第17話 婚約危機
ティターニアとの魔法訓練が始まって約一年が経過した。
秋、冬、春を越えて、アトウッド家領地はまた夏になろうとしている。
アドラスヘルム王国最西端に位置するこの地域は、乾燥して涼しい地域であった。
冬はそこまで寒くなく、夏も汗が垂れてくるほどの暑さにはならない。避暑地のような過ごしやすい地域だ。
夏が酷暑、冬が極寒であったら、アトウッド家はとっくの昔に滅んでいるだろう。
九歳になったミーリアは、ざわざわと揺れ、どこまでも続くラベンダー畑を見ていた。
(綺麗な景色だな……あれから一年……魔法はかなり上達したよね)
『もしもし。師匠、聞こえます?』
念話魔法でティターニアに語りかける。
ペンダントを利用したミーリアとティターニア限定の魔法だ。
しばらくして、あくびとともに返事が返ってきた。
『あふっ……どうしたのミーリア?』
『あれから一年経ったんですけど……あの……私の魔法って成長してます?』
『……そうね。成長著しいわね――――手に負えないくらいよ』
『よかったです! 師匠のおかげです!』
言葉の後半はミーリアに聞こえていなかった。
魔力を“血管”ではなく“細胞”に行き渡らせるイメージで訓練を始めて、メキメキと魔法が上達していた。
細胞が六十兆個ある、という日本人の知識が活きていた。
『千里眼の魔法を使ってもいいですか?』
『何に使うの?』
『クロエお姉ちゃんが神父様に受験料を納めているか見たいんです』
『それならいいでしょう。変なのぞきに使っちゃ駄目よ』
『そんなことしませんよ! ありがとうございます!』
『いい子ね』
ティターニアはミーリアの素直な性格を気に入っていた。
『では師匠、また電話しますね』
『はいはい、電話ね。変な呼び方の魔法ね』
『なんとなく思いついたんです。なんとなく』
『あなたが造った魔法だからいいけどね。それじゃ私は寝るわ』
『おやすみなさい』
魔法を切って、ミーリアは魔力を循環させる。
(クロエお姉ちゃんはっと……ソナー魔法発動っ)
魔力を音波のようにして三百六十度打ち出した。ミーリアはソナー魔法と呼んでいる。
人間や物体が微量の魔力を保有していることを利用した探索魔法だ。
ティターニアの探索魔法よりも正確に位置を把握でき、範囲も広い。その気になれば半径三十kmまで探索可能だ。
膨大な魔力が万能さを発揮していた。
クロエはアトウッド領地の東側にある教会にいるみたいだ。
(教会に向かって千里眼の魔法――)
両目に魔力を行き渡らせて、自分の視界だけを転移させるイメージを構築。十分にイメージができたら魔法を放出する。
ミーリアの視界が教会に切り替わった。
(あっ、クロエお姉ちゃんだ!)
あれから一年が経ち、十一歳になったクロエは美しさに磨きがかかっていた。
ミーリアが持ってくるワサラの果実や、貰い物のクッキー、魔法訓練で狩ってきたウサギの肉などをおやつに食べていたおかげか、胸部が着実に成長している。
今はちょうど村の子どもに文字の読み書きを教えていた。
年頃の男子はクロエの胸部ばかり目で追っている。
(むむっ……やっぱりクロエお姉ちゃんのお胸の成長が止まらない……私は……いまだ成長中ということで)
まだ九歳。そう言い聞かせて視界をクロエに集中する。
音を拾えるよう、教会に魔力を飛ばした。
イメージは集音マイクの設置だ。
(黒髪美少女の授業が一年で銅貨三枚とか……詐欺だよね……)
週一回、朝の一時間だけ、クロエは神父の手伝いをしていた。
アドラスヘルム王国女学院の受験料はここから捻出する予定だ。
今日で受験料の銅貨二百枚が貯まる。
(クロエお姉ちゃん、美人だなー。世の中の男が黙ってないなー)
六女クロエの教える姿を堪能していると、朝の授業が終わった。
辺境の地、アトウッド領の子どもたちは文字の大切さをわかっていない。ほとんどがクロエ目的だった。
『はいありがとう。ありがとう。ちゃんと復習してね――』
四ヶ月に一度支払われる、銅貨一枚の授業料をクロエが受け取っていく。
セリス神の銅像の前で銅貨をもらっているクロエが芸能人に見えた。
(おぬし、おひねりをもらうとはワルよのう……)
謎のセリフを脳内でつぶやくミーリア。
ちなみに今のミーリアは端から見ると、ラベンダー畑でぼーっと突っ立っているアホな子だ。
ミーリアは千里眼の魔法がお気に入りだった。
意図せずして、村人全員の評価が「ぼんやり七女」で定着していた。
これも日頃の行いの賜物だろうか……?
