第9話「守るべき居場所」

 長針と短針が重なり合う正午――第6セクターの最下層にあるパベル教会の時計塔から、時刻を知らせるオルゴールの音色が響き渡った。

 立ち止まって聞き入る者、まるで気づかず通り過ぎる者。それらを横目に、俺は礼拝堂に足を踏み入れた。

 ステンドグラスを通る人工的な明かりが、鮮やかな色をまとって、祭壇のそばに置かれた巨大なパイプオルガンを照らしている。

 響き渡る音に耳を傾けながら、訪れる市民達を、右の列の最後尾席に座って眺めている男がいる。

 足首まである黒革のロング・コート。

 真鍮製しんちゅうせいの武骨なゴーグルに、羽やビーズの装飾がジャラジャラとついたトップ・ハット。

 目の覚めるような赤いスカーフ。そして、ワカメみたいなチリチリの髪。

 彼が待ち合わせの相手【久遠くおん・ジェノ・ユキト】。今は隠居生活で余生を楽しんでいるが、元情報屋であり、俺がこの裏稼業を始めるきっかけを作った男だ。

 今年六五になったばかりだが、この爺さん、精神的にも肉体的にも異様なほど若い。コウに負けず劣らずの女好きで、女を切らしたことがないと、耳にタコができるほど自慢話を聞かされたことを、その後ろ姿を見る度に思い出す。


「ご無沙汰しております」


 その横顔を見ながら、彼の左隣に座った。

 もみあげと繋がった顎髭あごひげ、ピアスだらけの耳が真っ先に目に留まる。相変わらず痛そうだ。

 そんなことをふと思いながら観察している俺を、振り向いた久遠さんのビリジアン色の左目と赤い右の義眼がとらえた。


「少し見ねぇうちに良い顔になったな。リョウジの野郎は元気か?」

「えぇ、煩いくらいに。つい最近、第32セクターにある花屋の、マリアって女性と付き合い始めたそうですよ」


 それを聞くや否や、チッと舌打ちをして、なにやら面白くなさそうだ。その反応を見るに、付き合っていたララという雑貨屋の娘とは上手くいっていないらしい。


「あんまり知りたくねぇ情報だな。こっちはやっと口説き落とした女に逃げられたっていうのによ」

「どうせ久遠さんが二股かけたんでしょう」

「まぁ、そうとも言うな」


 悪びれる様子もなく、ケケッと低く喉を鳴らしながら、俺に小さな包みを差し出した。

 タータンチェックの布で四角い何かを包んでいる。畳まれたそれを指先で摘まんで開くと、バスケットの中に詰められたサンドイッチが入っていた。


「行きつけのパン屋が新作を出してな。美味いぞ」

「いつもすみません。では、遠慮なく」


 一つ手に取って、ガブリとかぶりつく。スモークチキンとチーズ。レッドオニオンのスライス、ソースはトマトとマスタードか。

 しばらく、パンと野菜の噛み砕く音が沈黙を埋めていく。

 シャキ、シャキ、ゴクリ。


「新聞社にお前や設計図のことをもらしたのはリズ本人だ」


 話すぞ、なんて前置きもなく、久遠さんは唐突に話し始めた。これもいつものことだ。最初はこの話し方には戸惑ったが、付き合いが長いこともあってすっかり慣れてしまった。


「やはりそうでしたか」

「お前の過去を晒せば、耐えられなくなって渡すと考えたらしい」

「そもそも、俺は設計図を持っていないんですけどね」

「真実はそうなのかもしれないが、少なくともリズは信じちゃいない。だからこんな妙な行動を起こしたんだろう」


 ふと、久遠さんの視線が逸れた。何を見ているのかと視線を追えば、俺達が座っている席と隣の席の、間にある通路だった。

 そこへ、礼拝に来ていた子連れの母親が近づいてくる。手を引かれて歩く小さな女の子に、久遠さんはニッと笑って手を振った。女の子は恥ずかしそうに手を振り返し、母親のスカートに顔を埋めて通り過ぎていった。


