第14話「自ら歩むために」
首都シュオルを発って半日。寝台特急ディアマンテは【蒸気の街ホロカ】へと到着した。
眠たい目をこすり、覚束ない足取りでホームへ出ると、湿り気を帯びた風が微かに渦を巻いている。
肌寒さに身を強張らせながら、大きな欠伸を一つ。何気なく顔を上げて、目に飛び込んできた景色に見入ってしまった。
「ここ、地下階層型都市なんだね……」
第1セクター最下層にある駅のホームに降り立った俺は、円柱状に、地上へ向かって伸びる街を見上げた。
遥か頭上に、ぽっかりと開いた吹き抜けの先には、空が広がっている。だが、その日はあいにくの砂嵐。うっすらと明るいものの、横なぶりの砂が空を覆っていた。
「フランはここへ来るの、初めてなんだな」
「手術を受けるまでは、アーシュロから出たことなかったから。リョウジは来たことあるの?」
「おやっさんの護衛で、何度かな」
凝り固まった体を解すように、リョウジはグッと両腕を上げて背筋を伸ばした。脱力して、腕を下げた勢いのまま、足元に置いていたトランクを持ち上げた。
「別邸までは、少し歩くことになるぞ。平気か?」
「うん。そのくらいの体力はつけないとね」
ホームの東にある渡り通路を通って、俺とリョウジは第1セクターから第2セクターへ移動。最下層から昇降機で第3階層へ上がると、他の家々よりも一際大きい邸が目に留まった。それが父さんの別邸だ。
赤いレンガの壁で、数段分の短い階段には黒い鉄製の手すり。階段を上った先にある黄銅製のドアには、スズランをモチーフにした青銅のドアノッカーがぶら下がっていた。
「さぁ、今日からここが我が家ですよ~」
邸の中へ足を踏み入れた瞬間、出迎えたのは所狭しと並ぶ書架と、そこにおさめられた大量の本。数千、いや数万はあるかもしれない。すでに書斎の域を超えている。
俺は荷物なんてそっちのけで、書架に駆け寄った。1冊を手に取って開いてみれば、それは紙の本だった。図書館に所蔵されているような、本の形を模した箱に、記録された写真が映し出されるページモドキではなく、正真正銘の紙だ。
首都の図書館に所蔵された紙の図書は貴重品で、手に取って閲覧するには申請書を出さなければならない。まさか父さんの別邸で、こんなにも簡単に手に取れるなんて、思ってもいなかった。
恐る恐る、ページの端を掴んで捲ってみた。カサッと音がして、風に乗って、少し埃っぽい古い匂いがする。たったそれだけのことなのに、妙に嬉しかった。
「父さんから、話だけは聞いてたんだ。趣味で集めてるって。でも、ここまでたくさんあるなんて思ってなかったよ」
「大半がレプリカらしいが、中には数百年前の本物も混じってるらしい。よくここまで集めたよな。圧巻だよ」
と、本を手に取って開くが、あまり興味はないらしい。パラパラ捲って「ふーん」と適当に頷いて、すぐに書架へ戻した。
「とりえず、メシにするか。フラン、腹減ってないか?」
「俺はまだ――」
そう言った矢先に、俺の腹はギュルルルッと盛大に鳴った。それが案外恥ずかしくて、リョウジを見上げたまま固まっていた。
「減ってるみたいだぞ?」
「……減ったよ」
「何食いたい? パスタ? 米か? あぁ、肉か? やっぱ肉がいいよなぁ」
「肉、食べたいなら素直にそう言えばいいのに」
「じゃあ肉で決まりだな。あっ、でも材料買いに行かねぇとな」
「もしかして、リョウジが作るの!? そもそも作れるの?」
「おいおい、俺の料理の腕、なめんなよ?」
右の義手で、俺の頬を軽く撫でると、リョウジは荷物をその場に置いたまま玄関へ向かった。ドアノブを握って、数センチほど開けたところで「あっ」と、思い出したように立ち止まって、振り返った。
「一緒に来るか?」
「一人で行けないならついて行くけど?」
不敵に笑ってやると、同じように笑って返された。
「行けますよ。お兄さん、大人だもの」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
そう言いつつも、俺はリョウジの後を追って邸の外へ出た。言葉とは真逆の行動をとる俺を、リョウジは不思議そうに見下ろして、ニヤリとする。
「来ないんじゃなかったのか?」
「行かないよ。俺は街の中の散策。どこに何があるのか、見ておきたいから」
「はぁ、然様ですか。迷子にだけはなってくれるなよ」
「ならないよ」
「へい、へい」
明らかに馬鹿にした返事をして、リョウジは天空路中央の昇降機に乗り込み、下層階へ下りて行った。
「さて、と。俺はどうしようかな」
どこへ行こうか、どっちへ行こうか。
このホロカの街の構造自体よくわかっていないから〝どこへ〟も〝どっちへ〟もない。
