第22話「海の藻屑」

「まさか、本当に停泊してるとはねぇ」


 全長はおよそ300メートル。船体を漆黒に染めた巨大な蒸気船が沖合に停泊している。

 それこそが、姿を消していた【箱庭】。アルテミスが運んできた写真から予想した通り、箱庭はこのマシュ港へやってきていた。

 おそらく姿を消した理由は、リズに設計図を渡さないため。辿り着けないように、海を移動し続けるように設定されていたに違いない。そうだとすれば、機械心臓カルディアの設計図がここにある可能性が高くなってきた。


「なんだか、幽霊船みたいだね」


 埠頭ふとうから箱庭を眺めていたレイリは、ぽつりとそんなことを言った。

 船体が黒一色というのもそうだが、自ら霧を造り出し、それをまといながら停泊している様は、なかなか不気味だった。


「一人で海を移動してる点で言えば、幽霊船だよな」

「……嫌な予感がするのは私だけでしょうか?」

「いや、俺もしてるよ。背筋がゾゾゾッて冷えてく感じだねぇ」


 コウは銃の準備を整え、リョウジは自らの義手に内蔵された、ボーガンと銃に弾やら矢を装填し始める。そこへ――


「あんたの予想、当たったみたいだね」


 それこそ予想通りの、不満気な態度を振りまいてリズが到着した。

 俺とレイリの間に割って入り、沖に停泊する箱庭を見つめる。目がキッと細められ、それが一瞬、睨みつけているようにも見えた。


「箱庭に研究員は乗ってないのか?」

「多分。呼ばれない限り、あれに乗っていたのは父さんと船を守る機械人形オートマタだけだって、研究員が言ってた。それより、本当に設計図があそこにあるっていうのか?」

「行って見ればわかるだろ?」


 一路、俺達は手配した小型蒸気船に乗って箱庭へと向かった。

 乗り込めそうな場所を探して、船尾から右舷へ回り込む。すると、中央辺りにある入口が開き、ガシャガシャと音を立てながら、数段分の階段が下りてきた。まるで、ここからどうぞと、言わんばかりに。誘われるがまま、階段を上がって船内へ足を踏み入れた。

 吹き抜けになったエントランスホールは、古代の遺跡にでもいるような、あるいは何百年も海を彷徨っていた、幽霊船のような光景だった。

 小さな池と、ひび割れた噴水。各デッキへ繋がる階段や壁には蔓草が絡みつく。

 その空間を、メイド服を身に纏った機械人形オートマタ達が闊歩している。失った主でも探すかのように、フラフラ、ユラユラと。


「これが研究室とはのう……」

「フランのお父様、とことんこだわっていますね」

「なんか、面白くなりそうだねぇ。おっさん、ワクワクしてきたよ」


 ロロさんとコウ、リョウジは興味津々。一方のリズは相変わらず冷めている。これの何が面白んだ。そう言いたげに、辺りをぐるりと見回した。


「さて。ここからどこへ行けばいいのか……」


 すると、ポケットの中に入れていたアルテミスが、ゴソゴソと外へ出てきた。

 俺の言葉を聞き取り、理解したのか。それとも、単にそう設計されていたのか。飛び立って、俺の頭上をぐるりと回って、2階デッキへ続く階段の前へ飛んでいく。一度、そこでホバリング。再び俺のもとへ戻ってきて、またヒラヒラと飛び回る。


「邪魔だよ、この機械人形オートマタ。気持ち悪いなっ」


 リズはあからさまに嫌な顔をして、近くに飛んできたアルテミスを手で払い除けた。


「リズ、その蛾が設計図の場所を知っているかもしれないんだぞ」

「それを早く言ってよ! おいっ、さっさと案内しろよっ」


 追いかけようとしたリズの前に、突然、一体の機械人形オートマタが立ちはだかった。

 じっと見つめ、動こうとしない。それを避けようと左へ行けば左へ、右へ行けば右へ。リズはムッと睨みつけた。


「な、なんだよ……気持ち悪いな。邪魔だよ!」


 語気を強めたその時、機械人形オートマタの腕が開き、中から剣がせり出すのが見えた。


「リズ!」

「っ!」


 リズの襟を掴んで、思いっきり後ろへ引っ張った。同時に、機械人形オートマタが腕を振り上げる。切っ先はリズのネクタイを切り落とし、鼻先をかすめた。

 驚いたリズは慌てて俺の後ろに隠れ、震える手で服を掴んできた。案外可愛いところもあるものだ。


「ぼ、僕が何したって言うんだよっ」

「何もしてないけど、敵だとみなされたんじゃないか?」


 気づけば、完全に囲まれていた。ぼんやりと、フラフラ歩き回っていただけの機械人形オートマタ達が、さっきとは打って変わって、その瞳に警戒の色を浮かべていた。おまけに戦闘態勢だ。


