07 異世界の街で
入国では日本のパスポートが威力を発揮すると聞いていたが、それでも1時間近くは掛かった。新婚旅行でもないのに2つのキャリーケースを乗せカートを押している。車寄せの扉が開けば、ムッ、なんたるこの蒸し暑さ、世界で一番あつい夏だ。
「空港の到着口を出たら、絶対に動くな」という指示に従順するまでもなく、喧噪から現れた社長に発見された。40代前後と想像していたがラフな出で立ちで若作り、背格好も整い、紀美の彼氏といってもおかしくないバランスだ。
「お疲れ」の挨拶を交わしながら、呼び寄せた車はベンツ、えらく古い。日本円にして30万円で買わされたという。売り主はトッディがテナントとして運営している遊園地、そのショッピングモールの役員なのだと。
左のドアから体格の良いアロハな運転手が降りてきてトランクを開ける。キャリーケースを持ち上げガチャガチャと詰め込み、バウンと閉めた。
「彼の名前はスティーブ」と紹介するので、ありきたりな英単語で短い挨拶。彫の深い顔立ち、いかにも人の良さそうな南国の人、スティーブがドアを開けてくれたので乗り込む。
助手席の社長が振り返り「機内で食事した?」
「あんまり食べなかったです」紀美が応えた。
この社長、いつも顔を突き合わせているはずなのに、何年も待ちわびたように堰を切った。
「それはそうと送ってきた写真、中にあった地図、僕は一目見て場所が分かったよ。ズバリ、『タール湖!』だよ」
マジかよ? オレが発見した地図だ。でも、何を喜んでいるのか分からない。
「こっちでね、でっかくプリントアウトしてスティーブに見せて検証したんだよ。彼もタール湖に間違いない、って言ってるからね」
頷くスティーブ、日本語が少し分かるようだ。
「それ、どこにあるんですか?」紀美が訊く。
「偶然と言っては嬉しい偶然、明日、現調に行くパークの真下なんだ」
「あのー……地図と言っても、正確さに欠けると思うんですけど」
「なんだ、篤、飛行機で飯食ってないのか、元気ないな。お前、山下財宝って知ってるか?」
「えっ、全然知りません」って、竹浪の演じ方が分からない。
「なんですか、それ?」と紀美。
「まず、タール湖というのはカルデラ湖で、その中に噴火口の島があって、十和田湖みたいだけど、十和田湖の倍くらいの大きさかな。古地図に『北』と記してある下の方に『万、十、千、カ』という文字が書いてあったでしょ」
なぜか、呆れた紀美、
「社長、私が送った写真は人形さん達が主役で、それを見ないで地図の研究なんかしてたんですか。それに地図のあった現場は真っ暗だし、今まで生きてて一番怖かったんですから」
「いや、いや、あっ、ところで汚いダウンの写真があったけど、あれはなんだい?」
「あれは、五十嵐さんのジャケットなんですけど、寒くて貸してもらってたのにシミをつけちゃったんです。犯人は私ですけど。でも、たまたまそれが地図の島と、そっくりだったんですよ」
「それはよくやった、もう必要ないけど。全体がボケててどうしようもないけど、湖に中の島が描かれているんだよ、さらに中にプチッと山みたいのがあったでしょ?」
「私達、そんなこと、注意を払ってませんから」
「だけど、フィリピンに限らず湖とか島は世界中にあるじゃないですか」と、なんだか知らないが、ワクワクしてきたので話に加わった。
「スティーブが言うには、フィリピンには大小合わせて7千もの島があって、カウントに悩むような小さな島まで入れれば、それこそ数えきれないらしいんだけど、動物が轢き殺されて煎餅みたいになった形のやつを絞り込んで行けば、タール湖の火山島なんだよ」
「えーっ、社長もそう思われます。あの地図、尻尾もあるし、デブ猫の形だと思ったんですよ」
「おー、タール湖の火山島は、尻尾もあるぞ」
「そう言えば現場は懐中電灯しかなかったんですけど、北の上に、他にも数字みたいな、なにか書かれてませんでした?」
紀美には申し訳ないが、乗って来た。
