02 リゾートラバー

 ただのバグッた世界であればここまでの精緻さはないだろう。自分なんかに誂えおあつらえの世界を神様が用意してくれる訳はない。


 異世界への移動? それはボディ交換なのか、転生というやつか、真っ裸でもなく持ち物もない……オレと入れ替わった幸治とかいうヤツ……さぞかし悲劇の主人公、なにを演じているのだろうか。


 フラフラと戻ると例の短パン女子が近づいてきた。

「さっきの話、幸治どうするつもり?」さっき、さっきと聞かれても……


 ベンチにピタッと並んで座り、ここはその、その太ももに合わせるしかない。入れ替わったなんて信じてもらえないし、キモい変人扱いされたあげく病院送りも嫌だ。


 なによりオレ自身がキモさを感じている。キツかったがオレには仕事がある、戻らねば。ここは一つ相手からうまく訊きだそう、


「あー、頭打ったみたいで」

「またー、嫌ならいいんだよ、私だって嫌だし、でもさー深刻なんだよ、恵子」と、向こうの女子を見た。


 うちの母親と同じ名前。面影も似ている。あの、胸をはだけたパンタロン娘が恵子で、で、あなたは? 幸治とやらの彼女? だな。そこから先きを知りたいのだが、


「ちょっと記憶が飛んじゃったみたいで」

「病院行ったら」


「えっ!」

「なによー、恵子の病院の話。他の人に絶対喋っちゃダメよ、秘密の話なんだから」


「恵子が病気?」

「その話をしてたんだから。だからー、血液の病気で、もう長くないんだって」

「えっ!」


「静かに! そんなに騒いだら皆んなに聞こえちゃうでしょ。私も悩んだけど、いいでしょ?」


 だから分からないんだって、だからの先が。

「どうすればいいの?」


「だから、しばらくの間、幸治が恵子の彼氏として付き合ってあげる、ってこと。それも今日、この後から、私と入れ替わり」


 だから、を入れ替えれば、からだの関係? それは早とちり……思わずこの子と恵子を見比べて……この子の方がオレにとっては好みなのだが。


*****


 そろそろ締めの時間か、焼きそば鉄板の端に一匹の赤いタコウインナー、見ればブサイクに加工されたようで、タコさん怒りの焦げ焦げ墨だらけ。


「お前んだよ、取っといてやったよ」と、漫画プリントのピッチリTシャツ、坊主頭、小太りで乳首が浮き出たヘンテコヤング。


「誰? 切ったの」と訊けば、横から恵子が、

「長谷部君よ、適当だけど一人で一生懸命やってたんだから。覚えてないの?」


 長谷部! 茶坊主の統括部長と同じ名前だ、似てる、背格好が。

「早く食えよ、お前が食えばすべて成就するんだから」


 そう言う長谷部を遠目がちに観察。この若いタコ坊主……統括部長は還暦過ぎ、そんなはずはない、考えたくもない……


 出来過ぎか他の男達も赤ら顔、酔っている。いくらなんでも飲酒運転はまずいだろう。おおらかな時代なのか、それとも、こっちの世界ならではか。


*****


「こっち、あっち」と恵子が仕切っている。体調不良につき口数少ない孝治を演じ、バーベキューの片付け。こいつらグランピングなんて知らないだろう、手ぶらでキャンプ、それがオレの世界の流行りなのだ。


 道具を車に積み出し、我思う、一口頂戴したイカの一夜干しは実にうまかった、が、今は空腹なのか、自分の腹具合が分からない。


 裏腹に悲運を背負う恵子の明るさ、余計に気重さを感じさせてくれる。骨髄移植とか、おそらく元世界の医療であれば生還は可能だろう、できることならオレに変わって転生させてあげたい。


「幸治、運転なんかできないでしょ?」と、短パン娘。

「そのアイスボックスは幸治くんの車に積んでね」という恵子の指図で事態が一つ分かった。


 昨今、若者のクルマ離れと言われているが、オレはクルマ好き、見れば年式で分かる。この宇宙船のような車は2代目シルビア。


 デートカーと呼ばれる前の型。ものすごくレアだ。チャーリーズ・エンジェルとかいう映画で使われていた。ピカピカに新しいということは、今は、今は? 1970年代後半……


 オレは学生なのか社会人なのか、学生だとすればボンボンに違いない。ボンボンというのは甘美な言葉だ。こいつらは、いや、この人達は、うちの母よりずっと上の世代。さっきも思ったが、なんてこった、パンナコッタ、と言いたい。


 カーリーがかった髪の恵子、大人っぽく見せたいと思っているのだろうが、少女っぽさが隠せていない。ちょいちょいボディタッチを仕掛けてくる、というのは思い込みか、オレにしてみれば人生初のモテ期みたいで心地よい。


