第3話「狼たちの仕事」

 戸締りをし、店内の明かりを消して、カウンター内にあるバックバーの前に立った。観賞用として酒が並んだその棚には、実は隠し扉がある。

 棚のほぼ中心に置かれた、1本の白ワイン。狼の絵が描かれたラベルの瓶を手前に倒せば、ギギッと音を立てて棚が開く。中に隠された螺旋らせん階段を3階まで上がると、その先は俺達の居住空間だ。

 だだっ広いリビングの中心に白いベロアの絨毯じゅうたんと、黄銅の円卓が1つ。それを囲むように、1人掛け用の黒革のソファが5つ並んでいる。


「フラン、遅いぞ」

「せっかくのご飯が冷めちゃいますよ」


 俺が上がってきたことに気づき、リョウジとコウが早く来いと手招きをした。

 中央のある黄銅きどうの円卓に、時計回りに俺、レイリ、ロロさん、リョウジ、コウの順に座り、食卓を囲む。それぞれが一口頬張ほおばり始めると、リョウジがその日のメニューを説明するのがお決まりだ。


「今日はトマトとバジルのパスタと、野菜たっぷりのポトフ。デザートには紅茶のシフォンケーキも用意してるから、お楽しみに」

「ねぇ、リョウちゃん。私、ケーキにアイス乗せて食べたいんだけど」

「レイリ、俺がそれを用意していないとお思いかな?」

「さすがリョウちゃん!」


 食べ物の話になると、この2人はなぜか盛り上がる。ああでもないこうでもないと、毎回食べ物の話に花を咲かせている。賑やかになる理由の大半が、この二人にあるといっても過言ではない。


「このポトフに入ってるニンジンとベビーコーン、コウの家庭菜園で育てていたやつだな。もう収穫できたのか」


 器からスプーンですくって持ち上げる。とたんにコウが嬉しそうに俺の肩を叩いた。

 振る舞いや言葉遣いは女だが、身体能力は男であるため、こういうところの加減というものができないから相当痛い。


「そうなんですよ。今朝、収穫したばかりで。ロロさんも見てください、このベビーコーン。可愛いですよね」

「野菜が可愛いと言われてもなぁ……わしにはさっぱりわからんっ」


 面倒そうにしかめっ面を浮かべるロロさんにもお構いなしに、コウは自分が育てた野菜の自慢を続ける。

 この邸は、1階から2階が所蔵している本の“閲覧室”兼“古書喫茶”、3階に俺達が生活する住居、屋上という4構造になっている。屋上にはコウ専用の温室があって、トマトやニンジン、香辛料など、様々なものを栽培している。店で提供している料理や夕食の食材は、そこで収穫したものがほとんどだ。

 手間暇かけて大切に育て収穫しているというのに、当の本人は料理全般が苦手というからアンバランスだ。


「そういえば、フラン。今日の依頼はどうだったの?」

「あっ、そうだった」


 レイリに言われて思い出した。帰ってすぐに報告するつもりだったのに、あの迷惑な酔っ払いオヤジの一件ですっかり忘れていた。


「少し手間取ったけど、とりあえず無事に終わった」


 トランクに入れていた封筒をテーブルの上に置いた。分厚く重量感のある報酬に、皆が身を乗り出して「おぉ」と声を揃えた。


「これで皆が欲しかったもの、色々買い揃えられるよ。俺もやっと、こっちを新調してもらえそうだ」


 俺はひざをポンッと軽く叩いた。

 ズボンで隠れているが、その下にあるのは真鍮製しんちゅうせいの義足。生まれつき両足の膝から下がなく、長いこと世話になっている。機械技術師でもあるリョウジが、この足の設計から整備まで色々と面倒を見てくれている。


「調子悪いのか?」


 リョウジはテーブルの下を覗き込んで首をひねった。


「時々、力が入りにくいことがあってさ。だいぶ傷ついてるところもあるし」

「了解。準備しておくよ」


 そう言ってパスタをフォークで絡め、口に運んだ瞬間。リビングの壁にかけられた振り子時計がボーンッと鳴り響く。時刻は午後10時。食事を続けながらも、各々の表情は引き締まる。


「時間だな」


 リョウジがぽつりと呟き、皆が揃って頷く。

 古書喫茶の仕事が終わった後が、俺達の本当の仕事。本番はこれからだ。

【ルー・ビアンカ】――俺を頭に、【紅ノ獅子】と呼ばれる護衛派遣会社の元一員だった機械技術師の兼平リョウジ。マフィアのボスを父に持つ國島コウ。マフィア専属の元闇医者ロロ・ニコラと、その養女で助手のレイリ・ニコラ。

