第16話「父の言葉を追って」
渇いた荒野を半日走った寝台特急ディアマンテは、ヒノモト国最大の都市【首都シュオル】へと到着した。
同じ階層型都市ではあるが、地下に建設されたホロカとは逆に、この首都シュオルは地上から空へ向かって建設されている。円錐状に、上から1階層、2階層と続く。
皇帝の住む城と、その家臣達の邸、研究所や学校などで構成された【天上区】
民が暮らす【居住区】
機械製造などの工場や工房から、肉屋やパン屋などの店が軒を連ねる【商業区】
野菜や果物を栽培する畑や、家畜などを飼育するための【農業区】
この大きな4つのセクターが集まり、首都シュオルを形成している。
駅は【商業区】最下層の50階層にあって、東西南北に玄関口となる主要駅が4つある。俺達が降り立ったのは、その中の1つ、南シュオル駅。ヒノモト国を代表するターミナル駅の1つで、40のプラットホームがあり、毎日300万人以上が行き来する。
駅舎は時計塔の様に高く空へ聳え建ち、上空には【天穹駅】と呼ばれる飛行船専用の発着駅があって、無数の飛行船が飛び交っている。この光景が見られるのはここだけだ。
「見てください、レイリ。あの子、とても美しいですね。声かけてみしょうか」
「えっ! 汽車の中でも別の子に声かけてたでしょ? あの子とデートするって約束はどうするつもりなの?」
「誰が1人に絞るなんて言いました? ホロカのような技術者だらけの街と違って、首都は華やかでいいですね」
久々の首都とあって、コウとレイリはいつになく騒がしい。常に元気な2人とは逆に、リョウジは顔色が最悪だ。乗り物に弱いリョウジは、長旅ですっかり酔っていた。
「まだ……体が揺れてる……」
ようやく声を絞り出したかと思えば、何本目になるかわからない紙煙草を吸い始めた。それで少しは気分が晴れるのか、気休めなのか。
いつもは愛用の煙管で吸っているリョウジだが、今回の乗り物酔いのせいで、予備で持ってきていた刻み煙草があっという間に底をついた。やむを得なく、車内販売で売っていた高価な紙煙草を買っていたのだが――
「リョウジ、吸い過ぎだ。昨日から何箱買ったと思ってる?」
「確か、10箱?」
「15箱だ」
「気持ち悪いなら、これでも食っとけ」
ロロさんが素早く煙草を取り上げ、代わりに車内販売で買ったミントの棒つきキャンディーを口に突っ込んだ。最初は驚いていたが、その爽やかさが思いのほか良かったらしく、満更でもない顔をした。
「おっ、いい感じ。だが、この賑やかさは頭に響くなぁ」
「この活気はホロカにはないからのう。それにしても、首都に来るのは十数年振りだ」
「俺もですよ」
俺達がなぜ首都へやってきたのか。それは、いつもの穏やかな日常を取り戻すため。記者が張り込むことも、金を積まれて心臓をよこせと迫られることもない、いつもの日常だ。その全てを元に戻すためには、どうしても会って話をつけなければならない人物がいる。
「和泉フラン様でございますね?」
不意に、背後から声をかけられた。振り返った先にいたのは、褐色の肌に、白い口髭を生やした老紳士。歳は70を越えているだろうか。少し小柄で、ほっそりとしている。
目が合うと、彼はかぶっていたハットを取り、深々と頭を下げた。かけていたモノクルの鎖が、頬の横でユラリと揺れた。
「リズの秘書さんですね?」
「レリオと申します。ヴァンフィールド家の自家用飛行船を用意しておりますので、天穹駅までご案内いたします」
「げっ。今度は飛行船かよ……」
乗り物酔いが完全に治りきっていないリョウジは、勘弁してくれと、ロロさんにしがみついた。そんな事情など知らないレリオは、終始無愛想なまま。リョウジを気にかける様子もなく、淡々と俺達を案内した。
天穹駅のプライベート・プラットホームに停泊していた飛行船に乗り込み、南シュオル駅から、居住区の3階層にあるヴァンフィールド邸へ一飛び――。
見えてきたのは、まるで巨大温室のようなガラス張りのドームに守られた邸。さながら、玩具のスノードームみたいだった。
門を潜り、そこへ踏み入れて感じたのは不気味さだ。番犬も、植木の剪定も、庭掃除も、全て
「こちらになります」
邸に着くまで一言も話さなかったレリオが、ようやく口を開き、玄関を入ってすぐ左手にあった客間へ案内した。
「リズ様、お連れしました」
ココンッと、リズムよくノックし、レリオは静かにドアを開けた。
黒と黄銅を基調とした、どこか怪しさが漂う部屋で、壁には配管やら歯車をモチーフにした装飾品や照明がある。客間としてはあまり相応しくない内装だった。
