第4話「ワガママ娘」
一瞬の闇から、ポツ、ポツと灯りがともり、目の前に円柱状の狭い部屋が現れる。そこには1台の
とくに誰から逃げていたわけではないが、邸を作った際に、面白いからついでに作ったのだと、父さんが話してくれたことがある。仕掛け扉や隠し部屋が好きだったらしく、この邸にはこういう類の部屋がいくつかある。
「あぁー、
コウは袖口で鼻と口を覆い、布越しに大きな溜息をついた。
「確かに、ちょっと陰気な感じだよね」
「フラン、どうにかなりませんか?」
「頻繁に使うわけじゃないからな。まぁ、そのうちなんとかするよ」
昇降機に乗り込み、レバーを引いた。
ガコンッと小さく揺れて、プシュッ、ギゴゴゴッと壊れそうな音を響かせながら、ゆっくりと下りていく。着いた先は、地下29階層にある小さな倉庫の中。一応、コンバラリアの備品が置かれていることになっているが、実際には何もない。
倉庫を出て、そこから各セクターに繋がる渡り通路を通って、第5セクターへ。29階層のその一画に1軒のバーがある。
名前は【バシレウス】。店主が大のチェス好きで、内装はもちろん、小物や照明に至るまでチェスがモチーフになっている。椅子やテーブルは駒、床は白と黒のモノトーンのタイルが交互に敷き詰められていてチェス盤そのもの。まるで自分が駒になったような気分になる店だ。
白い木製のドアを押し開け、店内へ踏み入れる。入ってすぐ、左手にあるカウンター席に3人で座った。
「いらっしゃい」
褐色の肌にスキンヘッドの、恰幅の良い男が出迎えてくれる。店主のドリーだ。
「ご注文は?」
俺はメニューの代わりに
「この子を捜しています。イディ・アスタリーテです」
「あぁ、いつもの彼女ですか」
ドリーは呆れたように笑いながら、映し出された写真を眺めていた。
彼は俺達の協力者だ。この店や周辺で見聞きした情報を売ったり、逆にドリーが俺達から情報を買ったりしている。この手の依頼が入ると、真っ先に彼のもとへ来るようにしていたし、家出の常習と言うこともあって、彼女のことはすっかり憶えてしまったらしい。
「もし見かけたら、すぐに連絡をください」
前金を出そうと、トランクに手をかける。だが、ドリーは手の平を見せて首を横に振った。
「今回はサービスということで」
「気前がいいですね。何かいいことでも?」
「フランさんの“運の良さ”と言っておきましょう」
俺を見ていた碧眼が不意に逸れ、チラリと視線が動いた。
見ているのは店の一番奥の席。そこに男4人と女1人が座っている。偶然というべきなのか、その女がルロノの娘イディだった。
「やはり、男と一緒だったようですね」
「今回はあっさり片づいたな」
「なんだ、残念……リョウジが造ってくれたあの
イディが見つかった以上、調査はこれで終了。すぐさま依頼人のルロノに連絡をとった。
教えられた番号に通信を繋ぐと、まるで受話器の向こうで待機していたかのように、一度の呼び出しでルロノが出た。
『も、もしもし!』
「ルー・ビアンカです。ご依頼の件でご連絡いたしました」
『おぉっ、待っていたぞ! イディは見つかったのか?』
「はい。今、第5セクターの29階層にあるバシレウスというバーに、男性と一緒に来店しています。お迎えに上がるなら今かと」
毎度のこととはいえ、娘がいなくなって心配するのはマフィアも一般人も変わらない。その時ばかりは、ルロノも一人の父親の声になっていた。
『いつもくだらんことを頼んでしまって、本当にすまないな。だが、お前さんには感謝しているよ』
「何をおっしゃいますか。また何かあれば、お気軽にご依頼ください」
『あぁ、その時は頼むよ。ところで、今回はどんな男なんだ?』
そう問われ、再び視線を戻した。イディの肩を抱き寄せているヤツが、今回の家出の原因を作った男だろう。他の連中は仲間といったところか。
どんな男と聞かれても、返答に少々困った。顔はとくに印象が強いわけでもなく、パッとしないというか。どこにでもいそうなヤツだ。強いて言うなら――
「鼻のあたりにそばかすがあって……あぁ、手の甲に
『何だとっ!』
ルロノは怒鳴るような勢いで声を上げた。
急に立ち上がったらしく、ガシャンと何かが落ち、倒れる激しい音がしていた。それは傍にいたレイリとコウにも聞こえるほどで、思わず
『コルヴィアのバカ息子じゃねぇか!』
「コルヴィア? それは、クリス・コルヴィアのことですか?」
最近、この辺りでも噂を聞くようになったマフィアの
「もしかして、禁断の恋ってやつですか?」
『そんなわけあるかっ! イディがそいつを好きになるはずがねぇっ。むしろ恐れてる』