「これで俺が動かなかったら、リズはどうするつもりだったんでしょうね」

「おそらく、標的を変えるだろうな」

「まさか、ロロさんやコウ?」


 久遠さんはこくりと頷いた。


「他の情報屋を使って調べさせているらしい」


 皆の顔が脳裏を過った。お世辞にも大っぴらにできる過去ではない。特にコウだ。

 【首都シュオル】と【蒸気の街ホロカ】のちょうど中間に、【レラ】という名の商業都市がある。代々、そこをシマに貿易から不動産業、表には決して出ない裏の仕事まで。あらゆるものを牛耳り、操っていたのが國嶋家だと言われている。コウはその首領ドンの息子だ。

 久遠さんの手伝いをしていた頃、コウのことは何度か耳にしたことがあった。本人はその稼業から足を洗ったし、縁も切ったと言っていたから詮索はしないようにしている。もちろん、こちらから聞こうとも思わないが……マフィアの首領の息子――その肩書は、一生消すことはできない。

 ほとぼりが冷めるまでと、アンナ婆ちゃんには話したが、この様子だと店を続けられるか定かではない状況だ。


「それから、お前のオヤジさんな。遺産はもちろん、機械心臓カルディエの設計図をリズに渡すこと、相当嫌がっていたらしいぞ」

「一応、リズも父さんの息子なんですけどね」

「血が繋がっていればいいってもんでもねぇだろ。親子だろうと相性ってもんがある。数年前、〝俺が作り上げてきた物を、あいつに渡すのは我慢ならん〟と、知人にこぼしているのを、酒場の店主が聞いていたそうだ」


 その言葉通り、父さんはリズを機械心臓カルディアの製造には一切関わらせず、余命わずかと宣告されても自らで造り続けていたそうだ。

 決意というか、意地というか。頑固ともいうべきか。一度決めたことを曲げないところは父さんらしい。だが、そのおかげでとばっちりを食っているのは少々迷惑だ。


「どうしてそこまで毛嫌いしていたんでしょうか。俺がヴァンフィールド家を継げるわけがないし、結局リズが継ぐことになるんですから」

「あのリズってガキ、相当評判悪いぞ。オヤジさんの気持ち、俺も多少は理解できる」


 ちょっと待てよ、と話しながら、久遠さんは伝書盤エピストラを俺に渡した。通信機アステリに差し込み、記録されていたリズの写真が画面に映し出された。

 両脇に数人の女を侍らせて、酒場でだらしなく鼻の下を伸ばしていたり。老人の胸倉を掴んで脅していたり。

 それ以外にも、リズの母親の写真もあった。これもまたリズ同様に、若い男と腕を組んで、山のように買い漁った品を護衛に運ばせて、宝石店から出てくる姿が写っている。

 名前は確か、ルチアナだっただろうか。母さんから「綺麗な人よ」と聞いてはいたが、確かに綺麗だ。リズほどの大きな子供がいるとは思えない。ただ、その腹の底に隠した黒さや気の強さはしっかりと顔ににじみ出ている。


「典型的なバカ親子だな」

「みたい、ですね」

「技術師としてのリズの腕前はそこそこいいようだが、根っからの怠け癖がな。自分は働きもせず、父親が稼いだ金で遊び放題。母親も同じだ。こいつらの金遣いの荒さは、首都でも知らない者がいない。調べるのに苦労しなかったよ」