「さすが、マフィアの息子。嫌な予感的中だな」

「そんなところ褒められても嬉しくないですよ……」

「でも、どうして攻撃してくるの? この機械人形オートマタ、フランや弟君のこと、わからないのかな?」


 これもリズ避けなのか。それとも侵入者対策なのだろうか。どちらにしても少しやり過ぎな気もした。


「考えても仕方ない。今は先へ進むしかないな」

「その先とやらは、一体どっちなんだい?」


 リョウジが紙煙草に火を点けた。ふうと煙を吐いて、目を左、右、また左と動かす。俺の周りを飛んでいたアルテミスが、船首のある方へ伸びている階段へ飛んでいった。


「アルテミスの後を追えばわかるはずだ」

「了解。それじゃ、さっさと追いますか。レイリ、やっちゃうよ」

「うん、派手にいくよ!」


 それこそこの状況を楽しむかのように、レイリはショット・ガンの引き金を引いた。正面に立ちはだかった機械人形オートマタは、爆音と共に吹き飛んだ。

 飛び散る火と破片、膨れ上がる黒煙。そこへ正面から突っ込み、2階へ続く階段へ一気に駆け出した。だが、数歩走ったところで、俺の体がふわりと浮かんだ。

 気付けばロロさんにひょいと抱えられ、肩のあたりで担がれてしまった。それこそ、小さな猫でも担ぐみたいに。


「ロ、ロロさん!? これは、ちょっと!」

「お前さんは走るなっ。大人しく担がれておけ!」


 この歳になって、こんな担がれ方を味わうとは思わなかった。例えるなら、枝に引っかかった洗濯物だ。

 進行方向のロロさんとは逆に、尻を前方に向けて、後方が頭。ロロさんの後ろを走ってついてくるレイリやリズと顔を合わせる形になって、妙にやりづらい。ただ、追ってくる機械人形オートマタの様子ははっきり確認できた。


「リョウジ、銃をよこせ!」

「何がいい? 色々用意してきたよ」

「何でもいいから、早く!」

「はい、はい。ほらよ」


 前方を走っていたリョウジが速度を落とし、ロロさんの背後へ回り込んだ。俺に銃を渡し、再び先を走っていく。

 渡されたのは、ダブルアクション・リボルバー。ただ普通のものより極端に銃身が短く、逆にシリンダーはやけに長い。


「リョウジ、これちゃんと使えるのか?」

「問題なし! 面白いぞ、それ。いっぱい出るから」

「いっぱい出るって、大丈夫なのか……まぁ、いい! ロロさん、そのまま走り続けて下さいね!」


 担がれたまま銃を構え、振動でブレないよう左手をしっかり添え、両肘を二脚パイポットのようにロロさんの背に押し当て、引き金を引いた。

 ドウンッと空気を震わせ、放たれた数発の弾が、レイリとリズの頭上を飛んでいく。

 キンッと、金属を貫く音の後、先頭を走っていた数体の機械人形オートマタが大爆発。その迫力にリズは耳を押さえ、「ひぃ」と情けない声を上げて体を丸めた。


「確かに、いっぱい出たな……」

「装弾数25発。トリガーを一回引くだけで、5発の弾が発射できる小型の散弾銃【ユーディキウムR05】。命中率は下がるが、的がたくさんある時は便利だぞ~」


 多少緊張感にかける会話を交わしながら、長い廊下を進み、階段を上がって5階デッキへやってきた。そこは、保管庫のような場所だった。機械人形オートマタのパーツから、造りかけの小型飛行船、中には分解された車なんかもある。