「残念だけど、上の数字は、ほとんど読めなかったよ。だけどね、当時の電波条件でフィリピンと交信できる場所なんていうのは限られていたと思うんだよ。偶然かもしれないけど、米軍に見つからず障害物に邪魔されずであれば、日本では近畿地方の西側、それが、あの山の上の遊園地、解体現場って訳なんだよ」
「そういえば、訳の分からない鉄柱みたいなのもありましたよ」
「竹浪くん、それ、乗り物の柱」
「まあ、まあ、これからがまたすごくて、地図の方位とタール湖の寸法がジャストフィットなんだなー『万』というのは、中の島の幅が、ほぼ10キロ、つまり1万メートル。『十』というのは実はグリッドで交点、その指すところは火山島の火口湖で『千』これがピッタリ千メートルの直径なんだよ。最後の『カ』は火山の『カ』、ウチの観覧車から見えて良く知ってるから、これは間違いないぞ」
「アレッ、社長、タール湖ってタガイタイのことですか?」
「紀美ちゃん、正解。タール湖の外輪山の北側が『タガイタイ』今回、海抜が700メートルというのを初めて知ってね、ということは、そこにあるウチの観覧車が、世界で一番高い場所にある観覧車、ということになるはずで、ここは一発、ギネスに申請しようと思ってるんだよ」
超常ファンのオレにすれば、万、十、千とかの文字は日月神示に関係すると思われ、カは神のカだ。なのにトッディの観覧車? それが外輪山の頂上……コケて湖に落ちないのだろうか。
高い白壁の敷地、それより高く細長い箱が幾重に積まれ、どう見ても中身はアレだろうが、
「社長、なんですか、あのいっぱい積まれている箱は? 崩れたりとか」
「こっちは大雨が降って洪水になると、あの箱がプカプカ踊り出すんだよ」
やっぱり棺桶だ。今一、事実を受け入れたくないが、紀美も、
「あの中……何が入ってるんですか?」
「もちろん、本物のご先祖様ですよ」
「ひょっとして、こっちの人って、ゾンビって日常的で、怖がらないんですか?」
「紀美ちゃん、それは我々の企画上の真面目な話か、それとも、ジョークでかい?」
「両方です」
「身近っぽいから、ゾンビくらいじゃ、あんまり怖がらないんじゃないかなー」
「ホントに出てきちゃうんですか?」
「……そうだ、出て来ると言えば、『マル福金貨』というのがあって、稀に今でも日本の古物商に持ち込まれることもあって、一枚20〜30万円の買い取り価格らしいよ。フィリピンには2万枚以上が埋もれているはずで、それがいわゆる山下財宝なんじゃないか、という説もあるんだよ。本物を見た人がほとんどいなくて偽造は簡単なんだろうけど、なにしろ金の重さに対し3倍の価値だからね」
「社長、ひょっとして、それ、作ろうとしてます? 中国かどこかで? 私、絶対担当しませんからね」
車は市街地に入り交通ルールなき混沌とした路上、日本人ドライバーが対抗しうるレベルをはるかに超えている。ハンドル握れば豹変する紀美も、ここで運転しろと言われても日頃の鬱憤を晴らすことはできないだろう。譲れば進めず、抜いたり抜かれたり、僅かな鼻先を争う団子レース。派手な装飾を施した小型のバスはジープニー、ギュウギュウ詰の客達と何度も目が合う。
街中を見れば溢れ返る人々、いかにもアジアンな雰囲気を醸し出す路地、カラフルで吸い込まれそう、そのまばゆさにタイムリープの期待を感じる。道の真ん中をカゴを持った売り子が行き交っている、そんな外の空気を感じようとパワーウインドウをウィーと「窓、開けちゃダメだよ!」と、社長に怒られた。
「ど、どうしてですか?」
「開けると、手を突っ込んでくる人がいるんだよ。それからスラム街も入っちゃダメ。帰ってこれなくなるから、見つけにもいかれないし」
「……あの、それで、見つけるといえば、その、山下財宝って?」
「そうそう、タガイタイから見ると財宝の埋まっている火口の島は、山の下になるんだよ」
「それで、山下?」
「バカかお前は。篤な、山下という陸軍大将がいて、いや、おられて、ビルマとかシンガポールで集めた金塊を日本に輸送しようとしてたんだけど、中継基地のフィリピンまで運んだ段階で終戦になっちゃって、とりあえずどこかに隠しておいて、終戦後の落ち着いた頃に引きあげようとしてたんだよ。だけど関係者が戦犯で処刑されてしまって、その在処は行方知れず。それが山下財宝と云われるブツのわけだ」
