第16話 横断幕をまっすぐに


 アリアはミーリアを見て一瞬我を忘れた。


「え? え?」


 一人で横断幕を維持するため全体に風魔法を展開していたアリアは、ミーリアが左側へ風魔法を集めたせいで、魔力操作を乱した。


「右側! 下がってる!」「集中!」「ツインテールの新入生! 集中よ!」


 上級生のお姉さま方から指示が飛ぶ。


 見れば上級生のリボンのカラーはバラバラだ。ローズマリア、ホワイトラグーン、アクアソフィア、クレセントムーン、すべての魔法科の想いは『歓迎会が終わるまで横断幕を下ろさない』、その一点にまとまっている。


 歓迎会で横断幕を浮かせるという酔狂な役割を担うのは魔法科二年生だ。


 魔力操作の実力試しも兼ねており、周囲からの注目度も高く、手の空いている工業科、騎士科、商業科の学院生が談笑しながら様子をうかがっている。


「アリアさん! 左側はまかせてください」


 ミーリアが笑みを浮かべて、横断幕へと手をかざしていた。


「わ、わかりましたわ!」


 勝負するつもりが協力戦になってしまい腑に落ちないも、アリアは素早く魔力を横断幕右側へと動かした。


 先ほど新記録を打ち立てた学院生がミーリアとアリアを見て「交代して」と言っていたので、ミーリアが勘違いするのも仕方ないか、と思い直す。むしろスムーズな受け渡しだったと言える。


「アリア! こうなったら二人で記録を狙いなさい!」


 姉ディアナからも指示が飛ぶ。


 とにかく、横断幕を落とすわけにはいかない。

 アリアは周囲の熱気から察した。


「なんとなくつかめてきました! 私のほう、ちょっと強いですか?!」

「少し強いですわ! 魔力を弱めてください!」

「合点承知の助!」


 ミーリアの謎の掛け声にアリアは「方言かしら」と不思議に思うも、ミーリア担当の左側から引っ張る力が弱まり、自分の魔力調整に集中する。


 横断幕を浮かせるこの作業、見た目以上に難しい。

 風魔法を横断幕の表と裏へ当てつつ、外側へと逃がすように風を吹かせ、さらには上昇させなければならない。


 魔法科の二年生たちは二人がすぐに音を上げると思っていたようだが、天才と呼ばれて入学してきたグリフィス家三女アリア、そしてドラゴンスレイヤーのミーリアが健闘している姿に興奮した。


「いいわよその調子!」「ツインテの子はローズマリアなの?!」「アクアソフィアにはドラゴンスレイヤーが入ったのよ、ふふん」「集中! 集中ッ!」「いい感じよぉ!」


 若い女子が集まっていてるので、きゃいきゃいと楽しげだ。

 そんな楽しさの中に秩序がある。目的がしっかりしているからだ。


「アリアさんっ。いい感じですって!」


 薄紫色の髪を風魔法で揺らすミーリアが嬉しげに言う。

 まだ余裕がありそうだ。


「どうやらそうみたいですわね!」


 アリアは王宮魔法使いから魔力操作のお墨付きをもらっている、皆が将来を期待している魔法使いの卵だ。王国では慢性的に魔法使いが不足しており、優秀な魔法使いはすぐ噂になる。


 貴族同士の囲い込み合戦も水面下で行われている。

 公爵家三女ということもあり、アリアは大人の権力争いとほぼ無縁の素晴らしい環境で教育を受けてきた。過保護なほどであったが、アリアは自分こそが王国で一番の魔法使いになると信じていた。


 そこに現れたポッと出のドラゴンスレイヤー。

 貧乏ド田舎騎士爵家の七女、ミーリア・ド・ラ・アトウッド。


 どうせ田舎者で嫌な性格の女子なのだろうと高をくくっており、アリアは絶対に負けてなるものかと当初から敵視していた。


 それがどうだ。


 蓋を開ければドラゴンスレイヤーはどこかヌケている、可愛らしい普通の女の子だった。


 彼女と話すと今まで感じたことのない感情が湧き上がり、頬のあたりがむずむずしてくる。


 ライバルであるはずなのに、協力戦が楽しいと感じている自分がどうにも許せなくて、アリアはしばしその感情からは目を背け、目の前の横断幕へ集中するのであった。



       ◯



 一方、ミーリアはすぐにコツをつかんでいた。


 転移魔法や千里眼に比べればごく簡単な魔法だ。


 どちらかと言えば魔力操作よりも、魔力を入れないことに注力している。膨大な魔力で微細な操作を行うのは今後の課題であろう。


(魔力をちょっとずつ、ちょっとずつね……気を抜くと横断幕をふっ飛ばしちゃいそうだよ……)


 アリアとの協力戦だ。なるべくいい記録を出して喜んでもらいたい。

 ミーリアは下唇を出して集中する。


(風魔法だからどうしても横断幕が揺れちゃうよねぇ……表と裏から均等に風を当ててるけど仕方ないのかな)


 ミーリアとアリアで両側を引っ張っており、文字が読める状態は維持している。

 しかし、アイロンを当てたようにピシリとまっすぐ、というわけではない。


(風魔法じゃなくて重力魔法のほうがいいんじゃないかな?)


