第6話「父の影」

 暖かな朝陽に混じるのは、パンが焼ける香ばしい匂いと、珈琲のほろ苦い香り。

 身支度を整え、漂う匂いに誘われて店に下りると、カウンターにはすでに俺以外のメンバーがそろっていた。

 左端からコウ、ロロさん、1つ飛ばしてレイリ。リョウジはカウンター内で朝食の準備をしている。空いている真ん中の席に座ると、リョウジが珈琲をなみなみと注いだカップを置いた。手に取って顔を寄せると、立ち昇る湯気で眼鏡のレンズがうっすらと曇った。


「今日はフランが最後か。珍しいこともあるもんだな」

「考え事していたら寝つけなかったんだよ」

「なんだ、それで寝坊したのか」


 小馬鹿にしたように笑うリョウジをカップ越しに見つめ、冷ややかに笑ってやった。


「リョウジは何があっても熟睡できるからな。羨ましいよ、その図太さ」

「フラン君、俺には冷たいよね。おっさん、寂しくなっちゃうよ?」

「ごめん。リョウジに分けられるだけの優しさ、持ちあわせてないんだ」


 もう一口飲もうとしたところで、急にそでを引かれた。

 レイリが今にも泣きだしそうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。そういう顏されると、途轍とてつもなく悪い事をしたような気になって、どうにも弱い。


「ねぇ、フラン。昨日、バシレウスで別れた後、何かあったの?」

「うん、あったかな」

「仕事でヘマでもしたか? フランらしくないのう」

「もしかしたら、そうなのかもしれませんね」

「その続きは朝飯食いながら聞こうじゃないか」


 それぞれの前に朝食が並べられる。

 無地の白い皿にライ麦パンのサンドイッチと、鮮やかな苺。それから、淡いグリーンのホウレン草のポタージュ。

 手を合わせ、短い祈りを捧げて、各々が食事に手を伸ばす。

 微かに射し込む暖かな朝陽を浴びながら、5人揃って食事をするのが日課になっている。ささやかで何の変哲もない、このゆったりとした瞬間が、一日の中で最も心地いい時間かもしれない。


「それで? 昨晩は何があったのですか?」


 コウが紅茶を軽くすすりながら訊ねた。一口目が熱かったらしく、カップに口をつけた瞬間、俺を見ていた横目が一瞬細められた。


「取引を終えて帰る途中、機械人形オートマタの集団に待ち伏せされて、追いかけられた」

「えっ!? 怪我とかしていない?」


 食べている最中にも関わらず、レイリはペタペタと、俺の腕や背中を触って確かめる。それが思いの外くすぐったくて、口に含んだ珈琲を吹き出しそうになった。


「まさか恨みでも買って、始末しようとしたのでしょうか……? やっぱり、依頼人の記者が?」

「俺も最初はそう思ったんだけどさ。多分、違う」



 ―― 和泉フラン、捕捉



 あれは紛れもなく、俺を知る者の差し金だろう。それが誰なのか、目的は何なのか。今のところ、情報が少な過ぎて見当もつかない。


「その機械人形オートマタ、俺のことを知っていたんだ。それに、始末っていうより捕まえようとしていた感じだった」

「あぁ、それはあれだな。フランの熱烈なファンだな」


 何を言い出すのかと思えば。リョウジは相変わらず頓狂とんきょうなことを口にする。これにはロロさんも呆れて、額に手を当てて吹き出していた。


「なぜそうなる?」

「いやいや、可能性はゼロじゃないだろ? どこかの非常識な箱入りお嬢さんが思いを募らせて、力尽くで連れ去ろうとしたのかもしれないだろ。まぁ、あくまでいい方に考えればの話だ」

