第12話「進むための心」

 父さんが【機械心臓カルディア】について発表してから数ヶ月後。

 機械心臓カルディアの点検や今後の経過観察のために、俺と母さんはアーシュロから首都シュオルへと移り住んだ。それからというもの、新聞記者や、その技術を手に入れたいと躍起やっきになっている企業家達が、連日、俺や母さんのもとへ押しかけていた。

 企業家達の興味が機械心臓カルディアへ向けられているのはわかる。だが、記者達は違う。彼らの興味は、それを埋め込まれた俺にあった。

 手術の成功例として、俺の写真が公開されたのが原因だったのかもしれない。俺も母さんも公開については許可していたことだった。でもそれは、予想していなかった方向へ流れていく。

〝子供を実験台にしたのではないか〟と、写真を目にした者達は挙って口にした。



 ――『機械心臓カルディア成功の裏に黒い影?』



 その日、図書館に来ていた俺は、閲覧室にある新聞でその見出しを目にしていた。

 何が書かれているのか、読まなくてもだいたいの想像はつく。連日、各新聞社が同じような記事を何度も掲載していたからだ。


「本当、飽きないな。いつまで書き続けるつもりなんだよ」


 読み進めるのも馬鹿らしくなって、俺は通信機アステリから伝書盤エピストラを投げやりに引き抜いて、貸出カウンターへ返却した。

 落ち着くために本でも読もうと、2階の閲覧室に向かった。ズラリと、等間隔で並んだ書架の間を縫うように抜ける。自然科学、数学、物理学、化学と通り過ぎ、ようやくお目当ての動物学の図書が並ぶ書架へやってきた。

 傍にあった箱型の機械人形オートマタを呼び寄せ、その上に乗って「上へ」と指示を出す。プスプスと、小さく蒸気を吐きながら、飛び出した四脚の脚がグググッと伸びて、俺を押し上げる。ようやく一番上の棚に手が届いたところで「止まれ」と指示を出した。

 手にしたのは蝶の図鑑。甲虫図鑑もいいが、何度も読み返したくなるのはこれだ。


 表紙を開くと自動的に、中に埋め込まれたモニターが起動する。本と言う名の箱の中に、保存された写真が映し出された。

 表紙の内側についている操作ダイヤルでページを送り、収録された蝶の写真を食い入るように見つめた。

 大昔はどこでも見られたらしいが、今はほとんどが絶滅してしまった。本物が見られるのはごく限られた施設しかなくて、それも色々と申請を出さないと見られないと聞く。


「一度でいいから、見てみたいなぁ」


 黒や緑しか纏っていない幼虫が、さなぎになって、外へ出てくる時には赤や青、紫や橙をまとって蝶になる。誰から教わったわけでもないのに、どうやってその鮮やかな色を生み出すのか。好奇心をき立てられる。

 本の中に映るカラスアゲハを、追いかけるように指先でそっと触れてみる。その時、ふと刺さるような視線を感じた。

 本の中へ投下していた意識が、強引に現実へ引き戻される。にじんだ汗に服が張りつくような、あの不快感によく似ていた。

 気づかれないよう、極力頭を動かさないようにして視線を動かした。俺が立っている書架から、通路を挟んで、丁度斜め向かい。料理関係の図書が並ぶ書架の前に、年配の女性が3人立っていて、こそこそと話しながら俺を見ていた。


〝あの子って、機械の心臓の?〟


 声をひそめていても、その言葉だけははっきりと耳に届いた。気づけば、そこを通りかかる利用者の大半が、チラチラと俺の様子をうかがっていた。

 俺が登校することで学校にも迷惑がかかるからと、ここしばらくは学校にも行っていない。家に籠りっぱなしでも気が滅入るから、少しでも気晴らしになればと、母さんが大学へ講義をしに出かけた隙をついて、ここへ来たというのに――


「大丈夫。珍しいから、気になるだけだよ、きっと」


 自分にそう言い聞かせ、再び図鑑に視線を落とした。

 お世辞にも落ち着ける状況ではないが、玄関先で張り込んで、出てきたとたんに群がってくる記者連中の図々しさに比べたら、遠巻きに観察してこそこそ話しているだけだから害はない。