*****


 うっとりするほのかな香り、どっちの女子か確かめてみる、

「香水? 爽やかでいい感じ、なんていうの」

「フィージー」恵子が嬉々として応えた。


「ふ〜ん……」

「なんか言いたそう、気に入ってくれた?」

「いや、なんとなく」


 嘘ではなく冗談抜きで朦朧気味、たぶん、寝た気がしないからだ。この幸治の身体はちゃんと睡眠を取っていたのだろうか、我ながら心配になってきた。そんなわけでオレは後ろの席、なんとも狭い車に3人。さぞかしあの男どもは妬んでいる事だろう。


ドライバーは短パン娘、つまり現時点の恋人、綾子、

「いいな〜、羨ましいな、私より先にあのレストランに行けちゃうなんて」

「?……」なんのこった。身バレ注意で慎重作戦にて訊き出す他はない。


 話の流れによれば、湘南の海の見えるレストランで食事とのスケジュールになっているようだ。ガサガサとグローブボックスから地図を探し出し、振り向く恵子、

「私、地図見るの苦手だから幸治くん、お願いね」


 ここは、チャンス到来、綾子の名字を知りたい。

「予約は、誰の名前で入れた?」

「えっ? 池田よ、幸治くんの名前で」


 期待外れ。だが、期待は膨らむ……この車で行くのか。ダッシュボードの計器板もこの時代にしては未来的なのだが、いかんせんナビがない。そこへ行く高速道路もまだ開通してないと思われる。


 無い無い尽くしの世の中だけど、まあなんとかなるだろう。気がかりはクレジットカードを元の世界に忘れてきたこと。それより、今どこに向かっているのか、それが、もっと重要だ。


 いつもならここらでスマホのマップだが、そんなものは無い、どうすれば、と、おっと国道16号を左折、横田基地方面。なるほど、秋川渓谷あたりでバーベキューをしていたわけだ。


 この辺なら少しは土地勘があるし……フムフム、道路沿いの看板がアメリカンを醸し出していてイイ味わい、このまま変わらずスローな福生でいてくれ、と願いたい。


 が、この時代からオレの元世界って、今から40年先……驚くほど大差がない。なにより、車は空を飛んでいない。あなた方が想像する未来都市……夢見ても、そうなっていないのだ、ちっとも。オレがガッカリしても意味ないか。


 折りたたみの椅子を2脚、両脇にかかえ背中に荷物、両手でグリル、狭い階段を上がり、開け広げの通路を進む。前を行く綾子と恵子、立ち止まり振り返る、

「鍵出せる?」

「無理」


 出せるわけがない。幸治の部屋は203号室「池田」と手書きの表札。綾子の部屋はこの先行き止まりの204号室。こ、これは、偽装の同棲時代、ご近所さんというレベルなんかじゃない。


 まあ、とりあえず3人でオレの部屋に入る。畳は無く1DK、当時の若者としては、かなり良い部類、じゃないだろうか。


 壁には燃えてる飛行船や黒いコウモリ男のポスター、POPEYEという雑誌が雑に積まれ……アメカジとかサーファーっぽい、きっと彼、いやオレはナウいヤングを目指しているのだろう。


「トイレ貸してね」と恵子がドアを閉める。


 瞬間、待ち構えたように綾子が抱き付き、濃厚なキスをしてきた。

 長く、甘く、深く………ザアッーという音とともに離れ、睨みつける綾子、


「帰り、ちゃんと送って行ってあげてよ」と、これ以降の事、すべて包み隠さず報告しろ、と目が語っている。


 セミダブルのベッドの部屋でファンシーケースから着替えを探す。恵子を締め出し、パンツも変えちゃう。綾子の堂々たるプレゼンスか、でも、他人のパンツを履くのは抵抗があるものだ。心を整理し言い聞かせ、これは自分の物だ、と、オッチャン風の白のブリーフ。


 まあどれも同じようだが、よりによって綾子が選んだのはダサい上に少し黄ばんだ白のジャケット。素肌にシャツを合わせ、なぜかウキウキとサタディナイトフィーバーの仮装ができた。寒くなったら、このまま渋谷のハロウィーンに行かれそうだ。


*****


 恵子のアパートには駐車場がない。路駐。この時代、駐車の取り締まりは厳しいのだろうか、すぐ移動させよう。


 鉄筋コンクリートの比較的新しい3階建のアパート、食材を残したアイスボックスを肩から下げ、部屋は304号室。やはり二間造りだが、ダンボールの箱以外、何もない。


「引っ越して来たばかりだから」と、恵子の笑顔。目星をつけたダンボールから着替えを探し出し、

「シャワー浴びてくるから、覗いちゃダメよ」と。


 目眩がして来た。階段の荷揚げ作業を一人で担って、それはたいしたことではなかったが、なぜか体がダルい。舌を出しジェスチャーすれば、つかつかと歩み寄る恵子、押入れを開け、その上の段、

