第8話「師匠と子猫」
今日は
いつもなら開店と同時に客が入ってくるというのに、その日は2時間近く経っても席はがら空き。常連のアンナ婆ちゃんを除いて、来店しているのは労働者らしき2人組の男だけだった。
商売において欲は禁物。「忙しくなればいい、繁盛すればいい」、そう思えば思うほど客は来ない。こういう時こそ、今日は「暇ならいいのに」と思うくらいが丁度いいと、アンナ婆ちゃんが口癖のように言っていた。
客入りが見込めないと早々に判断し、カウンターで本の修理に没頭していると――
「ねぇ、フラン! 心配じゃないの?」
隣の席にやってきたレイリが、カウンターのテーブルに頬を押しつける勢いで俺の顔を覗き込んだ。
「何が?」
「お客さんだよっ。こんなに暇だったこと、今までにないじゃない」
「今までが暇とは無縁だっただけだよ。それに、アンナ婆ちゃんが言ってただろ。今日、隣町で収穫祭があるって。皆そっちに行ってるんだよ、きっと」
「そうかもしれないけど……」
落ち着かないらしく、レイリは溜息をつきながらテーブルに突っ伏す。不安になっているレイリには悪いが、あたふたしている姿もなかなか可愛い。
居ても立ってもいられなくなったレイリが、店の前で呼び込みをすると言い出した、丁度その時。店のドアが勢いよく開いた。息を切らして駆け込んできたのは、買い出しに出かけていたリョウジとロロさんだった。
着いて早々、リョウジは慌てて外の看板を店に戻し、ドアにかけられたプレートを「閉店」にして閉めてしまう。ロロさんは、かぶっていたボーラー・ハットで扇ぎながら、力なく看板に寄りかかった。
「おかえりなさい……って、2人とも買い出しに行ったんですよね? どうして服が乱れているんですか?」
入り口付近の席で、アンナ婆ちゃんの話し相手をしていたコウが、帰ってきた二人を見て怪訝な顔をした。
確かに、2人の衣服は激しく乱れていた。ロロさんはいつもピシッとネクタイを締めているのに、だらりと下がって、今にも外れそうだ。リョウジにいたっては、シャツのボタンが千切れ飛んで、袖口が少しだけ破れていた。
「ロロさん、何があったんですか?」
「買い出しの最中に記者に囲まれてな。おかげでこの有様だ」
「記者?」
「それより、フラン。妙なことになってるぞ」
呼吸も整わないまま、リョウジはフラフラと俺のもとへやってくると、数枚の
早く見ろとリョウジに急かされ、
『コンバラリア店主に黒い秘密』
『消えた設計図はコンバラリアに?』
『愛人の子、目的は遺産か?』
記事の見出しは各社様々。どうやら、客が来ないのは隣町の収穫祭が理由ではなく、ここにあったらしい。
「またありもしないことを……誰ですか、こんなことを新聞社に吹き込んだヤツは」
「決まってるだろう。リズだ」
―― 後悔することになるよ、兄さん
あの言葉は、行動に出るという
相手が弟だからなのか、それとも、一人では何もできなさそうな口先だけの態度に油断していたのか。どちらにしても、気を抜いてしまった俺の落ち度だ。
「あのガキ。この店、潰す気なのかねぇ」
リョウジは呆れたような溜息をついて、煙管に火を点けた。それでようやく落ち着いたらしく、安堵混じりの溜息をついて、天井をぼんやりと見上げた。
「欲しい物が手に入らなくて、駄々こねているだけだろ」
「その八つ当たりがこれとは。どこまでガキなんでしょうね、あれは」
コウはリズが相当嫌いらしい。一度しか会っていないリズをはやくも「あれ」呼ばわりだ。
「なんだか、大変なことになっているみたいですね」
そこへ男が近づいてきた。今日、店に来ている数少ない客の1人だ。どうやら紅茶のおかわりが欲しかったらしく、カップを手にニッコリとされた。
「申し訳ありません、気がつかなくて。今、お持ちしますね」
「僕も今朝、新聞見ましたよ。ここへ来る途中も、妙に騒がしかったですし」
「あんなの、信じないでくださいね! 嘘ばっかりなんですから」
口を尖らせるレイリに、男は「もちろんですよ」と、大きく頷き返した。
