11 なぜ牢獄
こそばゆい膝の快感? 揺する人間の手、
「えっ!」
その声で紀美も飛び起きた。
景色は市街地、石造りのゲートを抜け、ベンツを止めたのは四阿サイズのバス停?
「ここで降りて」と、言う社長。
ワラワラと集まり
スペイン時代の要塞を再生利用したゴルフ場、ナイタープレーが2千ペソで出来る世界遺産なのだという。社長は常連のようで誰それなく従業員と挨拶を交わしている。
「ひとまずここで」という屋外のテーブル席に着く。パーゴラに絡んだ黄色い花が満開。ウエイターが「ベリーコ…」と言い、黄色く濁ったブツを満たしたグラスを置いていった。
汗をかいたグラス、恐る恐る口を付け、飲んでみる。「ウマっ!」と、一言。
キーンと冷えたフローズンのマンゴージュースだった。
「面白いし、参考になるから、コースを見に行くよ」と、社長が言うのでプレイヤーを避けながらコースを歩けば、すぐ外、つまり街中に出た。
「こうやって車道を3カ所ほど渡るんだけど、平面交差の一般道だから、轢かれないでくださいよ。こっちは自動車だけじゃなくて、バイクや自転車がどんどん走って来るからね」
その雑踏と並木一列で隔てられた別世界、ナトリウムランプに照らされた芝はモスグリーンに輝き、曲線の城壁に燻しを効かせ幻想感が漂っている。
ゴルフ場に転換できただけあって、どこまでも続く高く長い石塀、所々にある出っ張りは見張り台、城壁に顎を乗せ、その繫がり具合も律儀な完成度。大砲が口を出す細かな切り下げがパラペットの原型なのだと。
昔の人は、この暑さの中でよくぞ人力で成し遂げたものだ、と敬服させられる。よく見れば、城壁の上に足を投げ出し座る人々。
「あの人達?」と、紀美。
「夕涼み。こっちは家にいると暑いから、カップルとか友達でああやって楽しんでいるんだ、海も見えるし」
「だけど、ボールを打ち込んだらどうなっちゃうんですか」と、オレは心配。
「不思議と避けてくれて、当たったことはないけどね。城壁超えたらOBですよ」
「いや、そっちもそうだけど、右は車道でしょ?」
「そうだよ、スライスだけは具合が悪いな」
「スライス? こっちですね」
そう言いながら紀美が手で右カーブを描き、社長に確認を求める。
「そうそう、そんな感じ」
「ヤバいすよ、ボクの場合」
「だから火山島で言ったでしょ、力まず、飛ばそうと思わず、まっすぐ打つように、って」
「車の窓ガラス割っちゃって、ケガでもさせたら、どうすんですか? 日本に帰れなくなりますよね」
「ゴルフ場が補償してくれるみたいよ」
「アイツらですよ、火山島で連中さえ来なければ、貴重な練習時間をメチャクチャにされたすよ」
「あー、篤の場合、同じだよ、それより食事行くか」
同じコースを戻り始め、
「ここ、世界遺産なんですよね。こんなところでゴルフなんかやっちゃって、大丈夫なんですか」と、紀美が訊く。
「僕もそうは思うけど、これから行く所はもっと文化遺産ですよ」
*****
その石造りの建物はコース見学の出発点、気にも留められない存在だった。真ん中にアーチ状の入り口がポカリ。
「なにがあるんですか?」と訊けば、案内人の社長が、
「牢獄です。薄暗いけど、中央が廊下で両側に牢屋の造りとなっております」
「牢の廊下、使えそうですね」と言えば、
「何に?」と、紀美。
「あ、いや、色々。でも、入れないんでしょ?」
「いや、入るのです、今から」
「こ、ここ、まずくないんすか?」
「ちょっと怖いんですけど、ホラー研究ですか?」
「ピンポン、紀美ちゃん」と、紀美とオレの肩を押す社長。
踏み入れば壁に灯る鋳物のランプが程よく暗い。個別の入り口が幾つかあり、監房を覗き見る小さな監視窓の付いた扉、その位置は非対称だから部屋の大きさはまちまちと推察される。あんまし奥まで行きたくないので、
「見ました、充分です。食事お願いします」と言うが、それなのに、
「この部屋に入ってみましょう」と、社長が扉を開ける。
仕方ない……
「この雰囲気ですよね、ホーンテッドの内装、そのまま使えそうだし」と、紀美。
「でしょ、そう思ってここに来てもらったんですよ」
「で、ここでなにを?」
「もちろん、監禁と拷問、処刑ですよ。血痕とか残っているようだし、別の部屋には昔の拷問器具が各種揃ってますよ、見に行きますか?」
「拷問部屋ですかー、今、見れるんですか?」と、気味の悪いことを言い出す紀美。
「特別な人だけです。篤のような適当人間とか」
……無視して部屋の造りを見る、
「これが植民地時代の石壁ですか」
年代物のテーブルセットが置かれ、唯一の明かりはそこに置かれた頼りなきランプ。尋問席を模しているのか、日本の石室が思い出される。
こんな安易に文化財に手を触れてもよいものか、と思いを巡らせていると、
「ガッチャ」と音がし、振り向けば無骨なドアが閉められ、カシャカシャと? 南京錠でも掛けているような音?
