第4話

 日が昇り切る少し前、2人は樹海を抜け、山の裾野に辿り着いた。視界は開け、目の前には雪が乗った大山。


「ねえねえ、お腹空いた」

 少女の子どものような要望に、前を歩いていた男は足を止める。

「何、それは大変だな」

 男は辺りを見回して、進む先を指差した。


「もう少し進めば岩場がある。そこで昼飯にしよう。お前死ぬ気なんだろ、最後の晩餐がぞんざいではいけない。」


 真面目な顔で言う男に、少女は思わず尋ねる。

「おじさん、ホントに何も言わないの、命を無駄にするなとか」

 男は宙を見上げ、少し考えて呟くように言う。


「生きていくの大変だからなあ」



 岩場まで辿り着いた男は、背負っていたバックパックを下ろし、その中から小さなクッカーとウォーターボトル、バーナーとガスカートリッジ、レトルトパウチ2袋を取り出す。乾燥米と、レトルトカレーである。クッカーにボトルから出した水とレトルトカレーを入れ、ガスバーナーで熱する。カレーを温めた後はそのお湯を乾燥米の袋に注ぎ、数分待つ。そうしてできた米とカレーを簡素な食器に手際よく盛り付け、男は少女に差し出した。

「ほら食え」


 まずくは、ない。が、如何せんレトルトカレーと乾燥米である。カレーの味は薄く、米もどことなくもそもそしている。少女は自分が比較的裕福な家に住んでいることを知っていた。敗戦国である自国で貧困に喘ぐ者の多さも。だがそれはあくまで知識としてである。それ故男にとってこの昼食が如何ほどの価値があるのか分からない。飲むか、と渡されたペットボトルの水を飲みながら、そんなことを思う少女は、ふと男がマスクを外そうともしないことに気付く。

「おじさんは食べないの?」

「俺は腹、減ってないんだ」


 少女の食が進まないのは、味の為だけではない。目の前の男。少女が先刻指摘した通り、臭いのだ。腐臭、腐った肉の臭い。歩いているときは気にならない程度であったが、こうして腰を下ろしているとそうも言ってられなくなってくる。だが、曲がりなりにも食事をせがみご馳走になっておいて、「おじさんが臭くて食欲が失せるからどっか行ってて」とは言えないのが人情である。そも、先程のことだって、男が会話も成り立たぬゾンビであり、すぐに襲われ自分は食われるものだと思っていたから無遠慮な口を利いていたのであって、この期に及んでの不行儀は少女の性では無い。


「どうした、味が変だったか」

 怪訝な顔で食事の手を止めた少女に、男が訊く。そのサングラスに、少女は意を決して質問を返した。

「ねえやっぱりおじさんゾンビじゃないの?いいでしょ、どうせアタシはこれから死ぬんだから。冥土の土産に教えてよ」


 しばしの沈黙ののち、男はフードを下ろしゆっくりとサングラスとマスクを外した。その顔は、少女の予期していた通り、おじさんと呼ぶに相応しい、壮年と思われるものではあったが、しかし少女が予想していたような腐り落ちたものではなかった。その目には湖を思わせる穏やかさと深さがあり、揃えられた髪と綺麗に剃られた髭は男の粗暴な口調や巨躯に似合わない貞実さを感じさせた。その顔は確かに青白くはあったが、死人のそれと言う程では無い。

「ゾンビに見えるかい」

 首を振る少女。

「そうならいいけどなあ。嬢ちゃんの見立て通り、俺はゾンビだよ。生きる屍ってやつだ。……警察や軍には言うなよ、面倒くさいからな」

「本当に?」

 あっけなく認める男に、少女は思わず聞き返す。

「さっきから嬢ちゃんがそう言ってたんじゃねえか」

「それはそうだけど」


 何を言うべきか分からずにカレーを食べる手を進める少女に、男は笑う。

「お代わりもあるぞ」

「いらない」

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