第10話「遠い記憶」

 ぼんやりとした意識が、じわりと体に溶け、目が覚めた。

 枕元に置いた時計を手に取りながら、静かに息を吐く。寝過ごしたらしく、もうすぐ昼になろうとしていた。

 深めに息を吸い込み、胸に手を当てて鼓動を確認する。こうして息をしていること、心臓が動いていることに安堵する。もう何度こうして、確かめたかわからない。子供の頃はベッドの上で生活することがほとんどだったせいか、どうにも、この確認癖が治らない。


「調子、悪いの?」


 隣で寝ていたレイリが寝返りを打って腕にしがみついた。見上げる目はまだ眠そうで、気を抜けば閉じてしまいそうなくらい、ぼんやりとしていた。


「大丈夫。いつもの確認だから」

「何かあったら、ちゃんと言ってね」

「わかった」

「うん……あっ、そうそう。少し前に、あれが戻ってきたたよ」


 指さした先は部屋の隅に置いた机だ。そこにちょこんと座り、こちらをじっと見つめていたのは、リョウジ作の猫型機械人形オートマタ。店周辺の状況を探らせるために偵察に出していたものだ。


「随分早く戻ってきたな」

「データいっぱいになるくらい、色んなもの撮れたのかもしれないね」


 仮にそうだとしたら、あまりいい状況ではないだろう。あの小さな機体に内蔵された伝書盤エピストラに、店の前に張り込んでいる大勢の記者達が映っているのは容易に想像ができた。

 ベッドから這い出て机に向かったものの、機械人形オートマタには触れず、引き出しを開けてピルケースを手に取った。

 本の形をしていて、表紙を捲るように蓋を開ければ、中心で二つに区切られているそこに、右に赤いカプセル、左に白い糖衣錠とういじょうが入っている。この体になってから飲み続けている、拒絶反応を抑える免疫抑制剤だ。

 昨晩、紅茶を飲んで使ったまま机の上に置きっぱなしにしていたカップに、ポットの水を注ぎながら、薬を口の中へ放り込む。苦さも、甘さもない。ただ、ゴクリと飲み下すだけ。

 呑み終えて再びベッドへ戻ってくると、レイリは顔だけ起こして不思議そうに見上げた。


「確認しなくていいの?」

「見なくてもわかる。確かなのは、今日も店は開けられないってことだな」

「じゃあ、もう少しだけ寝よ?」


 仰向けに寝転んで、ねだるみたいに両手を伸ばす。レイリに誘われるがまま、その手に引き寄せられてベッドに膝を乗せた矢先、勢いよくドアが開いた。見れば、煙管に火を点けながら、足でドアを開けるリョウジの姿があった。


「いつまで寝てるんだ? 体腐っちまうぞ……って、昼間からイチャイチャするな!」

「ノックもなしに開けるリョウジが悪いんだろ」

「本当、空気読めないんだから……」


 ベッドの淵に腰を下ろすと、レイリものそのそと起き上がって隣に座った。かけ忘れていた眼鏡を俺の顔にかけ、乱れた髪を手櫛でとかしてくれる。

 互いに見つめながら、俺はレイリの後頭部の辺りを軽く撫でてやる。くすぐったかったのか、少しハニかんで猫みたいに目を細めた。それが妙に愛おしくなって、夢中になっていると――


「ほら、じゃれるのは後にしてくれよ。点検が先だ」

「そうか、今日はまだだったな」

「わかってるなら、さっさと脱いでくださいねぇ」


 本棚の前に置いてあった椅子をズルズルと引きずって、リョウジは俺の正面に置く。ドカッと腰を下ろし、服を脱げと身ぶり手振り。シャツのボタンを外して、胸を開き、ベッドに仰向けに寝転んだ。


「さーて、開けますよ~」


 声を弾ませ、鼻歌なんて歌いながら、蓋の右端にある数字が並んだダイヤルを回し、リョウジは機械心臓カルディアの鍵を開ける。

 1、2、0、5――カチ、カチ、カチ、カチ。プシュッと、空気が抜けるような音を発して、閉ざされていた蓋が開いた。その先には機械心臓カルディアがおさめられている。

 歯車やパイプ、血管の代わりに張り巡らされた細い管が、複雑に絡み合って心臓の形を造っている。ガシャン、ガシャン、カラカラ、カラカラと。金属の鼓動が室内に広がった。


「やっぱり、何度見ても綺麗ね」


 レイリは胸元を覗き込んで、うっとりと、恋をしているみたいに眺めている。

 蓋の表面には月と太陽を象ったような装飾が施されているが、肉体を食らうように、あるいは噛みつくように、肌に食い込んだボルトはもちろん、機械が埋まっている様はある意味不気味だ。だが、そう思うのは俺だけ。少なくとも、この2人にはそう見えていない。


