第53話 幻覚か実在か
「こんにちは~」
ラウンジの奥のどっしりした古い木製の事務机に明海が向かっていると、玄関から梨沙が入って来た。
梨沙はマンガ誌『START』の編集長をしているだが、『るるグラス』を実際に開発したメンバーであり、『START』から『るるグラス』のコンテンツも出している。そういう理由で『るるノベル研究所』のキーを持っていて出入り自由なのだった。
「あら、誰も降りて来ていないのね」
人影のないラウンジの様子を見て梨沙は言った。
「出口クン、いますよ~」
出口がいる長椅子を指しながら明海は応えた。明海の指さす方を見ながら、そこから一番遠いソファーを選んで座った。
「オヤツ持ってきたのよ」
「わぁ~、いつもありがとうございます~」
梨沙が差し出した大小二つの紙バッグを受け取ると、小さい方を持って奥のスタッフルームへのドアに行き「梨沙編集長から差し入れいただきました~」と言いながら入って行った。
ややあって、山瀬とタカオがスタッフルームから出て来て、山瀬は梨沙の向かいのソファーに座った。タカオはテーブルに残された大きい方の紙バッグを持つと、それは二階にいる人たちの分なのでキッチンに置きに行き、代わりに飲み物と取り皿などを準備して持って来た。
「なんで二階の人たちはここに降りて来ないのかしら?」
ラウンジを見回しながら怪訝そうに梨沙は言った。
「僕たちに遠慮してるようなんですよ。僕たちが帰った後は降りて来て自由にやってるようです」
飲み物を差し出しながらタカオが言い、梨沙は合点がいったと言う顔になった。
「まぁ、そういうものね」
「『るるノベル』や『るるキット』のレビューはコンスタントにupしてくれてますよ~」
スタッフルームの人たちにお菓子を渡し終わって出て来た明海が、テーブルの中央にお菓子を置きながら言った。
「ハンドルネームを把握してるので、レビューをupする時間をチェックすると、それぞれの活動パターンが、だいたい分かりますね
日中型、夜型、平日集中型に週末集中型。ここのレビュアーの人数が増えて来たら、特別に時間を割り振らなくても、24時間、誰かしらが活動しています。
つまり、ここでは24時間、誰かが『るるグラス』を使ってるって事になります」
「うんうん~、それで出口クンは、このところ安心した様子で、この長椅子で寝るようになったんです~」
タカオが説明するのを受けて明海が言う。
「出口クンは夜型人間だったわけね」
出口が眠っている長椅子の方を見ながら梨沙が言った。
「最初は、脅迫観念かと思うような様子で、ずーっとここで『るるグラス』を使って何かを見ては、素早くレビューを書いて、すぐにまた別の何かを『るるグラス』で見るって繰り返して、
限界が来ると、スイッチが切れるように長椅子に倒れ込んで、眠り込んでいたんですが、他のレビュアーが増えて来るにつれて、今のパターンに落ち着きました。
僕たちが出勤する頃に降りて来て、長椅子で眠り、夕方近くになると起きるんです」
「どうして、ここの長椅子なのかしら?
二階には寝心地の良いベッドが準備してあるのに」
出口の様子を説明するタカオに梨沙は尋ねたが、タカオは「さぁ~?」と見当がつかないようだった。
「タカオく~ん、分かったように解説してるけど、やっぱり君はまだまだだねぇ~」
明海が茶化しながら口を挟んだ。
「明海先輩には理由が分かるって言うんですか!?」
「もちろんですよ~」
言い返すタカオに対して、もったいぶった間を置いて明海は続ける。タカオだけではなく山瀬も梨沙も、明海が次に何を言うのかと注目した。
「もしも、あの怪物が現れた時に、二階の人たちは、まったくアテにならないですよ~」
怪物を見た事のある明海は真剣に言うのだが、見た事もなく、気配を感じた事もない山瀬や梨沙には、やはりピンと来ないのだった。
「怪物、ねぇ」
しばらくして梨沙が言った。
「もしも、『るるグラス』を使う事で怪物の幻覚を見るようになるとか、それ以上に悪い影響があるなら、それは困るのよねぇ」
「幻覚じゃないです~」
明海は不服そうに言うのだが、梨沙は構わず言葉を続けるのだった。
「出口クン以外の二階の人たちが、怪物を見たとかは?」
「いいえ、見ていないと思います。
明海先輩もそうですが、出口さんも『るるグラス』をしていない時に怪物を見ています。
それが幻覚であるにしても、現実の物でも、もしや、この二人でなくても、誰かが『るるグラス』をしていればいいのかも知れないと、この研究所を提案しました。
今、ここでは誰かが必ず『るるグラス』をしている状態、つまり怪物を見ないはずの環境にしたわけですが、その結果が出口さんの変化だと思います」
「とりあえず、最初の段階をクリアした感じね」
梨沙はタカオの話を聞いて、しばらく何かを考えていたが、やがて口を開いた。
「でも、まだ幻覚なのか実在の怪物なのかも分からないし、はたして明海ちゃんと出口クンだけの特異な現象だったんじゃないかという疑問も消えていない。
害が有るのか、それがどの程度の害なのか、何も分からない。やる事はいっぱいあるわねぇ」
梨沙は窓の外の風景に目をやって、ため息をついた。
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