03 君の名はキミ

「早く着替えて! 五十嵐さんと美彩ちゃん、先に行っちゃたよ」


 即座にドアを閉め、着替えを、と、戸惑う。西洋浴衣のようなものを脱ぎ捨て、下半身、パンツは履いている。ボクサータイプで部屋を見渡せばスーツケース。


 この国というものは、すぐに命令に反応しちゃうのは日本人の悪い癖、っと。そんなことは言っていられない、開けたスーツケースからポロシャツに腕を通し、下は、下は? クロークの中だ。


 ジーパンを履き、スニーカーを履き、ドアに向かうが踵を返し、相手は一応、女子、歯磨きをしなければ。


 コップに自前の歯ブラシが立っている、が気持ち悪い。顔を上げれば、

「ウギャー!」っと、お前は誰だ? また違う顔。しかし、もう驚きぶりもダウンした。


 パニックは起こさない、がイケメンぶりはダウン、髪が短くなったが、なんとも上げ劣り。ノンケのオレとしては女でなかったことに感謝して、今朝はホテル備え付けの歯ブラシの封を切る。


「カバンは?」

 未だ怒った目で問い詰める作業着女子、それとも時間が掛かって余計に怒ったのか、足元はスニーカー、セミロングの髪をほのかに染めている。


 よかった、ドアを閉めなくて、カード式ドアキーが、まだ壁のボックスに挟まっている。カバンは……テーブルに置かれたTUMI、重たいが持ち上げてついでにスマートホンを尻のポケットに入れ、オッケー。


「そんな格好じゃ寒いわよ」

「えっ?」


 目覚める前は夏、たぶん今は……寒いのだろう。クロークにラクダ色のダウンジャケット、あるじゃないかカナダグース、ほぼ現代のデザイン、オッ! やった、前世紀から現代に帰還できた! 


 この満面の笑顔。それなのに、

「カメラは持った? 車の鍵は?」と、さらなる追い討ち。

 オレの動きもまだまだだ。


 ホテルのフロントでいらなくなった朝食券を返す作業着女子、笑顔のフロント係が「マクドは……」と、マクドナルドの場所を説明している。


 マクドといいイントネーションといい、ここは少なくとも関西圏。チェックアウトはしない、ということは連泊、そんなことを推考し立体駐車場のエレベーターを待つ。


 出てきた車は……赤いワゴン車、知ってるぞこの車、ホンダアコード、だが古い。年式は2000年代前半、ざらついたボンネットに屋根。


 作業着女子が助手席に向かうので咄嗟に、

「今日、体調悪くて運転できないんだけど」

 女子は怪訝でバカにしたような目つき、

「いいの? 私の運転で」


「ああ」いいさ、どこに行くのかも分からんし、好きな所へ連れてってもらいたいものだ。


 有り得ないほどリアル過ぎるこの世界、ホログラムではなく、きっと現実だ。


 手を伸ばし助手席のシートベルトを、おっと、いきなり急加速、ヘッドレストに頭が押し付けられ、今度は急ブレーキ、左折をすればスピード出し過ぎ、なんなんだ、この女。クラッチ付きでもあるまいし運転が下手なのか荒いのか……


 狭いがきれいに整備された和風モダンの道、外国人ばかりが歩いてる、危ないったらありゃしない、やっぱり、ここは異世界なのか?


「どう思う? 何が出てくると思う?」

「?……」また、クイズ攻めかよ。


「なんかヤバイものが発掘されたら私たちに影響、でちゃうと思う? でも、うちの社長だったら、そそくさ選べるものだけ選んで、後は知らない、って逃げちゃうだろーなー」途中から独り言のようになっている。


 聞かれても何のことやら知りましぇーん。が、

「竹浪くん、返事してよ」

 オレって今度は竹浪くん?


「いや、頭ボケてて、ちょっと……」

「ちょっと何?」


「ちょっとゆっくり走って貰える」

 あった看板、奈良だ! どういうことだ?


「気持ち悪いの?」

「いやいや、あ、あせらずに結果見てから、でも、いんじゃない」


「そうだよねー」と、国道369号を左折する。大阪に向かっているのか?


