第21話「消えた箱庭」

 ヴィクトルの研究所から無事に戻ってきた、翌日のこと。

 首都の商業区にあるホテルの一室の、長閑のどかで穏やかな昼下がり。部屋に射し込む暖かな陽に目を細めながら、俺はベッドに横たわっていた。

 落ち着いている俺とは対照的に、険しい顔つきで覗き込んでいるのは、工具を手にしたリョウジと、聴診器を持ったロロさん。「んー」とうなったり「あぁー」と溜息をついたり。口を開けば出るのはそんな言葉ばかりだ。


「それで? 駄目そうですか?」


 痺れを切らして訊ねると、2人は同時に「まぁな」と、相変わらず曖昧な答えを返した。


「とりあえず、お前さんの心臓は正常だ。問題はなかろう」

機械心臓カルディアの外装は、ちょっとやそっとの衝撃じゃ壊れない強度になってるから、蓋の方は歪んでもいないし傷一つない。だがなぁ~」


 リョウジは開いた機械心臓カルディアを見下ろして大きな溜息をついた。


「どこか奥の方で歯車でも外れたか、ネジでも緩んだか。動かなくなったのは、ジガンテの一撃が原因だろうな」

「ねぇ、リョウジ、ロロさん。フランは大丈夫だよね?」


 これで何度目になるか。レイリは昨日から、何度も同じことを聞き返していた。大丈夫だと言っても、それが目に見える形で結果が出ているわけではないから、確かめようがなくてもどかしいのだろう。


「まぁ、しばらくは安静にしといた方がいい。一応、肋骨も一本折れてるからのう」

「まさか、こんなに早く壊れちまう日が来るとはねぇ」

「俺だって、もっと先だと思ってたよ」


 点検不備や機械自体の不具合なら仕方ないが、ジガンテの一撃は想定外だった。

 機械心臓カルディアが止まってから、久々に体が重くなる感覚を味わっている。埋め込まれた機械心臓カルディアのおかげで、普段どれだけ自由に動けていたか、どれだけ助けられていたか。体の中に爆弾を抱えていることを、改めて思い知らされた。


「ただいま戻りました」


 買い出しに出ていたコウが戻ってきた。一瞬の沈黙が漂っていた部屋に、明るく弾んだ声が響いた。


「頼まれた物、買ってきましたよ。リョウジは刻み煙草、ロロさんは湿布、私とレイリにはケーキです。それから、フランはドンシー社の朝刊」

「ありがとう、助かったよ」


 受け取った伝書盤エピストラをさっそく通信機アステリに差し込み、天井に投映させた。

 その日の一面記事を飾ったのは、やはり昨晩の――ローランド社の件だった。



――『大型旅客飛行船のローランド社、実験中に炎上』



 早朝に研究所内で火災が発生し、社長のヴィクトルがその火災に巻き込まれて死亡したと書かれていた。どうやら、実験中の事故死ということになったらしく、俺達のことは一切書かれていなかった。

 機械心臓カルディアの設計図を奪おうと、社長自らが人質を取って、遠回しに俺達を脅していたんだ。ヴィクトル亡き後、あの会社を引き継ぐ者にとっては、そんな事実は無いに越したことはない。


 記事によると、弟であり副社長であるリックが対応に追われているとある。確かこの弟、ヴィクトルとは争いが絶えず、密かに社長の座を狙っていたと聞いた事がある。ひょっとしたら、これを好機と考えて動いたのかもしれない。

 どんな力が働いたのか、裏で何が話し合われたのか、そこからは知る由もない。ただ、少し安堵したのは確かだ。


「フラン、調子はどうですか?」

「駄目らしいよ」

「完全に?」

「あぁ、完全に」


 小さく頷きながら、コウは俺の心臓を指先でトンッと軽く突いた。


機械心臓カルディアの設計図、フランも必要になっちゃいましたね。止まったままにしておくわけにはいかないでしょう?」

「できれば新しいものに取り換えたいな。この状態だと、普通の生活すらままならない」

「だったら、さっさと見つけるしかありませんね」


 ポケットに突っ込んでいた手を、俺の鼻先に突きつける。開いたその手には、蛾の機械人形オートマタが乗っていた。


「アルテミス!?」

「ユーリさんに事情を説明しに行ったら、家の周りを飛んでいたんです。多分、フランを探していたのでしょうね」


 背を向けていたアルテミスが、コウの手の平をちょこちょこ歩きながら、こっちを向いた。俺を見つけるなり飛び立ち、腹の上にぽとりと、抱えていた伝書盤エピストラを落とした。


「また伝書盤エピストラだね。お父さんからかな?」

「それ以外にないだろ?」


 新たに届けられた父さんからのメッセージは――「心は箱庭に眠る」。そして、どこかの港の写真が天井に映し出された。

 トルマリン色の海に、空はどんよりと重い鈍色。遠くの景色さえ見通すことのできない、濃い霧が立ち込めていた。


「これは、マシュ港か」

「ロロさん、知ってるんですか?」

「ここから西へ40キロほど行った先にある港街だ。年中、濃い霧に覆われてるせいで、船の事故が多くてな。今はもう、港としては機能しとらんよ」


 次はここへ行けということなのか。

 伝書盤エピストラが見つかり、父さんから指示が与えられ、それに辿り着けば、また新たな伝書盤エピストラが出てくる。一体いつまで、こんな作業をさせるつもりなのか。

 頭の中でブツブツ文句を言いながら、俺はリズに通信を繋いだ。一応、設計図を渡すと約束した相手だ。経過報告は必要不可欠だろう。それに、隠しておくと「どうして僕に黙って!」と、ぎゃあぎゃあ騒がれそうで面倒だ――


