第7話
少女は見かけよりも逞しく、前を歩かせている男の心配をよそにすいすい進んでいく。休み休みではあったが、2人の登山は半ばまで順調であると言えた。2人の前に文字通り暗雲が垂れ込めたのは、1時間程歩き、少女の口数も減ってきた中腹部。辺りの景色に、積もった雪の白の割合が多くなってきた頃合い。雪は周囲だけに留まらず、2人に吹き付ける風にも混じり始めたのである。
「まずいな」
男は眉をひそめる。
「予報では降らないことになってたんだが」
「じゃあすぐ止むよ」
少女は楽観的に笑ったが、しかしそうはならなかった。雪は瞬く間に激しさを増していく。
「こりゃあ、今日中に登頂できんかもな、引き返すか?」
少女はかぶりを振る。
「凍死って楽らしいよ」
「だといいがな。半端に凍傷になると辛いと聞くぞ」
それに、と男は続けた。
「出るんだよ、この辺り」
「ゾンビが?」
茶化す少女を軽く小突き、男は続ける。
「クマがだよ。この天気じゃ相当近付かれても気付けねえぞ」
「それなら知ってるよ、調べてきたもの。ワライグマっていうんでしょ?笑ってるみたいな模様の。でもこの季節はなかなか会えないんだってね」
残念、とばかりに肩をすくめる少女に、男は溜息をついた。
「俺もそう思ってたよ。思ってたんだが、ほら、気付いてなかったが、今の俺、臭いんだろ?」
迷いなく頷く少女に、男は先よりも深く溜息をついた。
「クマは死肉を食べる生き物だ。つまり、冬眠し損なった奴がいたとしたら、臭いで俺を探しているかもしれん」
「ふうん」
少女の気の無い返事に、男は眉を吊り上げた。
「おいおい、お前が命を粗末にしたいのは何度も聴いた。だが、まさか生きたまま食われたい訳じゃねえだろう?」
――命を粗末にするな。少女の脳裏に、不意に誰かの顔が浮かぶ。
違う、違う。粗末になんてしたい訳では無い。あたしの命を粗末にしたのは、してきたのは、あたしじゃない。溜め込んでいたものが少女の喉元にまで込み上げるが、それらは言葉にならない。何故ならそれを口にしたところで、誰かに届いたことなどなかったから。
少女は言葉を発す代わりに失望の色を瞳に宿し、無言で先へと走り出した。
「おい待て」
男は急いで少女を追う。積もり始めた雪の上、ここまでで疲労していた少女が屈強な男に足で敵う筈も無く、すぐに追いつかれ、腕を掴まれる。その力は強く、少女はすぐに振り解けないと悟る。
「何だよ、離してよ。大体さっきの話なら、おじさんといない方が安全じゃない」
少女の叫びに、男も声を張り上げる。
「失言は詫びる。この先に山小屋がある、視界も悪い、一緒に行こう。無論、お前が未だ安全を気にするなら。頂上を目指すならだが」
「必死過ぎるよ。そんなにあたしに死んでほしくないの」
「いいか、ここで手を離したら確実にお前は死ぬ。無残に死ぬ。それはいいとしよう。だがお前、ここに来ることを誰かに話したか?」
「登山に行くとは言ってきたけど」
それが何か、と憤る少女に、男は顔をしかめた。
「捜索費用がかかるんだ。探すのは民間会社だからな。お前の死体を探すのに大体1時間50万弱。山のどの辺にいるか分からなければもっとだ」
「何それ」
「まあ、死に行くお前には金は関係無いかもしれん。だが、探す方も命懸けだ。死にたいお前を助けんとして死ぬ奴が出たら、それこそ馬鹿らしいだろう?」
「だからあたしに死ぬなって言うの・・・?」
目を尖らせる少女を、諫めるように男は言う。
「違う。俺の見てるとこで死ねって話さ。お前の死体は俺が持ち帰って警察にでも持って行ってやる」
「何それ」
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