コウの発言が聞こえていたらしく、ルロノが激しく否定した。
「恐れる?」
『バカ息子のシェイスがイディに惚れて、ずっと付きまとっていやがって。前にも一度、連れ去りやがったんだ』
「それじゃ、今回の家出は、イディの意思ではなくて連れ去られた?」
気づかれないよう、もう一度彼らの様子を窺う。
こちらに背を向けていたイディが、その時初めて周囲を見回すような仕草をした。薄っすらと笑ってはいたが、表情が明らかに
『頼む! イディを取り戻してくれ!』
「それは情報屋の仕事ではないのですが……」
『俺らが手を出したら、それこそ組織間の問題になっちまう。とりあず、今からそっちへ向かう。それまでに頼んだぞっ』
「あっ、ちょっと!」
呼び止めた時にはすでに遅く、通信は切れていた。俺は溜息をつきながら、
確かにルロノはお得意様で、イディを探すだけで破格の報酬を支払ってくれる。少しばかり贔屓してもいいのだろうが、情報を売買する俺達が請け負うような仕事ではない。
「フラン、まずいですよ」
コウが急に、声を
どう対処すべきか
「このままだと見失っちゃうよ。フラン、どうするの?」
「……考えている暇はないか」
少しばかり自棄になりながら、俺達はいつものようにガスマスクを被り、彼らを追って外へ飛び出した。
「イディ!」
その声に振り返ったシェイスと連れの男達は、ガスマスク姿の俺達を見て
「おい、イディ。知り合いか?」
「えっ? えっと、その……」
イディは
家出をする度に俺達が出向いているようなものだ。このガスマスク姿は嫌と言うほど見てきただろう。説明するのも、見るのもうんざりしているはずだ。
「おい、イディ。お前、何か隠して――」
「ただの友達だよ。イディ、お父さんが心配しているよ」
俺が“ルロノ・アスタリーテと繋がっている”と覚ったシェイスは血相を変えた。追いつめられた人間に話し合いという選択肢はないし、まともな判断などできるはずもない。行き着く答えは至って簡単。この状況から逃げるか、目の前から消すか。そのどちらかだ。
シェイス達は隠し持っていた銃を素早く抜く。選んだのは後者だった。
瞬くマズルフラッシュ、響く銃声、ぶつかり合う金属音。こちらが応戦する準備さえ与えてはくれなかった。
銃弾の雨が
「レイリ、助かったよ」
「フランを守るのが私の仕事だもの。当然だよ」
銃声が止んだあと、レイリはそう声を弾ませて、目の前に広げた日傘をパタンと閉じた。とたんに、足元にはパラパラと潰れた弾丸が転がり落ちる。
連中が撃った弾は全てレイリが食い止めた。いや、正確には“傘”が受け止めたというべきか。防弾性が異様に高い特殊なこの傘もリョウジ作だ。ただ、機能がこれだけにとどまらないのが、リョウジ製品の面白いところでもある。
「レイリ。あいつら、どうしようか?」
「決まってるでしょ。フランに銃を向けるなんて許さない……目障りだ、雑魚どもが!」
傘を男達へ向け、ガチャンッと大きくボルトを引いた。
その音に聞き覚えがあるだろう。そう、あの音だ。この後に何が起こるのか、容易に想像できたはずだ。
男達の顔が
おそらく、時間にして10秒足らず。突き上げ、腕刀打ち、横蹴り、締めは回し蹴り。受けた一撃に男達はあっさりと意識を手放した。抵抗する間もなく、彼らは力なくその場に倒れた。
「レイリ。今日も華麗で、素敵で何よりだ」
「ありがとう。いつも以上に調子いい感じだよ」
邪魔な連れも片づいて、残るはシェイスのみ。今度はお前の番だと言わんばかりの、俺とレイリの視線を受け、シェイスは相当焦ったらしい。何を血迷ったのか、隠し持っていた銃をイディに向けた。
「おい、何してんだよ」
「あんた、その子のこと好きなんじゃないの?」
「うるせぇ! な、何なんだっ! 俺が誰だと思って――」
「好きな女に銃を向けるとは、最低な男ですね」
カチャリと撃鉄が下がると同時に、首筋に銃口突きつけられる。冷たい金属の感触に驚いたのか、シェイスはびくりと肩を跳ね上げた。
今の今までどこにいたのか。コウはいつの間にかシェイスの背後に立っていた。さすがはマフィアの
「彼女を手に入れるためとはいえ、連れ去るのは気にいりません。彼女が振り向いてくれないのは互いの家柄のせいですか? 違います。あなたに魅力がないことが最大の原因でしょうね」
「や、やめっ――!」
「おやすみなさい」
一発の乾いた銃声が辺りに響いた。
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