「あっ! いたいた!」


 静かな館内に声が響き、バタバタと駆けて来る複数の足音がする。

 通路の方へ顔を向けたのとほぼ同時に、そこへ数名の記者達がやってきた。どこで嗅ぎつけたのか、犬並みの嗅覚だ。


「フラン君だよね?」


 息を切らし、肩で荒く呼吸をしながら「こんな所にいたのか、探したよ~」なんて、友達みたいな口振りで話かけてきた。

 俺は一体、いつ記者の友達ができたんだ。仲良くなった覚えなんてないのに。

 その嫌味が聞こえたかどうかはわからない。ぼそぼそと口の中で言ったから、おそらくは聞こえていないはずだ。その証拠に、記者達は持参した小型の音声録音機を出したり、通信機アステリでどこかへ連絡をつけたりしている。


「フラン君で、間違いないよね?」


 最初の問いを無視していると、ドンシー社の記者が再度訊ねてきた。

 俺は横目でチラッと見ただけで、肯定も否定もしない。大人相手に走って逃げるだけの体力はないし、館内を走り回って他の利用者に迷惑をかけるのも嫌だ。せめてもの抵抗というか、嫌がらせというか。目線を合わせて話ができないよう、箱の機械人形オートマタに「さらに上へ」と指示。一番高いところまで上がらせて、立ったまま図鑑を読み続けた。


機械心臓カルディアの件で、話を聞かせてもらってもいいかい?」

「おじさん、ここは図書館だよ。ただでさえ静かなんだから、そんな大きな声を出さなくても聞こえるよ」

「あっ、そうか。すまないな」


 気をつけるよ、なんて言いながら、記者はヘラヘラと笑った。そう話す声も大きくて、俺はさらにムッとした。正直、どこかへ行ってほしいと心底思った。


「さっそくだけど、話を聞かせてね。機械心臓カルディアを埋め込んで、どういうふうに変わったのかな?」

「自分の心臓もあって、機械の心臓もある。2つの心臓を持ってる感覚って、どんな感じなのかな? 何か、不具合が出たりとかしてるんじゃない?」

「写真見たけど、本当に凄いよね。あの体になって、ヴァンフィールド博士に思うところはないのかな?」


 こっちに答える時間さえ与えてくれないのか。各社の記者は我先にと、質問に質問を重ねてくる。それでも、俺が本を読み続けていると――


「ちょっと噂に聞いたんだけどさ。フラン君って、博士の息子さんなんだよね?」


 記者の一人が、唐突に訊ねてきた。

 彼がどこの記者かはわからない。ただ、今までそのことは他の社が訊ねてくることはなかった。どこで仕入れてきたのか、少し厄介な状況になってきた。

 居合わせた他の記者達は初耳だったのだろう。声を潜めながらも一瞬、どよめいた。


「フラン君、それ本当なのかい?」

「待てよ。ヴァンフィールド博士の息子さんの名前は、確かリズ君だったよな?」

「それじゃ、フラン君は――」

「おじさん達、話がれてるよ」


 言い返したいことは山ほどあるが、ここは余計な発言はつつしもう。

 口はわざわいのもと。何気なく口にした言葉で、物事がどう転んで、どう動いて行くのかは想像がつかない。余計なことは言わないに限る。

 俺は手にした本の表紙を閉じ、もとの場所へ戻した。脚立からひょいと飛び降りて、記者達がいる通路とは反対側の通路へ駆け出した。


「あっ、フラン君!」

「おじさん、ここ、図書館だから」


 立てた人差し指を口に押し当てて「静かにね」と、身振りで注意してその場を離れた。

 もちろん、こんなことで簡単に見逃してくれるはずはない。記者達はすぐさま俺の後を追ってきた。


「フラン君、まだ聞きたいことがっ」

「おじさん。あまりしつこいと嫌われるから、気をつけてね」


 図書館から外へ出て、歩道へ出た瞬間――ポケットに忍ばせていた小さな煙幕瓶を、思いっきり地面に叩きつけた。

 パンッと砕け、揮発した液体が青い煙となって瞬く間に膨れ上がり、通りを一瞬にして包み込んだ。


「うあっ、やりやがった!」

「くそっ、あのガキ、どこ行ったんだ!」

「多分、家に戻るはずだ。先回りするぞ!」


 ガヤガヤと騒々しく、記者達は俺の家がある居住区の方へ向かっていく。俺はその様子を、図書館の前にある植え込みの中からこっそり窺っていた。


「また家に行ったのか……このまま帰っても、あいつらと鉢合わせになるだけだな。もう少し、どこかで時間を潰そう」


 呆れと疲れが混じる溜息をついて、隠れていた植え込みから出た。服に引っかかった枝や葉を手で払い落としていると、ふと目の前がかげり、反射的に顔を上げた。


「フラン君、だね?」


 目の前に立っていたのは、ライオンが人間に化けたような、そんな風貌の男だった。身の丈も大きく、テガミのような長い髪をオールバックにしている。髪を手櫛で整えるその右手は、親指以外の4本全てが義指になっていて、獣の鋭い爪を連想させた。


