第13話「自らの力で」
3度目の誘拐事件が一段落して、数日が経った。
今日も、家の前には記者が張り込み、俺や母さんが出てくるのを待ち伏せている。俺はカーテンの隙間から外の様子を窺い、苦々しく見つめていた。
相手にせず、放って置けば諦めるだろうと母さんは言っていたが、そう思い通りにはならないものだ。記者の連中も、なかなかしぶとい。
「
何も知らない者達が、あることないことを適当に書くのが腹立たしい。
中には悪魔だという者さえいた。
何も知らないで、憶測だけで好き勝手書いて。俺や父さんの何を知っているんだろう。何を見ているんだろう。昇華しきれない思いが、グルグルと頭や腹の中を回って、言いようのない不快感を味わっていた。
「まだ見ていたの? 飽きないわね」
リビングへやってきた母さんが、拍子抜けするくらい明るい声で言った。どれどれと、俺の背後に立って、一緒になってカーテンの隙間から覗いた。
「こんな夜まで仕事なんて大変ね」
「母さんって本当に呑気だよね……。父さんがあんな酷い書かれ方しているのに、悔しくないの?」
「悔しいわよ」
考える素振りすら見せず、気持ちがいいくらいの即答だった。
「良くも悪くも、それだけお父さんの
言いながら、母さんはガスマスクを差し出した。
あまりにも唐突で、なぜそれを差し出してきたのか意図すら読めなくて、俺はそれを見つめたまま固まっていた。
「フラン、出かけるわよ」
「出かけるって、今から?」
「お父さんから連絡があって、これから会うことになったの。迎えが来るから準備して」
ポンッと、出したガスマスクを俺の頭に乗せ、母さん自身も別のガスマスクを装着する。
なぜ出かけるだけなのにガスマスクが必要なのか。疑問を抱きながらも、言われるがまま装着した。
「出かけるって言っても、外には記者がたくさんいるし、どうやって出るんだよ」
「お父さんが手を打ってくれたから大丈夫。もう一度、外を見てみましょ。お楽しみはこれからよ」
急かされて、再びカーテンの隙間から外を見るた。相変わらず記者しかいないし、外の状況もさっきと変わらない。だが、母さんが見ろと言っていたのは記者ではなく、夜空の方だった。
「そろそろだと思うんだけど……あっ、来た!」
「……あれって、鳥?」
羽ばたいている何かが、こっちに向かってくる。黒い塊だ。スズメか、カラスか。いや、どちらでもなかった。それは蛾の姿をした
ネジや歯車を寄せ集めて作ったような、何とも不細工で不格好なその蛾は、腹のあたりに箱のようなものを抱えていた。
ゆっくりと旋回し、気づかれないよう距離を縮めながら、記者達の頭上へさしかかった瞬間。ボウンッと、鈍い音が響いた。
突然、抱えていた箱が破裂して、辺りが一瞬にして真っ白に染まった。
「えっ!?」
「よし、今よ!」
強引に腕を引かれ、俺は外に連れ出された。
突然の出来事に戸惑い、何が起こった、どうなっているんだと、記者達は口々に喚いている。煙を吸って
「お二人とも、急いで~。煙が晴れちまう前に乗って下さい」
運転席から顔を出していたのは、誘拐事件の時に助けてくれた護衛のリョウジだった。ヒラヒラと振っている右の義手が、月明かりを反射して光っている。
俺、母さんの順に、なだれ込むように車に乗り込んだ。ドアが閉まり切る前に、車はキュルキュルとけたたましい音を立てて急発進した。
「こうなることも予測できていれば……迷惑をかけてすまない」
助手席に乗っていた父さんは、半身だけ振り返って頭を下げた。
ガスマスクを取り、父さんの方へ身を乗り出す。横目で見て、フッと口元を
「俺がそうしてほしいって言ったんだから、父さんは悪くないよ。勝手なことを書いているやつらが悪いんだ。でも、それだけ父さんの技術が凄いってことだよね」
「そういうこと。でも、このままだとまともに生活できないのは確かなのよね」
ほんの一瞬、沈黙が車内に漂う。
街を照らすアーク灯の光を目で追い、コンッと、こめかみのあたりを押し付けるように、窓へ寄りかかる。そのすぐ後、父さんが「うーん……」と、小さく唸った。
「今のところ、フランの心臓は正常だが、何が起こるか予測がつかない。安静に、穏やかに過ごすことが今は何よりも大切だ」
「それでね。提案したいことがあるの」
母さんの声が、ほんの少しだけ低くなって、速度が遅くなった。そういう話し方をする時は、真剣な話をする時だと決まっている。俺は自然と身構えた。
ヴァンフィールド家が所有している別邸が【蒸気の街ホロカ】にあるらしく、俺が好奇の目に晒されないよう、しばらくは首都から遠く離れたホロカで暮らしてはどうかと言うのだ。
父さんと母さんはそれぞれ仕事を抱えているから、しばらくは俺一人で生活しなければならないそうだ。
