第7話 夢見る種


 まぬけな牛の声がレインボーキャッスル中央ホールにこだました。


 あまりの驚きにミーリアは数秒のあいだ目を点にし、一斉に集まった周囲の視線を感じて冷や汗を流した。


(どどど、どうしてモウモウ楽園の牛くんが咲いちゃってるのかしら?!)


 焦りすぎて脳内でお嬢様口調になってしまうミーリア。


『モウ、止まらない!』


 場に不釣合いすぎる牛くんの声がホールの隅々まで陰々とこだまし、悪魔に名前を呼ばれたかのごとく、会場にいるすべての教師、新入生がミーリアを見つめる。


「アハハ……アハハ〜……おかしいなぁ、種が壊れちゃったかなぁ? んん〜?」


 ミーリアは乾いた笑いを漏らし、首をわざとらしくかしげて鉢植えをローブの中に隠した。


(ひいぃっ! なんか全員がこっちを見てるんですけど……?! ヤバイよ! ヤバイが二十個ぐらいでヤヴァインツィヒだよ……!!)


 ドイツ語で20はツヴァンツィヒである。

 無駄な知識を記憶しているミーリア。

 隣に座っている銀髪ツインテールの女子は、ぽかんと口を開けてミーリアを見ている。


『モウ、止まらない!』


 牛くんがミーリアのローブ内で叫んだ。

 是が非でも止まってほしかった。


(もーどうなってるのこれ?!)


 魔法でどうにかしようとも考えたが、不測の事態に弱いミーリアである。いい案がなにも思い浮かばない。


 近くにいた女性教員が、カツカツとヒールを鳴らして凄い勢いで近づいてきた。


「薄紫色の髪のあなた。さっきから何を言っているの」


 ミーリアは恐る恐る顔を上げ、女性教員を見上げた。


(見るからに怖そうな人……怒られる……!)


 女性教員は漆黒のローブを身に着け、見事な鷲鼻が突き出ており、その上で鋭い瞳が炯々と光っていた。年齢は四十代。髪は真っ黒であるのに肌が青白く、狡猾な魔女を彷彿とさせた。全身黒尽くめであるのに、赤いスカーフを巻いている。


「……あー、あのぉ……なんか種が壊れちゃってるっていうか……」


 絵に描いたようなしどろもどろな言い方をするミーリアを見て、女性教員が凍りつくような視線を向けた。


 それに呼応するように牛くんが『モウ、止まらない!』と叫ぶからたまらない。ミーリアはぷにっとした頬を引くつかせて何度も瞬きをした。


「あのですね、少々、おかしいんです……」

「ローブの中に入れている鉢植えを出しなさい」

「……こちらでございますです」


 ミーリアは観念して牛くんの咲いた鉢植えをそっと差し出した。

 それを見て、魔女っぽい女性教員はぎょっとした。


「な……なんですかコレは?」

「し、知りません! 私は無実ですぅ! 祈ったら牛になりました!」


 ホール内の全学院生、教師は「祈ったら牛」というフレーズを聞いて、さらにミーリアが気になり視線を集中させる。ただでさえドラゴンスレイヤーで目立っているのだ。ミーリアはこれ以上なく目立ちまくっていた。


 女性教員がしげしげと牛くんを見分し、ギロリとミーリアを睨んだ。


「あなた、魔法を使ったでしょう?」

「え? 使ってませんよ」

「夢見る種は薔薇、三日月花、白百合、ラベンダーのいずれかが咲く合成魔法植物です。このような奇っ怪な花が咲くことはありません。よって、あなたが魔法を使ったことになります。白状なさい」

「本当に魔法は使ってません。祈ってるとき、ちょっと別のこと考えちゃいましたけど……」


 ちょっとではなく、だいぶ違うことを考えていた気がする。


「いいえ。魔法を使ったでしょう。あなた――」


 女性教員がミーリアの左胸に輝く龍撃章ドラゴンスレイヤーを見て言葉を飲み込み、ゆっくりとうなずいた。


「あなたが噂の新入生……。入学式から問題を起こすとは指導が必要ですね。よろしい、職員室に行きます。今すぐ立ちなさい」


 ミーリアは“職員室”から“説教”を連想して、肩をこわばらせた。


 入学初日からあんまりであった。

 周囲の学院生がご愁傷様です、と言いたげな表情をしている。

 隣にいる銀髪ツインテール女子も首を振っている。


「キャロライン教授、待ちたまえ」


 そのときだった。

 半泣きになりそうであったミーリアと女性教員の間に、誰かが入ってきた。


「デモンズの日記に、夢見る種には別の仕掛けがあるとの記載がある」


(ウサちゃん学院長……!)


