第5話「襲撃」

 シェイスの目は焦点を失い、まぶたが閉じるよりも早く、体は地面に転がった。人が撃たれるのを目の当たりにし、恐怖と驚きで後ずさるイディを、すかさずコウが抱き留めた。


「大丈夫ですよ。眠っているだけですから」

「えっ……?」

「ほら」


 と、コウは倒れたシェイスを見下ろした。

 確かにコウは引き金を引いたし、弾はシェイスを仕留めた。ただ、弾は弾でも麻酔弾。弾頭に針がついた特殊な弾が首筋に刺さっているだけで、一滴の血すら飛び散っていない。

 死んだのではないとわかり、イディはホッと胸を撫で下ろしてコウに寄りかかった。


「怪我はありませんか?」

「は、はい。ありがとうございました」

「おや。よく見れば可愛いらしい方ですね。こんな男ではなくて、私なんていかがですか? 退屈はさせませんよ?」


 こんな状況であっても、口説きにかかるのはコウの悪い癖だ。

 それを見兼ねたのか、レイリが2人を引き離し、間に割って入った。いい加減にしろと、コウに説教が始まるのかと思ったが、なぜかレイリはイディを見つめている。ガスマスク越しではあったが、睨みつけているのがはっきりとわかった。


「最初に謝っておくね。ごめんなさい」

「えっ?」


 次の瞬間、レイリはイディの頬を思いっきり引っ叩いていた。これには俺もコウも驚いた。自分が叩かれたわけでもないのにほおが酷く痛むような気がして、思わず自分の頬に触れていた。

 イディの方は完全に戸惑っていた。自分はシェイスにさらわれた身であり、責められるべきはシェイスなのでは? そう問う声が聞こえそうな、呆然とした表情を向けるイディに、レイリはさらに腕を掴んで詰め寄った。


「我がまま、そろそろ卒業したらどうなの?」

「わ、我がままって……?」

「周りがどれだけ振り回されるとか、心配で夜も眠れない人がいるとか、考えたことないでしょ? 口煩く言われて腹が立つから家を出る? 子供なのもいい加減にして」


 冷たく言い放ち、掴んでいた腕を突き放した。

 レイリが怒るのも無理はない。イディが鬱陶うっとうしいと感じている父親からの干渉は、レイリには喉から手が出るほど手に入れたいものでもある。

 親しい者から心配されることはあっても、血の繋がった者からの心配を受けることは一生叶わない。イディの悩みや苛立ちは、贅沢なことだと腹が立つのだろう。


「今回はたまたま助けられたからいいけど、次はどうなるかわからない。誰も助けてくれないかもしれないんだよ?」

「そ、それは――」

「手を引かなきゃ歩けないような子供じゃないでしょ? もっと自分の行動に責任持って」

「レイリ、もう十分ですよ」


 歯止めが効かなくなってきたレイリをコウが止めた。なぜ邪魔をするのか、そんな苛立ちをぶつけるように、レイリはコウを睨み返した。


「多分、自分でもわかっているはずですよね?」


 コウはイディの顔を覗き込む。見つめ返した目も、向けられた表情も、レイリに対して反抗の色は窺えない。申し訳なさそうに視線を外し、唇を噛んで俯いていた。

 この件はなんとか片付きそうだと安堵して、懐中時計の蓋を静かに開けた。時刻は午後一一時を過ぎていた。


「コウ。彼女のこと、任せていいか? 依頼人との約束に遅れそうなんだ。それから、レイリのことも頼む」


 レイリの耳に入らないよう、声を潜め、コウに耳打ちをする。「わかりました」と、小さく頷いて、動揺しているイディと不機嫌そうに腕を組むレイリに、さり気なく目をやっていた。


「こっちの方は任せて下さい。護衛の方は大丈夫ですか?」

「問題ないよ。あんな状態のレイリを連れて行くわけにもいかないし、イディを任せるのも、ちょっとな」

「確かに。では、お気をつけて」


 イディとレイリを連れ、コウは足早に店へと戻った。それを見送り、すぐさま黒いインバネス・コートを着て駆け出した。向かった先は第4セクターの墓地。ここはセクター丸ごと墓地になっていて、住んでいるのは死者だけだ。

