第11話「立ち上がるための足」

 機械心臓カルディアを手に入れたのは、15年前の冬だった――


 目が覚めるような赤いカプセル。

 光沢のある白い糖衣錠。

 手の平に並んだその小さな薬を口へ含み、少し温い水で一気に流し込んだ。スルリと、喉の中を通って、腹の底へ落ちていくのをしっかりと感じる。フゥッと息を吐いて、俺はベッドの上から窓の外を見た。

 ここは北にある辺境の田舎町【アーシュロ】の診療所。

 外ではチラチラと雪が舞っている。工場から立ち昇る蒸気のせいか、辺りはより一層白く染まっていた。

 ベッドの上に乱雑に脱ぎ捨てた義足をつけて、ピョンと跳ねてベッドから降り、窓の前に立った。病室は暖かいけれど、窓の周辺はひんやりと冷えている。目に見えない冷気が、足元へ流れていくのが手に取るようにわかった。


「雪、初めて見た……」


 好奇心に駆られ、急いで窓を開けた。

 降ってきた雪に手を伸ばすも、捕まえ損ねて、その欠片は手の甲に触れた。肉眼でもはっきりと見える結晶は、肌に触れたとたんに俺の体温で融けてしまった。綺麗な反面、どこか儚くて、それが不思議なくらいに惹きつけられる光景だった。

 生きているうちに見たいと願った雪が、目の前で舞っている。ヒラヒラとか、ユラユラとか。風に煽られて、落ちていく音が聞こえそうなほどだ。それが無性に嬉しかった。

 恐る恐る、けれど少しだけ期待を抱きながら、俺は胸に手を当てた。

 服越しではあるが、指先に触れたのは固い金属。今、左胸には真鍮しんちゅうでできた円型の扉がある。閉ざされたその先にあるのは、機械で造られた心臓。生まれつき小さく弱い心臓の力を補い、強化する2つ目の心臓だ。

 違和感はあった。今までなかったものが、こうして埋め込まれたのだから。でも、体を縛りつけていた重い気怠さも、歩くことさえままならなかった息苦しさも、今は完全に消え失せていた。


 ―― コンコンッ


 その音に、反射的に振り返った。

 ガチャリとドアが開いて、病室に父さんと母さんが入ってきた。ベッドから降りている俺を見るなり、母さんは慌てて飛んできた。


「フラン! まだ寝てなきゃ駄目じゃないのっ」

「平気だよ。手術のおかげで起き上がれるようになったし」

「それでも安静にしてないとね」


 窓は閉められ、背中を押されて急かされる。ベッドに戻されて不貞腐れる俺に、父さんは朗笑して、俺の頬を大きな手で撫でた。


「調子、良さそうだな」


 熊みたいに大きくて、オイルと陽向が混ざったような匂いがする。母さんの細くて優しい手とは違って、力強くて、ちょっとだけ乱暴だ。むずがゆいような嬉しさはあるものの、少しばかり複雑というか、素直になれない事情があった。

 実は、父さんがいるという事実を知ったのは、つい1年くらい前だ。それまで〝お父さんは亡くなった〟と聞かされて育ってきたせいで、現れた時は正直戸惑った。死者が生き返ったと本気で思ったくらいだ。

 父さんが言うには、俺や母さんに会えなかったのは「あのクソジジイの陰謀のせい」らしい。それ以上の詳しいことは、もう少し大人になってから話してやると言われている。


「体、痛くないか?」

「うん。こんなに体が軽く感じたの、初めてだよ」

「そうか」

 そう言った声が、なぜか不安そうに聞こえた。

「父さん、どうかしたの?」

「いや……お前の体に傷がついてしまったことが、な」

 

 服の隙間から見える機械に、父さんは躊躇ためらいがちに触れた。

 肌に食い込むボルトや、機械心臓カルディアが納められた蓋の縁を指先でなぞる度に、唇をグッと引き結んで、表情を強張こわばらせていた。


「適合する心臓を見つけるには、費用も時間もかかり過ぎる。今できる精一杯の方法が、これしか見つからなかったんだ。すまないな、フラン」


 どうして謝るんだろう、その想いがじわりと、頭の片隅で広がった。

 何度も生死を彷徨って、母さんに心配ばかりかけていた。それに比べれば、何てことはない。これで迷惑をかけずに済むはずなのに、どうして謝るのかわからなかった。


「これで父さんの会社はもっと大きくなるね」


 これといって特別なことを言ったつもりはなかった。だが、その言葉に父さんは目を丸くした。


「この技術があれば、俺と同じ病気の人、助けてあげられるでしょ?」

「いや、これはお前のためのものだ。会社のために作ったわけではないんだ」


 とがめられたわけでも、叱られたわけでもない。悪いことを言ってしまったような気がして、まっすぐ、父さんの顔を見られない。

 肩を落としている俺に気づいた母さんは、父さんの腕を思いっきり叩いた。それには父さんはびっくり。


「フランの許可が出たんですもの。会社のために使ったらいいわ」

「いや、しかしだな」


 さらにもう1回。今度は拳で小突かれ、体の大きな父さんがよろけた。


「痛っ!」

「悩む暇があったら行動しなさいよ。もっと会社を大きくして、もっといいものをたくさん造って、とことん研究して。中途半端なことほど罪なものはないわ」


 真剣な顔をしていたかと思えば、フッと表情がゆるんで、いつもの優しく柔らかい表情で父さんを見据えた。


「今度こそ、しっかり守ってちょうだい。フランも、私も」

「……わかった、約束するよ」

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