第22話 寝不足な日々


 花壇掃除を始めて五日目、ミーリアはほうきに寄りかかって深いため息をついた。


 美しいローズマリアのアーチと朝日がやけに眩しく感じる。

 完全に寝不足であった。


(クロスワードにハマりすぎた……昨日の座学も眠気で危なかったよ)


 一年生の授業前半は現在解明されている魔法理念――座学が中心であり、すでにティターニアから似たようなことを教えてもらっているミーリアには退屈な内容であった。寝不足の状態だと、子守唄にしか聞こえない。


(頭ぐらぐらしちゃうもんね)


 それでも、クロスワードは魅力的であった。

 謎を解明すればスターは確実だ。グリフォン印シェフのお菓子のためにも、初日で罰則という汚名返上のためにも、やめるつもりはなかった。


「ふああぁぁっ」


 ミーリアは早朝の気持ちいいそよ風を浴びて、大きなあくびをした。


(風魔法ちゃ〜ん、頑張ってね〜)


 こうしてぼんやりしつつも、風魔法をうまいこと操作して花壇の小さなゴミを集めている。ホコリや塵がひとりでにミーリアの足元へ集まっていくのはシュールな光景であった。


(魔女先生――キャロライン教授に何度か睨まれた気がしたから、今日の授業も気をつけないとね……)


 魔女先生は精神に作用する補助系魔法が得意なようで、その有用性を熱く語っていた。対象者の痛みを軽減する麻酔に使われたり、眠っている身体能力を呼び覚ましたり、やる気のない者を鼓舞したりなど、確かに便利なようだ。


(肉屋の職人さんを鼓舞するのはアリかも)


 この世界に来て満足のいく肉を食べたことのないミーリアは思いを馳せる。

 外出許可を申請して王都に行って食材を見たり、食堂に行ったりしようと考えていた。


(ま……新入生は夏まで出れないんだけどね……)


 アドラスヘルム王国女学院の校則は厳しかった。

 限られた時間でできる限り能力を高めるカリキュラムになっているようだ。


(それは百歩譲っていいとして…………友達が……友達が……できないんだよね……悲しみの極みだよ…………)


 ミーリアは悶絶してほうきの柄の先におでこを乗せ、ぐりぐりと頭を動かした。

 女学院に入学すればどうにかなるだろうと思っていたが、ミーリアの“可愛いお友達計画”は上手くいっていない。


 原因は色々ある。

 その中でも一番大きいのが――


(まさかグリフィス公爵家三女のアリアさんと話していることが原因なんて……!)


 魔法少女とあだ名をつけた、アリア・ド・ラ・リュゼ・グリフィスに話しかけているのがまずかった。ミーリアはクラス合同授業で彼女を見つけると「アリアさん!」と声をかけ、隣に座るのが常だ。


 というのも、彼女の姉であるグリフィス公爵家次女ディアナが家名を印籠のように使っているせいで、すでに女学院には公爵家派閥なるものができあがっていた。


 女学院生に身分差はなく、学び舎を共にする学友である。

 これが学院の基本方針であるものの、王国は貴族社会であった。建前だけでは済まない。


 学院を卒業して職場を斡旋してほしい者、公爵家に仕官を求める魔法科の者など、集まるところに人は集まってしまう。重力魔法ふわーん事件で白レースのパンツを見られていたディアナだが、人を集める駆け引きは案外巧みであった。


 グリフィス公爵家がクシャナ女王陣営に属していることも大きい。

 派閥を作っている行為も「お友達ですの」と言えばそれまでであるし、ディアナの存在が学院生活を脅かすほどでないため学院側も注意しづらい。


(私が授業でアリアさんを発見したら話しかけてるってお姉ちゃんに言ったら……頭を押さえてたもんね……)


 商業科一位のクロエは事あるごとにディアナに誘われていたが、別貴族のアテがすでにある。突っぱねるのは当然だった。


(アリアさんがアンタッチャブルな存在って……うせやろ……)


 ミーリアは頭をほうきから離し、ゆるい動きでゴミをちりとりに入れていく。

 緩慢な動作でゴミを所定の場所に捨て、アクアソフィアの海水を掃除するべく網を手に取った。


「アクアソフィアちゃん……君たちはいいね、友達が隣にいて……」


 花に話しかける危ない人になっているミーリア。


(公爵家だからアリアさんとお近づきになりたいって学院生は多いんだよ。でも、アリアさん、片っ端から断ってるみたいで……みんな距離を測りかねてるっぽいんだよね。そこをドラゴンスレイヤーの私が話しかけるもんだから、なんか私がアリアさん派閥に取り込まれたって思われてるのか……あいつは公爵にしか興味ないって思われてるのか……)


 女学院へ入学する貴族子女は「周囲を見極めてから友人を作れ」と口酸っぱく言われ、平民の女子は「あぶない貴族様とは仲良くするな」と親族から言われる。


(同じ寮のアクアソフィアの新入生、挨拶はしてくれるんだよ……でも、ご飯とか誘ってもグループがすでにできちゃってるし……警戒されてるかも? 学校に芸能人が入ってきたら声かけづらいとか……そんな感じ? ドラゴンスレイヤーの勲章って思ってるより重め?)


