第12話「進むための心」
父さんが【
企業家達の興味が
手術の成功例として、俺の写真が公開されたのが原因だったのかもしれない。俺も母さんも公開については許可していたことだった。でもそれは、予想していなかった方向へ流れていく。
〝子供を実験台にしたのではないか〟と、写真を目にした者達は挙って口にした。
――『
その日、図書館に来ていた俺は、閲覧室にある新聞でその見出しを目にしていた。
何が書かれているのか、読まなくてもだいたいの想像はつく。連日、各新聞社が同じような記事を何度も掲載していたからだ。
「本当、飽きないな。いつまで書き続けるつもりなんだよ」
読み進めるのも馬鹿らしくなって、俺は
落ち着くために本でも読もうと、2階の閲覧室に向かった。ズラリと、等間隔で並んだ書架の間を縫うように抜ける。自然科学、数学、物理学、化学と通り過ぎ、ようやくお目当ての動物学の図書が並ぶ書架へやってきた。
傍にあった箱型の
手にしたのは蝶の図鑑。甲虫図鑑もいいが、何度も読み返したくなるのはこれだ。
表紙を開くと自動的に、中に埋め込まれたモニターが起動する。本と言う名の箱の中に、保存された写真が映し出された。
表紙の内側についている操作ダイヤルでページを送り、収録された蝶の写真を食い入るように見つめた。
大昔はどこでも見られたらしいが、今はほとんどが絶滅してしまった。本物が見られるのはごく限られた施設しかなくて、それも色々と申請を出さないと見られないと聞く。
「一度でいいから、見てみたいなぁ」
黒や緑しか纏っていない幼虫が、
本の中に映るカラスアゲハを、追いかけるように指先でそっと触れてみる。その時、ふと刺さるような視線を感じた。
本の中へ投下していた意識が、強引に現実へ引き戻される。
気づかれないよう、極力頭を動かさないようにして視線を動かした。俺が立っている書架から、通路を挟んで、丁度斜め向かい。料理関係の図書が並ぶ書架の前に、年配の女性が3人立っていて、こそこそと話しながら俺を見ていた。
〝あの子って、機械の心臓の?〟
声を
俺が登校することで学校にも迷惑がかかるからと、ここしばらくは学校にも行っていない。家に籠りっぱなしでも気が滅入るから、少しでも気晴らしになればと、母さんが大学へ講義をしに出かけた隙をついて、ここへ来たというのに――
「大丈夫。珍しいから、気になるだけだよ、きっと」
自分にそう言い聞かせ、再び図鑑に視線を落とした。
お世辞にも落ち着ける状況ではないが、玄関先で張り込んで、出てきたとたんに群がってくる記者連中の図々しさに比べたら、遠巻きに観察してこそこそ話しているだけだから害はない。
「あっ! いたいた!」
静かな館内に声が響き、バタバタと駆けて来る複数の足音がする。
通路の方へ顔を向けたのとほぼ同時に、そこへ数名の記者達がやってきた。どこで嗅ぎつけたのか、犬並みの嗅覚だ。
「フラン君だよね?」
息を切らし、肩で荒く呼吸をしながら「こんな所にいたのか、探したよ~」なんて、友達みたいな口振りで話かけてきた。
俺は一体、いつ記者の友達ができたんだ。仲良くなった覚えなんてないのに。
その嫌味が聞こえたかどうかはわからない。ぼそぼそと口の中で言ったから、おそらくは聞こえていないはずだ。その証拠に、記者達は持参した小型の音声録音機を出したり、
「フラン君で、間違いないよね?」
最初の問いを無視していると、ドンシー社の記者が再度訊ねてきた。
俺は横目でチラッと見ただけで、肯定も否定もしない。大人相手に走って逃げるだけの体力はないし、館内を走り回って他の利用者に迷惑をかけるのも嫌だ。せめてもの抵抗というか、嫌がらせというか。目線を合わせて話ができないよう、箱の
「
「おじさん、ここは図書館だよ。ただでさえ静かなんだから、そんな大きな声を出さなくても聞こえるよ」
「あっ、そうか。すまないな」
気をつけるよ、なんて言いながら、記者はヘラヘラと笑った。そう話す声も大きくて、俺はさらにムッとした。正直、どこかへ行ってほしいと心底思った。
「さっそくだけど、話を聞かせてね。
「自分の心臓もあって、機械の心臓もある。2つの心臓を持ってる感覚って、どんな感じなのかな? 何か、不具合が出たりとかしてるんじゃない?」
「写真見たけど、本当に凄いよね。あの体になって、ヴァンフィールド博士に思うところはないのかな?」
こっちに答える時間さえ与えてくれないのか。各社の記者は我先にと、質問に質問を重ねてくる。それでも、俺が本を読み続けていると――
