10 火山島へ

 ナサンと名乗った彼は、ビーチを占有する遊覧エージェンシーに属さず払い下げられた中古船で漁師を生業としている、とスティーブが通訳し、それを紀美が通訳してくれた。


 浸水しそうとはいえ一応はモーター付き。バッシン、バシンと波を叩きながら進むカヌーはバンカーボートという。3列の2人掛けシート、といってもただの仮設の板切れベンチ、今日は必要としないが陽除けの屋根付き。波被りの先頭はオレ。


「こっちのは! 失礼ですけど! ジプニーにしても! みんな装飾過多、ですね!」

 2列目、社長と並ぶ紀美の大声。陽除けテントに綻びが目立ち、そのビラビラ音と浪切り音が相まって、声を張らねば聞こえない。意外に楽しそう。


「そこがー 大事なとこ! こっちでシンプルはー 通じない!」

「あの船頭さん、信用できんすか!」振り向き社長に訊いてみる。


「なんだい!」

「帰り! ちゃんと乗せてって! もらえるんすか!」


「ペイドハーフ!」

「なんすか?」


「だから! 逃げられないように、半分だけ払ったって! スティーブが!」と後ろを振り向く。後席、船頭の前、舟の縁にしっかり掴まりサムズアップを見せるスティーブ。


 ときおり蛇行するのは生簀があるからで、ぶつかれば転覆しそうだ。スティーブが「ティアピラ、ティラピア」と叫んでいる。水面を見れば、なんだ、他にも火山島に向かってくる船があるじゃないか。


 これだけの係留桟敷があれば普段はさぞ賑やか、と思われるエントランスビーチだが、本日は逃げ出しの全開放「舟を着けられるのはここと、あと1カ所しかない」と言ったナサンに手を振り、登頂に挑む我々。


「今3時。頂上まで歩いて1時間、往復で2時間、対岸まで30分、探検時間は……まずい、けど、今日中には戻ってこられるか」


 独り言を人ごとのように言う社長。それを許さない紀美、

「なぜそれを渡る前に計算しないんですか、いいかげ〜ん」


 ガイドも馬もバンカーボートも無く、立ち並ぶ無人の小屋たち。全島避難か、不安そうな紀美を気遣う社長、

「馬に乗って登りたかったけど、この先は僕が保証しますよ」


「保証って?」

「道案内です。こっちの方向です」と社長がガイドするが、それは誰が見ても分かること。


 樹林に囲まれた観光ビーチを踏み出せば荒涼とした世界。まばらなブッシュに地割れの溝、所々に穴があり蒸気が吹き出し硫黄臭。


「社長、なんなんですか、ここ?」

「もう、まだまだだよ、頂上まで」と、急に足を早める社長。


 陸地からは見えなかったが、そこかしこから蒸気が出ている。スポンジを重ねたような断層、岩のミルフィーユは何度も噴火を繰り返している証拠だ。見とれては行けない、見上げれば中腹に白い十字架の塚、それを背に素早くスティーブが記念写真を撮ってくれた。


 馬糞を踏み分けるように脇道にそれ、スティーブを先頭にゼイゼイと登る社長と紀美。肩にパソコン入りのビジネスバッグ、というハンデを背負うオレ「暑い、熱い」と遅れを取ってしまい石室と同じパターンだ。


 この地面の熱さ、それは元気の無い植物を見れば尋常なきことを察知させてくれる。


 先陣が腕を組み不動で覗く火口湖の見物、それに加われば……アングリ、

「?!! 水面、沸騰してるじゃないですか、帰りましょう、今すぐ」


 濃い緑の水面、あろう事かタライをひっくり返したような大きな泡、ボコッ、ボコッとあちこちで破裂している。


「違うよ、あれはガス、よく見て考えなよ。沸騰してたら辺り一面湯気だらけのはずでしょ。ただのガス、ここはパワースポットであり、さすがの迫力じゃないか」


 なに! パワースポット……その琴線には弱い。なんだ、これは、ただのガス、大したことはない、

「あの指先みたいのは?」


「あれが、ここの溶岩ドームの先端というヤツだよ」

「で、どうするんですか?」と、紀美。


「どうしましょう、下の火口湖に降りてみますか?」

「ヤです、絶対。社長、本気で言ってます!」紀美が怒った。


 断崖絶壁の斜面に草は生えているものの所々ハゲている、ここから降りるルートなどあるものか。スティーブを見れば、もうこれ以上は付き合えないとボディランゲージ。


 ボコッ、ボコッと音は聞こえないが、今まさに煮えたぎり噴火へのカウントダウンが始まった、と疑いたくもなる。


「社長、富士山の噴火を信じない人がいますけど、それは信じたくないだけであって、そういう人に限って死んだら文句たらたらですよ」

「篤、死んだ人は文句を言えないだろ」


 間違っていた、紀美に話を振ろう、

「とんでもないところに来ちゃったね、この雰囲気は翼竜が飛んでてもおかしくないよね」


「翼竜かー、翼竜は、ケツァルコルトスといって南米では神だからね」と、回らぬ口で楽しげに社長が応えた。


「あのですね、私が言ってる翼竜というのは、そんなんじゃなくてホーンテッドに使う女の吸血大コウモリ、アスワング、なんです。メインキャラだから、どんな感じにしようかってホントに悩んでるんですから」紀美は社長の余裕に不満のよう。