 年の頃は20代中頃、作業着を脱げば涼やかな容姿、すずは近年の流行り、広瀬すずにベビーメタルの中元すず香、それから和楽器バンドの鈴華さん。すっかり落葉を終えた街路樹、剪定し過ぎてスズカケの木だかなんだか分からない裸の木々たち……


 今度は24号バイパスを右折し京都方面。左側通行、半端なく同じ景観の日本、いつも通りの自販機や看板、やはり元の世界に戻れたのかも……こうしてはいられない! 確か今日はプレゼンデビューの日だ、いや違う、あれから何日経っているのか、考えてみれば……ちょっとだけ、いずれにしろもうダメだ。


 このまま異世界冒険と決め込むべきか、トイレで流され、どうせ流れに任せ、流れを読まずに生きて来た……それでも思い出すのは母親、商店街で人気のあったカアちゃんの小さな店、絶妙なティラミス……


 待てよ、あの店、元の店主の女の子が急にいなくなって、そのまま引き継いだ、とか言ってたな、でもカアちゃんの温かい「朝ごはん」と、口走ってしまった。


「大丈夫、ここだ入り口!」と、急ハンドルを切り段差でガッタンと跳ね、それも気にせずカックンブレーキはマクドナルドのマイク前、


「ホットコーヒーと・」と、振り返る涼やか目線、というより冷たい目つき。

「マ、マフィン、マックソーセージ、それとラテ、ホット、砂糖抜きで」


 マイクのお姉さんはオーダー確認と金額と「前へどうぞー」と言うが、

「変ね、今まで砂糖入りじゃなかった?」と、指摘する運転女子。


「っ、……ダイエット始めたんだよ」

「えっ、必要ないでしょ、その身体で」

「ん、」今も昔もオレは痩身体。


 後ろの席に手を伸ばし自分のバックを取り、財布を出す女子、マフィンやコーヒーをカウンターでやり取り。おっと、膝に乗せたCOACHのバックにネームカード『KIMI』君の名は、キミだ!


「お気をつけて行ってらっしぃませ〜」と、カウンターのお姉さん。

「どうも〜」と愛想よくキミ、少し車を前進させ「あとでお金ちゃんと返してよ」と言いながらコーヒーの飲み口を開けている。


「キミさん、実は昨日の夜、ヘッドバンキングしてて、思いっきり頭をぶつけちゃってさー」


 コーヒー熱過ぎか、キミは吹き出しそうなコーヒーを慌てて手で押さえ、

「……なに? あのさー、いつから私のこと、キミさんって呼ぶことになったの? ねぇ、なんか変、どうかした?」


「アッ、きっ、今日から、これから……ずっと」と、言い終わるが先か急発進、オレの飲み口からラテが飛び出した。


「あーっ!」

「ごめんね〜、大丈夫」と、ひどく申し訳なさそう。


 急ブレーキを踏むものだから前にも飛び散った。ちっとも大丈夫じゃないよ、胸のあたりにこぶし大のシミ。どうしてくれる、無償で手に入れたとはいえ、お気に入りのダウンジャケット、寒さに負けてそのまま乗り込んだオレの敗因か、許せん、が、


「平気平気、元々、ラテみたいな色だし、乾けばなんとかなるよ」と言ってやった。


「ホントかなー、そのダウン高そうだし、平気かなー……」

「何でよ、いいよ、手を硬くして持ってたオレが悪いんだから。キミさんのせいじゃないよ。大丈夫、大丈夫」


「そのキミさんって言い方、くすぐったいからやめてくれる。それはそうと明日からフィリピン、Eチケットは私が持って行くけど、パスポート忘れてなでしょね。アレッ、そう言えば竹浪くんて、英語、喋れないんだっけ?」と、意地悪っぽい訊き方、微妙にパワハラキミ、それに、なぜオレの弱点を知っている。