「この真鍮の輝きと、無駄のない曲線美、体内で噛み合う歯車の音が最高」

「肉体と機械の融合。おやっさんが残した、最高の芸術品と言っても過言ではない!」


 こうなってしまっては、2人の機械愛は語りつくすまで止まることはない。まだまだ語ろうとしていたそこへ、通信機アステリに通信が入った。


「もしもし」

『もしもし、フラン? 元気にしてた?』


 通信を繋いだとたん、底抜けに明るい声が聞こえてきて思わず吹き出した。母さんだ。

 俺一人で対応すると、後々疲れが出るから、通信機アステリのスピーカー音量を上げて、リョウジとレイリにも聞こえるようにした。


「ご無沙汰してます、お母様」

「ユウリさん、相変わらずお美しい声ですね」

『あら、その声はレイリちゃんとリョウちゃんね。ということは、点検中だったかしら?』


 さすがに察しがいい。遠く離れていても、今の今まで傍で見ていたかのように状況を言い当ててしまう。

 例えばその日着ている服装や昼に何を食べたかということまで、しっかり当てるほどだ。だから母さんには下手な嘘はつけない。ついたところで見抜かれるからだ。そんな母さんを、リョウジは魔女だと言って、少し恐れていた。


「こんな時間に連絡してきたってことは、仕事に行き詰ったんだろ?」

『えっ? そんなことないわよ。しばらく連絡してなかったから、声が聴きたくなっただけよ』


 わざとらしい理由を口にしたから、間違いなく行き詰ったのだろう。

 母さんは首都にあるシュオル大学の教授で、今は考古学を教えている。発掘だ、研究会だ、論文だと、あちこち飛び回っていたり、図書館や研究室に缶詰になっているから、ここに顔を見せに来るのは年に数回程度。

 自分の好きなことに没頭して突っ走っている母さんだが、行き詰ると俺に連絡してくる癖がある。大方、論文を書いている途中で行き詰ったか。


「丁度よかった。母さんに話しておきたいことがあったんだ」

『もしかして、あの新聞のこと?』


 どうやら見ていたらしい。

 父さんが手紙を残していたこと、妙な伝書盤エピストラ機械人形オートマタ、腹違いの弟に疑われたことを話して聞かせた。もともとさっぱりした性格というか、あっけらかんとしているというか。こっちが真面目に話しているのに、母さんはまるで他人事のように笑っていた。


『あの記事はそういう経緯があったからなのね。まったく、あることないこと好き勝手書いてくれちゃって。私、いつの間にか愛人にされちゃったわ。ふふっ、本当に迷惑な話よ』

「笑い事じゃないだろ。大学の方にも、記者とか行ってるんじゃないのか?」

『ん? そんな人が来ていたような、いないような。私、忘れっぽいから憶えてないわ』


 そうは言っているが、おそらく押しかけているはずだ。その影響で講義が中止になったか、謹慎になったか。レイリもリョウジも、それは何となく感じ取ったらしい。心配そうに顔を見合わせていた。


『まぁ、私のことはどうでもいいじゃない。問題はあんたよ』

「俺?」

『今回の件が、あんたの心臓の負担になるんじゃないかって心配なのよ』


 俺はどう返していいのか迷って、言葉を探していた。

 誰かに心配されるのは悪くない。ただ、それが相手の心を独占して、束縛しているように思えて、言いようのない罪悪感を覚えてしまう。


「余計なお世話。母さんは自分のことだけ考えて、仕事楽しめよ」

「大丈夫ですよ、ユウリさん。フランには俺がついていますし、強くて可愛い許嫁もいますからね」

『そうだったわね。フランには頼もしい仲間がいたんだったわね。それじゃ、私も仕事に戻るわ。息子をよろしくね』


 終始明るい声のまま、母さんは通信を切った。

 通信機アステリを枕元に置き、俺はじっと天井を見つめる。そんな俺を見て、リョウジが呆れた様子で笑っていた。


「余計なお世話とは、冷たい言い方するよな~」

「俺は自分の力で生きていくって、ここへ来ると決めた時に話したはずだ。憶えてるだろ?」


 リョウジは「そうだったな」と、それこそ他人事みたいに言って煙管キセルくわええた。レイリは俺とリョウジの顔を交互に見つめ、首を傾げていた。

 そう、それは俺とリョウジしか知らない昔の話だ。

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