「翼竜は白亜紀でも生存していたから、ここは熱帯でジャングルもあるし絶滅しないで生き残っている可能性を否定できなくもない訳で、UMAじゃなくて、馬じゃないですよユウマ、なんていうかUMAじゃなくて、現存する」


「篤! 話長いよ。何を言いたいんだ、馬はもういいから紀美ちゃんがその、なんだっけ?」


「アスワング」

「・とやらを、どんな格好をしているのか、そこでやってみ」


「エッ?」

「ここは大事な所だ、ポーズだけでもいいから」


「お願ーい、竹浪くん」とか、紀美が言う。


 それなら仕方ない「え〜とですね」この人たちは知らないはずだ、どんなんだっけ。まず右ひじを折り、親指を立て、右足を上げたまま左足でステップ、UMAじゃなくて、


「USA、USA、カ〜モン、ベイビー、アメッ〜〜」と、外輪方向に転げた。ドタッ、クルッと正確ではないが6回転半はしただろう、止まったところは、ブッシュに紛れたカモフラージュネット?


 オレは草葉とホコリにまみれて立ち上がった。手の甲でオデコを払えば、血だ、それよりも、

「ここに何かある!」


「大丈夫!」と駆け寄る3人、皆にとって気になるのはオレより、箱?


 紀美はトートバッグから携帯のウェットティッシュとクマモンの救急バンをオレに渡し、微笑みながら触れぬよう怪我の場所を指差し、再びバッグに手を入れスマホを取り出し、構えた。


 スティーブと社長が息を合わせ、ゆっくりズリズリとネットをずらし、現れたのはガッシリとした海外輸送に使うような木箱、汚れがひどいが棺桶に似ている。カギは? そんなものはない、あるのは南京錠を通す金具だけ。


 開けてよいものか、気のせいかオレのことで笑いを堪えてるようにも思える。ふざけるな、オレは転がるために生まれてきたんじゃない。


「ちょっと待って下さいよ!」と、カメラを取りにビジネスバックを探しに走る、が、発見者のオレに構わず開けようとしている、またもや出遅れだ、焦る。


 開くと同時に紀美がシャッターを切った。しかし、異口同音、

「なんじゃ、これ?」


 そこに入っていたのはゴルフクラブ。

「レンジ、トゥポンド」と、スティーブが言った。


*****


「パシッ!」と快音、伸びる球筋……

「グッショッ」と、社長がスティーブのドライバーショットを褒める。彼は腹の肉がダフっているが、なにより腰が良い。ゴルフは運転手の必修科目か、と疑いたくもなる。


 落差200メートルの火口への打ち込みは距離が出て見える。スティーブに負けているが社長の飛距離もそこそこ。これほど気持ちのいい練習場は世界広しといえども、ここだけかも知れない。


 メッチャ楽しい、と思うがこんなことをしてて良いのだろうか。でも、少しだけ、こんな機会は滅多にない。


「私もゴルフ始めたいと思ってたんです」とか言う紀美に社長が棺桶の中を掻き回し、芝マットと短めのアイアンを探し出し、懇切丁寧に手取り足取のレッスンを始めた。オレの打球は右に……


「篤みたいに右にそれるのをスライスって云うんだよ」と、紀美に解説。


「軍手、滑るんですけど」と、言ってみるが、

「言い訳してんじゃないよ、皆んな同じなんだから」と厳しい。


 紀美といえばダフってマットを火口に落としそうで気が気ではない。


「ああやってね、いいとこ見せようとするから余計飛ばないんだよ。もっと力を抜けば、いい球打てるのに」

「力を抜いた方がいいんですね」と、まぐれか、打球が正面に……結構、飛んだ。

「グッショッ、これでいいんだよ、安全なのが」


 火口湖の様子は少しも安全とは思えない。芯を捉えるスティーブの快音、鈍く急速に落ちるオレのボール。

「イナフ」とスティーブが言い、棺桶に向かうので追従。


 下着の上にガンベルトを装着、ブッシュに掛けたアロハと隠しておいた拳銃を手に取る。これは良いタイミング、

「プリーズ、ティーチミー、ガン、ガン」


 だが、オレに振り向いたスティーブの目が怖い。

「アチャー」


 いや違う、動きを止めた視線の先に、どこから登って来たのか男が3人? 体型はバラバラだが身なりはキチッと揃った紺のオープンシャツ、サングラス姿はまるでハンターだ。やはりの顛末、見つかってしまった。


 こんな見通しの利く湖をバンカーボートで渡って見つからないはずがない、最悪逮捕、面倒なことは……それは問答無用に島に渡った社長のせい、しかもこの調子の乗りよう。


 だがしかしスティーブは……背の裏に拳銃を隠し、彼らに制止を求め、距離を空けながら歩み寄る、と、スティーブが銃をいきなり発砲!!


