第6話 次女ロビン
ミーリアはペンションのロッヂに毛が生えたような大きさのアトウッド家の屋敷に戻り、裏庭に回って摘んだラベンダーを納め、クロエと一緒に手を洗った。
玄関の入口に手桶が置いてあり、井戸から汲んできた水が使われるのを待っている。七女ミーリア、六女クロエ、五女ペネロペが三つあるうちの一番小さいものを使うルールだ。
端に置いてある大きな桶は泥と血で汚れていた。
(あの血は狩りの汚れかな? だとすると領主アーロンが使ったみたいだね)
「はい、じゃぶじゃぶしたらふきふきしてちょうだいね」
クロエに子ども扱いされていることが小っ恥ずかしいミーリアであったが、彼女の差し出した手ぬぐいをありがたく受け取った。
目を細めて見届けたクロエが、中腰になってミーリアの耳元に顔を寄せた。
「ミーリア、ご飯を食べたら先に寝ておきなさい。お父様の書斎に人がいなくなった頃、起こすから。いいわね?」
クロエの言葉にミーリアの心臓が跳ねた。
「わかったよ」
「いい子ね。さ、あまりこうして話しているとロビンお姉さまに勘ぐられるわ。あなたは前と同じようにのんびり屋さんを演じるの。できそう?」
「やってみる」
「あなたは私の天使よ、ミーリア」
クロエが高速なでなでを開始すると、背後から両手を叩く音が響いた。
――パンパン
もう一度手が叩かれる。威嚇するような叩き方だ。
ミーリアが声の方向を見ると、くすんだ木製の廊下に一人の女が立っていて、いかにも小言を言いたげに腕を組んでいた。
(次女ロビン!)
十九歳、黒髪セミロング、目は大きく切れ長、気の強さを表しているのか鼻先が上向きにつんと伸びている。顔も体型も整っていると第一印象では思うも、どこか近寄りがたいオーラと癇癪を起こしそうな危うさが見て取れた。件くだんの浮気出戻り次女である。
(いざこうして見ると……地雷臭がパない……!)
ミーリアはバイト先にいた噂好きのおばさんを思い出した。誰かれ構わずスタッフの悪口を言う、ちょっとご勘弁願いたい人物だ。ミーリアはお近づきにならず、付かず離れずを維持して日々を乗り切っていた。
「クロエ、ミーリア、何してるの! 早く来なさい!」
ドレスタイプのワンピースを着た次女ロビンが、再度手を叩く。
「ごめんなさいロビンお姉さま、ミーリアの髪にホコリがついていたもので」
冷静な様子でクロエが髪をさらりと手で払い、ロビンに近づいていく。ミーリアも後を追った。
「チビのことなんて放っておけと何度言ったらわかるの? あなたはハンセン男爵の二十五番目の妻になるんだから、村内で変な噂でも流されて約束を反故にされたらどうするつもり?」
「申し訳ございません。お姉さまのおっしゃることはもっともです。こんな辺鄙な村の噂話が南方のハマヌーレまで届くとは思えませんけれど、それでも用心されているとは、魔法使い並のご慧眼でございますわ」
皮肉たっぷりなクロエの返しに、次女ロビンは意味がわからなかったのか気をよくした顔をしたが、すぐに小馬鹿にされていると気づいて眉を吊り上げた。
「本が読めるからって調子に乗るんじゃありません! ハンセン男爵二十五番目の妻になる自覚があなたにあって?!」
二十五番目をやけに強調してくる次女ロビン。
人が気にしていることを大声で言うとはなかなかいい性格であった。
(質素な屋敷でその服装って……どうなの?)