子どもたちがクロエと話し、帰っていくと、教会には神父とクロエの二人になった。
『クロエお嬢様、ありがとう』
『いいえ。これもすべてセリス様のお導きです』
八十歳の神父が好々爺といった様子で、クロエに笑顔を向けた。
ど田舎に派遣された神父は、王都の権力争いに疲れて、自らこの地に来たらしい。
『これで目標の金額に貯まったねぇ』
『はい、神父様。三年かかりました。どうぞお納めください』
『しかと受け取りました。セリス様のご加護があらんことを――』
『セリス様のご加護があらんことを――』
クロエが感無量といった顔で一礼した。
(あとは春に来る、女学院試験に合格すれば……!)
「……リア! ……リア! ……ているの………………ミーリア!」
「いたたたたっ!」
何者かに耳を引っ張られ、千里眼の魔法を打ち切った。
視界がラベンダー畑に戻ると、目の前には次女ロビンが立っていた。
(ひいっ! 地雷女!)
「こんなところで何してるの?! 今日は大事な用事があるって言ったでしょう!?」
「……え?」
「本当にあなたはチビでグズでバカね! 早く来なさい!」
「痛い痛い! 痛いですお姉さま! 耳が取れちゃう!」
「おだまりッ」
次女ロビンは今年で二十歳。
この世界では行き遅れギリギリのラインだ。
出戻り浮気の汚名は広まる一方で、結婚したいという他家の男子はいまだ一人も現れない。
村人は陰でロビンを
一年が経過し、ミーリアへの当たりはより一層強くなっていた。
「早く来なさい!」
「耳取れちゃう! ギョーザになっちゃう! 離して!」
「何変なこと言ってるの! 駆け足っ!」
「はいぃ!」
祖母に言われた、耳は取れたら餃子になる、という老人ギャグを咄嗟に言ってしまい、ロビンの不興をさらに買ってしまった。
家に着くまで耳から手を離してもらえなかった。
◯
(……耳が痛い……)
アトウッド家のリビングに着席し、ミーリアは無言でいた。
めずらしく領主アーロンが狩猟に出ておらず、席についている。母親エラも隣だ。
(うちの人たちが働いてない……? 何かのイベントかな?)
一瞬考えるも、まずは耳の痛みをどうにかしたかった。
(細胞活性……鎮痛……ヒーリング……)
ぼんやりを装いつつ、治癒魔法をこっそり唱える。
みるみるうちに耳の痛みが消えていく。
治癒魔法は魔法使いの中でも習得者は十人の一人の割合である。イメージと魔力量で、ミーリアは自分のものにしていた。やはりここでも現代人であった知識が存分に活きていた。
(よし、成功。魔法って簡単に言うとイメージ力だよね。魔力の出し方とか、制御はまだまだだけど、師匠にお稽古を受けてから進歩したなぁ)
「ミーリア、おまえは明日、ジャベルと婚約する。いいな?」
領主アーロンが突然そんなことを言った。
転生してから話しかけられるのは初めてかもしれない。
(……????)
言葉の意味が理解できず硬直した。
「ミーリア。婚約よ。わかる?」
母親エラが言った。
「ワカリマセン」
「おい、おまえが産んだ子どもだ。説明しろ」
領主アーロンがエラを急き立てる。
「ミーリア……東村のジャベルと婚約するのよ? 商家だから安心ね? あなたが嫁げば村の会合で私たちに味方してくれるの。あなたが結婚すると私たちが嬉しいのよ。あなたも幸せになれるわ」
「幸せ……?」
ミーリアは我に返り、あきらめきった顔の母親を見つめる。
「領主! 恐れ入ります!」
そのとき、屋敷に来客があった。
母親エラが立ち上がって、訪問者をリビングにつれてくる。
(性格がわるそう……親子かな?)
ずんぐりした体格の中年と、息子らしき男がリビングの入り口に立っていた。
二人とも目つきが鋭く、口元だけが笑っている。
「おう、ジャルーダ! ジャベルもよく来たな!」
領主アーロンが大声で挨拶すると、二人が一礼した。
敬意が払われているようには見えない。義務的な一礼だ。
ジャルーダと呼ばれた中年が口を開いた。
「領主様、息子がミーリアお嬢様を見たいとうるさくて……申し訳ありません」
「かまわん。こいつはいつもフラフラ出歩いて、どこにいるかわからんからな」
「ほう……最後にお見かけしたのは二年前でしたが……可愛らしいお嬢様に成長いたしましたな」
「中身はからっぽだぞ」
「何をおっしゃいます。ジャベル、よかったな」
ジャルーダが隣にいる青年に声をかけると、彼は口を歪めて笑った。
「貴族のお嬢様をいただけるとのことで……嬉しく思います」
(ま……まさか……商家(笑)の親子……!?!?)
ミーリアに衝撃が走る。
アトウッド家領唯一の商家。
一人息子のジャベルは村人から距離を置かれる存在だ。
親譲りの小狡い性格で、村人が困っているところに現れては商品を売りつけている。この閉鎖的な領地では白い目で見られていた。しかし、彼らが商隊から生活必需品を仕入れているのは事実であった。
それゆえ、村内ではしょっちゅうこの親子の名前が挙がる。
――肉をもっと出せと言われた。
――銅貨を全部渡した。
悪い噂は絶えない。
(ムリムリムリムリムリ! 絶対ムリぃ! こいつと結婚とかムーリー春雨ッ!!!!)