監視窓を覗く青年、白い歯と大きな目、そのニヤつき加減が印象に残る一幕であった……そうではない、冗談では許されない、オレは扉に駆け寄り小さな窓を指で押し、回廊に消えた青年へ「ヘルプ、ヘルプ、ホワーイ!」と叫ぶ。
抗議は間に合わず、ガチャガチャと扉を揺するが、分厚く頑丈だ、とてもじゃないが壊せない。
火山島での出来事が蘇り、どういう事と社長に視線を向けるが、それは既視感、上司がよく見せる責任逃れの表情だ。紀美は、といえば立ったまま動かず、半開きの唇、大きく開けた瞳。
まずい、完全に我々の行動はマークされている。予測がつかないことはホラーの企画としてはベストだが、これは現実、どうしてこの現状が受け入れられようか「海外イコール不条理」という図式が浮かび、ヤッパ来なければ良かったんだ……
ここまではソフトラチだった、ラチは拉致でも
紀美も何か発見したのか、重たそうな椅子を持ち壁ぎわに、その椅子に立ち上がり「外が見える」と。
石積の隙間から偵察を始めたが、見ても仕方がない。方向感覚が正しければ、そこはスタートホールのティーグラウンドだろう。
「ここからSOSって書いた紙を外に出して、助けを呼びましょうよ」
そう言う紀美が立つ椅子のグラツキ加減を確かめる社長、
「そんなことしたら、逆にアイツらに見つかって拷問台に掛けられちゃうかも知れないよ。折りをみて、檻から抜け出す作戦を立てましょう」
「……社長、こんな時に、よくそんな下らないダジャレ」と、椅子から降りた。
社長といえば、やおら尻のポケットからミネラルウォーターのペットボトルを出し、うまそうに一口飲んだ。
「なんで自分だけ?」と、紀美が追求。
「マンゴージュースの甘さが残っちゃってさ」
ツカツカとオレに近寄る紀美、
「どう思う、アレ?」
「アッ、アーいうのが好きなんですよ、きっと。紀美さん、無視されたらいかがですか」
無言で再び椅子に登る紀美、しばらく作戦検討中、と、
「お腹、空いたんですけど」
「紀美ちゃん、なに食べたい?」
「さっき、そこで打ってる人の服装見てたら、急に、エビチリ食べたくなっちゃたんです」
「良かったー、ここは中華だからエビチリ得意なはずだ」
社長はそう言うなり壁掛けの古びた受話器を手に取り何やら話し始めた、が、エビチリ? 見てみたい、どんな服装だ、エビチリと結びつけた不思議感覚、んー……悩む、どっちだ、エビ・デン・素早く証拠抑え、と、怪しく朽ちた電話機に馳せ寄り、
「ホームセンターか何かの値札シール、付いてますよ」
紀美も駆けつけ、スマホのライトで刮目、
「これ日本のですよ、古いんじゃなくて、ただのエージングじゃないですか」と、そのライトで社長を刺す。
「待って、待って」と手でビームを避ける社長。
突然『ファルル! ファルル!』と、飛び上がった。
節度なきベル音は心臓に激震だ、バクバクが止まらない。社長が受話器を取り、追加オーダーの人数を確認した。
スペイン時代の監獄を利用したテーマレストラン、というものを社長がここに提案したという。パクリといえばコンセプトは完全に日本のパクリだ。本日は実際にうまくいくかの模擬テスト、日本から遥々来た我々をモルモットにしての歓迎だと。
「ウケた? カギを閉めたのはアランといって、いつもお願いしてるキャディで、彼はツアープロを目指しているんだよ」
そんな情報は要らない。
扉が開き、パッと部屋の照度が増し、テーブルに白いクロスが掛けられ、まずは飲み物。干涸びかけた喉、ビールのラッパ飲み。
「ここの水は大丈夫」と言われた紀美は水を一気飲み。社長はハウスワインを一人で乾杯。
続々と料理登場、ニンニクの効いた菜っ葉、2段積みの小籠包、肉の種類は分からないが野菜との炒め物、大皿盛りのチャーハン。
「ここのチャーハンはイケてるんだよ、シェアして食べましょう」