「また記者の人?」

「いや、違うよ。ヴァンフィールド博士の護衛をしているヴェリニだ。フラン君を迎えに行くよう、博士から頼まれて来たんだ」


 そう言えば、少し前に新しい護衛を雇ったと、父さんが話していた。名前や容姿については聞いていなかったが、この男のことだろうか。


「よく、俺の居場所がわかったね」

「記者達の行動を見ていれば、すぐにわかるさ。君やお母さんの行くところには、必ず群がっているからね」


 厳つい風貌に似合わない、にこやかな笑顔を浮かべて、ヴェリニはさり気なく俺の髪についていた葉を摘まんで取った。


「家まで送ろう」

「ありがとう。でも、今家に帰っても記者達がいるから」

「それじゃあ、どこか寄り道でもしていこうか」


 俺の頭を撫で、その手が首筋に触れた、その時。チクリと、何かが刺さったような、鈍い痛みが走った。とたんに視界がグニャリと歪んで、強烈な 眠気が襲ってくる。

 あぁ、油断した。後悔の言葉は口をついて出ることはなく、脳裏に響いて、溶けるだけ。


 …………

 ………

 ……


 それからどうやって運ばれ、何で移動したのか。意識が朦朧もうろうとしていたせいで全く覚えていないが、ようやく目が覚めて、気づいた時にはどこかの一室の、ベッドの上に横たわっていた。

 両手両足を紐で縛られ、シャツは引き千切られ、隠れていた機械心臓カルディアが外気にさらされている。それを、3人の男が険しい顔つきで覗き込んでいた。

 1人は、俺を連れ去ったライオンみたいなオールバックのヴェリニ。

 もう1人は、両腕に刺青を入れたスキンヘッドの男。皮膚を移植したのか、頭部半分の肌の色が違い、境目には痛々しい縫合ほうごうの痕が残っていた。

 最後の1人は、小柄で、ミイラみたいに細い男。他の2人に比べてこの男が特に奇怪な姿をしていた。左の義足は杖のような1本の細い棒のようで、顔の右半分は銅製の仮面で覆われている。

 視線を動かす度に、仮面の向こうにある大きな目が、絞りのついた赤いレンズ越しにギョロリと動く。微かにではあるが、肌が焼けたようなケロイドの痕が仮面の隙間から見えた。


「おい、ヴェリニ。これ、どうやって開けるんだ?」

「知るかよっ」

「なんか、横にダイヤルがついてるな。これで開けんじゃねぇのか?」


 この男達が、俺を連れ去った理由の見当はついていた。機械心臓カルディアを手に入れて、一儲けしてやろうってわけだ。何せ、さらわれるのはこれで3度目なせいか、考えなくてもわかる。

 俺は自分の警戒心の無さに呆れた。2度も連れ去られているのに、なぜ疑わなかったのか……。子供で単純だと贔屓目ひいきめに見たとしても馬鹿すぎる。それを思い知らされた気がして、自分に腹が立った。