「そうであれば可愛らしい話で済むがな。それは否定してやってくれ」


 レイリを見ろと、ロロさんは顎でしゃくった。

 レイリは黙々とサンドイッチを噛み砕き、目を皿のように細め、瞬き一つせずにリョウジをにらみつけていた。

 それ以上、余計なこと言ったら、ただじゃ済まないから。そんな声が、喉か腹の底から聞こえてきそうだ。


「……次から、フランの護衛には必ずついて行くから」

「護衛は交代制って決めただろ? それに、俺はレイリに何かあったら嫌なんだよ」

「私、守られるだけなんて嫌なの。フランは私が守るわ。フランに何かあったら嫌だから」

「レイリ、そのくらいにしとけよ。ロロさんが立ち直れなくなる」


 と、今度はリョウジがニヤリとする。気づけば、ロロさんが大きな体を猫みたいに丸めて、がっくりと肩を落としていた。


「レイリよ……わしは他の男なら八つ裂きにしてやるところだ。フランが相手ならと許したが、こうもう堂々と言われるとなぁ……やはり寂しいものだな」

「ロロさん、すねちゃいましたね」


 寂しいとなげくロロさんを、コウが背中を摩って慰めた。

 戸籍上、レイリとロロさんは親子になっているが、そこに血の繋がりはない。詳しくは知らないが、ロロさんの親友の娘だったレイリを、ある事情があって引き取ったらしい。

 血の繋がりはなくても、本当の父親以上にレイリを可愛がって育ててきたと、酒に酔ったロロさんがこぼしていたことがある。その娘が自分の目の前で、男相手にそんなことを言っている姿など見たくないだろう。


「ロロさん。フランもそうだけど、私にとってはロロさんも大切な人なのよ?」

「そ、そうか?」

「当然でしょ。大好きなロロさんのこと、お父さん以上に大切に思っているわ」


 なんてことはない。どこでも聞けるような、ありきたりなこの一言でロロさんの機嫌はあっという間に直ってしまう。強面なロロさんも、レイリにかかればお手のもの。すっかり目尻が下がって、顔がゆるんでいる様は、見ていて微笑ましい限りだ。


「フランよ。レイリを泣かせたら、わしはお前さんを八つ裂きにしなければならん」

「肝にめいじておきます」


 ロロさんがそう念押しするのは、一応、俺とレイリは親公認の恋人ということになっているからだ。

 最初こそレイリの一方的な、強烈なまでの求愛攻めだった。

 5年前に出会った時は15歳の小娘だったし、受け入れるわけにはいかなかったが、2年ほど前に、俺が根負けする形で受け入れた。あっという間に振り回されるようになって、気づけば俺の方がレイリに入れ込んでいるくらいだ。

 本音を言えば店にも出したくないし、他の男の目にも触れさせたくはない。もっとも、そんなロロさんに負けず劣らずの嫉妬は、極力表には出さない。こういう話にすかさず食いつくリョウジとコウが、冗談抜きで面倒だからだ。


「ねぇ、フラン」


 寂しかったとすり寄る猫みたいに、レイリは腕にしがみついた。


「フランを襲ってきた機械人形オートマタ、何なんだろうね」

「さぁな。俺だけじゃなくて、皆にも危害がおよばなければいいんだけどな」

「大丈夫。もし襲って来ても、私が跡形もなく始末するから」

「相変わらず頼もしくて好きだよ」


 ちょっと突っ走って無茶をするところもあるが、レイリのそういう真っ直ぐで可愛いところは好きだ。そこに偽りはない。ただ、この先も関係を続けていけるか、今でも自信がない。いや、保障がないというべきか。