社長が言うが、紀美は腑に落ちない視線。
「エビチリも、すぐ来るよ」察した社長が素早く応答。
「そうじゃなくて……社長、こっちでいつも何してるんですか?」
「ん……いや、デイブと早朝ゴルフで、ここを周って、そのあと、シャワー浴びてハンバーガー屋でモーニングして、10時頃までには出勤してますからね。頑張ってるでしょ?」
「……いいなー、そういう生活」
「仕事はちゃんとしてますよ、しっかりやってますよ僕は」
「私は仕事をしないで、毎日リゾートしてたいなー」
「そんなんだったら、やっぱり山下財宝ですよ。もう一回、地図を良く見て解析するかな」
エビチリがやってきた。取り分けてくれる紀美が、
「冗談ですよね、有るのか無いのか、有るのは今日みたいな危険だけじゃないですか」
その隙にオレは小籠包を、と「アチッ!」小皿に戻す前に肉汁がポタポタとテーブルにこぼれた。
「汚いですねー、テーブルクロス、あーあ」社長の嫌な顔。
「竹浪くん、猫舌なんだよね」と、かばってくれる紀美。竹浪の猫舌を初めて知った。
「でも、もし財宝、見つけたら竹浪くんだったらどうする?」と、エビを三匹取り分けてくれた。
「ピアノ売ってちょーだい! で売り払っちゃたから、広い家建ててグランドピアノでも買っちゃうかな」と、社長が先に応えた。
「社長、ピアノ弾けるんですか?」
「そう、見かけによらず社長は中学生までピアノやってたらしくて、弾くと結構うまいのよ、で、竹浪くんは?」
「そうだなー、六本木のヒルズ族になれるかも知れないな。事務所構えたらチョコチョコ遊びにきてよ」
「なによ、それ、自分で会社起こすつもり?」
「バシッ!」
紀美の返事のせいか、いきなりテーブルを叩く社長、
「篤! お前、今なに言った」
「エッ、エ?」
「だから、なんて言ったんだ」
「六本木のヒルズ族に……」
「その後」
「エッ?……上原さんに、チョコチョコ会いに」
「チョコレートヒルズだ! 千だ……」
「なんスか、千て、千と千尋ですか?」
蒸し籠の小籠包、それに赤ワインを掛け……なにをする気だ? オレの大好物の小籠包に。
「千だ、謎が解けた。チョコレートヒルズっていうのは、饅頭みたいな赤いチョコの山が千個、並んでいるんだよ、地図に書いてあった『万、十、千』ピッタリだろ」
「あ、あのですね、こんな暑い国だから、チョコの山だったら融けちゃうじゃないですか」
「バカだな、お前は、自然界にチョコ山なんてあるわけないだろ。5月から乾季になると山の草が枯れて、まさにチョコレートに見えるんだよ。そんな小山が千個、この小籠包みたいにギッチリ並んでいるわけで、世界遺産にも指定されていて、パワースポットと呼ばれているんだ」
パワースポット……出た。
「で、それはどこにあるんですか?」
「南の、ボホール島だ。例の地図の写真は?」
と言われてもブックノートはベンツの中。
「あっ!」と、何か思い出した紀美がスマホをスライド。
「南の方の島って、ヤバいって聞いてましたけど?」と、オレは問う。
「宗教問題もあるし、部族の独立を目指した戦闘とかあるけど、このルソン島は大丈夫だよ」
「いや、だから、このルソン島じゃなくて、南の島のことですけど」
写真を探し出した紀美、
「私よく撮れてる、観覧車の」
「それじゃない」
「今、五十嵐さんのダウンのシミの写真しかないですけど、これで」
「これだ、シッポがある。これぞボホール島の特徴だ」
「社長、どうです、記録写真バッチシでしょ」
「……2人とも、ホーンテッドの企画は、どうするつもりですか?」と紀美、社長の顔を見る。
「ボ、ボホール行けば、きっといいアイデアでるよ。まあ手配は、僕に任せてよ」
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