 コンバラリアの従業員でもあり、ここで寝食を共にする家族のような存在だ。そしてマフィアや記者、庶民から貴族まで、依頼さえ受ければどんな情報をも売買する情報屋でもある。

 日が昇り、夜が訪れるまでの間、経営するコンバラリアは言わば副業。夜も更け、街が静けさを増す時刻、俺達はひっそりと動き出す。


「皆、始めようか」


 俺は声をかけ、円卓の裏にあるスイッチを押した。

 中央部分が開き、けたたましい稼動音を響かせて巨大なモニターがせり上がる。同時に、ブーンッ、ジジジッと音を立てて起動。ルー・ビアンカの紋章になっている狼とスズランの紋様が、画面にフワリと浮かび上がった。


「2件、新規の依頼が入った。1件は武器内蔵型義手の設計依頼。これはルー・ビアンカの仕事っていうより、リョウジの専門だから任せるよ」

「はいよ~」


 画面に触れ、映像を素早く切り替えた。依頼条件が箇条書きでびっしりと書かれた依頼書がスクリーンいっぱいに表示される。

 リョウジは身を乗り出し、目を細めながら、無精髭ぶしょうひげの生えたあごを摘まむように撫でた。


「銃内蔵だけじゃなくて火炎放射器も? 欲張りだね。一体何に使うつもりだよ……しかも、1週間で用意しろって無茶言うよなぁ。部品揃えるだけじゃなくて、設計からなにから色々あるんだよ?」

「仕上がり具合によっては報酬も弾むって言ってるけど、断ろうか? あぁ、残念だな。威力が強ければ強いほどいいって、先方が言ってくれてるのに。本当、残念だよ」

「だ、誰が断るって言ったよ。やりますよ。徹夜で仕上げるさ」


 リョウジは残っているパスタとポトフの皿を持ち、鼻歌まじりに自室へ戻った。その後ろ姿を見送りながら、俺はにやりとした。

 物事は面白いか否か。その基準で行動しているリョウジを乗せるのは容易いこと。わかり易くて助かる。


「それじゃ、残りの1件は4人で手分けして情報を集めよう」

「ほぅ。ルロノの娘、またいなくなったのか」


 次に表示した依頼書をいち早く読んだロロさんは、おかしそうにケケッと喉を鳴らした。

 ルロノとは、今回の依頼人だ。ホロカ周辺の街をシマにしているマフィアの首領ドンルロノ・アスタリーテ。ロロさんが闇医者をしていた頃、面倒を見ていたことがあったらしい。

 この首領ドンにはイディという一人娘がいるのだが、この娘、暇さえあれば家出をする癖がある。好きな男との付き合いを反対されただとか、父親の顔を見るのが嫌だとか、理由は些細なことが大半だ。その度に、この首領ドンから娘の情報が欲しいと依頼が入る。


「今度は何が理由だ?」

「また男でも追いかけて行ったんじゃないんですか?」


 と、コウは頬杖をついて含み笑った。すでに同じ理由で4回も家出している経緯がある。可能性はゼロではない。


「私、今回ばかりは仕事したくない」


 レイリは口を尖らせ、スクリーンから目を逸らした。

 あからさまにしかめっ面を浮かべ、ポトフのニンジンをなげやりに頬張っている。子供みたいな我がままを吐き出したレイリに、ロロさんは宥めるような視線を向けた。


「レイリ、気持ちはわからなくもないがな。仕事だからな」

「そうは言っても、これで4回目だよ? 何度連れ戻しても無駄。人の迷惑なんて考えてないから、何度だって繰り返すわ。放っておけばいいのよ、こんな我がまま」


 気が向いたら帰って来るでしょ、なんて嫌味を捨て吐きながら、レイリはグラスの水をグッと飲み干した。ロロさんは申し訳なさそうに俺を見て小さくうなづいた。


「とりあえず、ホロカを中心に俺は北、ロロさんは西、コウは東、レイリは南を。どこまで範囲を広げるかは、それぞれに任せるよ」

「東ですね。了解です」

「わしも了解した。レイリよ、今回のところは我慢できるな?」

「……わかったわ。ねぇ、フラン。イディを探すのは我慢するから。その代りに使ってみたいものがあるんだけど、いい?」


 珍しくレイリが提案をしてきた。急にどうしたのかと首を傾げると、ニッと無邪気に笑って、スカートのポケットから何かを取り出した。

 それは手の平に収まるくらいの、小さな黒い球体だった。まじまじと眺めていると、それが突然、ガシャガシャと音を立て、蝙蝠こうもり型の【機械人形オートマタ】に変化した。