「僕は自分の目や耳で見聞きしたことしか信じませんので、大丈夫ですよ」
「そう言ってくれると嬉しいです。あっ、リョウジ! お客さんの紅茶、早く用意――」
「ところで、本当のところはどうなんですか?」
そう遮って、男は俺の方へ振り返った。その顔は憎らしいくらいに野心で塗り固められ、手にはペン型のボイスレコーダーが握られている。それで全てを覚った。
「……あんた、記者だったのか」
「ドンシー社の者です。是非、機械心臓(カルディア)の設計図について、お聞かせいただければ」
名刺を出そうとした手を掴み、キッと睨みつけてやった。それでも男は怯まず、ヘラヘラ笑って「痛いですよ」と、手首を掴んでいる俺の手を軽く撫でた。
「ロロさん、おそらく連れの男も同じ記者です」
「はいよ。まったく……しれっと客になりすましやがって!」
「ちょ、ちょっと! 乱暴はよくないですって!」
放り出した丁度そこに、記者らしき集団がこっちに向かってくるのが見えた。俺を見つけるなり、指をさして走ってくる。うんざりする俺と、嫌悪を
「また厄介なのがきやがったな」
「この様子だと営業になりませんね。アンナ婆ちゃん、悪いけど今日は閉めるよ」
店内に向って呼びかけると、コウにエスコートされ、アンナ婆ちゃんが外へと出てきた。俺のもとへ歩み寄り、不安気な顔で見上げながら、そっと俺の頬を撫でた。
「フランちゃん、大丈夫なの?」
「あぁ、平気だよ。ほとぼりが冷めるまで、店は休むことになりそうけどね」
「残念ね……。毎日の楽しみが減ってしまうわ。開店する時は連絡もらえる?」
「うん、一番に連絡するよ」
「約束よ。それじゃあね」
寂しげに離れていくその後ろ姿を見送ってから、早々に店へ駆け込み、ドアを閉めて鍵をかけた。
直後に外はがやがやと騒がしくなった。スモークガラスの向こう側に人影が写り、明るかった入り口が、あっという間に暗くなっていった。
「和泉フランさん、お話聞かせてもらえませんか?」
「ワッカ社です。うちにもお話を!」
迷惑などお構いなしに、記者たちはドアを壊す勢いでドンドンと叩く。
さすが、ヴァンフィールド家に関係することとなると、食いつきの度合いが違う。こんな時ほど、この血が
「何か対処しなくていいのか?」
遠巻きにドアを眺めながら言ったリョウジの声が、やけに弾んでいた。
いつの間に用意したのか、リョウジは両脇に
「リョウジ……変な気、起こすなよ。もちろんロロさんもです」
「最近、体が鈍っている気がしてな。丁度いい運動になると思ったんだが」
「実は、俺も試作品が完成したんだ。試運転させたいわけよ~」
脇に抱えた
「可愛い!」
「気持ち悪いですね」
それを見たレイリとコウの、相反する意見と声が重なった。予想はしていたが、思っていた以上に綺麗に揃っていた。
「可愛いのに趣味悪いですね、やっぱり……」
「理解してくれる人が一人でもいればいいの。ねぇ、リョウジ。それ、動かしてみて」
「そう言ってくれると思ったよ。ほら、フランが店のケーキや紅茶の宅配もやりたいって、前に言ってただろ。いつか使えるだろうと思って、配達用の
鼻歌まじりに、背中のスイッチを入れて起動。とたんに、ブーンと羽音を立て、ホバリングしたり円を描いて飛んだり。目がグルグル動く様や、首を
飛び回るトンボを見つめる目は、まるで恋をしているかのように、うっとりとしていた。
「これ使って何しようと思ってたんだよ」
「こいつな、100キロくらいまで持ち上げることできるわけよ。だから一人ずつ捕まえて、どこか遠くまで運んでやろうと思ってな」
「却下だ。こういう時は反応した方が負けだし、何をしても意味がない。周りが騒いでいる時こそ、沈黙を貫いた方がいい」
「相変わらずフランは落ち着いてるねぇ」
「なんでもいいですが、さっさと止めてくださいよっ。気持ち悪い!」
「気持ち悪いって、まるで俺が気持ち悪いみたいな……酷い言い方するね~」
叱られた犬みたいに、しゅんと肩を落とし、リョウジは渋々