 と、久遠さんは白けたような冷笑をした。

 母親は違うが、一応、血の繋がった弟だから擁護してやろうとも思ったが、絵に描いたようなバカ息子ぶりを見せられ、その気も失せた。


「お前や仲間の情報は馬鹿高い金額突きつけたから記者の連中も手は出さなかったが、その代わりにリズの情報は安値で教えてやったよ」

「さすが久遠さん。容赦ないですね」

「だが、その甲斐もなかったな。リズのことを記事にしなかったのは、バカ息子よりお前のことを書いた方が面白いと判断したからだろう」

「それでリズの話に乗ったわけですか。いい迷惑ですね」

「まぁ、世の中そんなもんだ。次の記録、見てくれ」


 さらにダイヤルを回して通信機アステリを操作し、また別の写真へと切り替えた。写っていたのは、倉庫のような場所に、山のように積まれた機械心臓カルディアだった。


「随分たくさんありますね」

「ヴァンフィールド社の機械人形オートマタ技術師が撮ったものだ。オヤジさんは亡くなる前、リズに設計図を渡したくない一心で、これを造り貯めていたそうだ」

「これだけあれば、数年分の注文はまかなえそうですからね。その技術師、よく話してくれましたね」

「技術者達は、お前のオヤジさんの腕と人柄を信頼して働いてきたんだ。あんなバカ息子の下いれば、誰だって不満は溜まるもんだ」

「確かに」


 上に立つ者が無能であるほど、尻拭いをしなければならない下の者は苦労し、不満は溜まる一方。会社で指揮をしているリズを直接見たわけではないから、一概には言えないが。店に来た時と同様の態度のままなら、先が思いやられる。

 弟のことが明らかになるにつれて、その評価が上がるどころか下がるばかりだ。どこまで呆れさせるつもりなのか。少しくらい良い情報が出てきてもいいだろう。そう密かに祈りながら、次の記録に切り替える。出てきたのは、何かのリストだった。


「久遠さん、これは?」

「ここ数年分の、機械心臓カルディアの売り上げと価格変動だ。オヤジさんは造り貯めた機械心臓カルディアで、数年は持つと思っていたんだろうがな。ここ見てみろ。一年足らずで、あの山のようにあった在庫が底をついている」

「どうして急に?」

「人間の、死に対する恐怖と欲だろうな」


 たまたまだったのか、本当に影響があったのか。

 15年前に機械心臓カルディアの手術を受けていた老婆が、昨年100歳を迎えた。自ら歩くことはもちろん、激しい運動も難なくこなせる。機械心臓カルディアを入れたおかげだと、ドンシー社の新聞に掲載されたのをきっかけに、金持ちの連中が食いついた。


機械心臓カルディアがあれば寿命が延びるかもしれないってわけですか」

「何の根拠もないんだがな。欲深い人間が飛びつくには十分過ぎる記事だ」


 通常の10倍にもなる金を払って、金持ち連中が購入していく。それに味をしめたリズと母親は方針を変更。販売対象者を富裕層に絞って、延命効果があると謳い文句をつけて――おかげで飛ぶように売れたらしい。

 それで被害を被ったのは、今までの患者達だ。定期的に受けられる点検も、交換用の部品も、何もかもが値上がりし、まともに診てもらえなくなった。


「父さんは、金儲けのためにこれを造ったわけじゃないんですけどね」


 本来助けられるはずの人間さえ助けられなくなる。そんなこと、あのリズにはどうでもいいことだろう。そう思うと腹が立って仕方ない。

 腹違いとはいえ、父さんの血を受け継いでいるのは確か。だが、こうも違いがあり過ぎると、本当に兄弟なのだろうかと疑いたくもなる。


「おかげで在庫はあっという間に底をつき、新たに造らなければならなくなった」

「でも、金庫にあるはずの設計図はどこにも見当たらなかった、というわけですね」

「それには大慌てだったらしい」

「会社を継いだ息子が造り方を知らないなんて、今更言えるわけがないですからね」

「そこでお前を利用したってわけだ」


 リズと母親のルチアナは、プライドと世間体を気にしたわけだ。

 造り方を知らない、受け継いでいない。この問題から目を逸らすために「大事な設計図を愛人の子に盗まれた」という方に周囲の目を向けさせた結果、今に至るというわけだ。


「世間の目がお前に向けられている間に、設計図が見つかればそれでいい。見つからなければお前のせいにもできる」

「理由はどうあれ、他の皆の過去を調べられるのは阻止しないといけません」

 俺はもちろん、皆の居場所はあの店……【コンバラリア】だけだ。


 5年前、あの店を開いた日。

 弟に裏切られて命を狙われ、瀕死の傷を負って店に駆け込んできたコウ。

 組織から組織へ渡り歩き、裏世界で生きることに疲れて、偶然あの店にやってきたロロさんとレイリ。

 元護衛組織の一員で〝仲間殺し〟の濡れ衣を着せられて、10年という月日を地下牢で過ごしていたリョウジ。

 そして、先の見えない体を抱えた俺。

 偶然にも集まった俺達が求めていたのは、何の変哲もない願い。命が尽きるその日まで、穏やかな時間を笑って過ごせたら――ささやかな願いを守るために、最善策を見つけなければ。

