第22話 千二百六十枚


 ダレリアス家当主は半ば放心している。

 ロビンを王都に連れてきた責任を感じているようだ。


「念には念を入れて裏を取りたいのですが、ロビンを連れてきた騎士は本日屋敷におられますか?」


 クロエに聞かれ、当主でなく、次男ギルベルトがうなずいた。


「おりますよ。ここに呼びましょう」


 ギルベルトが呼び鈴を鳴らすとメイドがやってきた。


 彼が小声で要件を伝えるとメイドが早歩きで出ていき、しばらくして騎士ウィルが入室した。


 アトウッド領へ続く街道――魔物領域を踏破できる戦闘技術を持っている騎士だ。年齢は二十代後半で鼻が高く、精悍な男である。


 彼は当主、クロエ、アリア、エリザベートが部屋にいるのを見て、これはただ事ではないと深々と礼をし、直立不動の姿勢を取った。


「お呼びでしょうか、坊ちゃま」

「ウィルがお連れしたロビン嬢について、こちらにいらっしゃる妹君の、クロエ・ド・ラ・アトウッド準男爵がお聞きしたいことがあるそうだ」

「承知いたしました」


 騎士ウィルは若いクロエを見て、準男爵? と一瞬疑問を浮かべたが、冗談の言える席でないと察し、即座に疑問を脳内から追いやった。


「ウィルさま、ご足労痛み入ります。クロエ・ド・ラ・アトウッドと申します」


 クロエが丁寧に礼を言った。


「お聞きしたいのは一点のみ。ロビンはあなたに何を言って、王都へやってきたのですか?」


 騎士ウィルは高慢ちきなロビンの高笑いを思い出したのか一瞬だけ顔をしかめ、表情を真顔へと戻した。


「申し上げます。ロビン嬢は“王都に行って、問題がないと確認したら、ジャスミンを差し上げます”とおっしゃっておいででした」

「まあ……やはりそうですか」

「はい。それから、ドラゴンスレイヤー殿を紹介してくれる、とも」

「うまいこと取り入ったわけですね」


 クロエが何度か瞬きをして考えをまとめる。


 騎士ウィルは何が何やらわからず、次男ギルベルトへと視線を泳がせた。


 ギルベルトが事の経緯を説明すると、騎士ウィルは比喩抜きで顔面を蒼白にした。


「申し訳ございません……! そのような、地雷女――だとは知らずに……まんまと口車に乗せられてしまいました……。我が家の婚約書状を利用して散財しているとは……しかもドラゴンスレイヤー殿を巻き込むとは……くっ!」


 騎士ウィルがうつむいて拳を握る。


「思えば旅の道中も注文が多くてうるさい女でした。宿は綺麗なところがいいとか、野営は虫がいるからできないとか、不平不満ばかり垂らしており……王都についた途端、礼も言わずに宿へと消えてしまい、我々騎士は一体なんのために誠心誠意お供したのか……」


 顔を上げ、騎士ウィルが当主を見つめた。


「旦那さま。ロビン嬢の件は坊ちゃまにお預けいたしましたが……、まさかあの女、一度もダレリアス家を訪問していないのですか……?」

「していないよ。何度も使者を送ったけどね」


 苦い顔をしている当主に代わり、ギルベルトがうなずいた。


「私はてっきりドラゴンスレイヤー殿とお会いして後で来訪してくださるとばかり……ギルベルトに任せきりであった……」


 当主が苦虫をかみ潰し、飲み込んで胃の中をミキサーでかき回されたような、苦り切った顔をしている。準男爵にここまでの顔をさせるとは恐ろしい女だ。


 騎士ウィルは気づけなかった自分に怒り、身を震わせた。


「……地雷女……」


 彼はつぶやき、悔しそうにくしゃりと顔中にしわを作った。


「推測ですが、ロビンはダレリアス家――当主さまとギルベルトさまに顔が知れることを恐れたんでしょう」


 冷静に分析したクロエが言うと、今まで静かに話を聞いていたアリア、エリザベートが「まあ」「これはこれは……」と不気味な妖怪でも見つけたかのように、頬を動かした。ロビンのやりたい放題な行動が同じレディとして信じられないらしい。


 クロエは当然の反応よね、と内心で思い、皆にこんな顔をさせたロビンが血のつながった姉だと考えると不快な気分になった。


「ご安心ください。ロビンの計画はずさんで穴だらけですわ」


 気持ちを切り替え、クロエがダレリアス家の当主へ視線を向けた。


「ダレリアス家がロビンを連れてきたのも一つの縁だと私は思っております。この請求書について、私が考えていることがございまして、もちろんこれはミーリア……私の妹、ミーリア・ド・ラ・アトウッド男爵から預かってきたものです」


 クロエがカバンから分厚い請求書を取り出した。

 当主はそれを見てぎょっとした。


「そちらは……ロビン嬢が散財した請求書ですか?」

「そうでございます。宝石店ムレスティナで支払いを済ませた分を除き、この中にダレリアス家の名前入り請求書が二十枚入っておりますわ」

「地雷女だと知っていたら許可など出さなかったものを……」


 後悔先に立たず、である。


 当主は後々利益になるだろうと、アトウッド家、ミーリア、ダレリアス家の共同請求書を承認していた。支払いはミーリアがしてくれるし、断る理由などなかった。


 万が一、ミーリアが拒否した場合はアトウッド家とダレリアス家が折半して支払いとなる。


 当主としては、主体となっているミーリアの支払い拒否はまずないだろうと経験則で判断していた。


 何せ、婚約申し込みの書状を持っている家族の依頼であり、これを拒否するとなると「うちの家はもめてます」と公表すると同義だ。そうなると、ゴーサインを出したダレリアス家も「婚約書状を出したのに相手サイドの事実確認すらできない家なんですね」という目で見られかねない。


 ミーリアもダレリアス家も全員メンツ丸つぶれである。


 噂のネタにされて性格の悪い貴族連中に「ワイン代、折半にしますか?」とバカにされかねない。


「ドラゴンスレイヤー殿は何とおっしゃっておられますか……?」


 恐る恐る、当主が尋ねた。


 覚えている限り、二十枚の請求書の合計金額は金貨三百枚。日本円換算で三千万円だ。その半額となれば、千五百万円。鼻で笑える金額ではない。


「愛する我が妹は貴族の方々、お店の方々のご迷惑になるので、すべて支払うと言っております」

「さようで……ちなみに、請求書は合計おいくらでございますか?」

「金貨千二百六十枚でございます」


 クロエが表情を変えずに言った。


「千二百六十枚……?」


 日本円換算で一億二千六百万円――


 豪遊につぐ豪遊である。

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