第15話「平穏と野心」
「フラン、お願い。もう少しだけ見せて」
点検が終わって着替えようとする俺を、レイリは止めに入った。シャツのボタンを閉めようとすれば、手を払い退けられ、閉めたそばから外された。
「また今度な」
「そう言って、いつも見せてくれないじゃないっ」
「レイリ。そんな台詞、俺の前だけにしろよ。男の裸見たいってねだってる姿、ロロさんが見たら卒倒しかねないからな」
唇が軽く触れる程度のキスをされた。何かお預けを食らうと、我慢するための対価として仕掛けてくる。面喰っている俺と、それを前に得意げになっているレイリの視線がしばらくかち合う。
「おいおい。俺がいる目の前でやってくれるなよ……」
溜息混じりにリョウジが割り込んだ。この瞬間まで、リョウジがいることをすっかり忘れていた。いや、一時的に存在が飛んでいたと言った方が正しい。
「どう見ても、今のは不可抗力だ。ほら、手が塞がって油断してたし」
「いや、確実に避けられたはずだ! 彼女がいない俺へのあてつけだろ」
「あれ? 花屋のエレナさんと付き合い始めたって、この間言ってなかった?」
レイリに問われ、リョウジはあからさまにマズイという顔をした。少し前にようやく口説き落としたと浮かれていたのに、あれはどうなったのか。どうやら、勢いに任せたばかりに、うっかり墓穴を掘ったようだ。
「あっ、ここにいたんですね」
そこへ、コウとロロさんがやってきた。
屋上の家庭菜園で収穫をしていたらしく、首に手ぬぐいを巻き、作業用のエプロンをつけた出で立ちで入ってきた。
「見てください。キイチゴ、こんなにたくさん採れたんですよ」
「いい色だね。それにいい匂い」
「はい、レイリにもお裾分けです」
と、レイリの口に一粒放り込む。数回
「ほらリョウジ。ぼさっとしてないで、私とレイリにデザートでも作りなさい」
「あのねぇ、コウさんよ。〝作ってください〟とは言えないのかい?」
呆れるリョウジの声に重なって、キキッと軋む機械音がした。音の出所は、机の上に座っている猫型の
「フラン。あれ、まだ見てないのか?」
「見なくても、外の様子はだいたい想像できるからな。何か気になることでもあるのか?」
「さっき、昼メシの準備しに店に行ったら、外がやけに騒がしかったっていうか。言い争ってるみたいだったから、気にはなってたんだ」
「記者連中が言い争ってるっていうのか? 何が理由で?」
「さぁな。あいつらの考えてることなんて、俺らにはわからねぇよ」
このまま何も聞かなかったことにして、ほとぼりが冷めるまで立てこもることはできる。ただ、言い争っていたというのが気になる。
店先に集まっているだけでも邪魔で迷惑だというのに、言い争っていたとなると、通りを往来する住民や、隣の工房や店にも影響が及ぶはずだ。それだけはさすがに無視するわけにはいかない。
「仕方ない……ちょっと確認してみるか」
ジジジッ、カチカチとダイヤルが回って、内蔵された映写機能が起動。レンズになっている猫の目から光が真っ直ぐに放たれ、記録した映像が壁に投映された。
映像は少し斜め上から映されていた。店全体が把握できるところを見ると、どうやら
店先には予想以上の人だかりができていた。おそらく20近くか。リョウジが言っていた通り、集まった連中は何やら揉めている様子だった。中には胸倉を掴み合っている者たちまでいた。あまりにも騒がしく、声と声が重なっているせいで、何を話しているのかさえ聞き取れないほどだ。
「あっ。こいつ」
映像を見ていたリョウジが壁を指差した。
「この口髭の男。蒸気二輪車造ってるダンドン社の社長だな」
「こっちのモノクルかけてる男の人。アスタリーテ家に出入りしているリテル社の社長だね。ほら、銃器製造でB&R社と1、2を争ってる、あの会社」
「記事のせいで、技術者や企業家連中まで呼び寄せることになろうとはな」
「この状態のままにしておくのは面倒です。止むを得ませんが、少し話してきます」
「また1人で行くのですか?」
コウがいつになく心配そうな目で俺を見た。いつもならコルセットの中に忍ばせた銃を取り出して「私が追い払ってきます」と、冗談なのか本気なのかわからないことを言うのに。今日はやけにまともなことを言うから、肩すかしを食らった気分だ。
「5人揃って出て行ったら、それこそ何を書かれるかわからない。とりあえず俺一人で対応する。皆は何かあった時のために、店で待機していてくれ」
軽く身支度を整え、俺達は1階の店へと下りた。
ホールに入ったとたん、罵り合い、怒鳴る無数の声が店内にまで届いていた。他人の店先でこうも堂々と争えるなんて、本当にどうかしている。
このドアの向こうにいる連中にどう対応すべきか。呆れと怒りを抱えて、外で響く怒鳴り声に負けないくらいの勢いでドアを蹴り開けた。
まさか出てくるとは思わなかったのか。それとも、ドアが開いた音に驚いただけなのか。俺を見つめる記者や企業家達の目が、大袈裟なくらいに丸く見開かれている様子は見ものだった。
「店主の和泉フランと申します。申し訳ないのですが、店先で騒ぐのはご遠慮願います。他の方々の迷惑にもなりますので。ご用件がおありでしたら、このままお伺いします」
そう切り出したとたん――
「リテル社のエレネ・リテルだ!
