第19話「奪還」
どこまでも続く、赤土の荒れた大地に、銀色に輝く
首都より南方50キロ――何もない荒れ地の真ん中に、ヴィクトルが所有する巨大な研究所が突如として現れた。その姿は、研究所と言うよりも要塞そのものだ。
遥か昔、要塞として使われていた城を買い取り、研究所に改装したと噂に聞く。この場所で製造されているのは主に飛行船だが、その怪しくも不気味な外観のせいか、まともな研究をしているとは思えない。
「そろそろだな」
助手席に乗っているロロさんが、目の前に現れた研究所を見据えてニヤリとした。
本来なら緊張してもおかしくない場面だが、こうい状況でも楽しめるという点では、リョウジと対を張れるだろう。
「手順は、今朝話した通りです。まぁ、ロロさんですから、心配はしていません」
「当然だ。わしの方に何かあっても、自分でなんとかする。お前さんこそ、気をつけろよ」
「えぇ、わかっています」
研究施設の内部構造は昨晩の内に入手済みだ。
取引している配送業者に成りすまして、研究所内へ侵入する。もちろん、何が配達され、どこへ届けるのかも調査済みだ。
「あとは野となれ山となれ、ですね」
研究所の門を目視し、俺は
『はいよ~』
「着いた。これから中に入る」
『了解。こっちも準備に入るよ』
「それじゃ、中で待ってる」
通信を切り、俺は運転している車を門の前で停車させた。
警備の男が一人、こっちへ駆け寄ってきた。小柄で細身、目がギョロリと大きくて、どことなくトカゲを連想させる風貌だった。
「身分証を」
思ったより声が低く、その容姿にはなかなか不釣り合いだった。
用意した偽の身分証を見せると、男は「確かに」と頷く。あまりにもすんなり通れてしまったせいか、多少の物足りなささえ感じた。
「ご苦労さん。いつもの場所に頼むよ」
「了解です」
軽く会釈し、開いた門を通って奥へと車を走らせた。
向ったのは、研究所の東側。一番端に建てられた研究員達の寄宿舎裏だ。隣接する食堂の裏口に車を止めると、丁度、外へ出てきたコックらしき男に声をかけた。
「お疲れ様です。今日の分、お届けにあがりました」
「おぉ、待ってたよ。こっちに運んでくれ」
「それじゃ、こっちのリストの確認をお願いしますわ」
と、助手席にいたロロさんが車を降り、手にしたリストを持ってコックに駆け寄った。
それに気を取られている隙に、俺は配達業者の作業服から白衣へ素早く着替える。ロロさんにその場を任せ、持参したトランクを手に、すぐさま立ち去った。
「さて、次は……おっ」
何食わぬ顔で、堂々と、研究員に成りすまして敷地内を歩く。最初に目に留まったのは、東棟へ向かう一人の男性研究員。
歳は俺よりも下だろうか。寝坊でもしたのか、頭のてっぺんに寝癖がついている。大きな欠伸をしながら、のろのろと歩いている様を見る限り、お世辞にも仕事のできるヤツではない。次の獲物は彼に決まりだ。
「あのっ、すみません」
「んぁ? な、何か?」
声をかけると、彼は返事をしつつ大欠伸をしながらこちらに振り返った。
「地下3階の第4研究室には、どう行けばいいのでしょうか? 初めて来たもので、迷ってしまって」
「あぁ、それなら」
隠し持っていた銃を素早くホルスターから抜き、研究員の腹に押し当てた。おそらく嫌でも異変に気づいたはずだ。目を丸くして、ごくりと息を呑んだ瞬間――
―― ドシュッ
撃ち込んだ麻酔弾は一瞬で、意識を根こそぎ奪い去って行く。抵抗する間もなく、研究員は勢いよく地面に倒れた。
「大丈夫ですか!? だ、誰か! 誰か来てください!」
目に留まるよう大袈裟に演技をして駆け寄った。様子を
「ごめん、場所は知ってる。用があるはこっちなんだ」
心にもない謝罪を口にしながら、研究員の中指にはまったシルバーのリングを抜き取った。そのリングは研究員だけに配られるもので、これを持っていないと警備用
「時間が無くて用意できなかったから、奪うしかなくてね。悪いな」
