第17話「髑髏の罠」

「フラン、ありましたよ!」


 探し始めて2時間――室内にコウの声が響き渡った。

 俺は手にしていた本を書架に戻し、コウのもとへ走った。丁度、入口から見て部屋の左奥、壁の隅の書架にコウが立っている。

 俺とレイリがかけつけて間もなく、リョウジとロロさんも遅れてやってきた。


「コウ、見つかったって本当!?」

「本物かどうかはわかりませんけどね。フラン、これ、写真と同じですよね?」


 差し出されたその本は、革製の表紙に、金の文字で「美しき鉱物図鑑」とタイトルがある。表紙の中央には、楕円だえんの大きな赤い鉱石が埋め込まれている。父さんが持っていた本と、ほぼ一緒だ。


「間違いない?」

「見たところはな」

 

 問題は中身だ。父さんがこれを開いて、何を見ていたのか。

 期待と不安を織り交ぜながら、写真と同じように開いてみた――だが、鉱物図鑑とは名ばかりで、そこには何も書かれていなかった。ただただ、真っ白なページがどこまでも続いているだけだった。


「フラン、どうなっておるんだ?」


 ロロさんはページの端を摘まみ、パラパラと捲って「うーん」と訝しげに唸った。


「この中に何か書かれているのではなかったのか?」

「いや、俺にもさっぱり……」


 どこまで開いても、真っ白なページが続く。やはり何も書かれていない。

 父さんが写真で見ていたのは、確かにこの本だった。ひょっとすると、開くのではなく何か別の意味があるのだろうか。

 期待外れの結果にがっかりしながら、本を閉じた、その時――表紙に埋め込まれた鉱石がクルッと反転。大きな赤い眼がギョロリと現れ、俺達をなめずるように見回した。俺とコウとロロさんが反射的に固まる中、レイリとリョウジは興味津々で目が釘づけ。


「おっ!」

「可愛いっ!」


 レイリが手を伸ばした瞬間、本は俺の手から素早く飛び上がった。表紙は瞬く間に翅の形へ変形し、キキッと奇妙な音を立てながら飛んでいく。

 向かった先は天井だった。中央の辺りに不自然な四角い窪みがある。本はまっすぐにそこへ行くと、ぴったりとはまってしまった。


「何です? これで終わりですか?」

「……さぁ?」


 首を傾げた矢先、ゴゴゴゴゴッと、地を這うような音が微かに響き始める。それが次第に大きくなり、ドゴンッと一際大きな音を鳴らし、突然、周囲の書架が動きだした。

 書架はグルグル回転し、まるでパズルのように、一つになり、はたまた分解され、再び結合しながらこっちへ迫ってきた。

 隅にいたせいで逃げ場を失い、あっという間に、書架の壁に閉じ込められてしまった。

 何が起こっているのか状況が掴めないまま、あたふたしていたその時。今度は天井中央が2つに割れ、そこから巨大な機械の手がニュッと現れた。

 廃材やら金属の欠片が集まって固まったような、なんとも不細工な腕が真っ直ぐに、俺達に狙いを定めて迫ってきた。


「な、なんですかっ!」

「いやぁぁぁぁっ!」


 コウとレイリの叫びも空しく、なす術なく巨大な機械の手に捕まり、天井の穴へと引きずり込まれた。

 もしかしたら、これは侵入者を排除するための、父さんが仕掛けた罠なのか。仮にそうだとすれば、仄暗い、地下牢にでも放り込まれたか。嫌な想像ばかりが脳裏に浮かぶ中で、拘束されていた体が緩んだことに気づいて、恐る恐る目を開けた。

 広がっていたのは、どこかの部屋だった。さっきまでいた書斎よりも狭く、広さは3分の1程度。西日が射し込む暖かな部屋だ。


「もしかして……隠し部屋?」


 ぽつりと、何気なくその言葉が口をついて出た。おそらく、ここは父さんの隠し部屋だ。


「へ、部屋、ですか……?」

「もうっ! 普通に入る方法作ってよ!」


 レイリは力なく俺に掴まり、コウは額に手を当てながら呆れていた。


「フラン、あなたのお父様は悪趣味です。いや、違いますね。子供です」

「俺もそう思うよ。父さん、昔からこういう仕掛けを造るのが好きなんだけど、ちょっとやり過ぎかな」


 その部屋には、研究途中だった義手や義足の設計図、試作品が所狭しと置かれている。さっきまでいた書斎に比べて妙に生活感がある。ベッドや洗面所、シャワールームが完備されているのも理由の一つかもしれないが、おそらくは匂い。