取りあえず、邸から少し離れたところに、【渡り通路】と書かれたトンネルのようなものが目に留まり、そこから先へ進んでみることにした。
50メートルほど続くその通路を抜けた先も、邸があった第2セクターと同じように、人々が暮らす家が建ち並ぶセクターに続いていた。早朝ということもあって、通りに人の姿はあまり見られない。
清掃会社の社員らしき中年男が、大きな麻袋を引きずるように持ちながら、フラフラと歩いていく。その後ろで、中型犬ほどの大きさの、蟻型の
それを横目に、小型蒸気二輪車を得意気に乗りこなす新聞配達の青年が通り過ぎていく。
もう少し日が昇ってから来るべきだったか――引き返そうと体を反転させた、その視線の先。白いレンガの壁が、一際目を惹く家があった。玄関先には真っ赤なサルビアが咲いたプランターが置かれていて、その家のお婆さんが丁寧に水やりをしていた。
「おはようございます」
俺は駆け寄って声をかけた。
振り返って、優しく微笑んでくれたお婆さんの瞳は、サファイアを切り取ったような綺麗な青色をしていた。
「おはよう。この辺りでは見かけない子ね」
「さっき、着いたばかりで。しばらく、ここで暮らすことになったんです。それで、少し街の中を散策しようと思って」
「あら、そうだったの。それじゃあ、自己紹介しないとね。初めまして、アンナ・ゼークエルナーと申します。あなたのお名前は?」
「フランです。和泉フラン」
「もしかして、ヴァンフィールド博士の息子さん?」
まさか父さんの名前が出てくるとは思わなくて、驚いてしまった。話を聞けば、父さんとは数年前からの知り合いで、よく本を借りに、邸へ足を運んでいるそうだ。
「多分、フランちゃんは私と会うことが決まっていたのね」
「決まっていた?」
そう言い切れる根拠でもあるのか、父さんがそう言っていたのか。それがどうにも繋がらず、俺は首を傾げた。
「何かが起こる時ってね、運命が動き出す時だと、私は思っているの」
「何かって?」
「その人がなすべきことや、やるべきことかしらね。それがあらかじめ決まっていて、その選択をするために、導くような出来事がいくつも起こるの。もしかして、フランちゃんはホロカに来るまでに、色々な出来事を経験してきたんじゃないかしら?」
言われてみれば、ホロカへ移り住むことが決まったのは、
「慌ただしく物事が動き出すのは、そこに意味があるからなの。意味が無ければ何も起こらないし、動き出さないものよ」
「そっか。俺はアンナ婆ちゃんに会うために、首都で記者に追われたり誘拐されたってわけか。そうじゃなかったら、ここへ来ることもなかったし、俺が声をかけることもなかったってことだよね?」
「そうだとしたら、素敵でしょ?」
婆ちゃんは口元に手を当て、フフッと吹き出した。
丁度その時、どこからともなく音楽が流れてきた。ピアノの音……いや、オルゴールの音だ。それが街全体に広がっていく。
「これ、どこから流れてるの?」
「第6セクターの最下層にあるパベル教会からよ。朝と昼、夕方の3回だけ、教会にある機械仕掛けの巨大なオルゴールが鳴るの。せっかくだから、見てきたらいいわ」
「うんっ。第6セクターの、最下層だね。行ってみるよ」
婆ちゃんと別れ、俺は昇降機に乗って最下層へ下りた。そこから渡り通路を通って第6セクターへ向かった……つもりだった。
どうやら道を間違えたらしく、第4セクターに来てしまった。おまけにそこは――
「墓地……!」
階層型の構造は他のセクターと一緒だが、違うのは、並んでいるのが家ではなく墓石だということ。各階層に並ぶ墓石達が、最下層にいる俺をジロリと見下ろしているような気がして、急に背筋が寒くなった。
「ここに来たかったわけじゃないし……戻って、別の階から行こう」
―― ……かった……束の……
微かに、声が聞こえた。
パベル教会から響いてくるオルゴールの音が重なって、ほんの一瞬しか聞き取れなかったが、それは確かに人の声だった。
「まさか……幽霊とか、言わないよね?」
ここは墓地だ。不可思議な現象が起こってもおかしくはない。
生きていようが死んでいようが、それが人なら、聞こえたのは紛れもなく人の声。どちらであろうとも、人であることにはわかりない。
人という生き物は、どうしてこう、駄目だと思うことをやりたくなってしまうのか。例外なく、恐怖心より好奇心が勝って、俺は声の聞こえた方へ歩いて行った。
「確か、上の方から聞こえたんだよな……」
昇降機ではなく、各階ごとに設置された階段を上がって、一つ上の二九階層へ向かった。
幽霊が出ませんように、亡霊に襲われませんように。心の中で
