に顔をうずめた。


(私は幸せだ……)


 前世では学校から家に帰ればダメ親父にこき使われる毎日。


 そんな父親から逃げ出した一人暮らしの生活も、余裕のない状態でつらかった。友達もいないし、頼れる親戚もいない。味方であった祖母は遠くの病院に入院していたため会えない。孤独との戦いだった。


 それが今は師匠であるティターニアがいるし、姉のクロエもいる。

 優しい性格のジャスミンとお互いが家族だと認め合い、心が通じた。


(お姉ちゃんが二人もできたんだね……。嬉しいなぁ。師匠は師匠でずっと家族みたいな関係だし……)


 しばらくジャスミンの体温を感じ、ゆっくりと身体を離した。

 ミーリアはティターニアへ視線を移す。


「師匠。世界樹の朝露のこと、教えてくれてありがとうございました」

「いいのよ。エルフの里じゃ常識だし」


 ドライヤー魔法をかけ終わったティターニアがひらひらと手を動かす。


「それでもです」


 ミーリアはティターニアに駆け寄って、抱き着いた。


「師匠好き。ラブです」

「あらら。いつまで経っても甘えん坊ねぇ」


 ティターニアはそんなことを言いつつも、いつも優しく抱き留めてくれる。

 ミーリアは若草と甘い香りのするティターニアの腕の中が好きだった。


「ジャスミン姉さまも好き」


 ティターニアの腰に手を回したまま、ジャスミンへ顔を向ける。


「まあ……私も大好きよ、ミーリア」


 泣き笑いで答えてくれるジャスミンは儚げで可憐だった。


「えへへ……」


 だらしない笑みを浮かべるミーリア。

 ティターニアに頭を撫でられて落ち着くと、顔を上げた。

 幸せを堪能したら王都のことが気になってきた。


「あ、そういえば、ハイヒールはどうなりました?」

「ん? もう改造は済んでるわよ。あとはあなたが魔法を付与して終わりね」


 ミーリアの肩を持ち、身体を離して、ティターニアはしわがよっているミーリアの制服をぽんぽんと叩いて直した。


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