 オイルに混じった陽向の匂い。この邸に入った時に感じた寂しさとは違い、この部屋には気配がある。ここに父さんがいたという痕跡だ。それを辿るように、窓際に置かれた机へ歩み寄った。

 カップを置いたようなシミがいくつもあって、茶色の渋の輪が重なり合って模様を造っている。それから、大中小、様々な写真立てが並んでいて、それらの多くが俺と母さんの写真だ。


「こんな写真、リズや奥さんの前では見られないよな」


 だからこの部屋を作ったのかもしれない。

 むずがゆい嬉しさの反面、リズに対しての罪悪感のようなものもある。一緒に暮らした時間は短いのに、独占してしまったような複雑さだ。だが、心配には及ばなかった。俺や母さんの写真の中に、リズの写真と、俺の写真が並べて置いてあるのを見つけた。何だか、それに救われた気がする。


「少し強引ではあったが、お目当てのものは見つかりそうだぞ」


 ロロさんに肩を叩かれ、振り返った。視線の先には書架がある。写真と同じ鉄製の、あの書架だ。ここの書架に並べられた本は、下の書斎とは打って変わって、分類別に分けられ、著者名順にきっちり並べられている。


「この順でいけば、あの本はRの……」


 本の著者は「R.J.アルマンダイン」。

 五つ並んだ書架の前から4列目、上から2段目に、写真と同じ鉱物図鑑がもう1冊見つかった。今度こそ……その思いで、一気に表紙を開いた。それは本の形をした箱で、中に伝書盤エピストラが1つ、保管されていた。


「また伝書盤エピストラか」

「本当、フランのお父様は回りくどいことが好きですね」

「最初から、これを弁護士の早瀬さんに渡しておいてくれると手間が省けるんだけどな」


 困らせたいのか、楽しませたいのか。それとも両方だろうか。真意はどうであろうと、簡単に渡したくないのは確かだろう。


「さて。何が保存されているのか、拝見といこうか」


 期待半分、諦め半分で、通信機アステリにそろりと差し込んだ。肝心の伝書盤エピストラに保存されていたのは、またしても簡潔な、それでいて本筋には決して触れない映像とメッセージだった。


 弁護士の早瀬が伝書盤エピストラと一緒に持ってきた機械人形オートマタの蛾【アルテミス】が羽ばたいて飛ぶ映像と、それに添えられた1行のメッセージ。


「“待てば海路の日和あり”?」

「焦らずに待てば幸運もそのうちやってくる、というあれか」

「それと、この機械人形オートマタがどう関係があるって言うの?」


 レイリとロロさんが顔を見合わせた。

 羽ばたいているということは、おそらく起動しろという意味だろう。持参していたアルテミスをひっくり返したり、上から見たり、下から覗いたり。あらゆる角度から調べ、ようやく胸の辺りに小さな歯車型のボタンがあるのを見つけて、それを爪の先で押してみた。


 パパパッと、眼が青く光り、標本のように動かなかったアルテミスが、その大きな翅を羽ばたかせて飛び立った。

 確かめるようにヒラヒラと。探すようにフラフラと。俺の頭上をしばらく旋回していたが、急に窓へと飛んでいく。かけられた鍵と、閉められた窓を自ら開け、開いた隙間から外へ飛んで行ってしまった。


「……それで?」


 出て行ったアルテミスを指差し、コウが俺に訊ねた。怪訝けげんな眼差しを向けられたところで、あれがどういう意味なのか、答えられるわけがない。


「多分“待て”ってことだろ?」

「どうしてこう、回りくどいのですが、あなたのお父様はっ!」

「苦労して手に入れた方が喜びも一入ってヤツだな」


 リョウジがおかしそうに、ククッと喉を鳴らした。


「確か、フランが15の時だったかな。誕生日に同じようなことがあってな」

「あぁ、そういえば……」


 思い出した。久遠さんから情報屋としての仕事を少しずつ任されるようになって、まとまった金が入るようになった頃。蒸気二輪車が欲しいから金を貯めていると父さんに話した矢先、誕生日の半年前にプレゼントを送りつけてきた。だが開いてみれば、入っていたのはバラバラになったパーツだった。要するに、半年かけて組み上げて、誕生日当日に二輪車完成という仕組みだった。あれほど面倒なものはなかった。 


