第12話 北側の森


「アトウッド家領、北側の奥地には誰も行きたがらないの。なんでかわかる?」

「魔物領域が近いからだよね」

「そうよ。危険を承知で行くの。注意しすぎてもしすぎることはないわ」

「クロエお姉ちゃん、もう十回目だよ」

「ミーリア。あなたが心配で言っているの。お姉ちゃんのお話をちゃんと聞いて」

「はぁい」


 ミーリアは素直にうなずいた。


 北側の浅いラベンダー畑を収穫していたミーリアたちは、奥地へ足を踏み入れていた。

 ラベンダーの収穫もそろそろ終わりだ。

 村人の顔に余裕はなく、誰にも見つからずに済んでいる。


「首の後ろはどう? ピリピリする?」

「少しだけ」


 クロエの問いかけに、ミーリアは首筋をなでた。

 領地を北に進むと、ラベンダーがまばらになっていき、雑多な植物に変わっていく。

 低い木々の向こうに深い森が続いていた。


「ここが領地の最北端ね」

「ちょっと怖いね」

「ペンダントはどう?」

「うん。森の奥に来てって言っているみたい」

「……やはり変わってないのね……できれば行きたくないんだけど……」

「でも、私、行ってみたい。行かないといけない気がするの」


 人間が魔物領域へ足を踏み入れると、首筋にしびれるような小さな痛みが走る。

『妖精の警告』と呼ばれる現象だ。


 クロエが足を進めながら、首筋を指を差した。


「人間は誰しも微量の魔力を有しているの。相反する魔物の魔力を感じて、この現象が起きる、と言われているわ」

「うん」

「人間が集まって暮せば魔力も集合する。そうすると――」

「魔物がいやがって遠ざかる」

「そうよ。覚えていて偉いわね」


 この世界のルールとして、

 魔物が住む場所――魔物領域

 人間が住む場所――人間領域

 となる。


 ごく単純な話で、人口多数の街であれば人間領域が広大になる。

 王都付近で魔物はまったく出現しない。


 逆を言うと、アトウッド家領のような人口千人にも満たない村では、人間領域は狭い。

 人口が増えなければ領域も増えない。

 活動範囲は限られ、食料の収穫量も決まってくる。


 魔物が多く住む森や渓谷があるのに百五十年ずっと人間領域が変わらないことは、王都でもアトウッド家の不思議事象としてたまに上がる話題であった。魔物領域にいつ飲み込まれてもおかしくない状況である。


 アトウッド家は、真っ黒な魔物領域に落ちた白ごまのような存在だった。


 今、ミーリアとクロエが立っている場所は領域があやふやな、空白地帯ボーダーだ。


「ミーリア、本当に行くの……?」

「クロエお姉ちゃん、たぶん大丈夫だと思う。ほら、あそこの岩の切れ目から魔力が伸びてるよ」

「岩の切れ目から?」

「うん。魔力の糸をたどっていけばペンダントの呼ぶ場所に行けると思う」

「ミーリア……私には何も見えないわ。本当に魔力の糸が見えているの?」

「見えてるというか感じる? 引っ張られてるみたいな?」

「まあ」


 クロエは真剣な表情でミーリアの瞳を覗き込んだ。


(クロエお姉ちゃんの目って綺麗だなぁ)


 全然違うことを考えているミーリア。


 だが、さすがにマイペースなミーリアでも心配させているのは理解している。

 ミーリアはクロエに一つうなずいてみせた。


「危なかったらすぐに戻ってくるよ。光の魔法も使えるから、何かあれば光の玉をお空に飛ばすね」


 ミーリアはクロエの様子を見て、一人で行こうと心に決めた。

 決断すると素早いミーリアだ。

 たっ、と靴底を蹴って駆け出した。


「ミーリア!」


 クロエは薄紫の髪がふわふわと揺れる後ろ姿を目で追った。

 ここから先は魔物領域――根源的な恐怖からか、身体が動かなかった。


 ミーリアは小さな身体で器用に大きな岩の切れ目をよじ登り、森へと消えていった。



      ◯



(ここが森……嫌な気配がする……)


 首から下げたペンダントを握りしめ、ミーリアは森を進んでいく。


(クロエお姉ちゃん、すぐに帰るからね)


 自分のわがままに付き合ってくれたクロエのためにも、時間をかけずに帰還したかった。

 ミーリアは薄暗い森を進む。

 首筋を誰かに触れられている感覚がした。


(妖精の警告って言われる理由がなんとなくわかるよ……。小さい手でつんつんされてる感じがする)


 紛らわすために指でかき、魔力の糸をたどっていく。


(この魔力が守ってくれているのかな?)


 危険地帯を歩いているのに思いのほか平気な自分がいた。

 ためしに魔力の糸をたどるのをやめ、離れてみると、首筋の警告が大きくなった。あわててもとのコースに戻った。


(糸だけに集中しよう)


 振り返ると、森の入口へと魔力の糸が伸びている。


(前々から魔力の糸が張られていたのかな? だとすると、ペンダントが魔力感知を増幅させている、とか?)


