第14話 クッキー
「ミーリア……? ミーリア!」
がさり、とミーリアが飛び出してきた。
「クロエお姉ちゃあぁぁあぁあああぁぁぁん?!」
「えええええっ?! ミーリア?! 飛んでる?!」
鞠のように飛んできたミーリアがクロエの前で急停止し、ゆっくりと着地した。
クロエはミーリアを抱きかかえた。
「無事なの? どこか怪我してない?」
「大丈夫だよ。怖かったけど……」
ミーリアはふらふらした足取りで人間領域へと歩き出した。クロエもミーリアの肩を抱いたまま森を離れる。
「なぜ飛んできたの?」
「師匠が魔法で飛ばしてくれたの」
「師匠? 魔法?」
端折りすぎた説明にはてなマークを浮かべるクロエ。
二人は村人に見つかっても「普通に花摘していました」と言い訳できる地点まで歩いて、ラベンダーの切れ目になっている芝生に腰を下ろした。
空を見上げると日が傾いてきている。
時間で言うと三時くらいだろうか。
ミーリアは興奮気味に話した。
ペンダントが魔道具であり、エルフのティターニアと魔力パスでつながっていたこと。
ご先祖様、ガラクシア・アトウッドがティターニアと過去何かの約束をしたこと。
ペンダントを持ってきた人物を弟子にすること。
明日からエルフ先生による魔法の習い事が始まること。
そして――
「クロエお姉ちゃん、これ見て!」
ミーリアは満面の笑みでポケットからハンカチを取り出した。
クロエは末っ子の嬉しそうな顔を見て首をかしげた。
「なぁに?」
「師匠にね、おみやげをもらったの! クロエお姉ちゃんと一緒に食べようと思って!」
「まあ! 食べ物なのね? 何かしら?」
「発表しまーすっ。さん、にー、いち……じゃーん!」
ミーリアがハンカチを開くと、茶色の宝石が十枚、綺麗に並んでいた。
「――ッ?!」
あまりの神々しさにクロエは両手が震えた。
「ク、ク、クッキー………ミーリア、これ、クッキーじゃないの!」
彼女はクッキーを人生で一度しか食べたことがない。しかも親指の爪程度の大きさだ。
この世界の砂糖は高級品で、アトウッド家ではラベンダーの高級ジャムを作る際にしか使われない。
忘れもしない三年前、弱っていた魔物を偶然倒して金銭を得た父親が、何を思ったのかハンセン男爵の商隊からクッキーを買ったのだ。俺はクッキーを買えるぞ、という父アーロンなりのプライドだったのかもしれない。
彼が買ったクッキーは七枚。
輸送費の名目で料金は詐欺まがいに高かった。
アーロン、母親エラ、長女ボニー、婿養子アレックス、次女ロビンで一枚ずつ食べ、残りの二枚を三女、四女、五女で分け、最後の破片がクロエとミーリアの取り分。そんなひどい内訳だった。
黒髪の可愛らしい少女が親指の爪大のクッキーを噛み締めて食べる……なんとも泣けてくる光景である。
ともあれ、クロエはあの味が忘れられなかった。
そんな貴重なクッキーが目の前に十枚もある。
クロエは心の中で「じゅーまい! じゅーまいもあるわ! どうしましょう……!!」と戦慄していた。
ミーリアは想像の遥か上のところで喜んでいる姉を見て、自分は日本で何回か食べているし、それに先ほどもティターニアからもらっている。すべてクロエにあげようと思った。
「私はさっき食べたから、クロエお姉ちゃんに全部あげるね!」
ミーリアはクッキーの入ったハンカチをクロエに押し出した。
しかし、言ってから思ったのか、自分も食べたくなってしまい、顔を赤くしてクロエを上目遣いに見上げた。
「あ……でも、私も、一枚だけ食べたいかも……」
「……ッ」
クロエは十枚すべてを他人に譲ろうとしている妹の優しさに涙ぐみ、でも一枚だけほしいと控えめに言うミーリアに胸がキュンキュンしすぎてのけぞった。
可愛い妹を何があっても一生大事にしようと空と海と大地とセリス神に誓って、十字を胸の前で切りまくるクロエ。
ミーリアは自分の知らぬところで一生大事にすると誓われていた。
「クロエお姉ちゃん? ダメ……?」
「もう! あなたって子は本当に罪深い妹だわ!」
クロエはミーリアに抱きついて、頭をこれでもかとなでくりなでくりする。
その後、何枚食べるかで揉めた。
ミーリアは一枚でいいと言い張り、クロエも一枚でいいと主張する。
持ち帰って保管する、という選択肢はない。
次女ロビンに見つかったら地獄の底まで追求される。
結局、間を取って仲良く五枚ずつ食べることになった。
「いただきます」
「いただきます」
ミーリアとクロエは互いに顔を見合わせ、クッキーにかじりついた。
サクサクサクサクと新種のリスのように食べる姿はさすが姉妹。そっくりだ。
クッキーを食べる音が響き、青空にはトンビらしき鳥が舞っていた。
◯
――魔物領域、森の家。
百五十年の眠りから覚めたエルフのティターニアは、ペンダントを持って現れた少女を思って、そっと口角を上げた。
「あの子は将来とんでもない魔法使いになるわ」
ティターニアは豊かな金髪を右手でかき上げ、重力操作魔法を使ってミーリアを送り届けた方向を見る。
「膨大な魔力は万能に使えるからね。下手くそだとどうしようもないけど」
ティターニアは若かりし頃の自分を懐かしんで笑った。
今頃、クロエという姉とクッキーを食べているだろうか。
ふと気になって、魔力の訓練がてら千里眼の魔法を行使する。
視界を村へと飛ばすと、ラベンダーの切れ目になる芝生の上で、薄紫髪の少女と黒髪の少女が仲良く隣あってクッキーをかじっていた。
「な……なんて……可愛いらしいのかしら……」
リスのようにクッキーをかじるミーリアとクロエ。
ぴたりと肩を寄せ合っているのがいじらしい。
時々、互いの顔を見て、目が合うと笑い合っている。
クッキー一つでこんなにも喜ぶ純粋な子どもの姿に、ティターニアは胸の内に秘めているお節介焼きの性格に火がついた。
「ミーリアを一人前の魔法使いにしてあげましょう」
ミーリアの預かり知らないところで、また一人決意する人物が現れるのであった。
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