一方で、ミーリアは彼女の着ている服がえらく小奇麗なことに感心していた。小さな宝石のついたヘアピンが彼女そのものの価値であり、つけている自分が高貴な人間であると言いたいのか、しきりに触っているのがいやに目につく。
「ミーリア、何? その目は?」
鋭い視線をクロエからミーリアへ向けるロビン。
ミーリアは急にこちらへ矛先が向いて驚き、びくりと肩を震わせた。
「……?」
どうにか気を取り直して、意味がわからない、という目でぼんやりとロビンを眺める。
ミーリアの態度が気に入らなかったのか、ロビンが近づいてきて中腰になり、ミーリアを抱え込んだ。ロビンは百七十センチ、ミーリアは百三十センチほどのため逃れられない。
「あらあらミーリア、お尻に土埃がついているじゃない」
そう言うやいやな、ロビンはバンバンと音が出る強さでお尻を叩き始めた。想像以上に痛くてミーリアはたまらず声を上げた。
「いたっ、痛いです! お姉さま、痛い!」
「ちゃんと土を払って家に入らないあなたの責任でしょう。ありがたく思いなさい」
「ロビンお姉さま! ミーリアが痛がっています! もう少し優しくしてあげて!」
ミーリアの臀部に土埃などついていない。
クロエが必死に手を滑りこませるも、ロビンはミーリアごと肩を回して方向転換し、さらにビシバシとミーリアのお尻を叩いた。
(痛い痛い! この人なんなの?! お尻が、お尻が割れちゃうよ!)
もう割れているのだが、ミーリアは声に出すとさらに強くなりそうだったので心の中で叫んだ。
「ロビン、クロエ、ミーリア、夕食よ。早くなさい」
廊下を覗きに来た母親エラが平坦な声色で呼んだ。
ある程度発散して満足したのか、次女ロビンがミーリアから離れてわざとらしい笑みを浮かべて振り返った。
「ミーリア、これで土は落ちたわね。お母さま、今参ります。どうしたの、クロエ、ミーリア、早く行きなさい」
「……」
「……」
「返事は?」
「……はい、ロビンお姉さま」
「……行きます、ロビンお姉さま」
「次からはすぐ返事なさい」
クロエとミーリアは死んだ魚のような目で足を踏み出した。背後から音を立ててロビンがついてくる。
クロエがちらりとミーリアを見て、ロビンから見えないよう舌を噛み切る顔をした。
六女はかなりご立腹のようだ。
(クロエお姉ちゃん、どんな顔しても綺麗で可愛いよ)
一気にもやもやがすっきりしたミーリアもちらりとクロエを見て、思い切り目を寄せて鼻をすぼめた。変顔を見たクロエが笑いをこらえるために、頬を引き絞る。
「遅いぞ」
居間に入ると、上座に座った領主アローンが腕を組んでいた。
黒髪、鳶色の目、目も鼻も大きく、額が広い。いかにも狩猟好きと言わんばかりに髭は手入れをせず伸ばしっぱなしであった。また、着席しているのに立っているミーリアよりも目線が高く、組まれた腕の筋肉が盛り上がっていた。
(大きい人……頬の傷って古傷かな? あれって痛くないのかな? 記憶のとおり頑固そうな人だよ。これはアカンやつだよきっと)
直談判して婚約を引き伸ばす話など取り合ってもらえそうもない。
ミーリアはクロエの隣に急いで座り、次女ロビンも席についた。
(これがアトウッド家か……)
領主アローンが上座に座り、横に婿養子アレックス。
その嫁の長女。
母親、次女ロビンと続き、四女ジャスミン、五女ペネロペ、六女クロエ、七女ミーリアがテーブルについていた。三女だけは嫁に行ったのでこの場にいない。
場はお通夜並の冷たさで、家庭的な空気は一切流れておらず、全員が貴族らしくしようと静かに号令を待っている姿が安い芝居のようであった。実際のところ、田舎でも騎士爵であるのは間違いがなく、最低限の体裁は整える必要があるので当然と言えば当然の習慣である。こんな辺境の地でも、他の領地から貴族客人が来る場合もあるのだ。
(肩身が狭いよ)
誰もミーリアに視線を向けない。完全に空気扱いだ。隣に座るクロエも、次女ロビンにつけ入る隙を与えたくないのか表情を消してじっとしている。
クロエと話すことはあきらめ、ミーリアはテーブルに並んでいる料理を見た。
そして愕然とした。
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