「……何見てんだ、おっさん。近いよ、離れろ!」

「ぅげっ!」


 目の前にいたミイラ男の胸をこれでもかと、力任せに蹴り飛ばした。気を失っていると思って油断していたらしく、ミイラ男は簡単に倒れて転がった。


「父さんの護衛って、嘘だったんだな」


 転がったミイラ男を起こしているヴェリニに、俺は冷ややかに言った。最初に見せた時と同じ、その風貌には不似合の、にこやかな笑顔を返された。


「俺ら、ちょっと金が必要なんでね」

「どの会社も、どこの技術者も、それに興味津々だ。上手いこと手に入れば、稼ぎようはいくらでもあるってわけよ」

「悪ぃけど、それ、俺らによこしな」


 単純過ぎる。そして甘過ぎる。油断して連れ去られた俺も単純で甘いが、この男達はそれ以上。だがそれ以前に、気に食わないことが一つある。


「――俺は、お前達みたいな、努力しないヤツが一番嫌いだ!」


 右と左の両膝を、内側に向って思いっきり打ち合わせた。

 その衝撃で、内蔵されていた2本の隠しナイフが、ズボンを突き破って膝から飛び出す。素早く手と足の紐を切って、ベッドの上に立ち上がった。


「てめぇ!」


 取り押さえようと、スキンヘッドの男が向かってきたが、手にしたナイフを投げつけて威嚇。左足のナイフを抜き取って構えた。


「こっちは2回も誘拐されてるんだ! 何も準備してないわけないだろっ」

「調子に乗ってると――」

「うるさい、クソオヤジ共! 自分の力で何もできないヤツが、俺に命令するな!」


 わかっていない。この男達は何もわかっていないんだ。

 父さんが、機械心臓カルディアを簡単に造り出したと思っているから、簡単に奪おうとするんだ。その裏側にある膨大な時間や、苦痛や焦り、努力や苦労なんて、知ろうともしないし見ようともしない。だから、簡単に奪えるんだ。


「他者が造り出した物を奪うのは楽だよね。自分では何の苦労もしないし、失うものなんて何もないんだから。一番、卑怯でズルイ生き方だよ」

「金持ってるヤツから奪って何が悪――」

「黙れ、ハゲ!」

「ハ、ハゲ……!」

「な、なんで俺ら、こんなガキに説教されなきゃ……」

「そこのミイラ! うるさいっ、包帯で口でも閉じてろ!」



 ―― ドクンッ



 一際大きく、強く鼓動が跳ねて、急に息苦しさが襲った。

 このズキズキと痛む感覚は、機械心臓カルディアを手に入れる前に、嫌というほど味わっていた発作だ。

 男達に腹を立て、興奮したのがまずかっただろうか。立っているのもままならなくなって、ガクンッと、膝から崩れ落ちた。

 これを好機と判断した男達は、互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑ってにじり寄った。


「さっきはよくも、偉そうに言ってくれたな」

「ユニ、あんまり傷つけるなよ。大事な商品だからな」

「わかってるよ」


 スキンヘッドの男が俺の胸倉を掴み、そのまま持ち上げた。その時。バンッと、突然ドアが蹴破られた。部屋の外に立っていたのは、またしても見知らぬ男だった。

 髪がグレーのショートバック、煙管を持った右手は真鍮製の義手。ストライプのネクタイとトラウザーズがやけに派手で、目がチカチカする。


「お取込み中、お邪魔しますよ~」

「な、何だ、お前っ。どこから入って――」

「何だとは失礼だねぇ。そういう礼儀知らずの悪い子さんには、警察の皆さんにお仕置きしてもらうといいさ」


 合図を受け、十数人の警官が部屋に流れ込んできた。男達は逃げる間もなく、あっという間に捕まって連行されていく。

 助かった。そう安堵しながらも、乱れた鼓動で呼吸するのも辛く、シーツに顔を埋めた。


「よく頑張ったな、坊ちゃん」


 男はこっちへ歩み寄ると、ベッドに横たわっている俺を抱き起こした。鳶色の目がまっすぐに見下ろしている。


「あんた……誰?」

「これは申し遅れました。兼平リョウジと申します。お父さんが雇った、本当の護衛だよ」


 そう言って、リョウジは俺の機械心臓カルディアの蓋をぐるりと一回転させた。

 俺自身の心臓が発作を起こして、急激な血流の変化で鼓動が乱れた時に、機械心臓カルディアの蓋を回転させると、強制的に鼓動を整える機能が起動する。それを知っているということは、本当に父さんの護衛――なんだろうか。


「どうだ、少しは楽になったか?」

「……うん。何か、妙に詳しいね」

「まぁ、おやっさんには色々説明受けてるからね」


 リョウジは俺のベストの襟元に手を入れ、ゴソゴソと探っている。「いた、いた~」と、目の前に差し出された手の平には、一センチほどの小さな、蜂の姿をした機械人形オートマタが乗っていた。


「もしかて、服に仕込んでたの?」

「おやっさんの指示でね。これで坊ちゃんと男達の会話もしっかり聞いてたし、発信機付きで居場所も難なく特定できていたわけさ」

「だったら、もう少し早く迎えに来てよ……」

「こういうのは、絶体絶命の時に登場した方がかっこいいだろ?」


 冗談なのか、それとも本気なのか。どちらとも取れるような子供っぽい理由を口にして、リョウジはケラケラ笑っていた。

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