ゆっくりと床に着地し、シューと蒸気を吐き出すトンボの
「今は様子を見るしかない。だから、皆はここで待機。俺は出かけてくる」
「こんな時に?」
レイリはドアの向こうにいる記者達に目をやった。
一歩でも外に出れば、待ち構えている記者達に取り囲まれることは間違いない。わざわざそんな場所に飛び込んでいくのかと、そう言わんばかりにレイリは首を
「リズが何を考えているのか、ヴァンフィールド社について少し情報を仕入れてくる」
「じゃあ、私も一緒に――」
「一人で行ってくるよ」
言い終わる前に答えたのが気に食わなかったのか、レイリはすぐさまムッとする。いじけた顔もまた可愛いが、今はその言葉をかけても喜んではくれないだろう。
「これから会いに行く人は、とても用心深い人でね。信用されてないと会ってくれないんだ。だから、今回も俺一人でいいよ」
「……いってらっしゃい」
珍しく、レイリが素直に引き下がった。
まるで、寂しさをグッと
だから少しだけ強めに抱き寄せた。これで少しは機嫌が直ればいいのだが、そう簡単にはいかないだろう。まだ納得しきってはいないようだったが、それを諭されないように顔を背けていた。
皆をその場に残し、俺は3階へ向かった。
ツー、ツー、ツー。ガチャ。
通信が繋がり、声を出そうとした、その時――
『よう、
俺よりも先に、久遠さんの声が耳元で響いた。しかも子猫呼ばわりだ。
相変わらず豪快で、内蔵のスピーカーが壊れそうなほど声が大きい。驚いて階段を踏み外しそうになって、途中で立ち止まってしまった。
「その呼び方ですが、いい加減止めてください。もう子供じゃないんですから」
『俺よりガキなのは間違いねぇだろうが』
確かにそうだが、25にもなって子供扱いされるのは妙に癪というか。久遠さんとは親子ほど歳が離れているから間違いはないのだが、それでも納得はしたくない。
「その話はまたの機会に。急で申し訳ないのですが、調べて欲しいことがありまして」
『自分で調べればいいだろう。その仕事はお前に譲ったんだからよ』
「もちろん、俺だってそうしたいですよ。ただ、今は外を歩くのも厄介な状況なんです」
『あぁ、知ってるよ。各新聞社が色々書きまくってたな』
ククッと喉を鳴らし、ズズッと、それからゴクリ。何かを飲み下す音が微かに聞こえた。おそらく、行きつけの酒場でお気に入りの
『俺の所にも記者が何人か来て、お前やヴァンフィールド家について情報が欲しいって言ってきたよ』
「やっぱり。情報屋の仕事、まだ続けてるんじゃないですか。隠居して余生を楽しむって言ってたのは、どこの誰ですか?」
『こ、小遣い稼ぎ程度だ。余生を楽しむにも女を口説くにも、金が必要なんだよ』
「まさかとは思いますが、その金欲しさに、あの記事のことを教えたのは久遠さん……」
『馬鹿かっ』
と、語気を強められた。
普段から声が大きいというのに、怒鳴るからさらに声が大きくなる。鼓膜が破れそうになり、耳に押し当てていた
『俺が可愛い弟子のお前を、易々と売るようなマネすると思うか?』
「なんだかむず痒いですね、それ。気持ちが悪いくらいです」
『俺も自分で言って気持ち悪くなってきちまった』
ガサガサと布がすれる音がする。おそらく腕か腹でも掻いているんだろう。苦笑いしている久遠さんの表情まで容易に想像ができる。
『それで? 何が知りたいんだ?』
「ヴァンフィールド社と現社長リズについて知りたいんです。記者が訪ねているなら、情報は得ていますよね?」
『あぁ、まぁな。まだどこにも出してない情報もいくつかある』
「現時点でわかる範囲で構いません。その情報、買い取らせて下さい」
『了解。正午、いつもの場所で待ってる。さっさと来いよ』
そう言って通信が切れた。
階段を駆け上がり、リビングにある柱時計の隠し扉を抜けて、昇降機で29階層の倉庫へ下りる。辺りに人がいないことを確認しつつ、足早にその場を離れた。
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