「この機会を逃したらいつ出発できるかわからないから、今すぐに首都を発ちましょう」
「い、今から!?」
「そう、今から」
いつもの母さんの、あっけらかんとした無邪気な表情に戻った。
どこか得意気で、不敵に笑って足元を指さしているから、何事かと思って視線を落としてみれば、そこに大きなトランクが1つ置かれている。黒革で、持ち手の部分が木製。父さんから貰った懐中時計がぶら下がっている。まぎれもなく俺のトランクだ。
行動派の母さんは、すでに準備も済ませていた。さすがは母さん。俺に選択の余地はないらしい。
「何かあった時のためにリョウジを同行させる。今日からリョウジはフランの護衛だ」
「……俺の?」
「そうらしいですよ。よろしくね、坊ちゃん」
正面を向いたまま、彼がこっちに手を振ってみせた。
うんとも嫌とも返事ができないまま、車はあっという間に駅に到着。気づけば、用意されていた荷物を抱え、まだ数回しか会ったことのない護衛の男と2人、誰もいない駅のプラットホームに立っていた。
背筋を駆け上がってくるような寒さに、ブルッと身震いして、肩に入れた力を抜きながら息を吐く。目の前が白く染まって、ゆっくりと立ち昇って、夜の闇に溶けていく。その様子を辿って見上げれば、鼻先に何かがついた。
ジンッと冷たくて、すぐに温かくなって、溶けていく。雪だ。互いの息遣いがハッキリと聞こえるほど、その日の夜は静かで、沈黙を埋めるように雪が降り始めた。
「不安そうだな」
ぽつりと、彼が言った。
気を使って話しかけている様子ではなさそうだ。自然体で、まるでずっと昔から知っているような調子った。張りつめていた緊張感が、少しだけ解けた気がした。
「まぁね。どうなるかわからないし」
「こういう時は気楽にいこうじゃないか。【蒸気の街ホロカ】と言えば、技術者の街。新しい機械の大半が、あの街から生まれると言っても過言じゃない。大戦前のオーバーテクノロジーと蒸気機械が溢れかえる街! 想像しただけでワクワクしないか?」
その話し方は、まるで子供みたいだった。
子供の俺以上に無邪気な大人を見たのが初めてだったから、こういう時、笑っていいのかわからなくて、必死に堪えていた。
それがだんだん吐息と一緒に体の外へ出て行って、冷たい外気に触れて静かになっていく。気がつけば、観察するみたいに彼を凝視していた。
「ん? どうした?」
「俺についてきて、平気なのかなって思って……〈紅の獅子〉から派遣されている護衛の人なんだよね? 契約者は父さんのはずだから、勝手に護衛対象を変えていいの?」
「あぁ、そういうことか。心配ご無用。坊ちゃんの専属になるために、紅の獅子は辞めたんだ。それに、こっちの方で仕事したいって前々から思っていたからな」
グッと義手を突出し、手首を反転させた。
腕の上半分が開き、そこにおさめられていた銃が競り出した。なんでも、彼自ら造ったオリジナルらしい。銃身がどうの、ベアリングがどうのと、熱心に説明してくるけれど、俺にはよくわからない。
多分、父さんがこの男を同行させたのは、技術師としての腕があって、
「生活費は面倒見るって言ってくれたけど、さすがに頼りっぱなしもな。自分のメシ代くらい、自分で稼ぐさ。あっ、こういうのも売ってみようって考えてるわけ」
今度は何を出そうっていうんだ。
少し面倒に感じながらも、好奇心から、つい目をやってしまった。コートの内ポケットから、蜘蛛型の
「……おじさん、趣味悪いよ」
「あ? 誰がおっさんだよ。まだ30手前なんだから、お兄さんでしょうが。お兄さんと呼びなさいよ」
「……なんかしっくりこない。リョウジでいい?」
「んー、年上を呼び捨てとはいい度胸だが……まぁそれでいい。これからよろしくな、フラン」
差し出されたその手を、俺はおずおずと握った。冷えた金属の手の平に貼りついて、背筋をゾゾッと寒気が駆け抜けた。
雪と静寂が舞うそこへ、汽車がやってくる。汽笛を響かせ、静寂を割って、夜空に蒸気を吐き出して――。
空気を震わせるその音が体の奥で反響した気がして、胸の辺りをグッと押さえた。
生かされ繋ぎとめられた命を、守られて過ごすのは簡単なことだ。何も考えずに、相手に任せていればいいんだから。でも、それでは何の意味もない。自らの足で立たなければ……。
「ねぇ、リョウジ」
「ん?」
「俺も、自分の力で何かやってみようと思う。誰かに心配されるのは、今日で終わりにしたいんだ」
とたんに、頭をガシガシと撫でられた。俺はムッとして睨みつけたが、リョウジはやけに楽しそうだった。
「生意気だな」
「いいよ、生意気で」
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