第18話「取引と駆引き」
闇の底に落ちた意識が、フワリと浮上した。
ぼやけた視界に、暖かな陽の射す天井と、クルクルと回るプロペラが映り込んだ。もう一度瞬きをして、少しだけ視界が晴れた。ようやく、そのプロペラがシーリングファンだとわかった。
待て、俺は外にいたはずだ。ヒロコウジ通りで
闇と光と、子供達の笑い声、音楽と踊る
断片的な記憶が一瞬で頭の中を駆け巡る。そして、レイリが
「レイリ……レイリはっ!」
「目、覚めたか」
ようっと、顔を覗き込んだのはリョウジだった。見れば、足もとにコウとロロさんがいる。ようやく、自分がどこかの部屋のベッドで寝ていることや、首の付け根から脳天にかけて、ドクドクと脈打つ痛みが走っていることに気づいた。
「酷い顔をしていますね」
「……頭、スパナで殴られたみたいに、ズキズキする」
―― コンコンッ
2回ノック音がして、ドアが開いた。隙間からひょっこり顔を出したのは母さんだった。
半年ほど会わなかった間に、背中の辺りまであった長い黒髪をバッサリ切って、極端に短いベリーショートになっていた。そのせいで、一瞬、誰だかわからなかった。
「あら、起きてたのね。飲み物、持って来て正解だったわ」
手にしたトレイと、そこに乗せたカップを見せながら、母さんは足先で器用にドアを閉めた。そういう足癖の悪いところは相変わらずだ。
「ここ、母さんのアパートだったのか……」
「そうよ。今度来る時は、ちゃんと自分の足で歩いて来てほしいわね。皆さんは珈琲ね。はい、フランはお湯」
「いや、もうちょっと目が覚めるようなものがいいんだけど」
「熱出て、途中で倒れたんでしょ? 本調子じゃないんだから、これが一番」
文句を言うなと、カップを額にゴンッとぶつけられた。
熱? 一体、誰が熱を出したというのか。説明を求めてリョウジに目をやるが――
「そうだぞ~。ここまで運ぶの、大変だったんだからな」
わざとらしい演技をされた。ロロさんやコウにも視線を送るが、さらりと逸らされ、知らん顔をされてしまった。どうやら俺はここへ来る途中で風邪をひき、熱を出して運び込まれたことになっているらしい。
「熱の方はどうなの?」
「……とりあえず下がったよ。まだ頭ズキズキするけど」
「今日はゆっくり休みなさい。話は明日にでも聞かせてもらうから。それじゃ、私、原稿残ってるから部屋に
それだけ念を押して、母さんは部屋を出て行った。持ってくる物を持ってきて、言いたいことを言いたいだけ言って、嵐のように過ぎ去るところはさすがというべきか。
「いつの間に俺は風邪ひいたんだ?」
「一応、ここへ来るまでに話し合った結果だ」
「たまには、優しい嘘もつかないといけませんからね」
「お前さんだって、余計なことを話して心配させたくはないだろう?」
どっこいしょと、膝に手を当ててロロさんは立ち上がった。枕元までやってくると、コートのポケットから取り出したものを俺の手に握らせた。小さな針がついた弾丸と、一体の奇妙な人形だった。
「これは麻酔弾……」
「腹に刺さっとった。そっちの人形はお前さんの上着のポケットに入っとったよ」
「見つけた時にはレイリの姿はありませんし、フランは倒れていましたし。一体、何があったのですか?」
「俺も突然だったから……でも、この人形と同じ姿の
誰が何のために?
