第二十歩 【汚染と湖に住まう者】

 響き渡る振動に共鳴するかのように波打つ湖面。

 水に触れた手の焼けるような感覚と鼓膜が破れそうな轟音の中、俺は必死に耳を澄ませていた。


「ルイ! 一体何が聞こえたっていうの? 速く離れないと! ここは危険だわ!」


「ちょっと待ってくれ! 今、確かに……」


〈ココニチカヅクナ‼ コレイジョウココヲケガスナ‼〉


 湖の底から響く音が大きくなればなるほどそれははっきりと聞こえてくる。

 これはーー


「なぁ、リン! 魔物ってのは意思を持たないんだったよな?」


「え、えぇそうよ! 魔力が集まって生き物のような行動はとるけど理性はないから意思と呼べるものは持ってないの!」


「それが本当ならこの湖にいるってのは魔物じゃない! はっきり聞こえたんだよ!」


 コタロウだけが汚染された空気を感じたように、俺の〝言語理解〟のスキルはこの振動に隠された意図をハッキリと明かした。


「これは……誰かの〝声〟だ!」


 俺はそう確信した瞬間、湖に向かって叫んでいた。


「おい! 誰かいるんだろう? 俺たちはこの湖を汚しに来たんじゃない! 話がしたいんだ! 姿を見せ……ウッ!」


 俺はそう叫んだが、その瞬間全身の血の気が引く様な感覚がし、その場に膝をつく。

 乱れた感情が無理矢理引き戻される様な不気味な感じだ。

 それと同じように湖の振動は収まり、辺りは静けさを取り戻す。


「ルイ! 大丈夫? やっぱりここに長居するのは危険だわ。一度村に戻りましょう!」


「だ、大丈夫だよ。それよりも、リンに聞きたいことがあるんだ」


「聞きたいこと?」


「あぁ……あの湖の中に潜りたいんだけど、何か方法はないかな?」


 俺の言葉を聞いたリンは激しく動揺した。


「な、何を言っているの? 普通の水ならともかくこんな汚染された水の中に入るなんて死ぬ気なの?」


 リンはすごい剣幕だが、俺の心は一切波立たない。

 むしろ、リンの言葉を冷静に看破した。


「普通の水の中なら入ることが出来るんだね?」


「う……ほ、方法が無いことはないわ」


 リンは苦しい顔をしながらマントの中から何かを取り出した。

 それはゴルフボール程の水晶玉。


「これは境界玉(きょうかいぎょく)っていう物でね。あらゆるものに一定時間だけ境界を設けることが出来るの。水に潜る場合は水と自分の境界を作ればいいんだけど……全てが遮断できるわけではないから汚染の影響は受けてしまうわ。地上でもこれだけの汚染よ。湖の中ではもって十数分だと思うわ」


「それでも良いよ。使わせてくれるかい?」


 全く動じない俺にリンは何かを言いかけたが、その言葉は飲み込んだようだった。


「使ってもいいわ……でも、十分経つ前に引き上げるからね!」


 俺はリンに境界玉を受け取ると簡単な使い方を教わった。

 スキルを呼び出す時と一緒で頭の中でイメージした内容を玉に移しこむようにすればいいらしい。


 その後、リンは木に巻き付いていたツタをロープ代わりにと俺に渡す。


「じゃあ、行ってくるよ!」


 この時の俺に全く恐怖などというものはなく、境界玉を作動させると湖に飛び込んだ。


 

~シャルフ湖 水中~

 境界玉は俺のイメージ通りに作用してくれていた。

 イメージに合わせ、境界を動かせば水中をある程度思い通りに動けた。

 しかし、湖の中は思いのほか深く、潜り始めてからの時間はシュウスケに直してもらったスマホで確認しているが、すでに7分が経過している。

 地上にいた時と比べて頭痛と吐き気は比べ物にならないくらい強い。

 境界玉の効果時間は20分程らしいが、身体はそんなに持ってくれなさそうだ。

 早く声の主を探して……っとその必要はなさそうだな。

 俺の目に映ったのは悠然と泳ぐ巨大な影。

 その影は俺の周りをまるで威嚇するかのように回遊する。


「さっきの声はお前のものなのか? それとも、お前がこの湖を汚染したのか?」


 俺は力の限り叫んだ。

 だが、どうやらその影には届いていない様だ。

 

 グイッ!


 俺の胴に結んであったツタが引っ張られる。

 スマホを除くともう10分が経とうとしていた。


「ここまで来たのに!」


 とは言っても俺の身体もすでに限界の様でさっき叫ぶのだけでも精一杯だった。

 ここは一度、戻るしか……

 意識が遠のき始めたその時だった。


「‼」


 俺の胴に巻かれていたツタはまるで綿のように水に溶けていく。

 この湖の汚染はツタの強度まで蝕んでいたのだ。


「そ、そんな⁉」


 俺はツタの先を掴もうとしたが体が思うように動かない。

 そんな俺に回遊していた影は急に方向を変え向かってくる。

 絶体絶命、そんな状況でも俺の心は何故か揺らがない。

 まるで心を失くしてしまったかのような・・・あぁ、そう言えば俺って一回死んだんだっけ。

 俺は何となく腑に落ちたような気がしながら目を閉じた。

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