 キキッと鳴き声をあげ、レイリの周りを飛び回る。これにあからさまな嫌悪を示したのがコウだった。


「き、気持ち悪いですね……目障りなので、撃ち落としてもいいですか?」

「ちょっと! 気持ち悪いって何よっ。すごく可愛いでしょ。羽がギザギザなところとか、鼻がクシャッと潰れたところとか」

「……レイリの可愛さは理解できますが、その趣味は理解しかねます」

「何よ、その理屈!」


 このやりとり、終るのはいつになるのか。少し呆れながら、俺は蝙蝠に手を伸ばした。

 蝙蝠こうもりは手首の辺りに掴まり、逆さにぶら下がって俺を見つめた。コウの言うように気持ち悪さは感じるものの、レイリが感じている可愛らしさも多少は理解できる。


 丸い眼に、上を向いた鼻。憎めない可愛さがあるのは確かだ。


「これ、リョウジが作ったのか?」

「うん、新作なの。目の部分がレンズになっていて、写真も映像も撮れるらしいの。狭い所にも入れるし、隠れているものを見つけられるし。今回の依頼で使ってみてもいい?」


 どうやらレイリは相当気に入っているらしく、備わっている機能について力説してくる。この様子だと、駄目だと言っても俺が納得するまで説得にかかるだろう。


「レイリの好きにしていいよ」

「いいの? ありがとう、フラン! さっそくリョウジに追加で作ってもらうね」

「追加? 1体じゃ駄目なのか?」

「たくさんあった方が効率良いでしょ? できれば20体は欲しいかな」

「勘弁してください……」


 この蝙蝠こうもりがキーキー喚きながら、群れをなして飛ぶ姿でも想像したのか。コウは苦々しく蝙蝠こうもりを見つめた。


「それはそうと。フラン、のんびりしとっていいのか?」


 ロロさんがそう切り出し、時計を指差した。時刻は午後10時半。確かに、のんびりしている場合ではなかった。

 器に残っていたポトフを平らげ、グラスに入っていた水を飲み干して立ち上がった。


「あっ、そっか。今日はもう1人の依頼人にも会う日だったね」

「それじゃ、私達も行きましょうか」

「いや、今日は俺1人でいいよ。新規の依頼、優先してくれ」


 俺は立ち上がる2人を止めた。

 仕事柄、時々だが恨みを買うこともある。依頼人に情報を引き渡す時は万が一に備え、護衛をつけるようにしていた。コウはマフィアの首領の息子だし、レイリはロロさんを守るために、体術やら異国の武術をはじめ、銃の扱いまで身に着けている。

 護衛は多いに越したことはないが、今回は依頼人が記者ということもあって危険度は低い。断った理由はその程度のことだったが、レイリは面白くなかったらしい。


「護衛つける約束でしょ? フランに何かあったら、私……」

「大丈夫だよ。今日の依頼人は記者だし、蒸気が立ち込めていて視界も悪い。何かあっても逃げ切れる」


 なだめるようにレイリの頭を軽く撫でるが、やはり納得できないようだ。

 離さないと言わんばかりに、服の裾をしっかり握り、無言のまま見つめてくる。すでに折れそうになっている俺を見て、コウが追い打ちをかけてきた。


「ついて行きたいそうですよ。ほーら、レイリの大きな目が、今にも潤んで」

「わ、わかったよ」

「フラン、大好き!」 


 俺はこの手のやり方にかなり弱いらしい。それがあからさまな演技でも、嘘であっても。頭ではわかっていても、拒み切れなかった。

 男相手なら蹴り飛ばすくらいどうってことはないが、レイリの押しには勝てる気がしない。


「用心のために、コウも一緒に来てくれると助かるよ」

「おや、ご指名ですか。かまいませんよ」


 返事をしたかと思えば、コルセットの内側に隠していた愛用の小型拳銃【B&R】を取出し、せっせと確認作業。温室で野菜の収穫をしている時も活き活きしているが、銃を手にしている時も同様に、楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「それじゃ、出かけるか。ロロさん、行ってきます。留守を頼みますね」

「気ぃつけてな」


 ロロさんに見送られ、俺達は部屋の壁に取りつけられた柱時計の前に立った。

 扉を開け、左右に揺れる振り子を掴んで下へ引けば、柱時計が置かれている床の一部と、接している壁がくるりと反転。壁の向こう側へと移動した。

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