「ダンドン社です! 是非、我が社と話をっ」
「ダンドン社だ? この間、新しい二輪車の蒸気エンジンで不具合出したばかりじゃねぇか!」
方々から、企業家や技術者達が一斉に口を開く。罵り合い、瞬く間に、声と声が重なって騒音と化した。
そこへ、1発の銃声が響いた。俺はもちろん、玄関先で掴み合っていた技術者や記者達も、突然の音に驚き、その場の時間が一瞬にして凍りついた。
「まったく、ぎゃあぎゃあと騒がしい。どけ、邪魔だ」
記者達を掻き分け、俺の前に1人の男がやってきた。
白髪混じりのオールバック。白いフロック・コートを羽織り、手には拳大の琥珀を柄にあしらった蝙蝠傘。俺は他とは違う、偉いんだと見せつけるような、その表情と態度が癇に障った。この胡散臭い男、知っている。
ヴィクトル・ローランド――大型旅客飛行船ローランド社の社長だ。
国内最大の飛行船製造会社で、国中を飛んでいる飛行船の大半が、このローランド社製と言われている。最近は鉱山での採掘や都市建設用の大型
「さて、和泉殿。折り入って相談がある」
「申し訳ありません。どなた様であろうと、記事の件だとおっしゃるようならお断りします。どうぞお引き取りを」
「まぁ、そう固いこと言わずに」
「それから、もう一つ。顔が近過ぎます、離れてください」
「ん? いやいや、これは失敬」
嫌味を言ったつもりだったが、遠回しな言い方は通用しないらしい。ムッとするわけでも、声を荒げるわけでもなく、ヴィクトルは気に留める様子もない。ガハハッと下品な声で笑い飛ばして一歩離れた。
人間には相性というものがある。どうやら俺はこの男が相当嫌いらしい。笑い方から立ち居振る舞い、全てが
「他の方同様、あなたもお帰りください」
「わかった……と、言いたいところだがな。こっちも、首都からわざわざ足を運んできたんだ。ここで引き返しては割に合わないのでね」
ヴィクトルは抱えていたトランクを突き出した。何も言わず、何かを企むように俺をじっと凝視しするその目が気に入らない。傍にいるだけで嫌悪感が止めどなく溢れてくる。
「……何ですか?」
「他の連中のように、話を聞いてくれなどと遠回しなことは言わない。
手にしていたトランクを開け、中にぎっしりと詰まった札束をこれみよがしに突き出した。これを目にした記者達はどよめいた。こちらの真意はどうであれ、この場所で起こったことが真実であり〝全て〟だ。
これが目的だったのか。
姿を見せずにいたのは、こうなることを待っていたのか。
その始終を記事にしようと、記者達はちりぢりに駆けていく。今まで騒がしかったのが嘘みたいに、周囲に静けさが戻ってきた。
「邪魔者も減ったことだし、中でゆっくりと話さないかね?」
「余計なことしておいて、よくそんな図々しいことが言えたものですね」
「こういう性分なものでね」
またかき乱されるのか。
いつもより騒がしい日常も、ある一定の範囲は超えていなかった。時間さえあれば、終息していったはずだ。
治まりつつあった波紋は再び大きく波打つ。この男が口にした、たった一言のせいで――抑え込んでいた何かが流され、腹の中でゴウゴウと渦を巻くのをはっきりと感じた。
「……わかりました。それでは、取引いたしましょう。なぜこの技術を手に入れたいのか、理由をお聞かせ願いましょうか」
俺は服のボタンを引き千切って、機械が埋め込まれた体をそこに晒した。
固定するために骨と肌に食い込んだ大きなボルト。縫合して肉が盛り上がった傷跡。心臓の鼓動と機械の稼働音、2つの音を放つ体。
「り、理由?」
俺の問いに、ヴィクトルは
「この技術を手に入れたいと思う、その目的は何なのかと聞いているんです。そちらの方から、順にお聞かせいただけますか」