「ちょっと噂に聞いたんだけどさ。フラン君って、博士の息子さんなんだよね?」
記者の一人が、唐突に訊ねてきた。
彼がどこの記者かはわからない。ただ、今までそのことは他の社が訊ねてくることはなかった。どこで仕入れてきたのか、少し厄介な状況になってきた。
居合わせた他の記者達は初耳だったのだろう。声を潜めながらも一瞬、どよめいた。
「フラン君、それ本当なのかい?」
「待てよ。ヴァンフィールド博士の息子さんの名前は、確かリズ君だったよな?」
「それじゃ、フラン君は――」
「おじさん達、話が
言い返したいことは山ほどあるが、ここは余計な発言は
口は
俺は手にした本の表紙を閉じ、もとの場所へ戻した。脚立からひょいと飛び降りて、記者達がいる通路とは反対側の通路へ駆け出した。
「あっ、フラン君!」
「おじさん、ここ、図書館だから」
立てた人差し指を口に押し当てて「静かにね」と、身振りで注意してその場を離れた。
もちろん、こんなことで簡単に見逃してくれるはずはない。記者達はすぐさま俺の後を追ってきた。
「フラン君、まだ聞きたいことがっ」
「おじさん。あまりしつこいと嫌われるから、気をつけてね」
図書館から外へ出て、歩道へ出た瞬間――ポケットに忍ばせていた小さな煙幕瓶を、思いっきり地面に叩きつけた。
パンッと砕け、揮発した液体が青い煙となって瞬く間に膨れ上がり、通りを一瞬にして包み込んだ。
「うあっ、やりやがった!」
「くそっ、あのガキ、どこ行ったんだ!」
「多分、家に戻るはずだ。先回りするぞ!」
ガヤガヤと騒々しく、記者達は俺の家がある居住区の方へ向かっていく。俺はその様子を、図書館の前にある植え込みの中からこっそり窺っていた。
「また家に行ったのか……このまま帰っても、あいつらと鉢合わせになるだけだな。もう少し、どこかで時間を潰そう」
呆れと疲れが混じる溜息をついて、隠れていた植え込みから出た。服に引っかかった枝や葉を手で払い落としていると、ふと目の前が
「フラン君、だね?」
目の前に立っていたのは、ライオンが人間に化けたような、そんな風貌の男だった。身の丈も大きく、テガミのような長い髪をオールバックにしている。髪を手櫛で整えるその右手は、親指以外の4本全てが義指になっていて、獣の鋭い爪を連想させた。
「また記者の人?」
「いや、違うよ。ヴァンフィールド博士の護衛をしているヴェリニだ。フラン君を迎えに行くよう、博士から頼まれて来たんだ」
そう言えば、少し前に新しい護衛を雇ったと、父さんが話していた。名前や容姿については聞いていなかったが、この男のことだろうか。
「よく、俺の居場所がわかったね」
「記者達の行動を見ていれば、すぐにわかるさ。君やお母さんの行くところには、必ず群がっているからね」
厳つい風貌に似合わない、にこやかな笑顔を浮かべて、ヴェリニはさり気なく俺の髪についていた葉を摘まんで取った。
「家まで送ろう」
「ありがとう。でも、今家に帰っても記者達がいるから」
「それじゃあ、どこか寄り道でもしていこうか」
俺の頭を撫で、その手が首筋に触れた、その時。チクリと、何かが刺さったような、鈍い痛みが走った。とたんに視界がグニャリと歪んで、強烈な 眠気が襲ってくる。
あぁ、油断した。後悔の言葉は口をついて出ることはなく、脳裏に響いて、溶けるだけ。
…………
………
……
それからどうやって運ばれ、何で移動したのか。意識が
両手両足を紐で縛られ、シャツは引き千切られ、隠れていた
1人は、俺を連れ去ったライオンみたいなオールバックのヴェリニ。
もう1人は、両腕に刺青を入れたスキンヘッドの男。皮膚を移植したのか、頭部半分の肌の色が違い、境目には痛々しい
最後の1人は、小柄で、ミイラみたいに細い男。他の2人に比べてこの男が特に奇怪な姿をしていた。左の義足は杖のような1本の細い棒のようで、顔の右半分は銅製の仮面で覆われている。
視線を動かす度に、仮面の向こうにある大きな目が、絞りのついた赤いレンズ越しにギョロリと動く。微かにではあるが、肌が焼けたようなケロイドの痕が仮面の隙間から見えた。
「おい、ヴェリニ。これ、どうやって開けるんだ?」
「知るかよっ」
「なんか、横にダイヤルがついてるな。これで開けんじゃねぇのか?」
この男達が、俺を連れ去った理由の見当はついていた。
俺は自分の警戒心の無さに呆れた。2度も連れ去られているのに、なぜ疑わなかったのか……。子供で単純だと
「……何見てんだ、おっさん。近いよ、離れろ!」
「ぅげっ!」