 少しばかり、俺の体は厄介な爆弾を抱えている。恋愛に限らず〝未来〟に関することには、未だに二の足を踏むことが多いかもしれない。


「私もそうだけど。皆に心配をかけないように、その妙な機械人形オートマタのこと、しっかり解決しないと駄目だね」

「そうだな。俺も少し調べてみるよ」



 ―― チリリンッ



 会話を遮るようにドアの呼び鈴が鳴った。

 入ってきたのは品の良さそうな老紳士だった。トップ・ハットにフロック・コート、拳大の紅玉が装飾された杖を腕に引っかけっている。

 後ろ手にドアを閉め、腹の辺りで手を揃えて、こちらに深々とお辞儀をした。


「申し訳ありません。すぐに開店いたしますので」

「いえ、お構いなく。こちらへ参ったのは、別の要件でして」


 そう話しながら鞄に手を差し入れ、こちらへ歩み寄ってきた。

 俺の前で立ち止まり、差し出されたその手には一枚の名刺。銅版を紙のように薄く伸ばした長方形のそれに、黒字で名前や肩書が彫られている。


「こちらに和泉フラン様はいらっしゃいますでしょうか?」

「俺に何か?」

「これは失礼いたしました。弁護士の早瀬と申します。お父上のダイト・ヴァンフィールド様からお預かりした、手紙の件で参りました」

「ヴァンフィールドとは、あのヴァンフィールド社のことですか?」


 後ろでコウがリョウジに訊ねている。「まぁな」と、リョウジは〝それ以上は聞くなよ〟と含みのある声色で返していた。察したのか、コウもそれ以上は聞かなかった。

 コウが、なぜその名に食いつくのか。俺の父ダイト・ヴァンフィールドは、機械人形オートマタの開発と製造では国内最大の大手企業ヴァンフィールド社の社長だったからだ。このことを知っているのは、メンバーの中ではリョウジだけだ。

 別に隠していたわけではない。ただ、少し訳ありで複雑なこともあって、他の者に話すのが面倒だった。それだけのことだ。

 その父さんも、3年前に病でこの世を去った。残された遺産の一部であるこの邸と、所蔵していた数万冊の蔵書を受け取ってから、ヴァンフィールド家とは一切関っていない。それがなぜ、今になって?


「父さんは、俺に手紙なんて残していたんですか」

「正確には、遺言のようなもの、と言った方がよろしいでしょうか。密かに私が預かっておりました。時が来たらフラン様に渡すように、と」


 再度、鞄から取り出したのは一枚の伝書盤エピストラと、蛾の型をした機械人形オートマタ。オオミズアオという名で、学名をアルテミスと名付けられた、翡翠色の翅をもつ美しい蛾だ。これはヴァンフィールド家の紋章にもなっている。


「これが手紙?」

「“金庫の鍵が開けられた時、残した【伝書盤】と【機械人形オートマタアルテミス】を渡してほしい”と、ダイト様の指示でしたので」


 早瀬の話によると、父さんが住んでいた都市の邸の書斎には小さな金庫があり、その鍵が父さん以外の人間の手によって開けられた時、早瀬のもとへ信号が送られるよう、プログラムされていたそうだ。

 先日、その信号が早瀬のもとへ送られてきたため、俺に残された伝書盤エピストラ機械人形オートマタを持ってきたとのことだ。それにしても、金庫にを仕掛けとは。機械技術師の父さんらしい。


「ダイト様のお手紙、確かにお渡しいたしましたので、私はこれで失礼いたします」

「わざわざ、すみませんでした。あっ、よかったら紅茶でも飲んで行ってください」

「いえ、お構いなく。それでは」


 小さく会釈をしながら、トップ・ハットをかぶり、早瀬は店を出て行った。

 ドアが閉まると同時に、ズシッと、その大きな体で寄りかかるように、コウが俺の肩に腕を回してきた。何事かと思って顔を向ければ、覗き込んできたコウと視線がかち合う。それは明らかに野次馬の目だった。


「何企んでるんだよ、その目」

伝書盤エピストラの中、何が記録されているか気になるじゃありませんか。なんといっても、ヴァンフィールドの前社長が残したものですからね」


 コウはこういう類の話に目が無い。「通信機アステリはどこですか」と、ベストやズボンの、ポケットというポケットを探される有様だ。 

 父さんが俺に残したものなのだから、当然、俺には1人で見る権利がある。だが、コウにそれは通用しない。仕方なく、皆でそれを見ることにした。

 通信機アステリ伝書盤エピストラを差し込み、カウンターのテーブルに投映。そこにヴァンフィールド社の紋章と共に、父さん直筆の手紙が映し出された。

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