第9話 魔法初歩解説改訂版十四


 

 誰かが来る。


 そうわかったあとクロエの行動は素早かった。

 ミーリアをがばりと包み込んでダンゴムシのごとく丸まり、音のする方向へ背を向けた。


(――ッ!?)


 ミーリアは息を止めて姉の胸に鼻先をうずめた。

 バタン、とドアが閉まる音が響き、大きな音を立てて足音がこちらに向かってくる。


 口をくっつけているクロエのワンピースが吐息で湿る。

 心臓の音がやけにうるさい。

 足音からして領主アーロンだろう。

 ミーリアは自分たちを見つけたアーロンが大声で怒鳴る姿を想像した。


(……っ! こっちに来るっ!)


 万事休すか、と思ったら、足音は階段を下りて遠のいていった。


「ミーリア、大丈夫?」

「……心臓が飛び出るかと思った」

「トイレに行ったんでしょうね。急ぎましょう」


 クロエが機敏な動きで鍵穴に取り付き、鍵開けを再開する。


 すると、数秒もせずに解錠する音が鳴った。


 無言で素早くドアを開け、クロエが早く書斎へ入るように手招きをしてきたので、言うが早いかミーリアは巣穴に戻るラットみたいに滑り込んだ。


 静かにドアを締めると、ミーリア、クロエはどっと肺から息を吐き出した。


「侵入成功ね」

「見つかるかと思ったよ」

「ミーリア、私の髪色を忘れたの?」

「あ、そうか。黒髪だと見えづらいもんね」

「時間が惜しいわ。ミーリア、まずは部屋にスペアキーがないか探してちょうだい」

「本を読むんじゃないの?」

「私に考えがあるの」

「わかったよ」


 知恵の回るクロエに従って、ミーリアは月明かりを頼りに書斎のスペアキーを探す。

 書斎は六畳ほどで、本棚が二つ、小物を入れる棚が一つ、執務机が一つ、年季の入った大きな椅子が一つある。獣の毛皮で作ったのか絨毯が敷かれていた。


 ミーリアは小物入れの棚を静かに開けた。


(埃っぽいなぁ……)


 袖で口元を覆い、それらしき入れ物を引っ張り出した。


(あ、これかな)


 装飾の施されたオルゴールと似た、木製の小箱を発見した。中を開けると鍵が入っている。


「クロエお姉ちゃん」

「見つけた」

「うん。これかな?」

「ミーリアは物探しの天才ね」


 クロエが微笑んで頭を撫で、小箱に入った鍵を取り出した。

 鍵は二つあった。


「どちらかが書斎の鍵でしょうね」


 クロエはそれだけつぶやいて、鍵開け道具を出したほうとは別のポケットから丸めた手ぬぐいを取り出した。


「それなに?」

「見ていてちょうだい」


 ちょっと得意げに笑い、クロエが手ぬぐいを開く。

 中から丸めた土が出てきた。


(粘土?)


 クロエは丸い粘土を二つに割り、鍵を挟んで押し付けた。


(鍵の複製を作ってる?)


 ミーリアが感心した顔で見ていると作業が終わったらしく、手ぬぐいの汚れていない箇所で念入りに鍵を拭いた。

 泥が付着したままだと怪しまれる。


「西の村で取ってきた粘土よ。しばらく置いておけばすぐに乾くわ」

「お姉ちゃん頭いいね」

「毎回鍵開けしていたら時間がかかるでしょう?」

「……毎晩入るの?」

「いいえ。必要な本を読み切るまでよ」


 クロエがにっこり笑って立ち上がり、ミーリアに手を差し伸べて引き上げた。


「まずはあなたが必要としている魔法についての本ね」


 月明かりを頼りに本棚の背表紙をなぞる。


 アトウッド家の屋敷には領主専用の書斎の他に、自由に本が読める読書部屋があった。

 領主アーロンは文字が読めないものの、それなりの歴史があるアトウッド家には百数十冊の書物が所蔵されていて、クロエは役に立ちそうな本は片っ端から読んでいた。問題は閲覧不可の領主部屋にある本だ。