 もちろん、リョウジが喜びそうな機械人形オートマタがたくさん。おまけに全て戦闘態勢だ。その場に足を踏み入れるなり、狙いを定めてこっちへ向かってくるではないか。


「まだおるのか……!」

「もう嫌っ!」

「フラン。あなたのお父様、一体何がしたいんですか!」


 コウはなげやりに叫んで、愛用のライフルで一体、また一体。確実に仕留めていく。


「俺に聞いたってわからないよ」

「これで設計図がなかったら、ただじゃ済ませませんよっ。帰ったら、エレンとディアナと、それからアンナに連絡をして、私とデートするよう約束とりつけてください!」


 と、撃ちながら催促する。その間にも、アルテミスはホールの先にコウアを抜け、その先へと飛んでいく。ここで足止めを食っている暇はなさそうだ。


「わかったよ。だから、しっかり片付けてくれると助かる。アルテミスを見失う前に、ここを抜けないと――」

「そんなちまちまやってても進めないからな。一気にいこうじゃねぇか、一気に!」

「あっ、それ!」


 リョウジが着ていた上着をバッと開けば、レイリが声を弾ませた。

 その内側には、レイリが気に入っていた、あの蝙蝠型の機械人形オートマタがびっしりぶら下がっていた。普段は着ないインバネス・コートなんて着ているから妙だと思っていたが、そんなものを用意していたのか。

 コートが開くのを合図に、蝙蝠達は一斉に飛び立った。向かってくる機械人形オートマタへ、抱えているニトロ弾を投下していく。

 ドゴンッ、ドゴンッ――と、爆音と爆風があっという間に広がり、反響して、鳩尾の辺りにビリビリと響いた。


「はいはい、皆さん。走ってね!」


 リョウジが先頭を切って走り出した。

 破壊され、燃えて飛び散る機械人形オートマタを避けながら先へ――ホールを抜け、階段を上がると、そこは最上甲板。海を一望できるその場所にあったのは、幻想的で、どこか奇怪な光景だった。

 大きな歯車やパイプが溶けて融合したような、なんとも奇妙な姿をした鉄製の大木が鎮座している。空に向かって伸び、広がる枝の中に、小さな家が呑みこまれていた。


 鉄の大木が根を張る床は分厚い硝子になっていて、その下には水が満ち、沈められた巨大な時計が静かに時を刻んでいた。

 そこに機械人形オートマタの姿はない。追ってきていたはずの機械人形オートマタの姿もどこへやら。その気配するらなかった。やけに静かで不気味なくらいだ。


「もう、終り?」


 躊躇ためらいがちにそう呟いて、レイリは確かめるように辺りをきょろきょろ見回した。


「そうだといいな。フラン、見ろ」


 リョウジが顎でしゃくり、うなした。

 アルテミスが木の上の家へと飛んでく。一息ついたように、そっとドアに止まって、ゆっくりとはねを開いたり閉じたりを繰り返す。その仕草は、まるで俺を呼んでいるかのようだった。

 俺はロロさんから降り、銃をリョウジに預けた。


「皆はここで待っててくれ。リズ、行くぞ」

「えっ! な、なんで僕なんだよっ」

「設計図を一番欲しがってたヤツが行かなくてどうするんだ? 自分の手で持って帰ることに意味があると思わないか?」

「お、思わない!」

「こんなところで屁理屈言うな」


 それでも渋るリズを引きずって、強引に家の中へ連れて行った。

 そこは研究室というよりも、使い慣れた部屋といった感じだ。暖炉があって、ベッドがあって。ホッとするような温かさがあった。父さんの書斎にあった、あの隠し部屋と同じ温かさだ。

 外にいたアルテミスも、俺とリズの後を追って中へ入った。相変わらず漂うように飛んでいたが、導かれるように、暖炉の上に飾られた円柱のガラス管に止まった。それを見た俺とリズは、どちらからともなく顔を見合わせた。