 到着したのは、約束の時間から5分ほど遅れた頃だった。待ち合わせ場所は、最下層にある大きなアカシアの木の下。そこに1人の男が立っている。

 ボーラー・ハットに革のベスト。小柄で、鮮やかな赤毛が闇夜に映えている。

 小型のトランクを両手で抱え、立ち込める蒸気に目を細めながら、落ち着きがなさそうに辺りを見回していた。


「夏川タクトさんですね?」


 近づいて声をかけると、驚いて振り返った彼の目には警戒の色がにじんでいた。


「インバネス・コートに、狼の顔のガスマスク……あんたがルー・ビアンカ? 本物か?」

 夏川は、顔を覆っているガスマスクを苦々しく見つめた。本物か否か、俺はそれに応えることなく【伝書盤エピストラ】を見せると、なぜか不機嫌そうな顔をされた。


「依頼相手に顔くらい見せたらどうなんだ」

「悪いけど、俺が信用しているのは、自分の得た情報と金だけなんだ」


 もう一方の手で男が抱えているトランクを指差す。夏川は渋々頷いてトランクを開け、金が入っているのを俺に確認させた。


「確かに。では、お約束のもの、お渡しいたします」


 伝書盤エピストラとトランクを交換し、俺は金を確認しながら自らのトランクに詰め、男は通信機アステリ伝書盤エピストラを差し込んで、記録された情報を確認している。

 それにしても、やけに年季の入った通信機アステリを使っている。ここ最近のものは軽量化が進んで、大きさも厚さも、薄く小さいのが主流になっている。反面、夏川が手にしているのは厚さだけでも5センチを優に越えていた。

 起動スイッチは露骨に大きいが、その反面、画面はやけに小さい。おまけにスライド式のキーボードがついたタイプだ。おそらく10年ほど前の型だろう。


「頼んだ情報、確かに受け取ったよ。それにしても意外だな」

「意外?」

「金を渡したとたんに、俺を始末するんじゃないかと思ってたよ」

「そういうこと、口が裂けても言いふらさないでもらいたいな。今後の仕事に支障が出る。それこそ、本当に始末しなければならなくなるよ」

「わ、わかったよ」

「金に見合った情報はきっちり用意いたしますので、今後ともご贔屓ひいきに」


 胸に手を添え、深々と頭を下げる。

 同時に、インバネス・コートの裾からカランッと音をたて、真鍮製しんちゅうせいの球体が転がり落ちる。とたんに中から勢いよく煙が吹き出し、辺りは一瞬にして白く、飲み込まれた。


「それでは夏川さん。夜道、お気をつけて」


 その煙に紛れて、俺は足早にその場を去った。

 近くの昇降機に乗り込み、そのまま最上階へ向かう。その間に、身に着けていたコートとガスマスクを外してトランクに押し込めた。


「今日も順調だな。これだけあれば新しい本も買えるかもしれないな。それから店の――」


 指折り数えながら、最上階で停止した昇降機を降りて間もなく、目の前に人影らしきものが飛び込んできて、思わず立ち止まった。

 よく見れば、それは人型の機械人形オートマタだった。綺麗な顔立ちをしている上に、シャツやスカートをまとっていて、一瞬、人と間違えそうになる。辺りが暗いこんな時間帯は、直接的な明かりがないせいか、特に見間違えてしまいそうになる。

 精巧な作りだが、あらわになっている腕やひざの球体関節が、自分とは違うのだと物語っていた。


「まったく。急に出てくると戸惑うんだよな」


 そんな些細なことに、いちいち驚いている自分がおかしくて、自嘲じちょう気味に含み笑った。

 いつの間に臆病になったのか。そんなことを自らに質しながら、先へ行こうと踏み出すが、なぜか機械人形オートマタは俺の行く手を阻んだ。

 気のせいだろう、そう思って左へ避けてみるが、やはり同じように左へ移動する。そうこうしている内に、いつのまにか背後にも一体、近くの渡り通路からも複数の機械人形オートマタがぞろぞろと姿を現していた。