「ブツ……それ、まともな話なんですか?」
「ん、篤、お前、僕のことを信じないのか」
「いえいえ、そんな」
「日本では小説とかパロディになってるけど、こっちでは延々とブームが続いててな、終戦末期は日本に運ぶ手段はなかった、だから、このフィリピンのどこかに絶対あるはず、と云うことになってて、山下財宝ぽいのが発見されたという話がたま出ると、それにワンサカとヤバイ連中が群がる状況になってるな」
「総額、おいくら万円ですか?」
「今の金額に換算すれば数十億円と云われてて、フィリピンだと数百億の感覚だな。もっとも、山下財宝探しは許可制で、見つけても政府に75%返しというルールになっていて、逆に、その法律はごく最近、整備したものだから、フィリピン政府自体もなんらかの確証があるということなんだよ」
一転、近代都市のように整備されたパサイの港地区、地球儀を模したオブジェは電飾スクリーンとなっていて超絶巨大、電気技師である元オレの想像を超えた物体だ。ヤシの街路樹も立派、煌びやかでド派手なライティングのマンモスカジノに腰を抜かさずにいられない。完全に日本が負けている。
「2300年」という今となってはB級映画を見たことがあるが、ここはリアルな未来都市、異世界だ。実際にそうなのだが、まるで過去から来てしまった人間、という感覚を味わせてくれる。いつの間にか気付かないうちに追い越されているいる日本、未来予想図が情けない。
そんな景色を楽しむ間もなくアジア最大級というショッピングモールにスティーブが車を止めた。ここまで空港から僅か6キロ、時間にして40分、フィリピンの市街は世界有数の渋滞地とのこと。
アジア最大級のモールは入口に細長いテーブルが置かれ、そこでバッグを広げてセキュリティチェックを受ける。ポケットの膨らみに睨みを利かせ電磁棒を当てる警備員、腰に拳銃でリアリティ満喫、些細なことで撃たれたくないものだ。
「ウチのフィリピンオフィスは、このショッピングエリアとは別棟のオフィス街にあるんだよ。今日はもう、よしにして明日だな」
「社長、遊園地は?」
「紀美ちゃんも篤も初めてで楽しみだね、ウチの遊園地。まだ、もうちょっと歩かないと着かないよ」
全くでかいモールだ、ピカピカの床や照明、賑やかに闊歩する老若男女、日本風の店もある。
「このトンカツ屋がすごい人気なんだよ。日本でも断然やってけると思うけど、日本にはお店が無い、って言ってたな」
まだもうちょっとでは、とんでも着かない。南国だというのにスケートリンク、結構な人数のフィギア少女達、クルクルと見事な回転数……オリンピックを目指しているのか、IT、アパレル、知ってるブランドが全て揃っているようで、やっとこさのイタリアンレストラン。
遠くに高級そうなホテルが見え、これがマニラ湾か……目の前の海岸沿いに細長いエリアの遊園地、遊具のイルミネーションが忙しく動き、それを眺める窓際の席に落ち着いた。
とりあえず社長がビールと赤ワインを注文した。ポリフェノールの摂取ということで、次いで違うウエイターを捕まえ、メニューを広げアレコレと……どうしても目が行くのは白く輝く大きな輪っか、対面で社長と並ぶ紀美、オレの視線に吊られ、
「あれが例の、50メートル観覧車ですか」
「どう?」メニュー選びに気もそぞろ、でも、馴染みの店のよう。
「だいぶ雰囲気が変わって、電飾パターンも結構あるみたいで」
「ゴンドラ全部にクーラーをつけて綺麗に塗り替えて、電飾はデイブが見つけてきた中国製だよ」
「デイブさんは?」
「もうすぐ来るんじゃないかな」
「人、出てますねー、機種も多いし」
「ほぼ全部が日本から持ち込んだ中古で、新品は3つだけだね。なんで夜遅くまで営業しているかというと、昼間は暑いんで、こっちの人は遊んでくれないんだよ。どうしても夜が主体になっちゃうな」と、社長が事情説明。