中央には長い黒革のソファが向かい合わせに置いてあり、そこにリズが座っていた。彼の正面に俺が座り、右隣にレイリとロロさん、左隣にコウとリョウジが座った。
「そっちから会いに来るとは思わなかったよ」
予想外だと言わんばかりだが、こっちに向けたのはしたり顔。〝僕の嫌がらせが堪えた〟とでも思っているに違いない。残念だが、俺がその程度で堪えるわけがない。
「やっと渡す気になったのか。設計図、さっさと出しなよ」
「前にも言ったけど、設計図は持っていない。仮に持っていたとしたら、お前が来た時に渡してるよ」
とたんに、リズはムッとして目を細めた。
「そんな嘘、誰が信用すると思ってるんだよ」
「どう判断するかは勝手だ。俺の手元にないことは嘘じゃない。だが、どこにあるのか見つけることはできるかもしれない」
弁護士のジーノが持ってきた、あの
「これが何だっていうんだよ」
「説明は後だ。とりあず、その
どうして僕が命令されなきゃならないんだ。そんな文句が聞こえそうな顔をして、リズは面倒そうに
テーブルに投映した記録を、最初こそふてぶてしく眺めていたリズも、意味深な父さんの手紙と写真を目にして顔色が変わった。何かある、そう気づくのに時間はかからなかった。
「弁護士が俺を訪ねてきて、それを置いていった。父さんが俺に残したものらしい。断定はできないが、その写真は
「っ! どうして父さんは、あんたなんかにっ。僕には何も……」
唇がうっすらと白くなるくらい、リズは強く噛みしめていた。
自分で「お前を可愛がっていた」と、店に来た時に言っていた。それなりに割り切っているものだと思っていたが、その割には悔しそうにしている。口では言えても、心は別ということか。何だか、俺が悪者みたいな気分になってくる。
「取引をしないか」
「取引?」
「俺がここへ来たのは、
「……目的は、それだけなのか?」
「今後一切、俺達に余計な干渉さえしなければ、それでいい。悪くない話だろ?」
まだ信用できないらしく、傍にいるレリオと顔を見合わせている。
どう思おうが勝手だ。今、共に暮らしている皆と1分1秒でも長く過ごすことができればそれでいい。のんびりとアンナ婆ちゃんと世間話をして、紅茶を飲みながら本の修理をする。
こんな話をしたところで、金にしか興味のないリズには到底理解できないことだろう。
「あっ、そうだ。できれば、もう一つ」
俺は胸に手を当てて、指の腹で軽く叩いた。
「これの定期的な点検と整備をしてもらえると助かる。父さんが死んでから、正式な点検もしてないんだ」
「点検くらい、自分でやったらいいだろ。お前、そのくらいできるだろ」
と、リズはリョウジを睨みつけた。自分に矛先が向けられると思っていなかったらしく、リョウジは面倒そうにニヤリとした。
「父さんから色々教わってるの、僕が知らないとでも思ったのか?」
「おや、よく覚えておいででしたね~、坊ちゃん」
俺がヴィクトルを生理的に受けつけないのと同様に、リズはリョウジが受けつけないらしい。リョウジが口を開くたびに、リズが苦々しい顔をしている。
もともと、リョウジは父さんの護衛をしていた。定期的に俺や母さんに会いに来ていたとはいえ、俺より長く、父さんを傍で見ていたのはリズの方だ。リョウジの存在を先に知っていただろうし、その行動も幼いながらに見ていたはずだ。
「確かに、おやっさんには色々教えてもらったよ。だが、教わったのは基本的な点検の方法だけ。もし不具合が生じても、それを直せるだけの技術は教わってないんだよ」
「そういうことだから、条件、呑んでくれると助かるよ」
「……それって、僕に選択の余地なんてないじゃないか」
しばらく俺を睨みつけて押し黙っていたが、大きくため息をついて窓へ視線を流した。
「あんたの条件、呑んでやる。その代わり、必ず設計図は見つけ出してもらうからな」
「そのつもりだよ」
「それで? あんたは設計図がどこにあるか、見当ついてるわけ?」
「父さんの手紙とあの写真一枚だけじゃ、調べようにも情報が少な過ぎる。ただ、あの写真の書架と、父さんが手にした本がホロカの別邸にないことは確認済みだ」
ここへ来る前、念のために店中の書架を調べていた。店内に置かれている書架は全て木製で、写真に写っている古い鉄のような、金属製のものとはまるで違っていた。意味があるとすれば、父さんが手にしている鉱物図鑑だ。
極端に情報量の少ない手紙と、何に使うのかわからない蛾の
その本も店内を探してみたが、やはり店の書架からは同じ本は見つからなかった。
「可能性があるとすれば、この邸にある父さんの書斎だと思うんだ。リズ、あの書架と本に見覚えはないか?」