ミーリアは舐め回すように全身を見られ、鳥肌が立った。
婿養子アレックスも気持ち悪いがこっちもヤバイ。
(どうにかしないと……! 婚約されたら脱走するしかなくなる! 魔法! 魔法でどうにか……ってどうにかする魔法なんてなくない????)
必死に考えを巡らすミーリア。
(ここにいる全員の記憶を消すとか? ……ダメだ。精神系魔法は師匠に禁止されてるし、使ったこともないよ……!)
「ミーリア、よかったわね。ジャベルと婚約よ」
末席で様子を見ていた次女ロビンが、さも可笑しそうに祝福してくる。
「役立たずだから仕方ないわね。あなたの身体が成長すれば、ジャベルの役にも立てるでしょう」
「……!」
「明日、教会で婚約するのよ。セリス様に誓えば終わり。簡単だわ」
ミーリアはロビンの言葉で気づいた。
役に立っていない穀潰しだから強引に婚約させられるのだ。
領主アーロンも早くミーリアをよそにやりたい。
そのため、相手の気が変わらない内に婚約を進めようとしている。
(もし……私がアトウッド家の役に立てれば……!)
次女ロビンが、ここぞ、と嬉しそうに嫌味を言い始めた。
ジャベルの気分を害することなどお構いなしだ。皆、ロビンをさえぎると後が面倒くさいと知っているのか、黙り込んだ。
ミーリアは魔力を循環させ、即座に念話魔法を使った。
『メーデー! メーデー! 緊急事態です師匠! 起きてください!』
『……ふぁ?』
ティターニアの寝ぼけた声が聞こえた。
『師匠! この領地で見つけにくくて価値があって、子どもでも探せる物ってなんですか?』
『なぁに? 寝起きで謎掛け?』
『ヤヴァイんです! 婚約させられそうです!』
『あっそう。ちょっと待って……水だけ飲ませてよ』
『すぐです! すぐ教えてほしいんです!』
『あー、まったく手のかかる弟子ねぇ。えーっと……見つけにくくて価値があって? 何だっけ?』
『子どもでも探せる物、です! そんな都合のいい物があれば……教えてください!』
『そりゃあアレでしょう。エルフの子どもが探すアレよ』
『アレって?』
『ふぁ〜っ。説明が面倒だわ。探索魔法……千里眼に……転送魔法で……よっと』
『師匠? 何やってるんですか?! 助けてください〜〜〜!』
念話魔法でやり取りをしているうちに、ロビンの嫌味が終盤に差し掛かっている。
両手を広げるとロビン独演会のクライマックスになるのが通例だった。
(早く早く……! この場でどうにかしないと明日になったら……)
『ミーリアのポケットに“胡椒岩塩”を転送しといたわ。穴を掘ると稀に出てくる、そこそこ貴重な調味料よ。田舎だと最高の調味料になるでしょうね。この村だと……見つけられる人間はいないんじゃない? ラベンダー畑を全部掘り返しても出てこないかもしれないし、探そうとも思わないでしょうね』
(……え?)
ミーリアはロビンに見つからないよう、ポケットに触れた。
ピンポン玉ほどの物体が入っている。
ティターニアの魔力操作は一級品だった。
『それをたまに見つけられるって言いなさい。あなたの家、貧乏でしょ? 胡椒岩塩を持ってくる子どもを手放すはずないわ』
『師匠っ! ありがとうございます……!』
『それじゃあね。失敗して婚約させられたら私のところに匿ってあげるわ。気楽にやりなさい』
ティターニアが念話魔法を切った。
ミーリアはぼんやりした表情の演技をし、アーロンに顔を向けた。
「お父様」
「……なんだ?」
急に声を出したミーリアに全員驚いた。
ロビンも独演会を思わず中止した。
「私、これを見つけました……」
ポケットから胡椒岩塩を取り出し、テーブルに転がした。
領主アーロン、母親エラ、ロビン、ジャルーダ、ジャベルが驚愕して両目を開いた。
(お願い、成功して……!)
誰も、声を発さない。
ミーリアは不安になってきて、胡椒岩塩が足りないのでは? と勘違いした。
(ソナー魔法! 胡椒岩塩の探索……見つけた! 千里眼……アンド転送!)
膨大な魔力で強引に転送させ、自分の手に胡椒岩塩を呼び寄せることに成功した。
こんな芸当ができる魔法使いは王国内に数名しかいない。
師匠が師匠なら、弟子も弟子である。
「も……もう一つあります」
ころん、とミーリアが胡椒岩塩を出した。
「たまに探してます。見つけるのが楽しいから」
「……」
「……」
「……」
「……」
全員が無言になる。
そして、領主アーロンがあわてた口調で口を開いた。
「婚約は延期! やめだ! やめ!」
「……そうね。しばらく延期でお願いするわ」
続いて、母親エラも言った。
現金な両親であった。
ミーリアはぼんやりした目を崩さず、心の中で盛大に安堵した。
(よかった……どうにかなった……)
ロビンから歯ぎしりする音が聞こえ、ジャベルから先ほどより熱い視線で見られている気がした。
一時しのぎにせよ、ミーリアは婚約延期に成功した。
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