第7話「消えた設計図」
―― ヴァンフィールド家の長兄であるフランに、私の財産の一部を残す。無事、お前の手に渡ることを、心から願っている。
簡潔で、無駄がない。いや、言葉足らずと言うべきか。父さんは昔から口下手で、想いを伝えるのが下手だったが、まさか文章にしてもその口下手さが出るとは思わなかった。
たった数行の手紙と共に記録されていたのは、書架の前で本を読んでいる父さんの写真だった。革製の表紙に、金の文字で「美しき鉱物図鑑」とある。著者は「R.J.アルマンダイン」と書かれている。表紙の中央に楕円形の赤い鉱石が埋め込まれている、分厚い本だった。
「もしかして、これだけですか?」
何を期待していたのか。予想に反してあっさりしていたのがお気に召さなかったらしく、コウは不満げに口を
「どうしてこんな写真をフランに残したのかな?」
レイリはテーブルに映し出された写真を
「さすがに俺も、これだけだと意図は読めないな……」
「それにしても驚いたな。お前さん、ヴァンフィールド家の人間だったのか」
ロロさんはバシバシと俺の肩を叩いた。
俺より体格も大きく、おまけに普段から筋肉を
「いや、待てよ。確か、ヴァンフィールド社は前社長が亡くなった後、息子が後を継いでおったな。手紙にはお前さんのことを“長兄”と書いておったが、なぜお前さんが会社を継いでおらんのだ?」
「リョウジは知っていた口ぶりですよね?」
と、コウがリョウジに問う。コウ、レイリ、ロロさんの視線を一手に受けて、どう返していいのか、言葉が見つからなかったのだろう。リョウジは逃げるように線を泳がせた。
「フランのことはガキの頃から知ってる間柄というか。まぁ、そんな感じだ」
この先を話していいのかと、リョウジが目で訴えかけてきた。
特に隠したいと思う過去ではないが、説明するのが少々面倒ではある。だが、ここで
「色々と複雑なんだよ、色々な」
俺がヴァンフィールドの姓ではなく、母方の和泉の姓を名乗っているのも、後を継がなかったのも――色々、複雑なんだ。
どこから話すべきなのか。久々に昔のことをあれこれ思い出しながら、テーブルに映し出された父さんの写真を眺めた。
「確かに俺は父さんの子だけど、実際には認められてないんだ」
「誰にです? まさか父親ですか?」
あり得ない、そう言いたげな怒った調子で、コウが声を裏返した。
「ヴァンフィールドの爺さんだよ。俺、表向きは愛人の子ってことにされてるんだ。そうなるよう、爺さんが仕組んだことなんだけどな」
手にした蛾の
胸糞悪い。見ているのも嫌になって、それをズボンのポケットに押し込んだ。
「父さんが、母さんと結婚したいって話した時、すでに俺が
「何それ!」
「最悪ですね、そのジジイ」
レイリとコウが顔を見合わせて怒った。
俺も、今でもそう思っている。最悪なジジイだ。その血が少なからず、この身にも流れているのだと思うとゾッとする。いつか、あのジジイと同じような、腹黒さが
「その後、父さんは政略結婚で別の女性と一緒になって、母さんは俺を独りで産んだ。数年後に誤解は解けたんだけど、色々と遅過ぎたっていうか。俺がヴァンフィールドの姓を名乗っていないのも、後を継いでいないのも、それが理由だよ」
この邸と蔵書も、ヴァンフィールド家と関わらない代わりに貰ったものだが、俺はそれで十分満足している。それ以上のものを貰ったとも思っている。今更、父さんの家に関わりたいとは思わない。
残された
「おやっさんが残したもの、これで全部だと思うか?」
そう言って、俺に
「多分、まだあると思う」
「だよな。おやっさん、昔から色々仕掛けるのが好きな人だったから」
「何かありそうな気がするけど、とりあえずこの件は後にしよう。そろそろ店を開ける時間だ」
看板を出そうと入口へ向かったとたん、再びドアが開いた。
ドアの先にいたのは、マッシュルームみたいな髪の青年。歳は20前後。少し垂れ目で、口元にホクロがある。どこかの箱入りお坊ちゃまなのか、黒いフロック・コートを纏った数人の男達を引き連れていた。おそらく護衛だろう。
まるで品定めでもするみたいに、琥珀色の瞳が頭からつま先を往復し、再び俺の顔に戻ってくる。目が合ったとたんに、青年は鼻でフンッと笑った。
「ふーん、あんたが……」
ふーん、とは何だ?
