第10話 魔法

(異世界二日目の朝だ)


 ミーリアはベッドから下りた。

 濁った窓からは陽の光が差し込んでいる。


(ベッドには誰もいないね)


 身支度をし、朝食を食べる。

 母親に聞けばロビンはラベンダー小屋にいるらしい。


(出戻り女の襲撃もなさそうだし、早く読書部屋に行こう)


「ミーリア。そういえば昨日、急に走り出したけど何かあったの?」


 リビングを出ようとしたところで、母親エラに呼び止められた。


 母親としては、走り出したミーリアの気が触れたのかと心配していた。もしアトウッド家から精神疾患の人間が出たとなれば、次女ロビンの浮気出戻りで下がっている風評が、底なしに下落してしまう。地味な母親は世間体を気にしていた。


「……えっと……」

「……?」


 怪訝な表情の母が、ミーリアを見つめていた。


「あー、うーんと………足がね? 足が……? 足が、その、かゆかったの」


(ぎゃああっ。下手くそな言い訳をしてしまったっ!)


 脳内で身悶えるミーリア。

 彼女は緊急対応が下手であった。


 それでも、しどろもどろな言い方がよかったのか、母親はミーリアが愚鈍な子どもだと再認識したらしく、呆れ顔になった。


「そう。もういいわ。二階で大人しくしていなさい」

「う、うん」


 誤魔化しに成功した。怪我の功名である。


(あせったー。やっぱり思ったよりみんなが私の行動を見てるんだね……。昨日走ったのは反省しないとな)


 ミーリアは二階の読書部屋に入った。


 六畳ほどの部屋に古ぼけた本棚、椅子が一脚置かれている。

 誰も利用していないのか埃っぽく、ミーリアは窓を開けて空気を入れ替えた。

 早速、本棚の背表紙を左から右へと眺めていく。


(魔法初歩解説改訂版八……魔法初歩解説改訂版八っと……あった。これだ)


 本を両手で引き抜いて床に置いた。

 原始的な紙を使っているのか、一ページに厚みがある。持って読むには重すぎた。


(手が小さくてページがめくりづらい。端っこをつまむようにして……)


 クロエに教わった六十一ページを開いた。


 ページの表題は『魔法訓練―基礎編―』と書かれている。

 ミーリアは異世界的なフレーズに胸の鼓動が止まらなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 その1、リラックスした姿勢になって、全身に血液が流れる様を想像する。

 その2、血液内に温かさを感じたらゆっくりと回転させる。(それこそが魔力です)

 その3、利き手に魔力を集中させる。

 その4、魔法を唱える。

 その5、1から4を繰り返しす。呼吸をするように魔力を魔法へと変換する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(オーケー、血液を意識するんだね……その2、それこそが魔力です、ってめっちゃ適当……。その4の魔法を唱えるって、どうやるんだろう?)


 ページの最後にある注釈を見てみる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※魔法は室内であれば【ライト】が望ましい。

 光が指先から出ることを想像して、魔力を光に変換し、体外に放出する。

 野外であれば誰しもが馴染みのある【ファイア】が最良である。

 同様に火が指先から出ることを想像して、魔力を火へと変換し、体外に放出する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(あれ、想像するだけ? ハリーポッ◯ー的な呪文は無いの? 魔法って一つ一つに名前がついてるのかな。とりあえず試してみないと……室内だから【ライト】がいいね。よし!)


 早速、試してみることにした。



 ――六時間が経過した。



(……ダメだ。魔力らしき力を感じるのに、体外に放出できない。魔力はあるけど魔法が使えないってこと? それとも私の勘違いで魔力がないってこと?)


 結論から言うと、魔法は使えなかった。


 体内に魔力を感じるがそれまでであり、そこから先のステップである、魔力を魔法へと変換して体外へと飛ばすことができない。


 答えのない自問自答を繰り返すミーリア。

 ルールのないゲームをやらされている感覚だ。


 アトウッド家では昼食はないため、母親に呼ばれることもなく、ずっと読書部屋にこもっている。宿敵の次女ロビンにも邪魔されることなく検証ができた。


 ミーリアは不屈の精神を持っている。

 平たく言うと、粘り強く継続ができる女の子であった。


 一人暮らしをするため保証人が必要で、親戚の叔父に何度も会いに行って半年間にわたり説得したこともある。雨の日も風の日もゾンビのごとく現れるミーリアに、叔父が根負けして書類にサインしたのだ。


 たった一日の失敗で彼女はへこたれなかった。


(クロエお姉ちゃんも結果が出るまでは検証すべきって言っていたし、一度休憩して、他の方法を試してみよう)


 窓の外を見ると日が傾いていた。

 あと一時間もすれば太陽が夕日に変わる。

 お腹が空いたな、と椅子に座って足をぶらぶらさせていると、ミーリアは妙に足元が気になり始めた。


(家の一階に何かが……いる……? でも、この方向って誰もいないよね。地下室かな?)


 一度考えると気になってきた。

 胸の辺りにざわつきを覚える。


(地下室の奥に古ぼけたドアがあったな。あそこを開けようとしたとき、お父様が「鍵がかかっているから開かないぞ」って言っていたような……アレ、昨日見つけた鍵で開かないかな?)


