間話 クロエの心配ごと


 アドラスヘルム女学院二年生・商業科、クロエ・ド・ラ・アトウッドは、めずらしく落ち着きがなかった。


 彼女はもうすぐ三年生になる。


 春休み期間ということもあり、学院内は閑散としていた。


「……」


 クロエは商業科のトレードマークである学校指定のベレーをかぶり直し、自室から校庭を目指した。


「クロエお姉さまよ……!」「ほら、早く道を開けなさい……!」「今日も綺麗」


 商業科一年生の三人が、通路の道をクロエのために譲った。


「ありがとう」


 礼を言って颯爽と歩くクロエ。

 艶のある黒髪がふわりとなびく。


 春で十四歳になるクロエは美貌に磨きがかかっており、顔つきも大人に近づき、身体の輪郭もアトウッド家にいた頃とは似ても似つかないくらい女性らしく成長している。学年一位の成績が彼女の自信につながっているのか、風格が身につき始めていた。


 女学生の三人組はクロエの美しさに小さな黄色い悲鳴を上げ、胸についたスターを尊敬の眼差しで追った。


「……」


 クロエは視線など気にせずに歩く。


 少々込み入った作りをしているアドラスヘルム女学院を進む。

 目指すは校庭だ。


(今日……かもしれないわ……ええ、きっとそうですとも。そうに違いないわ)


 成績優秀者、学校に貢献した学生、王国からの評価を得た者が、スターの徽章を獲得できる仕組みになっている。


 スターは学院生にとって最高のステータスだ。


 就職先や今後の人生においても大いに関係してくる。


 二年連続で商業科一位の成績を収めたクロエの胸もとには、スターが9個ついている。


 クロエは学年一位の成績をキープしたため、一年生で3個、二年生で3個のスターを獲得。年次が上がるごとにスターが一つ獲得できるため、入学時に1個、二年進級時に1個、合計2個の獲得。


 すべて合計すると、8個の獲得となる。


 最後の1個は、先日、聖なる決闘ジャッジメントにて獲得したのだが――



「クロエ、見つけたわ。どこへ行くの?」



 鋭い声がオバケ廊下の奥から響いた。

 亡霊の住み着いたこの廊下は、身体の透けたゴーストがふよふよと浮いている。


(面倒な人間と鉢合わせたわ……)


「なにかしら? 私は忙しいの。あなたとの決着はついたはずよ」


 クロエは足を止めずに、革靴を前へ出す。

 商業科制服の特徴であるタイトスカートから伸びる足が、規則正しい音を響かせた。


「わたくしが声をかけているのに止まらないなんて不敬よ?」


 廊下の奥から現れた人物は、銀髪ツインテールを膝まで伸ばした商業科二年生の女子であった。

 厄介なことに、彼女は公爵家の次女である。


「不敬? 不敬というのは目上の者が使う言葉でしょう? 私たち女学院生は卒業まで対等な立場である――そんなことも忘れてしまったの?」


 クロエは投げキッスをしてくるゴーストを煩わしげに手で追い払い、公爵家次女の前を素通りした。


 銀髪ツインテールの女子は可愛らしい顔を赤くした。


「来年こそ! 来年こそはあなたに勝つわ! 一年後、聖なる決闘ジャッジメントを申し込むから覚えておきなさいよ!」

「ご自由にどうぞ。それよりも大事な用があるの。失礼するわ」


 クロエは眼中にないのか、カツカツと廊下を進んで校庭に出た。


 背後から公爵家次女の叫びが聞こえる気がしないでもないが、華麗に無視して校門へと進む。


(ええ、うん、きっと今日のはずでしょう。間違いないわ。もう来てもおかしくないもの。アムネシアさんにお願いしてから逆算すると……そうね、今日であってもなんら日数に不備はないわ)


 クロエは芝生の校庭を突っ切り、校門付近で立ち止まった。

 キメラとメデューサを模した不気味な銅像が両端に鎮座した門は、来訪者を静かに待っている。


「……」


 クロエは探しものを捜索するように、門の先を見つめた。


(きっと、もうすぐよ……ああ、心配だわ……あの子、アムネシアさんに迷惑をかけていないかしら……胸が張り裂けそうよ……!)


 心配性のクロエは呼吸が大きくなった。

 彼女の成長した胸についた9個のスターも上下する。


「私の可愛いミーリア。愛する妹。お姉ちゃんは心配で心配で……」


 クロエはミーリアを待っていた。


 春休みが始まってからずっとこの調子だ。


 普段は冷静沈着なクロエがこんなにうろたえている姿を見たら、彼女を知る学院生は驚くであろう。幸いにも春休みの校庭にはほとんど人がいなかった。


 しばらくクロエはミーリアの笑顔や、ふわふわのラベンダーヘアーの触り心地や、抱きしめたときのあたたかさなどを思い返した。


 幸せな気分になった。


 だが、すぐにミーリアがいないことに寂しさを覚えた。


 すると、上空から羽ばたき音が響いてきた。

 クロエは顔を上げる。


 大ガラスに乗った、王国配達員が上空で旋回してゆっくり降りてきた。

 門の前に着地すると、若い男性の王国配達員が大ガラスから飛び降りた。


「こんちゃっす。お、美人な学生さんだ。ちょうどいい。こいつを広報係に届けてくれ。オレっちは校内に入れないからなっ」

「え? あの、配達でしたらそちらの門番に言ってくだされば――」

「ほらよ」

「あっ。あの、ちょっと?」

「じゃあな!」


 人の話を聞かないのか、王国配達員は大ガラスに乗って、バサバサと上空に舞い上がった。

 見上げると、小さいシルエットが旋回している姿が青空に浮かんでいた。


「変な人……でも……勉強も手につかないし、ちょうどいいかしらね」


 クロエは小さく笑うと、束になった号外らしき用紙に目を落とした。


「――ッ!?」


 そして、卒倒しそうになった。


(お、お、落ち着いて! まだそうと……あの子だと決まったわけじゃないわ……落ち着きなさい、クロエ! 深呼吸して……記事を読むのよ……!)


 クロエは号外を開いて、大きな瞳を文字に落とした。


『魔古龍ジルニトラ討伐! 討伐者はアドラスヘルム女学院・魔法科入学予定、アトウッド家七女“ミーリア・ド・ラ・アトウッド”――』


(……魔古龍……ジルニトラ……魔古龍……ジルニトラ?! ジ……ジルニトラッ?! ミーリア!?)


「ああっ」


 血の気が引いて、クロエは地面にへたりこんだ。


(なんて……なんて危ないことを……! アムネシアさんに……確実に迷惑をかけているわ……、間違いない……ああ、ああ、あの子、大丈夫かしら……?)


 号外を胸に抱いて、クロエは天を見上げた。

 大ガラスが遠くに見える。


(きっと入学から大変なことになるわ……このアドラスヘルム王国女学院は……想像以上にくせ者揃いの学校よ……あの子を……どうにかして自重させないと……!)


 クロエはミーリアの入学前から、不安でいっぱいになるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る