「どうかしましたか!」
通りがかりの研究員や警備員が、異変に気づいて駆け寄ってきた。俺はわざとらしいくらいの安堵した顔を見せ、その場を彼らに引き渡した。
「この人、急に倒れちゃって」
「わかった。すぐに運ぼう!」
「誰か、警備室から担架を!」
彼らが倒れた研究員を介抱している隙に、俺は野次馬で集まった他の研究員達に紛れて立ち去った。そのまま研究所の東棟正面からエントランスホールへ入る。そこで、
『順調か?』
「とりあえず、東棟に入った。このまま第4研究室に向う」
『了解。こっちもそろそろ着く。西棟で待ってるぞ』
ほんの数秒たらずの会話を交わし、通信が切れた。
ルロノの娘を探す時に使うはずだった、あの蝙蝠型
そこからレイリを連れ出した後、地下通路を通って西棟へ移動。別経路から侵入し、逃走経路を確保したリョウジ、コウの2人と合流して逃げる寸法だ。
「まずは、レイリのいる第4研究室まで辿り着かないとな……あっ、すみません! その昇降機、乗ります!」
地下へ向かう昇降機のドアが閉められそうになって、慌てて声をかけた。
駆け込むと、入口には一体の
少女の
「どちらまで?」
先に乗っていた女性研究員に声をかけられた。振り返ると、ニコッと微笑みながら小首を傾げてくる。
「あっ、すみません。地下3階までお願いします」
「地下3階ね」
壁に埋め込まれたパネルの、地下3階のボタンを押して間もなく。ガコンッと大きく横に揺れ、ブーンと音を響かせて昇降機はゆるやかに下りていく。
混雑していた昇降機内も、一階毎に人が減り、ボタンを押してくれた女性研究員も地下二階で降りていった。俺と数人の研究員を残し、昇降機は地下3階へと到着した。
円柱状の建物が地中深くへ続き、各階への移動手段は中心にある昇降機。この地下一階から地下四階までの内部構造は、ホロカとよく似ていた。おかげで自分が今どこにいるのか、手に取るようにわかる。
昇降機から前後左右に伸びた十字の廊下を右へ進み、突き当りをさらに右へ。その角にある研究室にレイリがいる。
「失礼します」
重たい鉄のドアを押し開けた瞬間――
「しつこいっ! 私に命令できるのは、フランだけなんだからっ」
ガシャンッ、ガラガラッと。
出迎えたのは研究員でもなければ、
見れば、床にはシチューやパンらしき食事が無残に零れ落ち、割れた食器が散乱。おそらく壁に向って投げたらしく、入口付近までシチューが飛び散っていた。
奥の部屋では、研究員の一人を押え込み、床に組み敷いているレイリの姿があった。
「騒々しいですね」
レイリの暴れっぷりにすっかり怯えた年配の研究員が、机の陰に隠れて震えていた。声をかけただけで、ヒィッと情けない声を上げて振り返った。
「俺達はただ、食事を運んできただけなんんだっ」
「彼女に何かしたとか?」
「いや、何もっ。昨日から何も口にしていないから、少しでも食べるように言ったら、この有様で……」
「なるほど。わかりました、俺が説得してみましょう」
割れた食器をひょい、ひょいと飛び越えながら近づいて行く。羽交い絞めにされた研究員と、それを押え込んでいるレイリは、近づく足音に気づいて反射的に顔をあげた。
「元気そうで安心したよ、レイリ」
「えっ……? フラン!」
「フランって……まさかっ!」
名前を聞いて、研究員達がやっと俺の正体に気づいた。
レイリがこちらへ駆け出したのと、ほぼ同時に俺は銃を抜いた。
1発、2発、3発――抱きついてきたレイリを受け止め、最後の4発。
麻酔弾の全てを研究員に撃ち込んだものの、最後の一人に向けて撃ったのは数秒ほど遅かった。彼は倒れる寸前に非常警報のレバーを引いていた。一拍置いて、警報がけたたましく鳴り響いた。
「フラン、迎えに来てくれたのね。嬉しい!」
「この様子だと、酷い事されたのは研究員の方だろうけど。レイリは、酷い事されなかった?」
「大丈夫。私は大切な取引の品だからって、手も出されなかったよ。まぁ、出されても捻り上げるけどね」