目の前にいたミイラ男の胸をこれでもかと、力任せに蹴り飛ばした。気を失っていると思って油断していたらしく、ミイラ男は簡単に倒れて転がった。
「父さんの護衛って、嘘だったんだな」
転がったミイラ男を起こしているヴェリニに、俺は冷ややかに言った。最初に見せた時と同じ、その風貌には不似合の、にこやかな笑顔を返された。
「俺ら、ちょっと金が必要なんでね」
「どの会社も、どこの技術者も、それに興味津々だ。上手いこと手に入れば、稼ぎようはいくらでもあるってわけよ」
「悪ぃけど、それ、俺らによこしな」
単純過ぎる。そして甘過ぎる。油断して連れ去られた俺も単純で甘いが、この男達はそれ以上。だがそれ以前に、気に食わないことが一つある。
「――俺は、お前達みたいな、努力しないヤツが一番嫌いだ!」
右と左の両膝を、内側に向って思いっきり打ち合わせた。
その衝撃で、内蔵されていた2本の隠しナイフが、ズボンを突き破って膝から飛び出す。素早く手と足の紐を切って、ベッドの上に立ち上がった。
「てめぇ!」
取り押さえようと、スキンヘッドの男が向かってきたが、手にしたナイフを投げつけて威嚇。左足のナイフを抜き取って構えた。
「こっちは2回も誘拐されてるんだ! 何も準備してないわけないだろっ」
「調子に乗ってると――」
「うるさい、クソオヤジ共! 自分の力で何もできないヤツが、俺に命令するな!」
わかっていない。この男達は何もわかっていないんだ。
父さんが、
「他者が造り出した物を奪うのは楽だよね。自分では何の苦労もしないし、失うものなんて何もないんだから。一番、卑怯でズルイ生き方だよ」
「金持ってるヤツから奪って何が悪――」
「黙れ、ハゲ!」
「ハ、ハゲ……!」
「な、なんで俺ら、こんなガキに説教されなきゃ……」
「そこのミイラ! うるさいっ、包帯で口でも閉じてろ!」
―― ドクンッ
一際大きく、強く鼓動が跳ねて、急に息苦しさが襲った。
このズキズキと痛む感覚は、
男達に腹を立て、興奮したのがまずかっただろうか。立っているのもままならなくなって、ガクンッと、膝から崩れ落ちた。
これを好機と判断した男達は、互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑ってにじり寄った。
「さっきはよくも、偉そうに言ってくれたな」
「ユニ、あんまり傷つけるなよ。大事な商品だからな」
「わかってるよ」
スキンヘッドの男が俺の胸倉を掴み、そのまま持ち上げた。その時。バンッと、突然ドアが蹴破られた。部屋の外に立っていたのは、またしても見知らぬ男だった。
髪がグレーのショートバック、煙管を持った右手は真鍮製の義手。ストライプのネクタイとトラウザーズがやけに派手で、目がチカチカする。
「お取込み中、お邪魔しますよ~」
「な、何だ、お前っ。どこから入って――」
「何だとは失礼だねぇ。そういう礼儀知らずの悪い子さんには、警察の皆さんにお仕置きしてもらうといいさ」
合図を受け、十数人の警官が部屋に流れ込んできた。男達は逃げる間もなく、あっという間に捕まって連行されていく。
助かった。そう安堵しながらも、乱れた鼓動で呼吸するのも辛く、シーツに顔を埋めた。
「よく頑張ったな、坊ちゃん」
男はこっちへ歩み寄ると、ベッドに横たわっている俺を抱き起こした。鳶色の目がまっすぐに見下ろしている。
「あんた……誰?」
「これは申し遅れました。兼平リョウジと申します。お父さんが雇った、本当の護衛だよ」
そう言って、リョウジは俺の
俺自身の心臓が発作を起こして、急激な血流の変化で鼓動が乱れた時に、
「どうだ、少しは楽になったか?」
「……うん。何か、妙に詳しいね」
「まぁ、おやっさんには色々説明受けてるからね」
リョウジは俺のベストの襟元に手を入れ、ゴソゴソと探っている。「いた、いた~」と、目の前に差し出された手の平には、一センチほどの小さな、蜂の姿をした
「もしかて、服に仕込んでたの?」
「おやっさんの指示でね。これで坊ちゃんと男達の会話もしっかり聞いてたし、発信機付きで居場所も難なく特定できていたわけさ」
「だったら、もう少し早く迎えに来てよ……」
「こういうのは、絶体絶命の時に登場した方がかっこいいだろ?」
冗談なのか、それとも本気なのか。どちらとも取れるような子供っぽい理由を口にして、リョウジはケラケラ笑っていた。
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