何か手がかりはないのか。俺は何気なく人形を裏返した。背中に怪しげな赤いボタンがあり、そのすぐ下に“目が覚めたら押せ”と書かれていた。
「押せ? おいフラン、押すのか?」
傍にいたリョウジは、おずおずと訊ねた。
目が覚めたら――そう書いているということは、俺が眠っていることを知っている者。レイリを連れ去った張本人だろう。あの
「まさかとは思いますが、それ押したとたんに、ドカンッ! なんてことはないですよね?」
「可能性はあるかもしれないな」
と、言いつつ、俺はボタンを押した。
一瞬、その場に緊張が走った。だが、爆発する気配はなかった。少し間を置いて、ペストマスクの奥にある目がパパパッと赤く点滅し、ツー、ツー、ツーと鳴り始める。これは通信を繋ぐ時の呼出音だ。
四回目の呼出音で、ガチャッと、通信が繋った。
『お目覚めですか、和泉殿』
その声には聴き覚えがあった。脳裏に浮かぶのは、図々しい言動の、あの男だ。
「ヴィクトル・ローランド!」
『ほぅ。憶えていてくれたとは嬉しいね』
「あの
『少々不本意ではあったがな。欲しいものを手に入れるために、やむを得ずだ』
「レイリは?」
『もちろん、私のもとにいるよ。君との取引に必要不可欠だからな』
「貴様! レイリに何かしたらただじゃ済まさんぞ!」
俺から人形を奪い取ったロロさんは、物凄い剣幕で人形に向かって叫んだ。
怒りに満ちる声は届いていたとしても、その表情までは届かない。内蔵されたスピーカーから、チリチリと何かが燃える音と、フウッと息を吐く音が聞こえる。おそらく煙草でも吸っているのだろう。見えなくとも掴めるヴィクトルの行動に、ロロさんはさらに怒り心頭だった。
『こっちでも色々調べさせてもらったよ。
「まだ諦めてなかったのか」
『私は我がままでね。欲しいと思ったものは、手に入るまで諦められない性質なんだ』
「それで?」
『設計図が見つかったら、あんたの弟ではなく私に渡せ。それと引き換えに彼女を返すというのはどうだろう?』
俺とリョウジはそれを黙って聞き、ロロさんは鬼のような形相で人形を凝視する。そのまま握り潰しそうで、コウが慌てて人形を取り上げた。
「……わかった。見つかったら、お前にくれてやる」
「ちょっと、いいのですか!?」
コウは語気を強め、俺の腕を力強く掴んだ。
俺にも考えがある――声に出しはしないが、コウに向けた視線に込めたつもりだ。おそらく、コウもそれは感じ取ってくれたらしい。思い止まるよう、俺を掴んだ手が緩み、スルリと離れて行った。
『なんだ、案外物わかりがいいな』
「リズに渡そうとお前に渡そうと、大して変わらない。そんな物より、レイリの方が大切だからな。見つかり次第、すぐに届けてやる。どこへ持って行けばいい?」
『首都から50キロほど南下した場所に、私の研究所がある。その人形に位置情報を記録してあるから、辿って来るといい。では、楽しみしているよ』
プツリと音が切れ、人形の目から光が消えた。
ヴィクトルとの通信が切れたとたん、ロロさんはコウから人形を奪い取り、腕を高く掲げて――叩きつけたい思いをグッと堪え、そのまま椅子に座り込んだ。
「フラン、本当に持っていくつもりなのですか?」
その問いに答えず、俺はリョウジの手からカップを奪い取り、珈琲を一気に飲み干した。
「あぁ~、俺の珈琲がぁ……」
「リョウジ、煙草持ってんだろ。よこせ」
「えっ!? いや、汽車酔い紛らわすのに、全部吸っちまって……」
「俺が知らないとでも思ってるのか。出せっ」
リョウジは大事な物を上着の左内ポケットに入れる癖がある。
制止を振り切ってポケットを探ると、車内販売で買った紙煙草の袋をみつけた。一本だけ残っているそれに火を点け、
脈拍は落ち着いてきたが、腹から湧き上がる苛立ちはそう簡単にはおさまりそうもない。
「あぁ……最後の一本が……」
「フランって、普段から煙草吸っていましたっけ?」
「イライラすると吸うんだよ、フランは……」
「そんな珍しい事もあるのか?」
「滅多なことが無い限り見せないけどな。真っ直ぐなフラン君は、ヴィクトルみたいな
今日はその滅多なことに当った上に、あの男がさらに嫌いになった。いや、目障りだ。強引に進めれば何でもまかり通ると思っていやがる。実に気に食わない。
「リョウジ、
「ん? 色々あるぞ~」
一際大きなトランクをベッドに上げ、得意気に開けた。
荷物とは名ばかりで、リョウジのトランクには衣服よりも
「フランよ、何をするつもりなんだ?」
「レイリを迎えに行くんですよ。明日の早朝までに準備を整えます」
答えたとたん、ロロさんは俺を物凄い勢いで抱き寄せ、背中をバシバシ叩いた。そうかと思えば上着を脱ぎ、シャツ1枚になって腕捲り。二の腕の筋肉を揉み解し始めたのを見て、誰もが身構えた。
「コウ、ちょっと付き合え!」
「えっ、嫌ですよっ。私、これからお肌の手入れをしないと!」
「少し鍛えておかんと、朝までに調子が出ないだろう。ほら、行くぞ!」
嫌がるコウを引きずり、ロロさんは部屋を出て行った。
ロロさんがシャツ一枚で筋肉を揉み解す時は、鈍った筋肉の調子を整えるために、体術の訓練に付き合わされるはめになる。餌食になったのがコウで、内心ホッとした。
「何だか、面白くなりそうだねぇ」
一拍置いて、リョウジはニッと笑った。
「設計図、あいつに渡さないんだな」
「あんな馬鹿に渡すわけないだろ。応えてやる必要なんてないよ」
口の端で煙草を噛み、少し開けた隙間から、深く、長めの息を吐いた。
白い煙が真っ直ぐに、そしてユラユラと立ち昇って、シーリングファンのプロペラが掻き消していく。俺はそれを、ぼんやりと見上げていた。
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