「パンッ」という音……意外と軽い。小さく砂ホコリが舞い上がる、地面に向けて撃った。


 ウッ! 嘘だろ、本物だ、撃ちやがった。


 その場を少しでも離れたいのでクラブを手にカニ歩き、紀美を隠しながら身を寄せ合う3人の日本人。


「言い忘れたけど、彼は運転手兼ボディガードなんだよ」と、社長がつぶやく。

「マジっすか、そんな、昨日聞いて知ってるんですけど」


 静止状態から両手を上げ、ゆっくり後ずさり、一転、脱兎のごとくブッシュに逃げ込み崖山を駆け下りる3人、それを追いかけるスティーブ、さらに発砲、今度は上向き、日本ではお目にかかれない捕り物劇が始まった。


 遠ざかり「ポン、ポン」と違う音も。撃ち返されているのか、銃撃戦?


 長尺ドライバーを強く握りしめる社長、クラブを杖に脚を振るわす紀美……ここはタール湖、中の島、火山島、振り向けば勇姿を魅せる彼岸の観覧車、泣き出しそうな空、重たい空気に包まれて行き場が見つからない。


*****


 スティーブが息を切らし戻ってきた。

「ゼェアー、ノットポリース、ハァ、ハァ……」


 瞬時にそれが分かったという。なら、誰なのだ。通りすがりか、そんな訳はない、島に渡って来るのは禁止だ、ヤツらもチップを弾んだのか、超訳では、

「メイビー警官を装い、金を巻き上げようとする連中。良くある手口」とのこと。


 それにしても再襲撃されたらひとたまりもない、こっちには大事な女子社員もいる。


「ヤツら、東アジア系に見えたんだけど」と、オレの感で指摘。

「フィリピンではミックスド、メイビー奴らはフィリピーノ」大体、そんな感じ。


「それで、どこへ行った?」

 社長が訊くが、森の中、見逃したスティーブは、

「アッチにも船着き場、ある、コッチの方が近い」と、要領を得ない。


 とにかく舟が浮いているうちに逃げ出しタガイタイに戻りたい、なのに、ゴルフの料金をどのくらい置いていけばいいのか、社長とスティーブが揉め始めた。


「1袋12個入りで4個使ったから、メモ用紙はないか」と、オレに訊く社長。日付とフロムジャパニーズと書き、1000ペソを折って包んだ。


 カモフラージュネットを戻し、山下り、歩きだせばダントツに社長が早い。スティーブがウホウホと懸命に追い這々の体とはこのことか、紀美とオレも休まず追跡する。


 麓の森を抜ければ浜が見え、バンカーボートが見え、半金未回収のナサンの表情が見えてきた。チップの加算とか、訴えられても屁でもない。


 近づくカミナリ音、にわかに波涛を立てるタール湖、暗雲立ちこめ舳先に救命胴衣でシャキリ仁王立ち、スティーブが水面に睨みをきかせる帰還船、船体はボロだが紀美を真ん中に嫁入り舟のようだ。


*****


 ベンツの中、アゴに手を当て脚を組み、社長は考える人のよう。ワイパーが追いつかないスコールとなり、仮設の土産屋はクモの子散らすあわただしさ。雨が天井をドラミングし、オレが意見を述べる、


「あんな丸見えのところに隠せる訳ないですし、もし日本軍が隠したとしても地元民の誰かが見てるはずだし、火山島、全然関係ないんじゃないすかね」


「結構、草むらとかもあったし隠せる所は充分にあったじゃないか。それにロケーションとしてバッチリだし、どうしてそんな適当なことを言うんだ」


「社長、財宝を隠しても噴火したら元も子もないでしょ。だから、一考の余地もありません」そう言う紀美の結論に、ようやく諦めた社長のようだ。


 オレは紀美を諦めさせよう。


「草むらはサバンナ、ゼブラじゃないけど馬もいたし、岩のストライプ、熱い地面、紀美ちゃん、世界でいちばん熱い夏、体験できたじゃない」


「違う、あんなんじゃない。もう、感性低いなー」


 前も後も見えづらい暮れかけのカーブ、一行は一路マニラへ……

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