「あれ、かな?」

「多分な」


 歩み寄り、恐る恐る上から覗き込んだ。

 中には細長い真鍮しんちゅうの板が入っていて、光の具合で黄金のように光り輝いている。その表面に目を凝らすと、うっすらと設計図らしきものが刻まれているのが見えた。


「……あった!」

「よかったな。俺は約束を果たしたんだ。リズも今後は一切、詮索するなよ」

「わかってる。もうあんたには関らないよ」


 言葉使いは相変わらず生意気だが、今までで最も機嫌が良さそうに声を弾ませていた。

 意気揚々と、ガラス管を持ち上げた、その時――爆音と共に船が大きく揺れた。俺とリズはバランスを崩して床に倒れた。


「こ、今度は何っ!?」

「知るかよ――って、船、傾いてないか?」


 言っているそばから、どんどん傾いていく。床に突っ伏すか、傍にある柱やテーブルの脚にしがみついているのがやっとだ。

 何とか這って、傾く床を上って、窓の外を見た。船体は大きく左舷側に傾き、おまけに船尾の方から黒煙が空に立ち昇っていた。ギギギッと不気味な音をたてながら、さらに傾いていく。


「このままだと沈むんじゃないか?」

「えっ!?」

「フラン!」


 外でレイリが叫ぶ声がした。

 手すりにしがみついていたレイリが、耐え切れなくなって甲板から海へ投げ出されたのが見えた。大木の幹にしがみついていたロロさん、コウ、リョウジまでもが、次々に海へと放り出されてしまった。


「まずい! リズ、俺達も外に出るぞ」

「ま、待って! 設計図がっ」


 何を躊躇ちゅうちょしているのかと思えば、さっきまで抱えていたはずのガラス管が、なぜか部屋の隅に転がっている。爆発の衝撃で倒れた時に、手から落としてしまったらしい。

 リズはそれを取りに行こうとするが、すぐに引き止めた。ガラス管は傾いている左舷側の壁にあり、俺とリズは右舷側にある窓の淵にしがみついている状態だ。

 俺とリズが上、ガラス管が下にある。傾きが大きくなった今、手を離してそれを拾いに行けば、右舷側に這い上がるしかない。左舷側の壁には、蹴破って逃げられる窓も入口もないからだ。


「のんびりしてたら、この家ごと海に引きずり込まれるんだ。諦めろ!」

「冗談じゃないよっ。ここまできて諦めろって」

「悪いけど、ここに閉じ込められたまま、海底で魚の餌になるのは御免だ!」

「嫌だって!」


 傍にあった椅子で何とか窓を割って脱出。リズの手を掴んで海に飛び込んだ。

 船は瞬く間に燃え上がり、黒い煙を吐きながら海の底へと沈んでいく。俺にしがみついているリズは、ぷかぷかと波に揺られながら、呆然とそれを見つめて項垂うなだれた。


「あぁ……設計図が……」

「仕方ないだろ。多分、これが父さんの本心なんだと思うよ」


 リズがガラス管を手にしたとたん、船が爆発した。おそらく、あれが起爆スイッチだったのだろう。

 最初から俺やリズに設計図を渡すつもりなんてなかったんだ。探させて、目の前で消し去るのが本当の目的。誰の手にも渡らなければ、それを取り合うこともないからだ。


「ヴァンフィールド社はこれで終わりだ……」

「どうして自分の力で何とかしようって考えないんだよ、お前は。予備の機械心臓カルディア、残ってないのか?」

「何個かは、残ってるけど……」

「だったら、それ分解して、一から研究し直すしかないな」

「そんなぁ……」


 大きな溜息をついて、俺の肩に額をゴンッとぶつける。なんだか可哀相に思えて、ガシガシと頭を撫でてやった。


「フラン、無事だったのね!」


 声がして振り振り返れば、船の残骸に掴まって漂っている皆の姿があった。レイリはこちらへ泳いでくると、いつものように抱きついた。


「よかった! 船と一緒に沈んじゃったんじゃないかって」

「危うく巻き込まれるところだったよ」


 レイリを腕に抱き寄せるだけで、生きているのだと実感する。顔を見て安心したせいか、急に体の力が抜けてきた。


「フラン、大丈夫?」

「ちょっと、疲れた……早く、皆の所に行こう」

「うん。そういえば、弟君は?」

「リズ? リズならここに……あれ?」


 隣を見るが姿がない。その代りに、さっきまで浮かんでいた所に、ブクブクと泡が上がっていた。


「フ、フラン。弟君、沈んでるんじゃない!?」

「泳げないって最初に言っておけよ!」

「わ、私、行ってくるね!」


 俺をその場に残し、レイリは慌てて海へ潜った。どこまで迷惑なヤツなんだ、あいつは。

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