「まさか、これも半年以上かけて探せってことですか?」


 誕生日の話を聞き、コウはあからさまに嫌な顔をした。


「さすがにそこまで時間はかけないと思うけど」

「だが、それに近いものはあるかもしれないな~」


 真意はどこにあるのか。単なる遊び心なのか、リズの手に渡らないよう時間を稼いでるのか。

 父さんが何を仕掛け、どこまで遠回りをさせようとしているのか、それはわからない。だが、想像するだけで体に疲労が溜まったような気がして、思わず右肩を揉み解していた。


「次の手がかりが無い以上、あの機械人形オートマタを待つしかないな」

「それでは、さっさと帰りましょう。長居は無用です」

「でも、どうやって?」


 レイリが部屋を見回した。

 この部屋には出入り口がない。3階建てであることを考えると、さすがに窓から出るわけではなさそうだ。

 その時、ふと視線を感じて、手元に視線を落とした。鉱物図鑑の表紙に埋め込まれた赤い鉱石の装飾が、いつの間にかあの目玉に変わって俺を見上げていた。それで察しがついた。


「またお前か」


 俺の言葉に反応したのか、頷くように何度か瞬きをした。再び、その表紙をはねに変え、床にある四角い窪みに自ら飛び込んだ。とたんに床が変形し、あの機械の手が、ニョッと花が咲くみたいに現れた。


「なるほど。帰る時もアレに乗れというわけだな」

「ですね」


 引きずり込まれた時と同じように、機械の手に捕まって、隠し部屋から書斎へ戻った。

 それから、部屋の外に待機していた秘書のレリオにそれまでの経緯を話し、その日は邸を後にした。向かう先は母さんのアパートだ。

 ホロカを発つ前日、またもや研究で行き詰った母さんが気分転換にと連絡をしてきたついでに、首都へ行くことを話した。

 嫌な予感はしていたが、案の定「うちに泊まって行きなさいよ」と提案してきた。人数も多いから最初は断ったが、レイリとリョウジを味方に丸め込まれた。結局、五人で押しかけることになった。

 思い返してみれば、母さんのアパートへ行くのは初めてだ。以前住んでいた家は、15年前に引き払った。俺がホロカに引っ越した後も、頻繁に記者が訪ねてきて生活できなくなって、今のアパートに移ったらしい。

 3階層から、母さんの住むアパートがある15階層まで、レリオに車で送ってもらった。


 降りたのは、その階層の東にあるヒロコウジ通り。たまたま今日は【死者の祭り】の前夜祭で、通りには出店や屋台が並び、骸骨の面や衣装をまとった機械人形オートマタが練り歩き、音楽に合わせて踊っている。

 見物している者達の大半が仮装をしていて、どこを見ても骸骨がいこつばかり。顔を白く塗って骸骨のペイントをしていたり、着ぐるみのようなものを着ている子供達があちこちにいた。


「ねぇ、フラン。お母様のところに行く前に、少し見て行きたいな」

「駄目って言っても行くんだろ?」

「わかってるじゃない」


 腕を引かれ、通りの中心へと早足で駆けていく。大人達を掻き分けて、その横を我先にと走って行く子供達。その先に、1体の機械人形オートマタが立っていた。

 トップ・ハット、骸骨の顔をしたペストマスク、足元まですっぽり体を覆ったロング・コートの出で立ちの、少しだけ怪しげで、絵本の中から飛び出してきた魔術師のようだ。

 怖がる様子もなく、子供達はその機械人形オートマタに群がり、無邪気にはしゃいで手を差し出している。どうやら、お目当ては機械人形オートマタが持っている籠のお菓子らしい。

 菓子を配り終えると、その機械人形オートマタはこちらへやってきて、レイリにも籠を差し出した。


「私に?」

「せっかくだし、貰ったら?」

「もう子供じゃないんだけどなぁ」


 そう言いつつも、レイリは嬉しそうだった。かごを覗き込み、どれにしようかと吟味する。

 だが、その手がぴたりと止まり、レイリはゆっくりと、機械人形オートマタの腕の中に倒れ込んだ。

 人形はそのままレイリを抱き寄せ、コートの中にすっぽり覆い隠してしまう。一瞬、何が起こったのかわからなかった。


「おいっ、何やって――」


 ドシュッと、聞き覚えのある音が耳に届いた。

 腹に鈍い痛みが走り、視界がグニャリと歪む。機械人形オートマタが羽織ったコートの隙間から、黒い銃口が覗いているのが微かに見えた。

 撃たれた――そう思うよりも早く、意識が遠退いて行く。

 賑やかな音楽が耳の奥で反響する。

 景色が反転し、波打ち、ぼやけていく。

 体が、鉛のように重い。


 ……………レイリ

 …………

 ………

 ……

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