 一度思いつくとやってみたくなるのがミーリアだ。


「クロエお姉ちゃん」


 ミーリアは背後で見守っているクロエに声をかけた。


「なにかしら?」

「これって風魔法じゃなきゃいけないの?」

「ヴィー、どうなの?」


 微笑ましくミーリアとアリアを見ていたヴィオレッタが口を開いた。


「話す余裕があるのに恐れ入るわ」

「いえいえ。大したことはないですよ」

「ふふっ。別に風魔法でなければいけないという明確なルールはないわ。風魔法が一番効率がいいからというだけの理由で皆使っているのよ」

「なるほど! ありがとうございます」


 納得したミーリアを見て、ヴィオレッタは笑顔でうなずいた。知りたがりなのは新入生の特徴であり、自分もそうだったと思い返す。


 ミーリア歴の長いクロエは嫌な予感がしていた。


 またミーリアが何か思いついたのではと、注意するべく口を開こうとする。

 すると、ミーリアが先にアリアへと顔を向けた。


「アリアさん。もうちょっとこう、横断幕をピシッとさせたいので、重力魔法を使ってみます!」


 そろそろ維持がきつくなってきたアリアが、珍妙な物を発見したような表情でミーリアを見返した。


「ミーリアさん、それはどういう……」


(風魔法を重力魔法に変換……重力ベクトルを横断幕上部は上向き、左端は左向きにして貼り付けてっと……)


 流れるように風魔法を重力魔法へ変換するミーリア。

 しかし、別の魔法へ切り替えたせいで、魔力が強くなってしまう。


 いち早く変化に気づいたのは姉ディアナであった。彼女はミーリアの横断幕が少しでもずれようものなら、すぐにクレームを入れてやろうと注視していたのだ。


 横断幕左側の真下から見上げていたディアナが指を差した。


「ドラゴンスレイヤー。横断幕がずれているわよっ」

「あ、すみません! いま重力魔法に切り替えたので!」


 周囲からも「左側、上げすぎ!」「ドラゴンスレイヤー、魔力を抑えて!」などの声が飛ぶ。


「重力魔法? そんな高度なことあなたができるわけ……あら? ちょっと? へっ?」


 真下にいるディアナの身体が浮き始めた。

 意図せずして重力魔法のベクトル効果をモロに受けている。


「ほっ?」


 目が点になるミーリア。


「ああっ! 身体が浮いてますわっ! ちょっと! ああっ!」


 長い銀髪ツインテールが重力に逆らって逆立ちになり、商業科のベレー帽がディアナの頭からはずれて横断幕へ吸い寄せられる。


 ディアナは驚いて足をじたばた動かしたが、さすが公爵家のお嬢様だ。すぐに無駄だとわかると動かすのをやめて、先に浮かんでいたベレー帽をつかんだ。


「浮いてますっ、浮いてますわ! どうにかしてくださいまし!」


 浮かび始めたディアナを周囲にいる学院生が見上げた。

 全員ぽかんと口を開けている。


 そうこうしているうちにディアナが横断幕に近づいていく。


「ミーリアさん! 魔力が強すぎですわ……!」


 右側のアリアからも声が飛ぶ。横断幕は見事なまでにピシリと伸びているものの、アリアの負担が大きく、上向きにしている重力ベクトルの魔力が強いため三十度ほど斜めになっている。


(えっ、ちょっと、まっ、へっ?! へええぇぇぇえぇぇええええっ?!)


 ミーリアの脳内は絶賛混乱中だ。


「もう、もうっ、なんなんですの!? そこな黒髪ボブカットのあなたっ、スカートをのぞかないで!」


 内股になってタイトスカートを両手で押さえるディアナ嬢。

 ヴィオレッタが面白がってスカートを覗こうと、手を額に当てている。


「さすが公爵家のお嬢様……白のレースだわ」

「あ、あ、あ、ああっ! あなたねぇ! 覚えておきなさいよ! 覚えておきなさいよ!」


 顔を真っ赤にし、ツインテールを逆立たせ、ズビシズビシとヴィオレッタを指差すディアナ。


 普段あまり笑わないクロエがふっと頬を緩ませ、それを見たディアナはさらに頬を赤くした。


「ド、ドラゴンスレイヤーッ! 重力魔法を早く解きなさぁぁぁああぁぁぁいっ!」


「はいぃぃっ!」


 ディアナ魂の叫びに、ミーリアは跳び上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る