「ここで、横になってたら」


 敷きっぱなしの押入れベッド、シワになったら申し訳ないからジャケットを脱ぎダンボールの上に乗せ、ついでにシャツも脱ぎ、タオルケットがあったので、お腹が冷えないようにする。


 それからバレないうちに放屁する……う〜、たまらん、耐え難き悪臭、他人のモノか自分のか分からん。


 この事態を考えよう、元の世界に戻らねば……シャワーの音が興味を誘うが……父親無くとも女手一つで育て学校まで出してくれた母親、恵子と同名の母親が心配になってきた。悪友はオレのことをママっ子男子というが、そんなことはない。他人と話す時はできるだけ「オレ」と言えている。


 こうしてはいられない、なんとかしなければ。元の世界であればNETで「異世界脱出」とか検索できるが、ここでは普及していない。ちらっと関連ページを見たことはあるが、そんなものはいい加減に決まっている、ありえないだろうし、これは現実だ。この時代で考えうる方法は「時をかける少女」だけだ。


 それに、オレが信じていたのはこんなパラレルワールドではなく多元宇宙だ。


 長谷部という奴は統括部長の若かりし頃? その下の名前を恵子に訊き出そう、ヒントになるかも知れない。


 まずはここまで来た道を辿ってみよう……個室に入って暗闇、逸物を出して放尿、集中、うず、他は、他の要素は……ドアが閉まった、それはぁ〜重力の〜効果ぁ〜〜


*****


 爽やかな香り、桃源郷、優しさに包まれて、ちがう、これは重力というものを感じている、重たい。


 状況判断……あろうことか恵子の顔が目の前に、上から押さえつけられている格好。跳ね除けたいができない、気持ちいい、良すぎるから。


 至近距離で目と目が合い、それを合図に唇と唇が合い、瞼を閉じてフィット感……成り行きに身を任せ思い出したように横目で外を見る。カーテンが無いから素通しガラス窓、丸見え!


 しかも恵子もオレも素っ裸。向こうのアパートの窓に灯……ということは、もう夜? すっかりしっとりと寝過ごした。海の見えるレストランでの食事はどうした? ドタキャンは罪だぞ。


 ダンボールと相まったワイルド感、かろうじて部屋の隅になんらかの明かりが点いるようで、

「つけて無いの……」と意味不明なささやき。


 柔らかな恵子の動きに萎縮することもなく、逆に恵子の儚い人生を思いやる、オレなんかでいいなら精一杯楽しむがいい、でも、

「綾子から聞いたんだけど」

「あんなの嘘……だけど信じてくれてありがとう」と、また唇を塞がれた。


 うっ、嘘? どういうこと? ショック、だが、なぜか中折れもせず中途半端な脳の半分で思案する。あんなのとは、余命幾ばくだからとチェンジの約束、その恵子は親友の綾子を騙して……いや2人で孝治を弄ぶドッキリか、泳がせて幸治の行動をチェックする賭けに出たのか。


「これから2人、どーする?」

 そんな訳の分からぬことを言われても、だが、とりあえず外から見えないようにしてもらいたい。


それを感じ取った恵子が上にいる役割分担で押入れの扉をピシャンと閉めた。真っ暗、2人だけ。


 解放された野獣のように激しく、気持ち良すぎの絶好調、この時代の製品は感触が悪いはずで、やっぱりダイレクト最高、成就させちゃる、でもダメだ、いやこの際、どうする、責任放棄、やっぱ我慢、でも、


「ウッ、アッ〜〜……」


 漆黒の世界、恵子と抱き合っているが、渦がほどけるように段々と身体が離れ、最後まで握っていた手も引力に叶わず、別れ別れになってしまった……これは夢か?


*****


 ドアを叩く音が聞こえる。ここは?……オレは絨毯に、へばっている、思うに、ビジネスホテルの部屋? 


 チェーンを掛けたまま、少しだけドアを開ける、見知らぬ女子。

「まだ寝巻き! やっぱりねー、朝ごはん食べ無いつもり? 私は済んだよ」


 即座にドアを閉め、ベッドに飛び込む。なんの因果か頭痛は無いが頭が痛い、痛すぎる。でもヤバイ、思い直して、またドアを開けてみる。


 まだ、その場に立って居る、もっこりと防寒作業着姿、どうみても目が怒ってる。

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