初対面の相手に敬語が使えないのも気になったが、どこか上から目線の態度も鼻につく。だが、相手は客人だ。腹を立てるのも馬鹿馬鹿しい。
「あの、俺に何か?」
「初めまして、リズです。名前くらい、聞いてるでしょ?」
リズ――すぐには思い出せなくて、頭の中で何度もその名前を呼びながら首を捻った。一呼吸置いて、その名前が記憶の片隅にしっかり残っていたことを思い出した。
そう、こいつが、父さんの……。
「ねぇ、フラン。お客さんなら、席に案内するよ?」
駆け寄ってきたレイリが、こっそりと耳打ちをしてくる。俺はすぐに首を横に振り、
「ヴァンフィールド社の社長が、こんな店に何のご用でしょうか?」
リョウジを除いた他の者達は、これでもかと言わんばかりに目を見開いた。
噂をすれば何とやら。まさか本日2人目の関係者が現れるとは思わなかった。今日は厄日かもしれない。
目の前にいる、このマッシュルームヘアの青年。1度も会ったことのなかった腹違いの弟、リズ・ヴァンフィールドだった。その弟がなぜ、突然現れたのか。何か目的があるのか。
「ここ、こんなにいい邸だったんだね」
あれこれ推測している隙に、リズは俺を押し退けて店内に入った。小さく頷きながら、カウンターや書架を眺めている。その態度も小生意気で、ふてぶてしくて、どうにも好かない。
「古いって聞いていたから、あんたが欲しいって言った時も反対しなかったけど。これなら僕が貰っておけばよかったかな」
「用件があるなら言ってくれ。店、開ける時間なんだ」
仕返しのつもりで、少し嫌味っぽく懐中時計を見せてやった。とたんに、キッと、睨まれた。あからさま過ぎて、返す言葉もなかった。
「僕だって、用がなければ一生来るつもりなんてなかったよ。目的の物、返してくれたらさっさと帰るからさ」
「返すって、何を?」
「とぼけるとか、趣味悪いし。【
フンッと偉そうに、少しだけ顔を斜め上に上げながら、リズは手を突き出した。
「設計図を返せって……それを、俺が持っているっていうのか?」
「父さんの遺言には、設計図は書斎の金庫に保管されているって書いてあった。でも、いざ開けてみたら影も形もなかったんだ。代わりに、こんなメモなんて残しちゃってさ!」
リズはポケットから取り出したものを俺に投げつけた。それは、くしゃくしゃに丸められた一枚の紙だ。“お前のような人間に、
「父さんがあんたを可愛がっていたって話は母さんから聞いてるし、傍にいた僕もそれは気づいていたよ。だから、絶対あんたが持ってるんだ! 父さんが死ぬ前に、設計図をこっそりあんたに渡したんだろっ」
要するに、疑われているらしい。濡れ衣もいいところだ。
ふと、ポケットに押し込んだ
「疑うのは勝手だけどな。俺はその設計図の存在すら知らないし、受け取ってもいないよ」
「白々しい嘘つくなっ」
「そう思うなら、この店全部ひっくり返してでも探せ。俺はいっこうにかまわない」
そこまではっきり言い切られると何も言い返せないのか、リズは唇を噛んで押し黙る。その仕草がいちいち子供っぽくて、怒る気も失せてくる。
「そもそも、なんで今更なんだ。父さんが死んで3年が経つっていうのに、今までどうやって
「……す、少し前まで、父さんが造り置きしてあった在庫が大量にあって。それが底をついたから、その」
話したくないのか、リズは口籠った。今の言葉でだいたいは察しがつく。
父さんは自分の病に気づいた頃から、身辺整理を始めたと母さんから聞いたことがある。おそらく、
リズもその在庫があったから油断していたのだろうが、いざ足りなくなって製造しようとすると設計図は見当たらない。それで俺の顔が脳裏にでも浮かんで、慌てて飛んできたといったところか。とばっちりもいいところだ。
「と、とにかく! あれを必要としてるいのは、うちの関係者ではあんた以外にいない! あれがないと困るのはあんただろ」
リズの視線が俺の胸元を射抜く。それから逃れるように、俺は胸を押えた。
「そうかもしれない。でも、知らないものは知らない。5年前、この
それでも、リズは信用していないらしい。俺を睨む目が、いっそう鋭くなった。
「昨日といい今日といい……本当、手間かけさせるヤツだな」
「昨日?」
そう返したとたん、リズはハッとした。
「まさか! 昨日の
「渡さないつもりなら、こっちにも考えがある。後悔することになるよ、兄さん」
捨て吐くようにそう言って、リズは護衛を連れて店を出て行った。
バタンッと、ドアが強く閉まり、一瞬の沈黙が流れる。それを縫うように、俺の深い溜息が広がった。
「腹が立ちますね。追いかけて始末してやりましょうか」
最初に切り出したのはコウだった。
舌打ちをしたかと思えば、コルセットの中に隠していた小型拳銃を抜いている。マフィアの首領の息子という肩書があるせいか、さすがのロロさんも慌てていた。
「お前さんが言うと冗談に聞こえないからよせ」
「私、腕には自信があるんですよ? 見つからずに始末する自信もあります」
「十分知っておるわ」
ロロさんはすぐさま銃を取り上げ、コルセットの中へ強引に突っ込んだ。やはり冗談ではなかったらしく、コウは少し残念そうだった。
「
呟いた言葉は、誰の耳に届くこともなく、口の中で消えていく。胸を抑える手に、ほんの少し力がこもった。
武骨で奇怪で、機械と肉体が共存した姿が服の内側にある。弱くも脈打つ心臓の鼓動と、歯車が回る機械の鼓動。この2つの鼓動が、重なり、静かに響いている。
生まれつき心臓が弱く、子供の頃は何度も生死の境を彷徨っていた。手立てが見つからず、ただ死を待つだけだった俺が、偶然父さんと再会し、父さんは俺のために
この身体になって15年。父さんが亡くなる少し前までは、定期的に
「フランよ。お前さん、あのガキが言っていた
「持っていませんよ。ですが、どこにあるのか見当はつきました」
ポケットに入れていた
「弁護士が来て、父さんの手紙が見つかって、見計らったようにリズが現れた。あまりにも重なり過ぎている。多分、
「でもその写真だけだと、どこにあるのかわからないよね」
「本当、面倒なことしてくれたよ」
なぜこんな回りくどい仕掛けをしたのか。3年という時間を越えて、父さんが密かに仕掛けた計画が動き出したらしい。どう転ぶのか、もうしばらく様子を見ることにしよう。
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