「一体何なんだよ……」

『和泉フラン、捕捉』

「っ!」


 その言葉を合図に、機械人形オートマタ達はいっせいに襲い掛かってきた。

 正面から飛びかかってきた一体を蹴り倒し、背後からきた1体をトランクで叩き倒す。バランスを崩して仰け反った隙に、ショルダー・ホルスターから銃を抜いた。

 足と胸に1発ずつ撃ち込んだが、それでも倒れる気配がない。眉間に2、3発撃ち込んでようやく倒れるも、安心している暇はなかった。1体、また1体と暗い墓地の奥から姿を現し、徐々に数が増えていく。


「こいつら、誰の命令で動いてるんだ……?」


 情報屋としての裏稼業がバレて、誰かが密告でもしたのか。

 仮に、警察の機械人形オートマタなら、腕か首に【ヒノモト国】の紋章が入っている。服の下に隠れている可能性もあるが、ざっと見たところ、その紋章はどこにも見当たらない。

 ひょっとすると、さっきの依頼人――夏川タクトが差し向けたか。だが、色々と疑問は残る。

 依頼人には俺の顔はもちろん、俺が誰で、何者なのか知られていないはず。だが、この機械人形オートマタ達は俺の顔を認識し、名前も知っていた。どこかで誰かの恨みを買って、そいつが俺の命を始末しに来た可能性も考えられるが、その割に生温い。明確な目的があるとすれば、機械であっても十分殺意が感じられるが、その気配すら感じられない。

 攻撃をしてくるというよりも、むしろ〝捕まえようとしている〟と言った方が正しい。


「目的はどうあれ、逃げた方がよさそうだな」


 右膝側面に埋め込まれたダイヤルを時計回りに一回転。両義足に内蔵された蒸気機関が稼働し、シューッと、静かに蒸気が立ち昇り始める。

 間合いを詰め、今か、今かと、互いの腹を探り合う。一瞬の判断の中で、先に仕掛けたのは機械人形オートマタだった。

 飛びかかってきた瞬間、俺は地を蹴りあげる。体は宙へ高く跳び上がり、頭上を飛び越え、弧を描きながら遥か後方へ着地。その勢いのまま一気に駆け出した。


「この機能、やっぱりいざって時には便利だな」


 情報屋を始めたばかりの頃、情報を売られた相手が逆恨みをして、命を狙われたことがあった。その時は何とか逃げ切れたが、この先、同じような目に遭わない保証はなかった。

 どうすべきかと頭を悩ませていた時――『じゃあ、下が駄目なら上を逃げればいいんじゃない?』と、リョウジが思いつきで口にした機能が両義足に追加された。最初こそ馬鹿にしていたが、これが案外役に立つ。


「でも、前より高さが出ないな。リョウジには早めに仕上げてもらわないと駄目だな」


 義足を新調するためにも、今はこの奇妙な機械人形オートマタから逃げ切るのが先決だ。

 銃に装填されていた45ミリ弾を捨て、ベストの内ポケットに忍ばせていた別の弾を装填。天空路の柵に足をかけ、踏み出した一歩を強く蹴り、空中へと飛び出した。

 態勢を保ちながら、視界に捉えた機械人形オートマタに照準を合わせ、落下する速度よりも早く、一気に引き金を引く。

 1、2、3、4、5――渇いた銃声が五発轟いた直後、爆音と共に機械人形オートマタは木端微塵。立ち込める蒸気を吹き飛ばし、闇夜を照らすほどの威力に焦った。


「威力、強過ぎだろ!」


 風圧で若干押し飛ばされ、よろめきながらも何とか2つ下の階の天空路に着地した。


「改良が必要だって、リョウジに文句言わないとな……」


 花火の火の粉みたいに、赤く燃えながら散る機械人形オートマタの残骸を見上げながら頭をかいた。

 装填した弾は、リョウジが作った試作品だった。火薬の代わりに少量のニトロが入っているらしく、被弾すると爆発するから広い場所で使えと言われていた弾だ。

 たまたま場所が墓地だったのが幸いだった。もし通行人がいたら、確実に被害が出ていたに違いない。もっとも、眠りについている死者達を怒らせてしまったかもしれないが……。もし呪われて命を落としたら、リョウジを呪ってやることにしよう。

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