最初に話を聞けと言ってきた、リテル社の社長を指名した。まさか自分が最初に問われるとは想像もしていなかったらしく、指をさされてあたふたしている。
「えっ、えっと。それはもちろん、素晴らしい技術ですし……」
「ヴァンフィールド社の価格は非常に高いので、我が社と共同で製造を――」
「おい、待て! そういう話なら、我が社だって」
口を揃えて言うのは、そんな決まりきった言葉ばかりだ。そう言えばかけ合ってもらえるとでも思ったのか。機嫌が良くなって特別な対応をするとでも思ったのか。
「素晴らしいと思うなら、なぜ共有しようと思わないのでしょうか? 我が社に? なぜ独占しようとするのでしょうか?」
その答えに行き着いた時点で、そこにあるのは誰かを助けようと思う熱意でも、信念でもない。ただの野心だ。呆れて視線を流した、そこへ――
「金だ」
その中ではっきりと、ヴィクトルだけがそう答えた。そこに
「私はもっと会社を大きくしたい。ヴァンフィールド社がその技術で、大きく、のぼりつめたように。その機会が手の届くところまで来たのに、飛びつかないのは愚かだ」
「父が金のためにこれを生み出したと?」
「何の利益も考えずに、ただ造ったというのか? まさか、違うとでも言うのかね?」
「……これは命を繋ぐために生み出された技術だ。この重みを背負うだけの信念が、あなた方にはないようですね」
「そんなのは綺麗事だ。地位や冨を欲して何が悪い?」
フンッと鼻で冷笑して、周囲の同業者達に問いかける。
腹の中で考えていることは、おそらくヴィクトルと同じだろう。だが、そこまで言いきれる図々しさもは持ち合わせていないせいか、肯定する者も否定する者もいない。ただ気まずそうに視線を外すだけ。
「なんだ、度胸のない連中ばかりだな」
「あなたよりはマシだと思いますよ。そういう野心は腹の底に隠し持って、密かに燃やすものです。口にする方が安っぽい」
冷たく捨て吐き、踵を返して、思いっきりドアを閉めてやった。とたん、握り潰されたような、鈍く重い感覚が体に走った。
「っ!」
呼吸が乱れ、そのまま足から崩れ落ちた。だが、その体が床に倒れる前に受け止めたのは、レイリとコウだった。
2人に寄り掛かったままその場に座って、駆け寄ってきたロロさんが、
発作が起こった時は自分でやっているが、それも忘れるくらい腹が立ったらしい。
「どうだ、落ち着いたか?」
ロロさんが顔を覗き込んだ。一度瞬きをしてから、小さく、俺は何度か頷いた。
「……えぇ、なんとか」
「フランがあんなに怒ってる姿、初めて見たかもしれないわ」
体を支えてくれていたレイリが静かにそう言って、ギュッと抱き着いた。コウは子供をあやすみたいに俺の頭を撫でた。
「普段から動じないというか、冷めているところがありますからね、フランは」
「あんまり無理しないでくれ。お前さんに何かあったら、レイリが悲しむだろう。肝に銘じたのではなかったのか?」
「そうでしたね……」
「本当、クソ真面目で信念曲げないヤツだね、フランは。そういうところは、おやっさんにそっくりだな」
水の入ったグラスが目の前に出された。リョウジが持ってきてくれたそれを受け取ると、入っていた氷がカランッと涼しげな音を立てた。
誰かに心配されないように――そう決めたはずなのに。これでは子供頃に逆戻りだ。巻き戻すなら、いつもの日常がいい。
こんな騒がしいものではなく、リョウジが淹れる紅茶と菓子を焼く匂いと、ページを捲る紙の音に囲まれた、いつもの静かな日常を取り戻さなければ。
「……慌ただしいのは、夜だけで十分だ」
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