「私はね、ずっと領主部屋にある本に目をつけていたの。いつか忍びこんでやろうと計画していたわ」

「だから準備が早かったんだね」

「そうよ。暇なとき、違う扉の鍵穴で練習をしていたの。今夜、ぶっつけ本番で成功できたのはミーリアのおかげかしらね」

「私、何もしてないよ?」

「いてくれるだけで嬉しいのよ。お姉ちゃん、頑張れるの」

「そっか」


 ミーリアはクロエの横顔に笑いかけた。


「ふんふん……食用植物の本、計算練習本、文字の書き方初級編、あまりパッとした本はないわね。読書部屋のスペアを置いているのかしら?」


 背表紙をなぞりながらクロエが言う。


(こっちの世界の文字が読める……。忘れてたけど意識せずに話もできてるし、これって転生した特典なのかな? 神様みたいな人物が存在しているってこと?)


 ミーリアは日本語同様に認識できる異世界言語を眺めて、知らない文字が勝手に読めるという奇妙な感覚を消化しようと考える。咀嚼するように背表紙に書かれた文字を見つめ、この世界の文字として脳内になじませようと試みた。じっと見ても日本語にしか見えないのが、なんとも言えない気分だ。


 真剣に見すぎたためゲシュタルト崩壊しそうになり、あわてて首を振った。


(あまり考えないほうがよさそう。読めるから読める、それでいいってことにしよう!)


 自分に興味のないことは大味になるミーリアだった。


「あったわ」


 クロエがミーリアの肩を叩いた。

 背表紙を引っ張り、分厚い装丁の施された本を取り出した。


「私が読んだことのない魔法書ね。さ、ミーリア、こっちに」


 クロエは月明かりがよく差し込んでいる場所を見つけると、絨毯に直接腰をおろして本を開いた。

 ミーリアも本に集中するべく覗き込む。


「題名は『魔法初歩解説改訂版十四』ね。談話室にある魔法大全は改訂版“八”だから、六つも後に出たものよ。これなら私の知らないことが書いてあるかもしれないわ」


 そう言って、クロエはどんどんページをめくっていく。

 深紫の瞳がせわしなく動き始めた。


「へえ、挿絵が細かく入っているのね。情報としては代わり映えしない、か……」

「なんで読書部屋に最新版を置かないで書斎に置いてるのかな?」

「お父様が読んでいるんでしょ? 文字は読めないけど挿絵はついているわ。魔法への憧れが捨てきれないのかもね」

「そうなの?」

「もちろんよ。魔法使いなら動物狩りではなく魔物狩りができるもの。しかも単独でね。お父様のことだから、魔物を倒して領地を増やすことしか頭にないと思うわ」

「どうして領地拡大にこだわってるんだろう」


 ミーリアの疑問に、クロエはページをめくる手を止めた。


「きっと、ご先祖様からの言い伝えよ」

「言い伝えって?」

「アトウッド家がアドラスヘルム王国から騎士爵をいただいて百五十年。初代領主さまは優秀なお方だったみたいでね、人間領域を現在の領域まで押し広げたのよ。その初代領主さまの悲願が『東西南北、すべての場所へ自由に安全に行き来できるようにする』という願いだったみたいね。お酒に酔うとお父様がよく言っているでしょう?」

「そうだったんだ」

「残念なことに百五十年間、一度もアトウッド家領地の人間領域が増えることはなかったけれどね」

「ふうん」


(魔物と人間か……ファンタジーそのものだよね……。あとでクロエお姉ちゃんに教えてもらおう)


 先ほどから頻々に出てくる魔物領域と人間領域。

 この世界の有り様として、重要な要素でありそうだった。


 そんなことを話している間もクロエの指は止まらずに動いている。


「魔法について知りたいって言っていたわね?」

「うん」

「魔法っていうのはね、魔力があって初めて行使できるものなの。それは知っている?」

「知ってるよ」


 ミーリアの知識で答えられる内容であった。 

 魔法とは、身体に内包している魔力を使って事象を引き起こす外界への干渉行為だ。


「魔法適性テストの水晶は魔力の有無を判定しているのよ。ほらここ、見てちょうだい」


 月明かりに照らされたクロエの指先を目で追うと、筆で描かれた水晶のイラストが真ん中にあり、魔力に反応するとどのように光るか詳細に記されていた。


(ファンタジーだなぁ……)