「あれは……?」
そこに人影があった。数は2人。幽霊ではなく、正真正銘の生きた人間だ。
1人は、褐色の肌の、巨漢の大男。もう1人は、黒いインバネス・コートを羽織って、狼の顔のガスマスクをつけた妙なヤツだった。話し声から、そいつも男だということはわかった。
「今は【メムオロ】って街にある、グインズ教会に身を潜めてる。もともと、そいつが育った孤児院なんだ」
「そんなところに隠れていやがったのか」
「これがグインズ教会の隠し通路の地図だ」
ガスマスクの男が何かを渡すと、巨漢の男は手にしていたトランクを代わりに差し出した。開いたその中には大金がぎっしりと詰め込まれている。噂には聞いた事があったが――あれは情報屋だ。
「いつもすまないな」
「なぁに。また依頼してくれればそれでいいさ」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
と、巨漢の男は昇降機に乗り込んで上層階へ。それを見送ると、ガスマスクの男は身に纏っていたコートを脱ぎ、つけていたガスマスクを外した。
おそらく、歳は50前後。ワカメみたいなチリチリの髪に、ところどころに白髪が混じっている。
そのまま昇降機に乗り込んで上層階に行くか、その階の渡り通路を通って、別のセクターへ行くとばかり思っていたが、その予想に反して、男は俺が隠れている階段へ向かってきた。
「マ、マズイッ」
盗み聞きしていたことが知られたら、何をされるかわからない。
すぐにその場から離れようと、足音をたてないように階段を駆け下りた。だが、焦っていたせいで足がもつれ、階段の半ばまで降りたところで踏み外し、そのまま転がり落ちた。
「痛ぇ……」
ようやく壁にぶつかって止まったものの、背中を打ちつけて思うように動けない。痛みで涙目になりながら、背中をさすっていた、そこへ――
「坊主、見やがったな」
頭上から、低い声が落ちてきた。恐る恐る顔を上げた矢先、突き付けられたのは銃口だった。
俺を見ている男の右目は火のように赤くて、瞳孔が忙しなく収縮している。それが義眼であることは一目でわかった。
「お、俺、何も聞いてないから!」
「取引の内容なんてどうだっていい。俺が言ってんのは、この姿を見たってことだ」
と、男は俺の前にしゃがみ、自分の顔を指差した。
「俺の顔、見ちまったもんな?」
「それは、見たけど」
「俺の仕事ってのはな、顔がバレると色々と面倒なんだ。それこそ逆恨みで命狙われることだってある。だからこうして、隠して仕事してるってのによ」
さっきまで着けていた狼のガスマスクを顔に当てて、そのまま大きな溜息をついた。
「はぁ~仕方ねぇな。気はすすまねぇが……悪く思うなよ」
ガチャリと撃鉄が降ろされ、額に銃口が押し付けられた。
―― 何かが起こる時ってね、運命が動き出す時だと、私は思っているの
その時、アンナ婆ちゃんが言っていた言葉が脳裏を過った。この状況、この瞬間が、俺に用意されていたことだとしたら。
「意味があるから、慌ただしく事が動き出す……!」
始末されることが、俺の運命なのか。
違う。これが決まっていたことだとしても、何を選択するのかは俺が決めることだ。今できる、最善の選択を――俺は、額に押し付けられた銃の銃身をグッと掴み、ごくりと息を呑んだ。そんな行動に出るとは男も予想していなかったらしく、一瞬怯んだ。
「な、なんだ、お前っ」
「俺に、あなたの仕事の手伝いをさせてください!」
「はぁ!?」
馬鹿かこいつは。そう言いたげに声を裏返して、男はきょとんと俺を見ていた。
手伝いたいと言ったのは、この状況を回避するためでもあるが、咄嗟に口をついて出た言葉ではない。
「俺、自分の力で何かをしたいんだ。誰かに心配されることも、頼りっぱなしで何もできないのも嫌だし。何でもいいから、自分で選んだことをやってみたいんだよ」
「それが、俺の手伝いなのか? こんな状況で、よく言えるな」
「選んでる暇なんてないんだよ、俺には。つべこべ言ってないで、手伝わせろ」
「おいおい、それが人に物を頼む態度かよ……」
呆れ顔でそう言って、男はジッと、品定めでもするように俺を眺めていた。真剣な眼差しが不意に
「うん、気に入った!」
「……えっ、それじゃあ」
「いいぞ。俺の手伝い、させてやろうじゃねぇか。俺もいい歳だしな。小間使いが一人くらいいてもいいだろう」
もう一度、ぐしゃぐしゃに頭を撫でて、男は立ち上がった。
「お前、名前は?」
「フラン!」
「俺ぁ、
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