 そんな憶測をし、ミーリアはさらに足を進めた。


「はぁ……ふぅ……」


 息が切れて十分経つと、森の一角が急に開けて太陽の光が降り注いだ。

 ぽっかり円状の広場になっている。


(ラベンダー?)


 広場の真ん中にはラベンダーに囲まれた家があった。


(こんな場所に家……しかも新築?)


 近づいて家を見上げる。

 魔力の糸は中へと伸びていた。

 すると、家のドアが大きく開かれ、中から人間が出てきた。


 魔力の糸はその人物とつながっていた。


「……!?」

「眠いのに……誰ぇ? ちびっ子?」

「あ……あの……」

「ふうん」


 ミーリアはその人物を見て固まった。どう反応していいのかわからない。


「あなた、ガラクシア・アトウッドの娘?」


 宝珠を転がしたような綺麗な声音に、ミーリアは推し量れない重圧を感じた。


(この人………まさか…………エルフ……?)


 家の主は、長い耳に金色の髪、均衡の取れたスレンダーな身体つきで、その美しさがエルフであることを物語っていた。

 年齢は二十代前半。

 刺繍の入った高級そうなシャツを着て、膝上のスカートを穿き、その上から魔法陣の描かれたケープを羽織っている。


(この世界のおとぎ話……遠い遠い大地の果てにエルフが住んでいるって書いてあったけど……なんでアトウッド領地にいるの?)


 ミーリアは魔法訓練の合間を縫って読書部屋の本を読み漁っていた。

 絵本にエルフが登場したことを思い出したのだ。

 その本によれば、遥か大地の果てにエルフの集落がある、と記されていた。


「おーい、おチビちゃん聞いてる? あなたのお父さんはガラクシア・アトウッドなの?」


 エルフが近づいてきて、ずびしとミーリアのペンダントを指さした。


「え、あの、違います」

「じゃあ誰?」

「アーロン・ド・ラ・アトウッドです」

「はぁ? 誰それ?」

「領主です、アトウッド家の……いちおう……」


 あの脳筋が領主であることに自信がなくなってきて、ミーリアは言葉を尻すぼみにした。


「お父さんが違うとなると、お爺さんがガラクシア・アトウッドなのね?」

「いえ、違います……」

「ええっ?」


 エルフは怪訝な表情になり、ミーリアをじろじろと眺めた。

 どこか逆らってはいけない雰囲気だ。


「ガラクシア・アトウッドは死んだの?」


 エルフが金色の瞳で見つめてくる。


(ガラクシア……ガラクシア……どこかで聞いたことある名前だよ……。死んだお爺さんはテッド・アトウッドだし……ガラクシア……ガラクシア………ガラクシアって何回も言うと鶏ガラスープを思い出すのはなんでだろう。駅前のラーメン屋さん、なんで百円値上げしちゃったんだろうか……三百円の醤油ラーメンが懐かしい……)


 まったく違うことを考え始めるミーリア。


「おチビちゃん、聞いてるの?」


 エルフの白魚のような指でペンダントをつつかれ、ミーリアはハッと我に返った。

 そして思い出した。


「あ! 思い出しました! ガラクシア様はアトウッド家のご先祖様です! アトウッド家を興し、騎士爵をもらった人ですよ!」

「……え?」

「ど、どうかしたんですか?」

「それって何年前?」

「百五十年前ですけど……」

「ひゃっ……百五十年前?!」


 エルフが美人らしからぬ素っ頓狂な声を上げた。

 ミーリアは一歩後ずさった。


(エルフさん、変な人? そんなに驚くことなのかな?)


 頭を抱えているエルフに今度はミーリアが怪訝な視線を送る。

 エルフはぶつぶつと口の中で独り言を言っている。

 しばらくすると、エルフがすっきりした表情で顔を上げた。


「ま、いっか」


 完全に何かを放棄した人の顔であった。

 彼女はミーリアに向き直り、金色の瞳でミーリアの全身をつぶさに点検して、やれやれと肩をすくめた。


「おチビちゃん、てんで魔力が使えてないじゃない。もったいないな〜。今日から毎日ここに来なさい。魔法を教えてあげるから。いいわね」

「え? え?」


 いつの間にそんな話になったのか、ミーリアは困惑した。


「だーかーらー、ガラクシア・アトウッドの子孫なんでしょ? 義理もあるし弟子にしてあげるって言ってるの。光栄に思いなさいよね」

「弟子?」

「あなたがね」

「私が? エルフさんが魔法を教えてくれる?」

「エルフさんじゃなくて、ティターニアよ。師匠と呼びなさい。師匠と」

「師匠?」


 ミーリアはオウム返しをして、こてんと首をかしげた。

 エルフの美女ティターニアはそんなミーリアを見て、まっすぐな眉を優しく押し上げた。


『おチビちゃん、てんで魔力が使えてないじゃない。もったいないな〜』


 ティターニアは後にこの発言を後悔するなど、今は知る由もなかった。

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