「それじゃ、その意気でここからさっさと逃げよう」
トランクから出したサブマシンガンをレイリに渡した。さすがにレイリ愛用の傘型ショット・ガンはかさばるから、今回ばかりは家でお休みだ。
受け取るや否や、手際よく弾の装填や確認作業をするその姿は、いつ見ても可愛く猛々しい。
「ロロさんも外で待ってる。レイリ、帰ろう」
「うんっ」
レイリを連れて、俺は研究室を飛び出した。
元来た廊下を進み、昇降機を通り過ぎ、そのまま直進。第14研究室と15研究室の間にある廊下は西棟へ繋がっている。そこを通って西棟へ渡る予定だったが――
「早いな。もう塞がれたか」
西棟の方から、ぞくぞくと警備の
「上に逃げる?」
「正面から出て行くのは難しいだろうな。別のルートを使おう」
すぐさま昇降機に乗り込み、向かうのは地下4階。パネルやレバーの操作に手間取っている間も、レイリは迫りくる
ドドドドドッと、連続した発射音が空気を震わせる。先頭の
「レイリ、もういいぞ!」
引き金から手を放した直後、ドアが閉まり、昇降機がゆっくりと地下四階へ下降していく。
壁に凭れ、安堵の溜息をついたのと、ほぼ同時だっただろうか。また通信が入った。
『おーい。なんか警報鳴ってるんだけど、何したんだ?』
スピーカーから聞こえるリョウジの声は、どこか焦りながらも呆れているように聞こえた。
「研究員、仕留め損ねたんだ」
『珍しくドジだね、フラン君』
「機械じゃないからドジも踏むよ。でも、レイリはちゃんと連れ戻した」
寄り添い、そこに居るレイリが本物なのか。不安になって、確かめるように片手で抱き寄せた。少しだけ強く、でも優しく。
肩にかかっている猫っ毛の柔らかいプラチナブロンドに、そっと触れてみた。絡むことなく、指の間をサラサラと通り抜ける。たったそれだけのことで安堵している俺の、行動の意図が読めなかったのか。レイリは気恥ずかしそうに首を捻っていた。
『レイリが一緒なら、とりあえずは、よしとするか。逃げ切れそうか?』
「一つ予定が狂ったからな」
そうこう話しているうちに、昇降機は地下四階の倉庫へと到着した。
だだっ広い倉庫内に並んでいたのは、ローランド社が開発した
金属と人が溶けあったような風貌で、手足を巡る配線は、皮膚の下に隠れた筋肉の流れを連想させる。大きさはおそらく10メートル前後。奇妙で不気味なその人形が十数体、壁に凭れ、膝を折って座り、だらりとだらしなく
「3階の渡り廊下からそっちに行く予定だったけど、4階からそっちに――」
鳴り響く警戒音に急かされ、足早に、倉庫の半ばまで進んだ矢先、前方の昇降機から大量の
引き返そうと振り返れば、まるで見計らったように、乗ってきた昇降機の扉が閉ざされて、上の階へと昇っていってしまった。おまけに固定されていた一体のジガンテが起動。腹の辺りに操縦席があり、そこにヴィクトルが乗り込んでいるのが見えた。
「……リョウジ、倉庫まで来られるか?」
『どうした?』
「ちょっとマズイことになった」
用意していた銃と、ありったけの弾丸をトランクから出し、麻酔弾からニトロ弾へ入れ替えた。足元にカランッと落ちる弾の音で察したはずだ。
『――すぐに行く。それまで持つか?』
「持たせる」
通信を切ると同時に銃を構え、ヴィクトルが乗り込んだジガンテへ照準を合わせた。
『侵入者を捕えようと来て見れば、まさか君だったとは驚きだ。私は先日、取引がしたいと言ったはずだが?』
乗り込んでいるジガンテから、スピーカーを通してヴィクトルの声が響く。
「その気が無いから、ここに乗り込んで来たんだけど?」
『……手荒なことはしたくない。ここは大人しく帰って、設計図を手に入れてから戻ってきたらどうだ?』
もともと、話し合いで解決する気がないのは、俺も同じだ。
義足のダイヤルを回し、蒸気エンジンを起動。
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