「リズか? フランだ。話したいことがある」

『設計図、見つかったの?』


 通信を繋いだとたんの、第一声がこれだ。通信機アステリを見下ろす目も、自然と細められる。

 もっと可愛げのある返しができないのか。例えば「やぁ、兄さん。調子はどうだい?」とか「連絡してくれたんだね、ありがとう」とか。社交辞令でもなんでもいい。気の利いた挨拶ができないものかと、さすがに文句が言いたくなってきた。あの無愛想で生意気なリズが、そんなことを言い出しても気味が悪いか。


「残念だけど、まだだ。また、父さんが残した新しい伝書盤エピストラが見つかったんだ」

『へぇ。今度は何?』

「マシュ港っていう港町の写真と“心は箱庭に眠る”っていうメッセージがあった」

『箱庭!?』


 リズは大袈裟なくらい声を裏返した。


「心当たり、あるんだな」

『大ありだよ! それ、父さんの研究室の名前だ』

「研究室?」

『あんたが住んでるホロカの別邸の他に、父さんは機械心臓カルディアの製造や手術専用に使ってる研究室を持ってる。それを“箱庭”って呼んでた』

「へぇ。箱庭、ね」


 関心がなさそうな空返事をし、差し出した手に止まるアルテミスを眺めた。


「その箱庭が、マシュ港にあるってことか」

『わからない』


 リズは驚くほどあっさりと即答した。考える素振りも、もったいぶる様子もなく。少しくらい知ったかぶりをしてもいいだろうに。案外、正直なヤツだ。


「わ、わからない?」

『僕は一度も見たことないから。ただ、箱庭が巨大な蒸気船だってことは聞いてる。それに、意思を持った船だって』

「意思を持った船?」


 思わず、鸚鵡返おうむがえしをしていた。


『大戦前に造られた人工知能搭載の船らしいんだけどさ。設計図のことであんたの所へ行く少し前、箱庭に乗っていたっていう研究員が僕の所に慌ててやってきたんだ。“箱庭が姿を消した”って』


 おそらく、父さんの書斎に置かれていた金庫には、早瀬が持ってきた手紙の件だけではなく、箱庭も関係していたのかもしれない。

 金庫が開かれた瞬間、早瀬のもとへ合図が送られると同時に、箱庭が動き出す。そして行方を晦ますように仕掛けられていたのだとすれば、箱庭が姿を消したという言葉の説明がつく。


「その箱庭は見つかっていないのか?」

『僕も探してはみたんだけどね。どういうわけか、偵察に出した機械人形オートマタはことごとく戻ってこないんだ』


 心は箱庭に眠る――心が“機械心臓カルディア”のことを指すなら、眠るは〝保管されている〟ということだろうか。父さんの仕掛けた悪戯に振り回されてきたが、ようやく答えに近づいてきたのかもしれない。


「リズ、設計図はその箱庭にある可能性が高い。今頃はマシュ港近くに移動しているかもしれない。これから俺達は港に行ってみるけど、リズはどうする?」

『――先に行って待ってろ』


 突慳貪にそう言って、リズの方から通信を切った。

 情報を流している相手に“待ってろ”と命令するとは。さすがリズ。“待っていて”とは言えないところが可愛くない。


「もう少し素直な言い方はできないのか、あいつは」


 少し呆れていると、不意に刺さるような視線を感じて顔を上げた。

 その先には呆れ顔のロロさんと、心配顔のレイリとコウ。ニヤリと笑うリョウジの顔が待ち構えていた。刺さる視線に、無意識のうちに体が硬直する。


「な、何だよ」

「これから港に行くって、その体で?」


 レイリがトンと、左脇腹を突く。キンッと、背筋から脳天に駆け抜けるが痛み走って、唸りながら腹を抱えた。


「ほら。そんな状態で、外に出るなんて無理だよ」

「いや……何とかなるさ」


 確かに息はあがるし、骨折で痛みはある。だが、死ぬほどではない。

 ふうっと息を吐きながら起き上がり、ベッドの端に座って機械心臓カルディアの蓋をおそるおそる回してみた。もしかしたら――と思ったが、やはり動きそうもない。

 大抵の機械は叩くと動いたりするが、今回ばかりは、その方法も遠慮しておこう。試したい気もするが、さすがに勇気がなかった。だが、動かないなら動かないなりにできることがある。


「駄目だと思うから駄目になる。諦めた瞬間から何もできなくなるんだ。俺、そういうの嫌いだからさ」

「レイリ、諦めなさい。フランが一度決めたら曲げないの、知っているでしょう?」

「何かあっても、わしらが傍にいるんだ。問題なかろう」


 ムッとしていたレイリも、それ以上は言い返してこなかった。まだ納得してはいないようだったが、それでも渋々頷いてくれた。


「絶対無理しないこと。いい?」

「わかってま――」


 返事をし終わる前に、レイリは俺をギュッと抱きしめた。


「だから、そういうことは誰もいない所でやってくれよ……」

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