第52話 研究所

 高級住宅街であるヒルズの緩やかな坂道を、街の雰囲気にあまり似合わない服装の男が歩いている。街並みの美しさに目をやる心の余裕などない様子で男はスマートフォンに表示されたマップを見ながら進んでいた。


 やがて、要塞のような印象のガッシリとした壁が現れた。車が3台くらい入れられそうなビルトインガレージの扉と並んで固く閉ざされた黒い門があった。門柱には『るるノベル研究所』と表札がある。


「ここかぁ」


 男は要塞のような外壁の上に見える洋館を見上げた。


 AIスピーカーが来客の訪れを告げ、モニターに映る人物を確認したタカオはスピーカーに向かって門を開けるように言った。しばらくすると玄関のドアを開けて男が入って来た。


「こんにちは。面接に来た青木っす」


「いらっしゃい。玄関の靴箱を開けるとスリッパがあるから、履き替えて入って来てください」


 タカオは奥から、そう声を掛けた。


 靴箱と言われて青木は戸惑ったが、広い玄関の床から天井まで届く鏡をよく見ると取っ手があった。縦長の鏡付きの扉を両開きに開けると、片側にスリッパがもう片側に靴が収まっていた。


 スリッパの一つを取り出し、代わりに履き替えた運動靴を靴箱に入れると青木は周囲をゆっくりと見回しながら声のした方に入って行く。


 高い天井、見晴らしの良い窓、観葉植物の大きな鉢を間に配しながら、ゆったりと並べられたソファーセットや物入れ。梨沙が洋館の雰囲気に合わせて選んだ調度品が並べられて、新しい『るるノベル』のオフィスは最初のガランとした印象とは大きく変わってホテルのラウンジのようだった。


「なんか、海外ドラマとかに出てくる家みたいっすね」


 どっしりした造りの艶々した事務机に向かっているタカオに、青木は話しかけた。


「好きな所に掛けてください」


 タカオはそう言いながら、机の引き出しから書類を取り出している。言われた青木が改めて見回すと、花模様の布張りの物、籐製の物、革張りの物と様々なデザインのソファーセットや長椅子が配置されていた。


 青木は何も考えずに手近かなソファーに腰掛け、タカオもテーブルを挟んだ向かいのソファーに座り名刺を差し出した。


「どうも、タカオです。早速ですが、この書類に記入してください」


 タカオから書類とペンを受け取った青木は、一通り目を通すと名前などを書き、タカオに渡した。


「1ヶ月間に『るるノベル』を150話見て、そのレビューを『るるノベル』のサイトにアップしてもらうのが基本になります。もちろんそれ以上書いてもらっても構いません。


 代価として宿所と食事を無料で提供し、レビュー一本毎に料金をお払いします。まぁ、安いですけどね」


「いえ、寝る場所と食べ物をもらえるなら、他は何でもいいっすよ」


 説明するタカオに青木は答えた。


「『るるグラス』やパソコンは自分のがあるなら、それを使ってもいいし、この戸棚に一通り入っているので、自由に使ってください。作業は建物内のどこでしてもらってもいいです」


 タカオは立ち上がって物入れを開けて青木に見せ、さらに先に立って案内して行った。


「こっちが食堂。ここにある食べ物は自由に食べていいです。冷蔵庫には調理済みの食事が毎日届けられるし、冷凍庫や戸棚にも色々あります。掃除は専門の人が来て毎日してくれますが、使った食器や鍋などはその都度洗って戻してください」


 タカオはキッチンの戸棚や食料品庫を一通り見せてから、玄関横の階段へ青木を導いた。


「宿所は二階です。宿所については、皆さんで自主管理してもらっています。上がって行くと皆さんいるので、教えてもらってください」


 タカオにそう言われて青木は階段を見上げた後、タカオを見て言った。


「あのぉ、面接と思って来たんっすケド?」


「ああ、よほど印象の悪い人でなければ、全員合格なんですよ」


 そう言ってタカオは笑った。


「あ、そうなんっすね」


「とりあえず宿所に行ってみて。作業は今日からしてもらっても、明日からでもいいです。それじゃ」


「あ、分かりました。ありがとうございます」


 青木は礼儀正しくタカオに礼をすると階段を上がって行った。


「お疲れ様~、交代するよ~」


 事務机の後方のドアが開いて明海が出て来て、戻って来たタカオに言った。


「今日約束していた青木さん来ました。今、二階に上がって行ったところです」


 引き継ぎをしてタカオがドアの向こうに消えると明海は、事務机には座らず、並べられたソファーの間を見て回った。観葉植物の鉢と籐製のパーティションで目隠しされた後ろをのぞき込むと長椅子があって人が寝ていた。


「出口クンは今日も長椅子で寝ている、っと」


 それを確認すると明海は事務机に向かった。

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