 基本、光れば魔力アリ。

 光らなければ魔力ナシ。


 という簡単なもので、光が強ければ内包魔力が多く、色付きで光れば分野別の魔法才能があると判別される。かつて王国の礎を築いた魔法使いは水晶が割れるほど光が輝いたそうだ。


 色付きで発光した場合は、その色に関連した魔法に才能がある。


 赤なら炎

 青なら水

 茶なら土――といった具合だ。


 ただ、魔法を単純に系統別にすることはできず、色判別も単なる指標でしかないので柔軟性を失うと応用力が著しく損なわれる、とも書かれている。


(赤く光って炎が得意だったこともあれば、血に関係している魔法が得意だった、なんてこともあるのか。原則、魔法は自由に行使できる事象であり、不明確な事柄が多く不自由なものでもある。魔法使いは一つの分野に特化して研鑽を積むほうが良い、と。なんか哲学っぽいね)


「ミーリアには難しいかしら? 次のページに行っても?」

「あ、うん」

「ごめんね。ゆっくり読んで寝る時間がなくなると、あなたの綺麗な顔にクマができてしまうわ。お姉ちゃんが先に読んで覚えておくから、あとで教えてあげるわね」

「えっ……そんなことできるの?」

「平気よ?」

「一回見ただけで覚えるの?」

「あら、それくらい普通でしょう?」


 いやいや当然っぽく言われても、と心の中でツッコむミーリア。

 ぱら、ぱら、とページを何気なくめくっていくクロエの瞳が蜂を追いかけるように素早く運動していて、ミーリアは申し訳なくもちょっとビビった。美少女な十歳の姉クロエのスペックが高すぎた。


「水晶による魔法適性テストで、身体が熱くなる現象の事例はないわね」

「そっか……」

「他に魔法関連の書物は入っていないみたい」


 クロエが『魔法初歩解説改訂版十四』を閉じ、ちらりと本棚へ視線を飛ばす。


「ミーリアはまだ魔法訓練は試していないわよね」

「魔法訓練ってなに? いま初めて聞いたよ」

「なら、ロビンお姉さまがいない時間帯を狙って読書部屋でやってみなさい。魔法が使えないとわかっていても、みんな必ずやるものよ? 私もやってみたからね……もちろん魔法は発動しなかったけど」


 誰しもが魔法使いに憧れを抱いている。

 魔法訓練を試しにやってみるのが通例だ。

 そこで、魔法らしき現象が何も起きず、ああ自分は才能がないんだな、と吹っ切ることができる。


 クロエはミーリアが絶対に魔法が使えないとは否定せず、あらゆる可能性を考慮している節があった。

 魔法訓練であれば危険性もないので推奨している。


 ミーリアは魔法訓練と聞いてやる気が出てきた。

 ひょっとしたら、と期待してしまう。


「どうやってやればいいのかな?」

「読書部屋にある『魔法初歩解説改訂版八』の六十一ページにやり方が載っているわ。文字は私が教えたから読めるものね?」


 いい子、とクロエは微笑みを浮かべてミーリアの頭を撫でた。


(クロエお姉ちゃんに読み書きを教わった記憶、たしかにあるね。転生特典のおかげなのか、そもそも読めない文字がないんだけど)


「ありがとう。明日こっそり試してみるね」

「熱を帯びたことを解明できるまで色々と試してみましょう。放っておくにはあまりにも惜しい事柄だわ。それでミーリア、何ページを読めばいいのか覚えてるかしら? さっきお姉ちゃんが言った数字を言ってみて」

「六十一ページだよね?」

「正解よ。可愛いミーリアがお利口さんでお姉ちゃん嬉しいわ」


 月明かりの下で微笑んでいる綺麗な黒髪のクロエは、月の女神のように見えた。

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