「……正直、父さんが集めていた紙の本になんて興味なかったからね」
大きめの溜息をつきながら、リズはゆっくりと立ち上がった。
「多分、僕が見たってわからないものばかりだし。自分の目で見て探したら?」
ついてこいと顎でしゃくり、リズは先に部屋を出ていった。
客間を離れ、玄関ホールにある階段で3階へ上がった。案内されたそこは、父さんが使っていたという書斎だった――いや、むしろ図書館というべきか。客間やリビングという部屋のくくりがなく、3階が丸々書斎になっていた。
壁一面が書架で、どこを見ても書架ばかり。部屋の中心に、硝子で造られた巨大な天球儀が鎮座している。研究室も兼ねていたらしく、造りかけの
「ほぅ、こりゃあ凄い」
「さすがおやっさん!」
「フランのお父さん、ここにも本を置いていたのね」
「この様子だと、他にも隠し持っていそうですね」
レイリとコウは、驚嘆しながら書斎をぐるりと見回した。店の所蔵ほどではないが、この書斎にある本もそれに匹敵する量がある。
「好きなだけ調べていいよ。まぁ、何も出てこないと思うけどね」
と、リズは嫌みっぽく言った。これにはさすがのレイリも黙っていられなかったようだ。
「調べてもいないうちから、ないって言い切らない方がいいと思うわ」
「僕が何も調べてないわけなけないだろ」
「
手にした瞬間は本だと思ったが、開いてみれば、それは日記だった。
あるページには「設計図は五十嵐マサヒロに預けた」、「遠縁にあたるシェリー・エレミアに預けた」と、預けた相手が複数出てくるページもあれば、何桁もの数字の羅列がびっしりと書いてあるページがあったり。意味深な内容があちこちに散りばめられていた。
「あそこに置いてあるのは、全部?」
「そう。まだ確認できてないものもあるけど、ほとんどが偽物だった。父さんはそこまでして渡したくなかったんだろうね」
そう口にして、悔しげに顔を
本当なら父さんに直接言いたいのだろうが、その父さんもこの世にはいない。やり場のない怒りをどうしていいのか、リズ本人もわからないのかもしれない。
「どれが本当で、どれが嘘なのかわからない。あんたは弁護士が持ってきた物を信じてるけど、それだって偽物かもしれない」
「その逆もしかり、だろ?」
まるで警戒心の強い猫みたいに、リズはジッと、瞬きもせずに見据えてくる。
文句があるのか、それとも、どうせ見つかりはしないと馬鹿にしているのか。何も言い返さないまま、ふっと視線を逸らして、入り口の方へ歩いて行った。
「レリオを外に待機させておくよ。何か見つかったら、レリオに言って」
相変わらず生意気で、冷たい声色で捨て吐いて部屋を出ていった。少し強めに閉められたドアの音が、だだっ広い部屋に響いた。
「さて。何から始める?」
リズがいなくなって早々に切り出したのは、案の定リョウジだった。俺より先に行動を起こすことは、この部屋に入った時からわかっていた。予想通りだ。
「ロロさん。リョウジと一緒に、あの机周辺と
「構わんが、なぜあの場所限定なんだ?」
「リョウジの浮かれ様を見ればわかります。あの辺に置いてある
顔を見なくてもわかる。父さんが造りかけた
「リョウジ、ロロさんと一緒に
「おっし! おっさん、頑張っちゃうよ~」
意気揚々と机の上の山に挑むのは姿だけ。日記を手にしながら、目が
とりあえず、そっちの確認作業は2人に任せることにして、俺達は今一度、父さんが残した
「意味があるとすれば、この本しかないと思うんだ」
「読んでいるのは、鉱物図鑑だね」
「本はいいとして……この書架自体、ここにある物とは違いますよね」
コウは床に投映した写真と、室内の書架を見比べながら首を捻った。
書斎に並んでいる書架は、コンバラリアにある物と、材質もデザインも全て同じの木製の書架。後は壁に埋め込まれている書架ばかりで、写真の構図からして違っていた。
「とにかく探そう。俺は中央の書架を調べるよ」
「じゃあ、私は壁の書架の右側から始めるね」
「私は左側からですね」
分野ごとに分類され、タイトル順、あるいは著者名順に並んでいるかと思ったが、そこに並べられた本は全てバラバラ。規則性もなく、ただ雑然と、しまい忘れた本を適当に戻したかのように並べられただけ。そんな印象だった。
きっちりした父さんの性格からしても、この並びには疑問を覚えた。コンバラリアにあるあの本だって、俺が邸に初めて訪れた時には、すでに分野ごとに分類され、著者の名前順に並べられている状態だった。
この並びにも、何か意味があるんだろうか。
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