第8話 領主の部屋
ひどい夕食だった。
それでも、余計なことをしゃべらなかったのは場の状況を悪化させなかった点において、よかったと言える。
他人から見ればミーリアはぼんやりした七女でしかない。
夕食を体験して、ぼんやり七女が大きなアドバンテージであることを改めて確認できた。
(ビクビクせずに行動しよう)
夕飯が終わって胸をなでおろし、ミーリアは歯ブラシ草で歯を磨く。
次に、風呂場と言う名の行水場で、冷水を浴びて身体を洗った。
もしこれが冬だったらと考えるとミーリアは背筋が冷えた。
南の街ハマヌーレまで行けば大浴場に入れるが、アトウッド家領地にそんな豪華で維持費のかかる施設は存在しない。村人同様、冬は身体を拭くだけだ。
母親に言って清潔なワンピースに着替え、髪が乾いてからベッドに潜り込んだ。
(クロエお姉ちゃんはラベンダーの加工をしなきゃいけないんだよね。五女ペネロペ姉さまも手伝ってるみたい。四女ジャスミン姉さまは目が悪いからか、ずっと編み物をしている……。次女ロビンは、母親エラの手伝いで肉を捌いているんだっけ)
六女クロエ、五女ペネロペ、ラベンダーの加工。
四女ジャスミン、編み物。
次女ロビン、母親エラ、肉の加工。
領主アーロン、婿養子アレックス、狩りの準備。
貧乏暇なしとはこのことか、月明かりが手元を照らす日は誰も早くに就寝しない。
追加で、獣脂を燃やして最低限の明かりとしている。
そのためジャスミン以外は裏庭にある作業場で行動していた。
「獣脂って臭いが鼻に残るの。私はラベンダー担当だからまだマシだけどね」とクロエが言っていた記憶がある。高級品のロウソクを使えるはずもない。
ちなみに、肉はそのほとんどを燻製にして販売する。
年二回来る商隊との取引で現金化できる少ない商品の一つで、おいそれと食べるわけにはいかない。スープに入っている肉が少ないのはそのためだ。
領主アーロンは、もっと狩りをして獲物を捕らえれば現金が増えて裕福になると考えているらしく、毎日欠かさず森へ出る。現金で酒を買いたいというのも理由の一つであろう。ただ、残念なことに取引先であるハンセン男爵領地でも肉は取れるため、そこまでの需要はない。数が増えても買い叩かれるだけだ。それをアーロンはわかっていない。
また、痩せこけた大地のアトウッド家では、食うために誰しもが狩りに出る。
律儀な小作人は硬い大地を耕して雑穀を育てているが、やはり狩りに出ねば食えず、農業に費やす時間が圧倒的に少ない。本来であれば領主であるアーロンが陣頭指揮を取って、雑穀の収穫できる土地を増やし、飢えない下地を作って、領民を増やすべきだった。
人間が増えれば労働力が増える。
その労働力で開墾する。
余力で特産品の開発をし現金収入を得る。
さらに人間が増え、魔物と人間の住む領域の境目、
十歳クロエが描ける絵図が、領主アーロンには描けなかった。
(私の立場って結構あやういよね……)
ミーリアは硬いベッドで寝返りをうった。
働かないミーリアが疎まれる理由がよくわかる。
いわゆる穀潰しだ。
アーロンが早々に商家へ嫁入りさせたい理由が理解できてしまい、ミーリアは薄い布団をべしべし叩いた。
(ダメだ、弱気になるな。今はこのポジションの維持に専念しよう。自由に動いて情報を集めて結婚を回避。そのあと脱出の方法を考える。ただ脱出するだけじゃダメだ。小金持ちの焼き肉お大尽になれる計画をして、確信が持てたら実行に移すんだ――)
そんなことを考えていたら睡魔が襲ってきた。
気づいたら眠りの世界へと旅立っていた。
◯
「――リア。――起きて、ミーリア」
ミーリアは耳元で声がして目を覚ました。
目をこするとクロエの端整な顔がアップになる。
「クロエお姉ちゃん?」
「しーっ……声を出してはダメ」
ミーリアは口を引き結び、ゆっくりとうなずいた。
「いい子ね」
さらりと頭を撫でで、クロエがジェスチャーで布団から出るように促してくる。
ミーリアはそっと掛け布団をめくり、静かに床へ足を落とした。
「しばらく目を開けていなさい」
小声でアドバイスをするクロエの言葉通り、息を殺していると、段々と暗さに目が慣れて室内の様子が見えてきた。
部屋にはベッドが四つ。奥二つでは五女ペネロペ、四女ジャスミンが眠っていた。ペネロペは十二歳、ジャスミンは十三歳。まだ若い彼女たちは身体が成長するためか、深い眠りに落ちているようだった。
目が慣れたミーリアを見て、クロエがゆっくりとドアに向かい、ドアノブに手をかけた。
安普請のせいかギギギッと音が響く。
月明かりの薄い光がクロエの横顔を照らしていた。
「……」
「……」
クロエが手を止めて深呼吸をし、再度ドアノブをひねった。
回し切るとカチャリと音がしてドアが開く。
最小限だけ開け、クロエが先に通りなさいと指を差した。
ミーリアはカニ歩きでドアをくぐる。
続いてクロエが隙間を抜けて、音が鳴らないよう静かにドアを閉めた。
「――大丈夫?」
「うん」
声を落として聞くクロエにミーリアはうなずいた。
心なしかクロエも緊張しているのか、深紫の瞳が何度も開閉する。
クロエと手をつなぎ、無言でアーロンの書斎へ向かう。大して広くない屋敷内だ。廊下の突き当りがアーロンの書斎で、彼は今頃妻エラと私室で寝ているはずだ。
暗闇の廊下を歩き、クロエが書斎の鍵穴を覗き込む。
ポケットから、先がU字になっている木製の耳かきのような道具を取り出し、別の手には針を持った。
(鍵開けするの……?)
クロエは真剣な顔つきでU字木製道具と針を鍵穴に差し込み、上下へ丁寧に動かし始めた。
「書斎にある本が読みたかったの……準備をしていたのは秘密よ?」
「クロエお姉ちゃんすごい」
ミーリアはクロエのたくましさに感銘を受けた。
これが平時なら拍手喝采を送っているところだ。
「あなたは誰か来ないか耳をすませて」
「うん」
静かな廊下にカチャカチャと鍵穴に道具が当たる音が響く。
焦りと恐怖心を煽るような音に、ミーリアは全身がこわばってきた。
クロエはまだ道具を動かしている。
数十秒が過ぎると、突然、ガチャリというドアノブの音が廊下を切り裂いた。
――!!?
ミーリアとクロエは全身を硬直させた。
音は領主アーロンの部屋からだ。
逃げようにも書斎は廊下の突き当りで、戻るには音のした方向へ行くしかない。鉢合わせになってしまうのは明白で、ここで何をしている、と問われたら言い訳のしようもなかった。
(どどどどうしよう……!)
ミーリアは氷漬けになったように動けず、ただ息を殺して音のする方向を見つめた。
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