 言い方はともかく、呆然・唖然、フィリピン? とーんでもない、元の自分とカアちゃんに会いに行くべきであって、フィリピンなんて行くものか。


 危急を要することは尿意を我慢して異世界放浪しないよう自分に警告を与えに行くべきあり、だが……ドッペルゲンガーで出会ったら対消滅、つまり両方共死んじゃうかも、とも言われている……そもそもこの世界に元の自分がいるとも限らない、でも諦めるわけにはいかない、


「オレ、パスポート持ってないし」生まれてこのかた海外に行ったことないし。


「なに? ボケてるつもり、本当はフィリピンに行きたくないんでしょ。それにオレ? 自分のことオレって言うことしたの?」


「あ、なんていうか……モデルチェンジ……今日から人格を変えて遊んでみようと思ってさ。協力してくれる」

「……」


 怒ったか? 顎をスローに左右させるキミ。オレをボクに戻せばいいのか、今まで、できるだけオレと言うようしてきた自己鍛錬、それが無駄となる。


「……そういうの好き。私も時々思うの、誰かに変わってみたいって。だけど、私は今まで通り、ちゃん付けの呼ばれかたの方が好きだな」


 むっ? ……言い当てられたのか、言い当てたのか、

「そうだよね、君がいいなら、やっぱキミちゃんがいいよね。」2人は同期か、キミが下か?


「それで、お願いがあるんだけどさ」

「なに?」


「今までの2人の関係を、反省を込めて振り返ってみたいんだけど」

「えっ?」


 ここまでの流れからすれば人生イージーモード、涼しげキミちゃんとエチエチできるはずだ。まて、すでにその関係にあるやも知れない。イージーモード、ああ、これまた甘美な言葉だ。


「だからさ、この2人の関係」

「関係、って言ってるよね?」


「うん」

「バカじゃない、少なくとも私は反省する点なんてコレッぽっちもないし、今までもこれからもキスもエッチも有り得ないでしょ、ずっと」


「ずっと?」

「そう、ずっと。頭打ってなんか妄想しちゃった、あ、ちょっと、あとで頭よく見せてね、ケガしてるかも知れないし」


「いや、あ、何て言うか、あの、その……見て欲しいです」

「見て欲しいのはパスポート、東京から忘れずに持ってきたか、チェックしてみたら?」


 そうだ、確かに、TUMIのカバンの中に色々あるはずだ……まずは、おっ、お財布の中身は3万2千円、オッケーオッケー、違う違う他人の金、パスポートは、


「ヤバい! 有効期限切れてる、2018年6月までだ」

「……あと半年ちょっと、残ってるでしょ」


 ガビーン、甘美じゃない……ということは、今は2017年、その暮……こっちの世界の人たちは令和など到底思いつかないだろうし「オ・モ・テ・ナ・シ」の東京オリンピックのことを知っているだろうか、ドヤ顔で訊くわけにいかないし単に危ない。


「カメラの電池、まだ大丈夫かなー」と、キミちゃんにバレないよう……名刺入れ、うむ、「株式会社トッディワークス・プランナー・竹浪篤」


 運転免許証を見れば写真がイマイチ、平成3年10月3日生まれ、今、2017年だから……計算難しい、えーと平成29年から引いて……オレは26歳!


 あっという間に4〜5歳老けた。損した気分だが主観年齢は永遠に同じ、それに今回は本当の自分と大して変わらない。ホワイトワームと一緒で行きっ切り、2度と戻れないのか、ああ、恵子と綾子が恋しい懐かしい。


 恵子との一抹を綾子へ報告する約束も果たせなかったし、到底できないし。小さな虫並みの短かかった前世、一体、何を残せたかな〜、まさか子供はできてないだろうけど、手を離してしまった恵子、彼女はどこに飛ばされたのだろう?……その子が前の前の世界のオレだったらどうしよう。


 そういえば……母の口座に知らない名前の人から定期的に振込があって、気持ち悪いから銀行を通じで断った、って話。オレは逆オレオレじゃないかと指摘したが、そいつの名前を聞いておけばよかった。竹浪だったのかもしれない。落ち着け、よく考えろ、時間も必要だ。


 こうなったからには……フィリピンに行って……この世界のキミもいい子だ、優しくオレの頭や腹具合を気遣ってくれた。

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