オレも訊いてみる「あの観覧車って、中古品なんですか?」
「最初は大阪にあって、それから都下に移って、巡り巡ってこの地に辿り着いた、ってことだな……機械のクセして、すごい旅をしているな」と、思いに耽る社長。
「お化け屋敷の仕掛けとか、あんな怪しげなもの輸入できるんですか?」
「全然問題無いよ、そんなの」
「怪しまれて、逆に関税高く取られるとか、無いんですか?」
「あー、そういうのはデイブがうまくやって」と、急に話を折る。
ワインと同時にデイブとやらが来た。立ち上がったオレを社長が紹介し、
「オーッ、タケナミ、ナイスミチュ」と、軽くハグしてきた。
「ナイス・ミート・ユー」少しためらったが、ここはハグを拒否してはいけない。
見かけは日本人だが、韓国系アメリカ人だという。次は、
「キミチャンナイスミチュ、シュサシブリ」
スーツ姿、社長と同年代、ガッシリと紀美を抱きしめている。長い、スケべだ。コイツは塩梅というものを知らないのか、不届き千万、よくもまあ場も何も躊躇せずできるものだ。いずれにしろ確定だ、紀美とデイブは元からの仲、オレは比較的新しく確保か捕獲された人材なのだろう。
社長が味を確かめ、紀美、デイブ、オレの順で赤ワインを注ぐ。「フィリピナス、マブーハイ」と乾杯……うまいワインだが、ここでオレと言ってはまずい、社長が僕と自称してるから、オレをボクに戻してカタカナっぽく発音しよう、
「ボク、この料理、初めてなんですけど」
正面の紀美が目を剥き、ブツの切り分けの手を止めた。不穏な目線を当てられた社長が、
「これはね、これは、ピザじゃなくてピデ。まあ、島によってバラバラなんだけど、宗教もモザイクみたいでイスラムの人も多くて、これはトルコ風ピザ、というか、これがピザの原型ですよ」
「アイノ、ピデ、グッテイスト」
まだ口に入れてないのに調子のいいヤツだ。サラダやカルパッチョ、バーニャカウダ、それをドシドシとオレの皿に乗せてくれるデイブ、やっぱ、いいヤツだ。
狭いテーブルに社長がアイパッドを置き、高い方のオレの予算書を映し、ドル建て換算をデイブに説明しだした。
「オケーオケー」とデイブは口をモゴモゴさせている。
利益率に十分満足したようだ。フィリピンでの共同事業者なのかトッディの社員なのか、ホーンテッドハウスの現場組み立ては彼が担当し、やる気満々、曖昧さの無いタイプとみた。
パッドを構えた社長が指でピッピッとお化け屋敷の人形や仕掛けの写真をスライドさせ、次は紀美の説明。
英語でバッドメイク、アンバランスさがポイントだとか、目の数だとか、スメル、クリーチャーとか言っている。建物内はメイズ、探し当てたドアから脱出……メイズ? ドア? それ、オレのアドバイス、何を考えているんだこの女、最低だ!
オレには転生コンプレックスというものがあってだな、いや、そんな構成にしたら客も転送されてしまい、ホーンテッドから出てこられる人が減って、紀美のストーリーが現実化し……いずれにしろ英語じゃ何を喋っているのやら、分からない。
喋れないことを認知されているのか蚊帳の外、まるで映画を見ているようだ。ガラス窓に字幕が出ればいいが、マニラ湾……コンテナを積んだ船が行き交い、視線を落とせば岸壁で海を見つめるカップルたち、スマホの光か、たゆたう舟明かりと同化している。
元の世界では結婚条件に届きそうな給料まで、あと2歩くらい。ユンちゃんとも、もうちょいで良い関係が築けたはずなのに、今頃彼女、どうしているかな……そうだ、日本に帰ったらユンちゃんに会いに、いや、だめだ、急に竹浪として登場すれば、最初は間男の地位だ。
キモがられるかもしれないし、2019年に戻っても前代未聞、有り得ぬプレゼンドタキャン、いやいやドタバタ劇のプレゼン……う〜ん、それなら……こっちの会社の給料はどのくらいなんだろうか、今さらケチだという社長に訊くわけにいかないし。
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