第5話 クロエの夢
六女クロエは十歳でありながら、質のいいラベンダーを選定して摘む労働を課せられていた。
上質なラベンダーは高級ジャムとして、ハンセン男爵の治める街で販売される。
アトウッド家で現金化できる商品の中で利益率の高い商品だ。品質が落ちれば買い手もつかなくなるため、ラベンダーの選定は非常に重要と言っていい。
クロエは幼さの残る横顔で黙々とラベンダー畑を闊歩する。
ラベンダー畑から最高品質のラベンダーだけを選定して摘み取っていた。
ミーリアにはどれもこれも同じラベンダーに見える。
(クロエお姉ちゃん、ほんと十歳とは思えない。私が十歳の頃なんて……ダメ親父にご飯作ってたな。あの頃はノートもシャーペンも買ってもらえなかったから、なるべく白いチラシをノートっぽくして……それを見かねた担任の先生が……ううっ、思い出したら悲しくなってきた……忘れよう、うん。そんなことより、クロエお姉ちゃんだよ。十歳でこれだけ思慮深いって、天才なのかな?)
ミーリアはクロエの頭の良さに感服した。
幸か不幸か、複雑な家庭環境がクロエの成熟を早めているのであろう。
みそっかす扱いをされていた七女ミーリアは家の手伝いをしなくとも、咎められることはない。なので、ミーリアはクロエの仕事ぶりを見ながらお手伝いをし、十歳ながら博識な姉の言葉に耳をかたむけた。
もっとも、お手伝いと言っても、かごを持ってテクテクついていくだけである。それでもクロエはずいぶんと嬉しそうだ。
「私はね、学院に入学して商売の勉強がしたいの」
「商売の?」
「ええ。優秀な学院に行けばコネもできるでしょう。それでお店を開いて、どんな場所にでも物を売ることができる大きな商会を作りたいのよ。アドラスヘルム王国のいたるところに商品を運び、誰でも公平に品物を買えるようにする。どう、素敵じゃない?」
「素敵だね!」
クロエの夢に、ミーリアは素直に感心した。
それと同時にクロエの夢はこの領地が閉鎖的だから生まれた夢であることも実感した。
村にある唯一の商店は、生活必需品をわずかに扱う申し訳程度の規模だ。
ミーリアが言うところの村の商家(笑)である。
なぜなら、アドラスヘルム王国最西端に位置するアトウッド家は取引をしようにも、近場の街まで一ヶ月かかる。
南方の街ハマヌーレに行くには魔物の領域である街道を通過する必要があり、魔物が活動を弱める日中しか移動できず、旅慣れた者でなければ魔物の餌食になってしまい踏破できない。ハマヌーレを統治するハンセン男爵は年に二回、騎士団による商隊を組み、アトウッド家へ必要物資を大量に販売してくれる。裏を返せば二回しか来たくない、ということだ。
ハンセン男爵もお国から命じられていなければ、アトウッド家との交易などとっくに放り投げている。大事な騎士団が死ぬかもしれない街道など誰が通りたいのか。子どもでもわかることだ。
ハンセン男爵が毎年、交易の補助金アップを王国に陳情するのは恒例行事になっていた。
皮肉なことに、貴族が会話中に「アトウッド領に行く」と言えば、「金がかかって死ぬかもしれないけど仕方なく行く」と揶揄する比喩表現になっている。
「アハハ……うちってそんな田舎なんだね……」
クロエから簡単に状況説明を聞いたミーリアは苦笑いしか出ない。
(自力脱出は本当にヤバ谷園にならない限り実行しちゃいけないね。魔物にがぶり、とか、せっかく転生したのにいやだよ。がぶりされるならせめて焼き肉お大尽になってからだな)
「南から西にかけて深い魔物の森に覆われ、東は断崖絶壁の渓谷、北は誰も行ったことのない僻地……ふふっ……陸の孤島とはアトウッド家のことね」
クロエがハイライトの消えた遠い目でラベンダー畑を見つめた。
話題を変えるべく、ミーリアは彼女のワンピースの裾を引っ張った。
「クロエお姉ちゃん、ここから自力で逃げ出すのは……やっぱり無理だよね?」
「ああ可愛いミーリア。冗談でもそんなこと言わないでちょうだい。あなたの身に何かあると考えるだけで胸が張り裂けそうよ」
コンビニまで徒歩一時間だった家より過酷な状況だ。街に買い物に行くよっ、と言って一ヶ月かかり、しかも生死不明の危険な旅になるなど正気の沙汰ではない。
クロエはラベンダーを丁寧に摘み取り、ミーリアの目の前に出した。
「だからよ。私たちのように、地方領地には困っている子どもがたくさんいるわ。物がなければ心は貧しくなる。本も読めず、外の世界も知ることができない。だから夢も希望もなくなる……。そんな子たちを私は救いたいの。そのためにはお金が必要よ。わかるかしら?」
「うん。なんとなくわかるよ」
「このことは秘密にね? お姉さま方にも言ってはダメよ? 特にロビン姉さまには絶対言ってはダメ。なぜだかわかる?」
ミーリアはクロエの澄んだ瞳を見て、こくりとうなずいた。
次女ロビン。絶賛出戻り中の要注意な姉だ。足を引っ張られる未来しか浮かばない。
「私たちの秘密ね」
にっこりと嬉しそうにクロエは笑い、手にあるラベンダーをかごに落とした。
そのとき、カン、カン、カン、と甲高い音が屋敷の方向から聞こえてきた。急かすリズムではない。
(仕事が終わりの合図だ)
クロエがかごをひょいと持ち上げ、笑顔を向けた。
「帰りましょうミーリア。今日は夕飯が早いみたいね」
「うん!」
誰かと帰る。たったそれだけのことで心が躍るミーリア。
恐る恐るクロエの空いている手にふれると、彼女は驚いた顔をし、すぐに破顔した。
「守りたい、小さな手……」
「お姉ちゃん何か言った?」
「なんでもない。なんでもないのよ。さ、行きましょう。お姉ちゃんにしっかりつかまってちょうだい。転んで怪我をしたら大変だわ」
ミーリアの手をにぎにぎするクロエ。このときばかりは秀才と言えど、年相応の笑顔だった。
「うふふ」
「えへへ」
にまにました笑みが次から次へこぼれてくるミーリア。
だが、これから夕食という事実に気づいて表情筋がこわばった。
(あれ? 夕食ってことは……家族全員集合じゃん? 脳筋領主、出戻り姉、アレな婿養子と顔を合わせるって……オーマイゴットファーザー降臨だよ……。どんな顔して食卓につけばいいのかわからない……!)
記憶では家族と食事をしているが、転生した自分が対面するのは初めてだ。
「どうしたのミーリア? さ、行きましょう。遅れるとお父様がうるさいわ」
「う、うん」
ミーリアはどうにか口角を上げて返事をし、クロエに手を引かれるままラベンダー畑を後にした。
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