「アクアソフィアちゃあ〜ん。ああ〜ん」


 ミーリアは嘆きながら、じゃぶじゃぶと網で海水を混ぜた。

 水しぶきが朝日に当たって綺麗だ。


(スタートダッシュに失敗して完全に様子見されてるよ〜)


 その通りである。


 新入生たちにも今後の生活があり、家の事情がある。慎重になるのも仕方のないことだ。


 貴族と平民が入り交じる特殊な環境下では、人間関係も特殊にならざるを得ない。

 ある程度時間が経てば華やかで自由な学院らしい空気になるのだが、新入生は気を張っているため、互いに様子を見るこの空気感も春恒例であった。


 ミーリアは心の中で叫んだ。「貴族社会めんどくさ!」と。


 そんなこんなで、クロスワードパズルに精が出てしまうのだ。

 デモンズマップがぼっちアイテムと化している。


「アリアさんもつれない態度だしなぁ……」


 ミーリアがしゃがんで海水のゴミをすくって、ため息をついた。

 アリアも友達とは言えない間柄だ。食事など誘っても付き合ってくれない。

 もっとも、ミーリアは彼女がいい子だと信じている。話しかけるのをやめるつもりはない。


 すると、背後から鈴の音のような声が響いた。


「わたくしがなんですって?」


 振り返ると、銀髪ツインテールのアリアが立っていた。

 朝日に照らされる彼女はやはり美しい少女であった。

 ミーリアは驚いて立ち上がった。


「アリアさん! おはようございますっ」

「ごきげんよう。罰則のお掃除に精が出ますわね、ミーリア・ド・ラ・アトウッドさん」

「ええ、罰則ですから」


 なぜか胸を張って言うミーリア。

 アリアから話しかけてもらったことが嬉しかった。

 皮肉のつもりであったアリアはどうにも調子をつかめず、軽く息を吐いた。


「……あの約束は忘れていないでしょうね?」

「約束ですか?」

「重力魔法よ」

「あ――もちろんです! 教えるって約束しましたもんね?」

「いま忘れてなかったかしら」

「そんなことありませんよ。いつ言おうか迷ってたくらいです!」

「そう……それならいいですわ」


 アリアはわずかに安堵した声色を出し、すぐに気づいて咳払いをした。

 ミーリアは「ちょっと待ってくださいね」と網を掃除用具入れに戻し、駆け足で戻った。


「おまたせしました」

「もう掃除はよろしくって?」

「ええ、大丈夫です。それで、重力魔法ですよね?」

「魔法科のライバルであるあなたに教えを乞うのは少々許しがたいですけれど、重力魔法が習得できるなら致し方ありません」


 ミーリアはアリアを真面目な学院生なんだなと感心して、ベンチを指さした。


「少しお話しませんか? どこで練習するとか決めないといけませんし」

「あなた……本当にいいのかしら?」

「なにがです?」


 指差した腕を下ろし、首をかしげるミーリア。


「魔法使いが魔法を教えるというのは料金が発生するわ。もしくは師弟関係であったりですとか、それなりの関係性がないと断るものよ。わたくし、あなたが教えてくれると言ったのは嘘かと思ってました」

「嘘なんてつきませんよ! ザビーネ教授にもちょこちょこ教えていますので、問題ありません。私の師匠も特に教えてはダメと言ってませんでしたし」

「師匠? あなたの師匠なら高名な方なのでしょうね。あなたが入学時に重力魔法を習得しているんですもの。どんな方かしら?」

「あーっと……いつも寝てる人ですよ」


 師匠がエルフとは言えなくて、ミーリアは愛想笑いを浮かべた。


「そうなんですの。いつかお会いしたいですわね」

「師匠がいいと言えば会えると思います!」

「こほん……まあ、あなたには勝たなくてはなりませんからね。馴れ合いはここまでといたしましょう」

「あ、そうですか……」


 ミーリアはしゅんと俯いた。

 それを見たアリアはなんだか胸がもやっとしたが、自分の基本スタンスを変えるわけにもいかず、爽やかな花壇を眺めて気分を切り替えた。


「ではミーリアさん、ベンチへ。朝食まであまり時間もありませんから」

「そうですねっ」


 アリアが話に付き合ってくれるとわかり、ミーリアは笑顔でうなずいた。

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