 その時、ふと視線を感じたかと思えば、久遠さんが俺の横顔を見つめていた。目が合うなり、フッと吹き出して目を伏せる。

 顔に何かついているのか。もしかしたらサンドイッチのソースでもついているのだろうか。急に恥ずかしくなって、おずおずと頬に触れた。


「お前、まだこの仕事続けるつもりなのか?」

「何ですか、急に」

「いや、俺の小間使いをしていた頃に言っていただろう。〝どこにでもある平凡な生活をするのが願いだ〟って。その願いとはかけ離れた仕事だからな」


 久遠さんは食事を終え、満足気に天井を見上げた。

 【ルー・ビアンカ】は、元々久遠さんが情報屋として名乗っていたものを、俺がその仕事ごと引き継いだものだった。

 このホロカに越してきた10歳の時。たまたま、久遠さんが依頼人と取引をしている現場に遭遇してしまった。口封じのために始末されそうになった俺は、咄嗟とっさに「その仕事の手伝いがしたい!」と、久遠さんにすがりついた。

 その時に始末されてもおかしくはなかった。だが、久遠さんは俺を面白いヤツだと思ったらしい。その一件から小間使いとして傍にいるようになり、気がつけば【ルー・ビアンカ】を引き継いでいた。


「俺の心臓のこと、心配してくれているんですか?」

「まぁな。今だから言うが、ガキの頃にお前を使っていた時はハラハラしてたよ」


 まるでドアをノックするように、軽く握った拳で俺の機械心臓カルディアをトンッと叩いた。服越しのせいか、こもったような鈍い音がした。


「いつ動かなくなるか、わかんねぇだろ?」

「確かに、それは俺にも予想はできません。それでも、この仕事を続けるのは生きていくためです。それは今も変わりませんよ」

「やらなければならない事と、やりたい事は別ってことか」

「そもそも、俺が仕事を手伝いたいと言った時、選べる状況じゃなかったでしょう。久遠さんに消されそうになったの、忘れたわけじゃないですよね?」

「ははっ、そうだったな」


 一拍の間を開けてから、久遠さんはバシバシと自らの膝を叩きながら豪快に笑った。ただでさえ大きいその声が、広い礼拝堂内で反響してさらに煩いくらいだった。


「笑い事じゃありませんよ」

「なぁ、フラン。俺の仕事を引き継いだこと、後悔してるか?」


 不意に投げられた問いに、俺は迷うことなく首を横に振った。

 後悔などするはずもない。今ここにいる現在の俺を形成したのは、過去の選択だ。それが間違った選択だったと思うから後悔に変わるし、同時に今の俺を否定することになる。自分が選んだ答えに、否定も迷いも必要ない。


「多分、俺が引き継ぐことも、その答えを選ぶことも、決まっていたことだったんですよ」

「ん? そう、なのか?」

「えぇ、そうなんですよ、多分」


 体を動かして、当前のように働くことが、あの頃の俺には難しかった。いつまで心臓が持つか何の保証もなかった俺には、できることが限られていた。

 情報屋という、目の前にあったものを無我夢中で手にして、生きていかなければならなかった。やりたい事のために、やならければならない事がある。すべては「生きる」ためだ。


「願いがあるから頑張れるんです」

「願い?」

「それこそ〝平凡〟ですよ。俺や一緒に暮らす皆は、のんびり生きていくのが願いですからね。そうやって人間は願いにしがみついて、強欲に生きていくんです」


 そうだな――そう呟いて、久遠さんは席を立った。


「俺が持っている情報はこれで全部だ。俺はいつもの酒場にいるから、金はそこに頼むよ」

「わかりました。後で届けに行きます」

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