第50話 空き家

 午前の明るい陽を受けながら車は郊外に向かっていた。街の主であるかのように太くてよく茂った街路樹たちを両側に従えた灰色のアスファルトの主要道路から脇道に入ると、そこから世界が違っていた。


「うわぁ~、おとぎの国だぁ~」


 助手席で明海は目をきらめかせて感嘆の声をあげた。ここからは私道なのだろう、明るい色彩のレンガが敷き詰められ、曲線を描く緩い上り坂を車は進んで行った。


 最初はあまり広くなさそうなアパートが何棟か、次には高級な低層マンション、さらに上がっていくと一戸建て住宅のエリアになっていた。


 道幅が広いうえに、道の左右には大小の石を組み合わせた石垣と様々な植物で作られた生垣が並び、その奥には庭木が植えられているので、アパートもマンションもほとんど見えないのだが、垣根や庭木の配置も屋根だけ見えている建物のデザインも、西洋の建築家の手によるのだろうと感じさせる雰囲気だった。


 一戸建て住宅のエリアに入ると道は次々と別れて行くのだが、後ろのシートから山瀬が的確に指示するので、運転席のタカオは道を誤る事なく目指す家のビルトインガレージに車を入れた。


「この住宅街で最も大きいクラスの家だよ。傾斜地なのでガレージは地下にあたる。一階の広いリビングをオフィスに使い、アルバイトたちは二階に寝泊まりしてもらう。離れもあるし、広さは十分だろう」


 うわぁー、うわぁーと言いながら家の中を見て回っている明海の耳に届いているか分からなかったが、山瀬はどうでもいいやと、投げやりな調子で説明をしていた。


「広い家ですねー。二階は何部屋あるんですか?」


 山瀬の横で周囲をキョロキョロ見回しながらタカオが聞いた。


「知らん。見た事ないから」


 素っ気なく山瀬は答えた。


「どうして、こんな豪邸を『るるノベル』のオフィスに使えるんですか?」


 リビングの片側の窓からは見晴らしの良い街並みが、反対側の窓からは裏庭の芝生と離れが見えた。


「社宅に借り上げてるんだよ。でもデカ過ぎて、ずっと空き家なのさ」


 そう言いながら山瀬は先週末、社員食堂でのやり取りを思い出していた。


「え? バイトを増やしたい?」


『るるノベル』のレビュアーの名目で雇う事になった、ネットカフェ難民だったハンドルネームexitこと出口のようなアルバイトがもっと必要だと明海が言うのだった。


「出口クン、危ないんです~、相変わらず寝ないし~、食べないし~」


「それは彼の自己管理の問題でしょ? アルバイト増やすのにメリット感じないよ」


 明海があまりにも熱心に言うので出口を助ける事にしたのだが、山瀬はそれに関心がなかった。


「いえ、『るるノベル』のレビュアーを増やすのは意味があると思います」


 山瀬と明海のやり取りに口を挟んだのは、二人と一緒にビジネスランチをしていたタカオだった。


「もちろん一般のユーザーからのレビューが集まるのが理想ですが、人は賑わっている所に集まるものです。アルバイトのレビュアーにレビューを量産してもらえば、一般ユーザーのレビューも増えるでしょう」


 明海は頼もしそうにタカオを見た。


「ふぅむ」


 タカオの言うことに一理あると山瀬は思い、明海は期待を込めた目で山瀬を見た。


「しかしなぁ、『るるノベル』のオフィス狭いよ、これ以上デスク置けないよなぁ」


 とても無理だという口調で言うので、明海は大袈裟にガッカリして見せた。


「だったらオフィスごと引っ越したらいいわよ、いい物件あるわよ~」


 そう言って会話に加わって来たのは、たまたま近くのテーブルにいて話が聞こえていた梨沙だった。


「梨沙ネエ!?」


「編集長! いい物件ってなんですか~?」


 山瀬と明海が同時に言った。


「『るるノベル』のオフィスに十分使えて、アルバイトの住居も提供できる物件よ、きっと明海ちゃん気に入るわよ~」


 にこやかに梨沙は言い意味ありげに山瀬を見るので、山瀬はキョトンと梨沙を見返した。


「ねぇ、山瀬クン、分かるよね~?」


 梨沙の言葉の意味を図りかねて山瀬は一瞬黙り込み、すかさず明海が梨沙の話に飛び付いたのだった。


「編集長~、何ですか~? 何ですか~?」


「直接、見た方がいいよ、週明けに見に行けるように、私が社長に話しといてあげるわね」


 そうして、空き家になっていた社宅を見に来る事になったのだった。


「♪♪♪♪♪」


 リビングの壁に付けられたAIスピーカーから電子音がしてモニターが点いた。映っているのは梨沙だった。


「いるんでしょ~?」


 スピーカーから梨沙の声がした。


「編集長~」


 明海はモニターの下にある門を開くボタンを押した。


 明海が玄関に迎えに行くと、大きな紙袋を持った梨沙がにこやかに入って来た。

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