 まさかの学院長、ジェイムス・ド・ラ・マディソンが仲裁にやってきた。


 どこからどう見てもウサギである学院長からイケボが発せられ、キャロライン教授と呼ばれた女性教員も一歩下がった。


 ウサちゃん学院長は身長百二十cmだ。

 様子を見に集まってきた教員たちの視線が、自然と下がった。


「レディの話し合いに割り込んですまないね。夢見る種は魔法合成植物であり、祈りを捧げた人物の趣味嗜好・思考形態を魔力の波長から分析し、四種類の花を咲かせると言われている」

「知っております」


 キャロライン教授が低い声で渋々首肯した。


「では、なぜ夢見る種と名付けられているのかね」

「それは……わかりかねます」

「読んで名前の通り、夢を叶えるからさ」


 ぱちりと指を鳴らす学院長。ウサギの手で器用なものだ。

 学院長がウサギのまぶたを開閉させて、ミーリアを見つめた。


(可愛い……もふもふしたい……したら怒られそうだけど……)


 可愛さの中に大きな威厳が満ちており、ミーリアは抱きしめたいけど恐れ多くて触れられないという、二律背反に近い葛藤を覚えた。


「膨大な魔力保有者に限り――使用者の思考を読み取って、願っている物体へと変化する。夢見る種はその特性があることから夢見る種と名付けられた。蒐集家デモンズらしい遊び心のある一品だな」


 学院長が周囲を見上げ、見回し、鼻をひくつかせた。


「種が猛牛のごとく変化したのはそのせいだろう。ミーリア嬢?」

「あ、はい!」


 急に名前を呼ばれて、ミーリアはぴしりと背筋を伸ばした。


(名前、知られてるんだね。ジルニトラを倒したからかな)


 そのとおりであった。クシャナ女王からミーリアの存在は通達済みである。


「なんでしょうか?」

「どんなことを考えて祈りを捧げていたのだね。ん? 怒らないから言ってみなさい」


 学院長に興味深そうな視線を向けられ、ミーリアは目をまん丸くした。

 どう答えればいいかわからない。素直にモウモウ楽園のマスコットキャラです、などとは口が裂けても言えなかった。


「あの〜、そうなんです、はい。猛牛がフォークでサラダを食べる姿を想像していたんです。特に意味もなく……アハハ」

「ふむ」


 学院長は魔女っぽいキャロライン教授から鉢植えを受け取り、牛くんを眺めた。

 たしかに牛くんは手にフォークと皿を持っている。


「それならば、そういうことなのだろうな」


 ウサちゃん学院長が威厳に満ちた声色で肯定し、取り囲んでいる教師らしき一人を見た。


「代わりの鉢植えを持ってきたまえ」

「わかりました」


 商業科担当らしき男性が駆けていき、近くに保管していたのか、すぐに花が咲いていない鉢植えを持ってきた。

 学院長がもふっとした手で受け取り、それをミーリアへ渡した。


「ありがとうございます」

「ミーリア嬢、魔力を抑えて祈りたまえ。先ほどは無意識に魔力を注入していた可能性が高い」

「はいっ。わかりました!」

「いい返事だ」


 学院長が頬を上げて笑った。


(きゃわいい……)


 ミーリアも笑顔になる。

 それに水を差したのはキャロライン教授であった。


「学院長。故意でないにしろミーリア・ド・ラ・アトウッドは神聖なる入学式を騒がせ、台無しにしております。スター徽章一つ没収を提案いたします」


 彼女は何の恨みがあるのか、ミーリアのフルネームを記憶しており、許すまじと眼光を鋭くさせている。


(私、何かしちゃったっけ……?)


 いわれのない敵意を向けられ、肩を小さくするミーリア。


「キャロライン教授。故意でないなら罰則はない。この件は終了だ。承知したまえ」

「……承りました」


 学院長が即座に止めてくれ、ミーリアは安堵した。

 スター徽章にどんな価値があるのか知らないが、せっかくもらったものだ。こんなアクシデントで没収されたくない。


 ウサ耳をぴくりと動かし、学院長が口を開いた。


「ではミーリア嬢、クラス分けが終わったら学院長室へ来なさい。必ずだ」

「……私が、学院長の部屋に、ですか?」

「いかにも。いいね」

「はい。わかりました」


 入学初日にして学院長に呼び出しを食らうミーリア。


 周囲からひそひそと話す声が聞こえてくる。隣の銀髪ツインテール女子はなぜか悔しそうに地団駄を踏んでいた。


(ううっ……私のせいじゃないのに目をつけられてしまった……きっと怒られるよ……クロエお姉ちゃんにまた心配されちゃう……)


 クロエは今まさに時限爆弾式の金貨二千枚を受け取って「ミーリアッ!」と叫んでいた。

 ある意味シンクロしている。


「将来有望なレディ諸君! 話は終了した! さあ、己がどのクラスになるのか、今一度鉢植えへ祈りを捧げたまえ!」


 学院長の声がホールにこだまし、新入生の少女たちは手に持っている鉢植えに意識を戻した。


「ではミーリア嬢、また後ほど会おう」

「私は学院長ほど優しくありません。覚えておくといいでしょう」


 学院長、魔女っぽいキャロライン教授が背を向け、離れていく。


 ミーリアは頭を抱えたくなったが、まずはクラス分けだと気を取り直し、新しい鉢植えに視線を落とした。


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