 領主部屋で見つけた二つの鍵。


 一つは領主部屋の鍵のスペアキー。

 もう一つは地下室の鍵。


 そう考えるとしっくりくるような気がした。

 たいした財宝もないアトウッド家に設置された鍵付きの扉は、領主部屋と地下室の扉くらいだ。

 そう考えると、地下室の開かずの扉が鍵で開くのでは、と考えるのは妥当な考えに思える。


(鍵の複製っていつできるのかな? クロエお姉ちゃんに聞いてみよう。あと、今日の魔法訓練の結果も伝えないとね)



      ◯



 それから三日後――


 ミーリアは夜中、クロエに起こされた。


「静かに起きて。地下室に行きましょう」

「……」


 ミーリアはこくりとうなずく。

 四女、五女を起こさぬようベッドを抜け出し、屋敷の外にある地下室に向かった。


「山ホタルをかごに入れてきたわ。これで足元を照らして進みましょう」

「光ってるね」

「山ホタルは繁殖のときに光るのよ。さ、ミーリア、手をつなぎましょう。転んだら大変だわ」

「うん」


 クロエの手を握って地下室へ降りていく。


 地下室は狩猟用の道具類で埋まっており、その他に保存食、ほぼ使われていない農具、雑多な日用品が乱雑に積まれている。埃と脂と金属の混ざった、独特の匂いがした。


 部屋の奥に進むと、鍵付きの扉があった。


「ミーリア、かごを持って照らしてくれる?」


 クロエは名残り惜しそうにミーリアの手を離し、ワンピースのポケットから複製した鍵を取り出した。


 クロエは持ち前の器用さで、アーロンやロビンに見つからないよう、こっそり薪用の木を削って鍵を複製していた。ミーリアは何から何まで頼りっぱなしになってしまい、いつかクロエに恩返しがしたいと思う。


 そこまで遠くない将来、恩を返しすぎて怒られるのだが……それはもう少し先の話だ。


(クロエお姉ちゃんには幸せになってほしいよ)


 そんなことを思いつつ、ミーリアは山ホタルの入ったかごを持ち、クロエの手元を照らす。


「いくわよ」


 クロエが鍵穴に木製の鍵を差し込んだ。カチャリと音が鳴る。

 クロエはうなずき、開かずの扉をそっと開けた。


(狭い部屋……真ん中に祭壇がある)


 ミーリアは引き寄せられるように近づき、祭壇を眺めた。


「何かの祭壇みたいね。魔法陣が描かれているわ。セリス教の旗印にも似ているけど……暗くてよく見えないわね」


 クロエが興味深く祭壇を覗き込む。

 魔法陣らしき図形が祭壇の石に彫られ、その上に銀色のペンダントが置かれていた。無造作に置かれているようにも、あるべき場所に設置されているようにも見える。


(なんだろう……このペンダントを見てると身体が熱くなる)


 ミーリアはペンダントから目が離せなかった。


「少なくとも、私の知っている呪いの図形ではなさそうだわ。お姉ちゃんが触れてみるわね。見ていてちょうだい」


 クロエが果敢にも腕を伸ばし、ペンダントに触れようとした。

 すると、クロエの腕が押し戻されるようにして空を切る。


「あら? んん?」


 いくら試してもペンダントに触れられない。

 困惑しているクロエは可愛らしかった。


 ミーリアは美人な姉を横目に、自然と手が伸びていった。


「ミーリア……!」


 ミーリアの小さな手が銀色のペンダントに触れた。


(触れた――ッ!?)


 奇妙な熱が全身を駆け抜ける。

 続いてペンダントが輝き出した。


 あまりの眩しさに、思わずミーリアとクロエは顔を腕で覆った。


(なに?! どういうこと!? 説明書がほしいんだけど!?)


 相変わらずズレたことを考えているミーリアにはお構いなしにペンダントが輝き、やがて光が収まっていった。


 しん、と静まりかえる地下室。

 ミーリアとクロエは手のひらのペンダントをじっと見下ろした。


「私は触れることができなかったのに、ミーリアは触れられた。それに今の光……このペンダントは魔道具? ミーリアに魔力があって、その魔力が関係している?」

「クロエお姉ちゃん? あのね……」

「ああ、ああ、ミーリア、大丈夫? 怪我がなくてよかったわ」


 クロエはミーリアの髪を梳くようにして撫で、抱きしめてから身体を離した。


「ごめんなさい。どうしたのかしら?」

「なんだか呼ばれているような気がするの」

「呼ばれている? なるほど。私の心の声が聞こえているのね?」

「あ、それは聞こえてないよ?」

「ち、違うのね……お姉ちゃんミーリアのことをいつも心の中で考えているのに……」

「そうじゃなくてね、向こうのほうから呼ばれている気がするんだよ」


 ミーリアはアトウッド家領の北側を指さした。


 ペンダントを手に取って胸のざわつきはなくなったが、代わりに誰かに手招きをされている気がする。遠い場所から名前を呼ばれているような、言葉にするのが難しい感覚であった。


「壁に隠し扉があるわけじゃなさそうね」


 指を差した場所をクロエが見分する。


「もっと遠くだよ」

「遠く? 向こうは北側よ? 前にも話したけど、北側の領地は誰も行ったことのない深い森があるの。ラベンダーが徐々に少なくなっていって、その切れ目が人間領域の終わりと言われているの」

「それから――」


 ミーリアはクロエの話を聞いて、どうしても試してみたくなった。

 今ならできる気がする。


「――明るく……なれ」


 身体からスッと何かが抜けた。

 想像したのは、祖母の家にあった輪っかの蛍光灯だ。

 地下室が明るくなった。


(できた! 魔法が使えた! 焼き肉食べ放題! 異世界最高っ!)


 興奮でミーリアは鼻息が荒くなる。


 部屋の空中に天使の輪のような、光の魔法が浮いていた。

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